明子との日々2 ー過去編ー
自殺の表現があります。
ある冬、明子が倒れた。
医者に診せると、結核だと。明子の母と同じ病気だった。
「明子、町で薬を買ったんだ」
「小太郎さん。お医者さまが出した薬があるから」
「治ったって話聞いて…」
「たぶんそれ、詐欺…」
「……ごめん」
小太郎は薬の袋を持って項垂れた。
「ありがとう。小太郎さん。私の薬代稼ぐために、朝の漁以外も仕事してるんでしょ? 無理しないで」
「大丈夫だよ」
小太郎は眠っている明子を覗きこむ。時に咳き込み苦しそうにする度、どうしても目が覚めてしまう。
《小太郎?》
朱丸が心配そうに声を掛けた。
『眠れないんだよ。最近…』
朝は漁があるので早い。眠らなくてはと思えば思うほど、眠れないのだ。
夜、小太郎は妖力回復のため、山に来ていた。
妖怪を探すが見当たらない。ここ最近はずっとだ。
「いない」
《この10年、小太郎の存在は妖怪達に知れ渡ってる。妖怪を狩る者がいるって知ったら、みんな隠れちゃうよね》
「そうか」
《もっと遠くに探しに行かないとダメかも》
「…それはできない」
《なんで…》
「オレがいない間に明子に何かあったらどうする?」
《でも、妖怪を喰べなきゃ、オイラたち…》
「なんとかする…」
小太郎は家に戻ると、眠る明子に口づけた。
「ごめん。妖力回復させて…」
「ん…」
明子が呻いた。
「小太郎…さん?」
「ごめん。起こした?」
「どこ行ってたの?」
「妖怪喰べに行ってた」
「そっか」
明子は微笑むと、また眠りについた。
その年の秋。 明子は日に日に衰弱しているようだった。
小太郎は眠る明子から、こっそり妖力を回復させてもらっていた。
弱っていく彼女から、妖力をもらう時、自分が彼女の生きる力を吸いとっているのではと錯覚する。小太郎は妖力をもらう量を少なめにしていた。
烏山に山菜を採りに来ると、烏天狗が来た。
時々採った山菜を、町で売っていた。
烏天狗もそれを許していた。
[小太郎]
「天…」
烏天狗の事は、小太郎も天と呼ぶようになった。
[明子の様子はどうだ?]
「相変わらずだよ」
[おまえ…顔色悪いぞ]
「ああ…最近…ちゃんと妖力回復できてなくて。近くに妖怪がいないから、明子からもらってる。でも、明子も弱ってるのに、彼女からもらうのが…」
[そういえば、ここら辺にいたあまり強くない妖怪は、異界に帰ってるみたいだな。明子はなんて言ってるんだ?]
「眠ってる間にもらってる。体調悪いのに、口づけさせてって頼みづらい」
[……]
小太郎はフラついて、持っていたカゴを落とした。
[おい…]
烏天狗…天が支える。
「ごめん。ありがと…」
《小太郎…最近ずっと…体辛いよ。ちゃんと妖力回復しないと、オイラ…弱ってく》
「そうか…朱丸が弱ってる…だから…こんなに…体が重いのか」
小太郎は、辛そうに息を吐く。
[小太郎…行くぞ]
「どこに?」
天は、小太郎を抱えると飛び立つ。
「どこに行くんだ? あまり遠くに行くと、明子が心配…」
[おまえ寝てないだろ? 少し眠れ]
「…天…」
天の腕の中、小太郎は少し眠った。
「ん…」
[起きたか]
目を覚ますと目の前には天の顔があった。
周りを見ると、小さな洞窟だった。
洞窟の入り口には、小さな社がある。
「ここは?」
[俺の住処だ。ちなみにその社は俺を祀ってる]
《烏天狗さんの小さな神社?》
[ああ。だが、今はもう誰も訪れん。いや、一年に一回、この山のふもとの村の人間が、米を奉納してる]
「米?」
[ああ、村で獲れた米だな。大昔に、毎年のように山火事が起こって、村人が山の神が怒ってると解釈して、それから貢ぎ物をするようになったって話だ。その風習の名残りで、今も米を奉納してくれてるんだよ]
《へぇ…》
[大昔はもっと肉とか酒とか持ってきてくれたけどな…]
烏天狗は小太郎の前におむすびが3つ乗った皿を置いた。
[食え]
「え?」
[その奉納された米で作った]
「……」
[普通の米じゃない。神さまに捧げたもののお下がりだ]
《どういうこと?》
[神力が宿っている。霊力と似たようなものだが、これで妖力の補給ができるだろう]
《普通の人間が食べたら?》
[神のご利益が貰えるらしい。良くわからんがな]
「いただきます」
小太郎はおむすびを口に運んだ。
「おいしい」
[そうだろ?]
《烏天狗さん、こういう事不器用そうなのに》
[ひと言余計だ]
おむすびを3つ食べ終わると、ごちそうさまと手を合わせた。
天は小太郎のあごを掴むと、顔を上に向けさせた。
「なに?」
[顔色良くなったな…]
「そう…なの?」
[はあ…]
天は、疲れたように椅子代わりの岩に座る。
[死にそうな顔してたろ?]
「そう…だった?」
[ああ]
「心配してくれたんだ…」
[違…! あ、いや…そうだな…。おまえに何かあったら、明子が悲しむだろ]
「…うん」
小太郎は静かに目を伏せた。
[明子はたぶん、もうすぐいなくなる]
「…うん」
[おまえさ。明子の後を追おうとか考えてないよな?]
「……」
《追うって?》
朱丸が、よくわからないと声を上げる。
[死んだ人の事を忘れられなくて、自分も死ぬ事だ…]
《そんな! 小太郎!》
「そんなわけないだろう。何言ってんの?」
小太郎が苦笑する。
《そう…だよね》
[……]
「天、ありがとう。お陰ですごい元気になった」
[…ああ。明子のところに送っていこう…]
明子は熱を出した。額に濡れた手ぬぐいを置く。
「大丈夫か?」
「うん…」
小太郎の顔をじっと見る明子。
「なに?」
「顔色良くなったなって。前はすごい辛そうだったから」
「オレ、そんなんだった?」
「うん…」
「天が、妖力回復するの助けてくれたから」
「天ちゃんが…」
「近くに妖怪がいなくて、オレ、明子が寝てる間にこっそり口づけして、もらってたんだ」
「え?」
「ごめん…」
「言ってくれたらあげたのに」
明子は口を尖らせた。
「体調悪そうだったし、言いにくかったんだ」
「…そっか。小太郎さん、これからはちゃんと言ってね」
「うん…」
「ゴホッゴホッ」
「大丈夫?」
明子は喀血した。枕元が血に染まる。彼女はそのまま意識を失った。
「明子!」
小太郎は医者の元に走った。
「すみません。妻が血を吐いて…」
「わかりました」
医者と家に戻り、明子の様子を見せる。
「申し訳ないが、彼女にはこれ以上治療できません」
「え?」
「痛み止めくらいは出しましょう。あとは血を吐いて窒息しないよう気を付けてあげてください。かなり衰弱しています。あと数日持つかどうかです」
「そんな…」
医者が帰ると、小太郎は一枚の紙を手に、町に出た。トーマスに電話するつもりで、町の公衆電話にきた。家には電話などないから。
紙には前に教えてもらった番号が書いてある。
トーマスの勤める大学病院に電話し、トーマスを呼んでもらう。
【もしもし? コタロー久しぶりだね】
「トーマス。ごめん。忙しいのに」
【いいや。それで、どうした?】
「その…明子のことなんだ」
明子の病気、症状を話す。トーマスは「うーん」と唸った。
【ごめん。コタロー…。この病気にしっかり効く薬って今のところないんだ。だから、かわいそうだけど、もう明子さんにしてあげられることは…】
「明子はもう助からない?」
【ごめんね。ボクにもできることはないよ】
「……」
小太郎は受話器を下に降ろして、呆然とした。
【コタロー? もしもし?】
受話器からはトーマスの声が聞こえている。
公衆電話ボックスから出た小太郎。
《小太郎、お面被って》
朱丸に言われ、狐の面をつける。そして、歩道の隅に座り込んだ。
《小太郎? なにしてるの。帰ろうよ》
座り込む狐の仮面男。
その内、警官がやってきた。誰かが不審な人がいると通報したらしい。
小太郎は逃げ出した。
走って走って、やがて止まると、薬局の前だった。
小太郎は薬局に入ると、消毒薬を手に取った。この薬は水銀が入っているものだ。
《小太郎それ、何に使うの?》
「……」
小太郎は何も言わず、代金を払うと家に帰った。
明子はまだ眠っていた。だが、死んだように動かない。
息をするとわずかに上がる布団が、明子が生きていると証明していた。
布団の横に座り込んだ小太郎は、じっと明子を見つめ続けた。
夜中になっても微動だにしない。さすがに便所には行ったが、食べることも寝ることもせず、夜が明けてもそのままだった。
《小太郎、さすがに休もう?》
「……」
《ねえ、なんでずっと無視するの?》
そのまま夜になった。
やがて、天が様子を見にやってきた。
[小太郎、明子は…]
「……」
何も言わない小太郎を、天は訝しげに見る。
《昨日からずっとこの調子なんだ》
天は明子の様子を見て、「生きている」とホッとした。
《目を覚まさないんだよ。小太郎は昨日から座り込んで、ご飯も食べないし、眠らないし…。オイラが話しかけても無視するし》
[小太郎。明子は眠っているだけだ。不安だろうがおまえも休め。食欲がないならせめて寝ろ。おまえまで倒れるぞ]
天の言葉にも反応しない。
天が小さな紙袋を見つけた。中には消毒薬と書かれたビンが入っていた。
[なんだ?これ」
《小太郎が買ってた》
紙袋の近くには、新聞紙が置いてあった。
[この新聞…]
《気になる記事があったみたいで買ってた》
その記事を目にした天は、小太郎の肩に手を置いた。
[小太郎。この消毒薬、本当に消毒するために買ったのか?]
小太郎はピクリと動いた。
《え? どういうこと?》
[この記事、有名な作家が服毒自殺したって。薬局で買った消毒薬を使ったって書いてある。おまえ・・・]
《え…》
[明子が死んだら飲むつもりだったんだな]
「……」
《なんで、小太郎…。前にそんなわけないって言ってたよね。オイラに内緒でそんなこと…》
朱丸は叫んだ。
《小太郎だけの体じゃない。オイラだって居るんだ。
なのに勝手に死ぬなんて許さない》
「おまえが勝手にオレの中に居るだけだろ?
オレ桃寿郎に斬られた時、あのまま死んでも良かったんだ」
《なに言ってんの?》
やっと口を開いたと思ったら、信じられないことを言う小太郎に、朱丸は呆然とした。
[小太郎。その時死んでいたら、明子には会えなかったんだぞ]
《そうだよ!まったく…感謝してよね》
「……」
小太郎は辛そうに目を伏せた。
「オレは死ぬことも…許されないのか」
《小太郎は、死んだら明子さんと同じところに行けるって、信じてるんだ?》
「そうだけど…」
《あのね、オイラ小太郎と同じあの世に行けるようにって、術をかけたでしょ? でも、予想外の事が起こって、オイラが小太郎の中に入っちゃった。だから、オイラが人間側のあの世に行けるのか、それとも小太郎が鬼側のあの世に来ちゃうのか、分からないんだ》
「それって」
《鬼の世界の方に小太郎が来たら、明子さんとは離れ離れになるんだ》
「そんな」
《こればかりは分からないよ》
「……」
《だから、死を選ぶなんてやめてよ。オイラはこれからも小太郎と一緒に生きたいよ》
[それにな、鬼の体じゃこれを飲んでも死ぬことはない。すごく苦しいだろうがな。それに苦しむのは朱丸もだろう?]
小太郎はハッとする。
《そうだよ。オイラだって苦しむんだ》
朱丸も今気がついた。
[優しいおまえは、自分のせいで誰かが苦しむなんて許せないだろ]
天の言葉に、小太郎は涙ぐんだ。
「そうだよな。ごめん。オレ、自分のことばっかり…」
《わかったならいいんだ》
朱丸が優しい声で言った。
明子が身じろいだ。
「ん…」
「明子?」
彼女は目をゆっくりと開けた。
「あれ? 小太郎さん。泣いてるの?」
小太郎は、布団の上から明子を抱きしめる。
「よかった。目が覚めて…」
「えっと?私、そんなに寝てた?」
「うん…グスッ…うああ…」
小太郎は、声をあげて泣きだした。
「心配かけてごめんね」
明子は、小太郎の背中をポンポンと叩いた。
そのうち泣き疲れて、小太郎は眠ってしまった。
明子は、小太郎を抱きしめながら、自分も眠った。
ある晴れた朝、明子は窓際でロッキングチェアに座って、外を眺めていた。
このロッキングチェアは、中古で安く手に入れたものだが、少し壊れていたので、小太郎が直した。
明子は支えがないと座れないので、日中はずっとこのイスに座っていた。
「ねえ、小太郎さん」
「ん?」
「外に行きたいな」
「…でも」
「今の季節、烏山の紅葉がすごく綺麗なんだ。葉っぱが赤や黄色に色づいて、遠くからでもわかるくらい、山がひとつの絵画みたいなの」
「そういえば、毎年出かけてたっけ」
「小太郎さんは、紅葉を楽しむより、木の実やキノコを探してたけど…」
「小さい頃からのくせなんだよ。山で食べ物探すのは…」
明子はふふっと笑う。
「連れてって」
「村から眺めるだけでいいか? 歩けないだろう。烏山に行くには、バスに乗ってかないと…。オレだけなら走って、跳んで、木々や建物の屋根をつたって行くけど…」
「小太郎さんには天ちゃんの羽根があるのに」
「妖力使うから極力避けてるんだ」
「…じゃあ、私を抱っこして、飛ぶのは無理?」
「え?」
明子は頬を染めて、小太郎をチラ見した。
「小太郎さんに抱っこして、飛んでみたいな」
「わかった。行こう」
普段わがままを言わない明子が珍しくて、小太郎は了承した。
「わあ…綺麗…」
烏山の上空。小太郎は明子を抱っこして、山を見下ろした。
「本当…綺麗だな」
「妖力…大丈夫?」
「そうすぐに無くならないよ」
「私ね。きっともう、外に出かけるってできないと思うの」
明子は寂しそうに、目を伏せた。
「……」
「わがまま言って、ごめんね」
「いや…」
「ありがとう」
小太郎は、少し泣きそうになった。
「山に降りる?」
「いいの? 降りたい」
森の中に降りたった。
明子が座りやすいように、木のそばに落ち葉を集めて、その上に自分の上着を敷いた。
木を背もたれにして、明子を座らせる。
「大丈夫? 座りにくくない?」
「うん」
明子は色づく木々を見て、嬉しそうに目を細めた。
「前はおむすびとか持ってきたけど…」
「明子が食べれないから、いいよ」
最近は食欲がないのか、お粥も数口でやめてしまう。
日に日に痩せて、弱っていく彼女を見るのはとても辛かった。
ー助けて‼︎ー
どこからか声が聞こえた。
子どもの声だ。それも、かなり切羽詰まったような声。命の危険に晒されている。
「今の声…」
小太郎は呟いた。
「どうしたの?」
「助けを呼ぶ声がしたんだ。たぶん子ども…」
「私には聞こえなかったけど…」
「オレは鬼だから、人間には聞こえない遠くの音も聞こえる」
「助けに行ってあげて」
「でも…」
「私は大丈夫だから」
「わかった」
小太郎は髪の毛を一本抜くと、ふぅと息を吹きかけた。髪の毛は人型に変わった。
「これを…」
明子に渡すと、首を傾げる。
「天に教えてもらった術だ。何かあったら名前呼んで。すぐ戻る」
「うん」
人型はヒラヒラと手を振った。
小太郎が羽根を広げて飛んで行くと、滝つぼが見えた。
明子の前では外していたお面を、今はつけている。
滝つぼから、子どもが顔を出して叫んでいる。溺れているようだ。
「助けて!」
子どもの顔が沈んだ。
小太郎は飛び込んで、子どもを抱えて水面に出た。
「ゲホッゲホッ!」
地面に転がった子どもは、苦しそうに咳き込む。
「ゲホッ…ハアハア…」
小太郎も地面に膝をついて息を整える。お面を頭に結んでいた紐が取れ、狐の面が転がった。小太郎は、子どもから顔が見えないように俯いた。
チラリと子どもを盗み見る。
よく見れば子どもといえど、14〜15歳といったところか。
「ありがとう。助かった」
少年が立ち上がる。
「大丈夫?」
小太郎が膝をついたまま、顔を俯いているので、心配したようだ。
「ああ…早く帰りな。風邪ひく…っう…ぐ…」
小太郎は胸を押さえて、倒れ込んだ。
「え…ちょっと…」
少年は、小太郎のそばに寄る。
《ハアハア…小太郎…妖力切れそうだよ》
『わかってる』
「なあ…誰か人呼んでくる?」
少年が小太郎の顔を覗き込む。
「…あんた…どっかで…」
少年の呟きに、小太郎はバッと立ち上がると、狐のお面を顔に当てた。急いで紐を結ぼうとするが、手が震えてうまくいかない。
「そうだ。似顔絵で見たんだ。鬼…だ。最後の生き残りの…」
少年がポツリと言った。
小太郎はピクリと震えて、お面を取り落とした。
“最後の生き残り”
その事実をただの一般人が知っているわけがない。
つまり、目の前の少年は…。
「おまえは…」
「おれは吉備津桃李15代目、桃太郎だ」
小太郎は、桃李から距離をとった。
「う…くっ…」
胸を押さえて、膝をつく。
「おい?」
桃李が近づこうとする。
「来るな! ハアハアッ…オレは今、殺されるわけにいかない。病気の妻がいるんだ」
「鬼も結婚するんだ…」
「あたりまえだろ?」
「今は刀持ってない」
桃李は両手を広げた。
「そうか…。ぐっ…う」
小太郎は苦しそうに呻く。
「あんたって確か、心臓に鬼が住み着いて、自らも鬼になったんだっけ?」
「ハアハアッ」
「苦しそうだな。どうしたら苦しいの終わるんだ?」
「オレに構うな。さっさと帰れ…」
桃李は辛そうに首を振った。
「おれ、薬草探してて。天狗が植えたって言う何にでも効く薬草なんだ。滝の上でそれっぽいの見かけて、取ろうとして落ちた。
父さまが病気だから、元気になってほしくて…」
「桃寿郎が病気?」
「あ、父さまと戦ったんだよね」
「ああ…」
《へえ…かわいそう》
朱丸が嬉しそうに言う。
『朱丸、不謹慎だぞ』
《だって、散々痛めつけられたんだよ?普通いい気味って思うじゃない?》
『オレは…大切な人が病気なんて聞いたら、今の自分に重ねて見ちゃうよ』
《あ、そうだよね。ごめんね》
桃李は少し考えてから言った。
「おまえに聞くのは違うかもしれないけど、薬草の場所知らない?」
「知らない」
「そうだよな。教えないよな。父さまがおまえの事、散々痛めつけたんだ」
「違う。本当に知らない。勘違いしてるかもしれないけど、オレ山で暮らしてる訳じゃない。妻は人間だし…。それにたぶん、そんな何にでも効く薬草なんてない。もしあったら、オレだって欲しいよ」
「…そっか。ないのか」
ー小太郎さん
明子の声が聞こえた。
「明子が呼んでるから、オレ行くな…」
小太郎は急いで明子の元に走った。
「明子…」
「小太郎さん」
「大丈夫か?」
「うん。ごめんね。寒くなっちゃって。助けを呼んでた子は?」
「大丈夫。ちゃんと助けた」
小太郎は明子の額を触る。
「熱出たな…早く帰ろう」
小太郎は羽根を出した。
「う…」
胸を押さえて蹲る。
出した羽根はキラキラと消えた。
「小太郎さん?」
「ハアハアッ…妖力が少なくなってたんだ。ぐっ…う…」
明子は小太郎に口づけた。
「ん…」
「んん…」
「補給できた?」
「ハア…ありがとう」
小太郎は羽根を広げ、明子を抱いて今度こそ飛び立った。
自宅に帰り、熱を出した明子の看病をする。
「ハア…」
《小太郎…さっき明子さんにもらった妖力。少なかったでしょ?もう少し、もらえないかな》
『でも…』
明子を見ると、熱が上がったのか、苦しそうに息をしていた。
『こんな状態の明子に頼めないよ。確かに、体重いけど、少しくらい我慢できる』
《でも、天狗の羽根を使ってここまで飛んだから、だいぶ減ったし》
「ハアハア…確かに…少し苦しい」
その時明子が咳き込んだ。
「ゲホゲホッ」
血を吐いてしまい、枕元が染まった。
「ハアハア…」
明子は目を覚ます。そばに小太郎の手を見つけると、握った。
「小太郎…さん?」
小太郎は、枕元の血をじっと見つめて動かない。
「ハア...明子...オレ...」
彼は枕元に這いつくばると、広がる血に舌を沿わせた。
「…⁉︎」
ペロペロと血を舐める。異様な光景に、明子は後ずさった。
小太郎の髪が赤くなり、角が生え、目が赤く光る。
明子に目を向けた小太郎は、ニヤッと笑った。血まみれの口から、鋭い牙が生えている。
「たべたい…おれ…あきこ…たべる」
明子は震えて、部屋の隅まで後ずさる。
「やめてよ小太郎さん…」
怯える明子に爪を振り下ろそうとした。
「ぐっ⁉︎」
小太郎は急に自分の胸元を鷲掴むと、苦しそうに蹲った。
「え?」
「うあ‼︎あ…ぐっ‼︎」
「小太郎…さん…?」
「ハアハアッ…あああっ…‼︎」
小太郎はパタリと倒れた。髪の色が黒に戻り、角も消えた。
明子は、そっと近づく。小太郎は気を失っているようだ。
「はあ…怖かった」
[明子!]
「天ちゃん」
空間から、天が現れた。
[おまえの助けを呼ぶ声が聞こえた。どうした?]
「小太郎さんが私の血を舐めて、鬼化して、襲いかかって来て。でも、急に苦しんで倒れたの」
[そうか…]
天は明子の手を握った。
「天ちゃん?」
[震えてるぞ]
「本当だ。怖かったもの…」
天は、明子を抱きしめた。
「天ちゃん」
[平気なふりをするな。心臓がバクバク言ってるだろ? 鬼と化した小太郎を見るのは初めてだ。驚きもする]
「……」
[小太郎がおまえの血を舐めたら、鬼化してしまう事はわかっていたんだ。妖力が少なくなって、そばにおまえの血があったら、本能的に回復しようとしてしまうだろうなと。ただ、血が出るという事は怪我をすることだと思ってたからな。指先を切るような小さな傷なら問題ないと…。病気で血を吐くって事は考えてなかった]
天が申し訳なさそうに言った。
「天ちゃん」
[おまえがもし、小太郎と過ごすのが不安なら、小太郎は追い出す。残りの時間は俺といればいい]
「私は…」
その時、小太郎が呻いた。
「う…」
目を開いた小太郎は、天に抱きしめられた明子を目にした。
「明…子」
「……」
[小太郎…おまえ、何があったか覚えているか?]
「え?」
《小太郎は、明子さんの血を舐めたんだ。それで鬼化して、明子さんを襲おうとした》
「オレが明子を…?」
朱丸の言葉に、小太郎は愕然とした。
[覚えていないんだな]
天は苦々しく言う。
《鬼化したら、だいたい記憶ないよ。オイラは見ているけどね》
「…明子」
小太郎は、明子に手を伸ばす。
「…!」
彼女はビクッと体を揺らした。
「…っ」
明子の態度にショックを受ける。
[小太郎…これでわかるだろう? 明子はおまえを怖がってる。明子は最期の時を、おまえじゃなく俺と過ごす…]
「……」
小太郎は、家を飛び出した。
「ハアハアッ…っう」
走って、家の裏手まで来た所で、急に胸に痛みが走った。
「痛っ…ぐっ…う…」
小太郎は座り込んだ。
「ハアハアッ…悲しくて胸が痛いのかな…」
《あ〜、それね、明子さんを襲おうとした小太郎を、オイラが止めたんだ》
「へ?」
《心臓に衝撃与えてね。オイラも痛かったよ。でも、小太郎を止めなきゃって。明子さんを襲ったら、きっと小太郎自分を許せなくて、それこそ自死しちゃいそうだから》
「朱丸…。ありがとう、止めてくれて」
《うん》
「ハアッ…でも、痛い…。なかなか治らないな…」
《うん…》
雨が降ってきた。
「明子…」
小太郎が寂しそうに呟く。
《あのね、小太郎。オイラね》
「ん?」
《小太郎が明子さんと結婚する時、本当は寂しかった。小太郎のこと取られちゃうって思って》
「朱丸」
《寂しかったんだ…》
朱丸は、スンスンと泣いた。
朱丸の泣き声が心臓に響いて、胸元を強く握り締めた。
「ハア…朱丸は、7歳のままで時が止まっているんだな」
《そうかも…》
「う…ぐっ…」
《小太郎…》
「ハアハアッ…痛い…う…」
《うん…》
そこに天が来た。
[小太郎…]
「天…何の用だよ」
[悪い…。明子が、小太郎を連れ戻してと…]
「明子…が?」
[ああ…]
「そうか…うぐっ…」
[どうした?]
「ハアハアッ…心臓の痛みが…治らなくて」
天はしゃがみ込んでいる小太郎の肩に手を置く。
[雨で冷えてる。家に入ろう]
天に抱えられて、家に戻った。
「小太郎さん」
「明子…。怖い思いさせてごめんなさい」
小太郎は頭を下げた。
「うん。確かに怖かったけど、でも、止まってくれた」
「それは朱丸のおかげ…。オレの中にいる朱丸が止めてくれなかったら、オレは明子を…」
「そっか。ありがとう。朱丸ちゃん」
明子は自分には声すら聞こえない存在に、律儀にお礼を言った。
《ええと…》
朱丸は戸惑いの声を上げる。
「朱丸は戸惑ってるよ」
「そっか…」
「う…」
小太郎は胸を押さえて呻く。
「小太郎さん?」
「朱丸が止めてくれたけど、心臓に衝撃与えて止めたから、痛みが治らなくて…。しばらくすれば治ると思う」
「うん…」
「明子は、オレとこれからも一緒にいてくれる?」
「うん。私は最期の時を、愛する人と一緒にいたい。でも、天ちゃんも、大好きなの。だから、二人が私のそばにいてくれると嬉しい」
明子は小太郎と天の手を握った。
明子は布団から起き上がれなくなった。
眠ってばかりの彼女が、もうすぐ最期の時を迎えるのだと、小太郎と天は悲しくなりながら、彼女を見守った。
「小太郎さん…お願いがあるの」
ある夜、明子がか細い声で言った。
「お願い? なんだ?なんでも言って」
「私が死んだら、私を喰べて」
「え? 喰べるって…」
「私の体を…」
[明子?]
聞いていた天が、驚いて顔を覗き込む。
「私ね、もうすぐ死んじゃう。でも、不思議と怖くないんだ…」
「……」
「死んだら、極楽浄土に行って、その後生まれ変わるっていうよね。生まれ変わらないで、待っていたいけど、小太郎さんは寿命が長いから、きっと待てないよ。でも、もし生まれ変わるなら、小太郎さんと一緒がいい」
「……」
「次は二人とも、同じ種族がいいな。人間でも、妖怪でも…」
「明子…」
「だからね。小太郎さんが死を迎えるその時まで、私を小太郎さんの中で眠らせて…」
微笑みながらそう言う明子に、小太郎は悲しそうに微笑う。
「わかった」
※ちなみに主人公が薬局で買った薬は、現在では販売していません。