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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第05話 グラマラスな操言士と旅の終わり
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3.暗躍(下)

「ぼくはすべてに失望しました。破壊がぼくの願いです」

「そうか」


 投げやりなローベルに、馬龍は少しだけ寂しそうな目線を送った。

 自分をはじめとした仲間のほとんどがローベルと同じだ。すべてに失望し、かといって己の消滅は願わない。願うのは己以外のすべての破滅だ。

 ただ、長い年月を重ねた馬龍と違ってローベルは若い。まだ()()()()()()()()を持っている。引き返そうと思えば引き返せるはずなのだ。そして実際に、彼の心の奥深くにはきっとまだ迷いがある。「どうしてこんなことになってしまったのだろう」という後悔も。

 だがローベルは突き進む。迷いと後悔を心の隅でくすぶらせながらも、馬龍たちと同じようにあえて憎悪と破壊衝動に満ちた道を進むことだけが、己の心を保つ唯一の方法なのだ。


「アンジャリも役割を終えた頃だ。やるか」


 馬龍は最後に思い切り煙草を吸い込むと、吸殻を手前に投げ捨てた。


【焔、着火。五人兄弟の火の玉は競いながら燃え、家をも飲み込む火炎玉となれ】


 空中を飛んだ吸殻が一瞬にして炎に包まれ、さらに五つの火の玉に分かれる。それらは少しずつふくらみ、読書ができそうなほどにあたりを明るく照らした。


【気流、円舞。火炎玉五人兄弟を連れて、家を焼き尽くせ、人を焼き尽くせ、街を焼き尽くせ。すべての炎は風に乗り、激しく広く、どこまでも覆い尽くせ】


 馬龍の背後からどこからともなく風が流れ込み、五つの火の玉はその風に煽られて街の中へ燃え広がっていく。


「さあ、怪魔を呼べ、ローベル」


 ローベルは感情のない顔で横笛を構える。

 ポーレンヌ城下町にひっそりと響くその笛の音はとても冷たかった。



     ◆◇◆◇◆



「っ……! たいへん……たいへんっ、どうしよう!」

「紀更様?」


 宿の談話室でしばらくぼうっとしていた紀更は、隣の紅雷に構うことなく突如ソファから立ち上がった。


「笛っ……笛が、またっ」

「笛? 笛って何のことですか? 何も聞こえませんよ?」


 紀更は首を左右に振って、室内を意味もなく見回す。取り乱す紀更のその肩を、同じくソファから立ち上がった紅雷は両手でぎゅっと掴んだ。


「紀更様、大丈夫、落ち着いてください。笛がどうかしたんですか」

「笛の音が……どうしよう、きっとローベルさんが」

「ローベルさん?」

「王黎師匠……エリックさんに知らせないと!」


 表情の青い紀更は、紅雷の腕を振り払って宿の二階へ向かおうとする。くらら亭で夕食をとって戻ってきてから、王黎もエリックもルーカスも部屋にこもったままのはずだ。

 しかし紀更が二階に上がるよりも先に、その三人が血相を変えて階段を下りてきた。


「王黎師匠!」

「紀更、無事だね!? よかった。街のあちこちで火事が起きたみたいなんだ」


 王黎は紀更と紅雷が無事なのを確かめ、宿の正面ドアを指差した。そのドアの外から何かが聞こえていることに気付いた紀更は、ぽつりと呟く。


「鐘の音……」

「これは火事を知らせる音だ」


 エリックが冷静な声で告げた。

 時刻を知らせるいつものゆっくりとした音ではなく、小刻みに鳴らされるその音は都市部の中で火災が発生したことを知らせるためのものだ。

 五人はそろって宿の外に出ることにした。ほかの客たちも続々と外に出て、何事かと見物するかのように周囲を見渡す。その様子は音の街ラフーアのあの夜と同じだった。


「向こうだ!」

「南西エリアが燃えてる!」


 誰かが指を差し騒ぎ立てるその方向に、赤い炎と黒い煙が上空に向かって立ち上っているのが見えた。わずかだが熱風が頬をなでていくのも感じる。


「火事自体は珍しいことじゃないけどなんか変だね」

「変……そう、そうです! 王黎師匠! 笛が、笛の音が!」

「笛?」

「レイトとラフーアで聞こえた笛の音……たぶん、ローベルさんの笛です!」

「なんだって!?」


 王黎とエリック、そしてルーカスの表情が一変した。

 水の村レイトと音の街ラフーアで起きた怪魔襲撃事件。おそらくその両方に関わったと思われる、ラフーア出身の操言士ローベル。真相は定かではないが、先の事件の前触れ、あるいはトリガーのようにローベルの笛の音が聞こえたということは記憶に新しい。その笛の音が聞こえたのは紀更だけで今も紀更以外の者には聞こえないが、紀更の嘘や気のせいなどではなく、間違いなくローベルがどこかで笛を吹いているのだろう。


「まさか、これもローベルとあの男の仕業か?」


 ローベルだけでなく、ラフーア音楽堂の上にローベルと共にいた三つ編みの男の姿も思い出し、エリックの眉間に皺が寄った。


「可能性は高くないですか? ポーレンヌはラフーアの二倍も三倍も広い街です。火事を起こして街の中を混乱させてから、また怪魔を引き寄せるのかもしれません。あるいはすでに……」


 最悪の事態を考えてルーカスの声がしぼんだ。

 そうこうしている間にも、火事によって生まれたと思われる熱風が段々と強くなって吹いてくる。


「どうする、王黎殿。ラフーアの時同様、紀更殿を危険にさらすわけにはいかない。それは譲れないぞ」

「でも何もせずにいるわけにもいかない、ですよね」

「ああ」


 エリックは険しい表情を浮かべた。

 都市部に起きた異変は、その都市部に住まう者たちが対処する。当たり前だ。自分たちの住む街は自分たちで守り支える。そのために騎士団や操言士団があるのだ。

 祈聖石巡礼の旅という名目でたまたまここに居合わせた紀更たちには、ポーレンヌ城下町の完璧な土地勘もなければ、組織の一員として手助けする義務もない。しかしだからといって何もしないわけにはいかない。騎士として操言士として、人々の一大事には考えるよりも先に身体が動こうとする。


「火事の方はポーレンヌの住民でなんとかするしかないと思います」

「問題は怪魔か」

「これから出現するか、あるいはもうすでに街のどこかに」


 火事が起きているのは紀更たちが宿泊する宿の近くだ。吹いてくる風の向きと野次馬の声からして、城下町の南西エリアで間違いないだろう。


「レイトやラフーアと同様の手口だとするとこの火事は陽動で、怪魔は正反対の方角の北東エリアに出現させると考えられるか」

「一番可能性が高いのはそこですね。くそっ、最美がいればっ」


 王黎は悔しそうに、珍しく汚い言葉で舌打ちをした。

 最美ならニジドリの姿になって上空から街全体を見下ろし、状況を把握できる。しかし彼女はゼルヴァイスから戻ってきていない。


「そうだ……紅雷!」

「はいっ! なんでしょう、紀更様!」

「匂いでわからないかしら!? 街のどこかに怪魔がいないか」

「わかりませんけどやってみますね!」


 紅雷はしゅぽん、という音を立ててミズイヌの姿になった。水に濡れていないその毛並みは人型の髪の色と同じく桜色だ。


「紅雷さんに怪魔スミエル以外の匂いがわかるのでしょうか」

「そもそも、怪魔に匂いがあるのかどうか定かではないな」


 鼻をひくひくと鳴らして懸命に空気中の匂いを嗅いでいる紅雷に聞こえないように、ルーカスとエリックは小声でやり取りをする。そんな二人の懸念は当たらずといえども遠からずだった。


「う~……紀更様、ごめんなさい。いろんなものが焦げ付いた臭いしかしないです」


 紅雷は人型に戻り、しょげた声で言った。紀更は残念に思ったが、なるべくそれを表に出さないように努力してくれた紅雷をねぎらう。


「そうね、紅雷。火事が起きてるなら仕方ないわ。ありがとう」

「ごめんなさい」


 紀更の役に立てなかったことがよほど悲しいのか、紅雷はしょぼくれる。すると王黎が真面目な表情で言った。


「紀更、手掛かりはもう、笛の音だけだ。怪魔が街の中に出現したとしても、ポーレンヌの騎士と操言士がいればきっと大丈夫だ。それよりも、いまこの街にいる人間でローベルたちの尻尾をつかめるのは僕らだけだ。なぜかわからないけど、紀更にはローベルの吹く笛の音が聞こえるんだろう? その音の出所を探るんだ」

「っ……はい」


 力強く言う王黎に、紀更は唾を飲み込んで大きく頷いた。それから深呼吸を繰り返し、目をつむる。神経を研ぎ澄ませて聴覚に意識を集中させていく。


(ラフーアの操言士、ローベルさん……どうして? どうしてあなたは……)


 人々を守るべき操言士なのになぜ怪魔から街を守らないのですか。レイトとラフーアで祈聖石に何かしたのはあなたですか。それはなぜですか。どうしてそんなにも悲しそうに笛を吹くのですか。その笛はあなたにとって大事なものですよね。街を襲った怪魔とあなたはどう関係しているのですか。レイトやラフーアにどんな恨みがあるのですか。そして――。


(――どうして、ここでも)

――フゥ~……ピィ~……。


 聴こえる。悲しげな音、寂しげな音。冷たい、それでいて激しい怒りを込めたような、紀更の全身を包む妙な不快感。


〝どうして……こんなことに……〟


 呼ばれているような、でも拒まれているような。引き寄せられるような、跳ね返されるような。後悔しているような、苦しみながらも突き進もうとするような。複雑に交じり合った色と温度の笛の音が聴こえる。


「西……こっちです!」


 紀更は街の西口へといたる道のひとつを指差した。そちらの方角から笛の音が聞こえてくる気がした。


「よし、行ってみよう!」


 王黎は紀更の背中を強く押して、早歩きで歩き出した。先頭を行く紀更の左右にエリックとルーカスが陣取り、万一の場合に備える。


「紅雷、キミは何があっても紀更を守るんだ! いいね?」

「はいっ! 必ず!」


 いつもなら最美に命じる護衛の役割を、王黎はしょんぼりしたままの紅雷に言い渡す。

 紅雷は気持ちの切り替えができたのか、晴れ晴れとした表情で頷いた。

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