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鬼の心臓は闇夜に疼く  作者: 藤波璃久
7/17

明子との出会いに烏天狗を添えて ー過去編ー

引き続き震災と津波の描写があります。

ご注意下さい。

 「ん…う…」

目を覚ました小太郎が最初に見たのは、心配そうに見つめる知らない少女だった。

「ハアッハアッ…誰?」

「気が付いたんですね。よかった」

「…オレ…は…」

「漁に出ていたおじさんが、小舟の中で倒れるあなたを見つけて。私に世話をって。ここは私の家です」

小太郎は首を傾げた。

「オレは…死んだ…と思ってた」

「呼吸もほとんど止まって、心臓の動きもとても弱くて、正直助けられないと思ってました。

臨海学校の時、溺れた人を助けるやり方を習ったの思い出して、心臓マッサージと人口呼吸してみました」

少女は胸を張った。

「…ありがとう…助けてくれて…」

小太郎は身動いだ。

「ゲホゲホッ…ぐっ…」

「まだ動かない方が。酷い怪我をしてるんです」

「ハアハアッ…怪我…」

「それに熱が高くて、ずっとうなされてました」

桃寿郎に破鬼の剣で刺されたのを思い出した。

「ゲホゲホッ…ゴボッ!」

小太郎は血を吐いた。

「大変!傷口も開いちゃったかな? 包帯を換えましょう」

少女は隣の部屋に入って行った。

「ハアハアッ…」

《小太郎…》

『朱丸…』

《オイラなんとか意識を失わないように、頑張ってたんだ。たぶんオイラが意識を失うと、心臓止まる。小太郎と融合してから、眠ることもなかったしね》

『そう…だったか?』

《うん。あのね、小太郎何回も呼吸が止まって、その度にあの子が人口呼吸してた。少しずつ妖力が回復してるんだ。人間の唾液も妖力を回復させるのかも》

『ありがとうな。朱丸の努力の甲斐もあって、生きてる』

《うん》

「ゲホゲホッ…いっ!…うぅ…」

《破鬼の剣で斬られたから、なかなか治らない》

「ハアハアッ…寒い…」

《熱が高いんだ…》


 少女は戻ると、小太郎の包帯を換えた。水を飲ませてくれる。

「ハアハア…そういえば、名前」

小太郎が聞いた。

「明子です。鈴木明子(すずきあきこ)

「オレは…鬼山小太郎」

「小太郎さん…」

「明子さんは…いくつ?」

「15歳です。小太郎さんは?」

「オレは確か、22歳」

明子はポカンと口を開けた。

「ずいぶんと、幼く見えます」

「あ…」

小太郎はしまったと思う。鬼は人間よりも成長スピードが遅いのだ。

「う…ゲホゲホッ…寒い…」

呟くと、明子は先程の会話は気にせず、もう少し掛ける物を持ってきます。と、出て行った。


 「ハアハア…うぅ…苦しい…。こんなに熱が出たのって、小さい頃以来だ」

《まあ、基本鬼は病気しないしね。それにしても、小太郎の鼓動すごく速い。オイラも苦しい》

明子が毛布を持って戻ってきた。

「小太郎さん。私、母のお世話があって、夜は隣の部屋で寝ますね」

「お母さん? お世話って…」

「母は胸を患ってまして、今は布団の上で生活を。父も小さい頃に亡くなって、私は母と二人暮らしなんです」

「そっか…ゲホゲホッ…お母さん病気なのに、ごめん。オレの世話まで…」

「気にしないで下さい。隣の部屋にいても、声聞こえますから、何かあったら呼んで下さいね」

明子は隣の部屋に入った。


 夜中、小太郎は目を覚ます。

「ハアハアッ…水…」

《小太郎? お水?》

「うん。う…!」

《無理しちゃダメだよ。傷が…》

『でも、明子さんを呼ぶの、迷惑じゃ…』

そこに、霊力の強い存在が現れた。

《え?》

カラスのクチバシに山伏装束。烏天狗と呼ばれる妖怪。

「烏天狗?」

烏天狗は水を滝のように出した。小太郎の顔がずぶ濡れだ。

「ゲホッゲホッ!」

[飲めたか?]

「寒い…」

[寒いか]

次に烏天狗は炎を出した。炎は小太郎の顔の周りを跳ねる。

「熱っ!あぶなっ!」

《いったい何してんだよ?》

「いっ! ぐぅ! ゲホゲホッ…さっきから…何…を…」

小太郎は意識を失った。


 「う…」

《小太郎、起きた?》

次に目を覚ますと朝だった。

『あの烏天狗は? 夢?』

《夢じゃないよ。あのあと申し訳なさそうに、小太郎に回復の術ぽいのかけてた》

『そういえば、昨日より楽になった。それで、烏天狗は?』

《いなくなった》

『明子さんに聞こえてなかったのかな? 昨夜の音』

《派手に術使ってたもんね。明子さん来なかったし、烏天狗が聞こえないようにしてたのかも》



 明子が隣の部屋から出てきた。

「ふあ…おはようございます…」

「おはよう。明子さん」

「小太郎さん…だいぶよくなったみたい。顔色いいもの」

「うん。熱も下がったみたい」

明子は小太郎の包帯を解いて驚いた。

「怪我は…あんなに酷い怪我だったのに、治ってる」

「ああ…言っても信じてもらえないかもしれないけど、昨日の晩、天狗が来てさ。治してくれたみたい」

「天狗…」

「あはは…」

小太郎が誤魔化すように笑うと、明子は「そっか…」と納得したように微笑んだ。

「私、昔から妖怪とか見える人なので、信じます」


 明子が疲れた顔をしているのを見て、小太郎は朝ご飯の用意を申し出た。

昨日は熱で朦朧としていたので、気づかなかったが、良く見れば、この家は簡易的な小屋だった。手作りで作られたのだろう。

自分たちのスペースと、板で仕切られた隣の部屋。土間はない。

「ええと、台所は?」

「ああ、外です」

外に出ると、人々が炊き出しをしていた。おむすびと焼いた魚を貰う。

「ヨウコさんの分はどうする?」

おじさんが聞いてきた。ヨウコとはお母さんの名前だろう。

「このおむすび、お粥にします。水を貰いますね」

明子は火を借りて、小鍋でお粥を作った。

「あ、君は…良くなったんだな」

おじさんは小太郎の肩を叩いた。

「ええと…」

「小太郎さん。彼は海で小太郎さんを見つけた人です」

明子が言う。

「あ、そうだったんですか。ありがとうございます。助けてくれて」

「いいってことよ。あんな地震のあった後だ。助け合いが大事だろ」

おじさんが笑う。小太郎はハッとした。

「そうか…みんな、家が…」

「はい。津波で流されて…。村のみんな、なんとか逃げたんだけど、家はね」

「漁に使ってた船も流されてな。辛うじて残った船で、自分たちが食べる魚くらいは獲ってる」

「そういえば、ここってどこなんだ?」

小太郎が辺りを見回す。

「ここは千葉の富津町です」

「オレは横浜にいたんだけど、だいぶ流されてきたんだな」


 明子がお母さんのお粥を持って、隣の部屋に行く。

自分たちも食事を終えた。

「そういえば、お母さんに挨拶していないな。してもいい?」

ふと思い出した。

「はい…」

明子は少し渋り気味に頷く。

「お母さんに会っても、大丈夫かな?」

「胸の病気が移るかもしれないから? 大丈夫。オレは人の病気にかからないから」

「え?」

「ああ…いや…その…」

「…それもあるけど…」

明子は隣の部屋に小太郎を連れて行き、布団に座る母を紹介した。

母親はだいぶやつれていて、病状も思わしくないものだと感じた。

「お母さん、この人が小太郎さん」

「はじめまして。鬼山小太郎といいます。明子さんにはお世話になって…」

「まあ…あなたが…。だいぶ怪我が酷かったと聞きましたが…」

「ええ。明子さんのおかげで良くなりました」

母親は、小太郎をじっと見つめる。

「あの? 何か…」

「…明子…小太郎さんはどうなの?」

母親は明子に微笑む。

「え? どうなのって…」

「ヨシオさんも、ユウヘイさんも、他の村娘を嫁にもらったから。明子の貰い手はないのかなって」

「…まだお嫁に行くのは早いって、前にも言ったでしょう」

「やっぱり、私の事を気にしているのね…」

母親は寂しそうに言った。

「…だって…お母さん…一人になっちゃう」

「…小太郎さんは、何歳? 見たところ、明子と同じくらいかしら。ご家族はどこに?」

「え? えっと…」

「お母さん…私まだやることあるから。行こう、小太郎さん」

明子は小太郎の手をつかむと、部屋を出た。


「はあ…」

明子は、疲れたようにため息をついた。

「ええと…お母さんは、明子さんをお嫁に出そうと思ってるの?」

「はい。でも、お母さんを残して、この家を出るのは…」

「…そっか」

「お母さん、自分が死んだら私が一人になっちゃうから、心配なんだと思います。誰かがお婿に来てくれるなら、お母さんの心配も減ると思うんですけど…」

明子の呟きに小太郎は、先程の母親の質問を思い出した。

(年齢を聞いてきた事はいいとして。家族のことを聞いた意味とは…)

「んん⁉︎」

「小太郎さん?」

「ええと…もしかしてお母さん。オレを明子さんと結婚させようと

思ってる?」

「もしかしなくても、そうです」

「……」

「ごめんなさい。小太郎さんをお母さんに会わせたら、絶対結婚の話になると思ってたんですが…」

「それで、お母さんに会わせるの渋ってたんだ?」

「はい…。ご迷惑をお掛けして…」

「いや。迷惑なんかじゃないけど…むしろ…オレなんかが結婚相手でいいのかなって…」

「そんな。知り合ったばかりでもわかります。小太郎さんは、良い人です。優しいし。それに、顔だって二枚目だと思いま…す」

明子はそこまで言うと顔を真っ赤にして、手で覆った。

「私…なに言って…」

「…ええと…ありがとう?」

《小太郎…とりあえず、一人にしてあげよう》

『うん…』

小太郎は、小屋を出た。


 震災後の片付けをしている村人を手伝っていると、わかってきたことがある。

元々漁村で暮らしていたが、津波で村が流されて、前いたところより内側で避難生活を送っている。

村人は助けあって暮らし、また村を再建させようとしている。


「ヨウコさんは、あの地震のあとから、さらに病状が悪化したみたいでな。明子ちゃんも不安だろうな。俺たちもできることはしているつもりだが…」

おじさんは、頭をかく。

「小太郎…だっけ? 体治ったし出て行くのか?」

「もう少しいます。世話になった恩返ししたいですから」

「そうか。明子ちゃんの支えになってやってくれよ」

「はい…」

小太郎は頬をかく。

 

 前に村があった場所に来てみた。かつて船着場だった場所に、小太郎は立っていた。

『トーマス。どうしたかな…』

《そうだね》

『オレは無事だって事だけでも、伝えたい』

《うーん。電話…も、ないし。電報は混んでるだろうし…》

『そもそもオレ、トーマスの家とか勤務先の病院とかの住所知らない』

《じゃ、ダメじゃん》

[どうした?]

「友達に無事を知らせたいけど、海の向こうだし…」

[飛んでいけばいいんじゃないか?]

「いや、飛ぶって…うわ!」

小太郎がハッと横を見ると、隣に烏天狗が佇んでいた。

「か、烏天狗…さん」

[怪我は治ったのか?]

「おかげさまで…」

[そうか…]

「…ありがとうございました。助けてくれて」

[俺は怪我を治しただけだ]

「え?」

[止まりそうなお前の心臓を動かしたのは、明子だ。

あの子は霊力が高いからな。鬼であるお前に口づけした時、止まりかけた心臓を動かした。お前の心臓は妖力で動いているんだろ? 強い霊力が一気に妖力を増やした]

「どうしてオレが鬼って…」

[わかるよ。さらに言えば、おまえは元人間で、心臓に鬼がいる。同化して人間は鬼となった。だがその子鬼には人格がしっかり残っている]

《なんでもお見通しか》

[おもしろい存在だな。お前は]

「あなたは、神ですか?」

[神ではないが、神と妖怪の中間といったところか]

小太郎は烏天狗に、畏敬の念を抱く。

[俺の先祖は神だったんだ。遠い昔、神話の時代にな]

《へぇ…》

[お前たち鬼の先祖も、神だったんだぞ]

「え?」

[俺の先祖と鬼の先祖は仲が良かったらしい。共に山の神として暮らしていた。

ただ、鬼神は人間の恨みや妬みなど様々な邪念を食べては、自分の力としていった。

そのうち悪い心に影響された鬼神は悪神となり、神の立場を剥奪され、人間と魔物の中間のような存在になった。俺の先祖はとても悲しんだと聞く]

「そんなことが…」

《あ、爺ちゃんに聞いたことある。ただの御伽話だと思ってた》

[だから、鬼には人間のように肉体があるんだと。神のままなら死ぬこともなかったのだが]

《でも、人間よりは遥かに長生きだけどね》

[俺の先祖は神の地位を自ら返上したと聞く。それでも、神に近い力は残ってるんだがな]

烏天狗が微笑むと、朱丸は《神の力か…》と、ウキウキしだす。

胸がじんわり暖かくなって、小太郎はクスリと笑った。


 明子の元に戻ると、丁度お昼時だった。

「小太郎さんはどこに行っていたんですか?」

「ああ。船着場に行ってたんだ。どうにか横浜に戻れないかなって」

「え?」

明子は悲しそうな声を出した。

「…そうですよね。あっちには、家族や友達が…」

「え?」

「あ…もしかして、恋人とかも…? それなのに私…お母さんに紹介したり…」

「いや、いないから恋人」

「そう…ですか」

明子はホッとしたように微笑む。

「…その…オレ…家族もいないし」

「亡くなったんですか?」

「まあそんなところ。(実際に死んだことになってるのは、オレの方だけど)」

「…そうだったんですか」

「向こうには友達を置いて来ちゃってさ。襲われたオレを助けてくれたのに」

「襲われたって、小太郎さんが負ってた怪我は、その時に?」

「あ…うん。まあ詳しくは言えないけど。逃がしてくれて…せめてオレが無事だって知らせたいんだけどね」

「電報打ったらどうです?」

「住所わからない」

「…そっか」


 震災後の片付けを手伝っていると、烏天狗がちょっかいをかけてきた。

「なんですか?」

[いや…]

「暇なんですか?」

[暇じゃない。俺にもやることはある]

「じゃ、やったらいいじゃないですか?」

[今は大丈夫そうだから…]

「意味わからないんですが…」

烏天狗とやり取りしていると、明子が首を傾げて聞いた。

「小太郎さん。誰と話しているんですか?」

「え? 明子さんには見えない?」

「妖怪さんがいるんですか? おかしいな。私妖怪見えるのに…」


小太郎は烏天狗を連れて、人のいない場所にきた。

「なんで、明子さんはあなたが見えないんですか? 神に近いから?」

[いや、小さい頃は見えていたし、むしろ一緒に遊んだ]

「じゃあ…」

[明子と俺の(えにし)が切られたからだ]

「縁?」

烏天狗は寂しそうに語りだした。

[明子が小さい頃。俺は明子とよく遊んでいた。明子は霊力が高いから、妖怪に狙われていて、俺は明子に加護を与えた。

俺の姿は明子以外に見えない。明子の母は、見えないものと遊ぶ明子を心配し、寺にお祓いを頼んだ。

その寺で、悪い縁を切る手伝いをしている、ハサミの付喪神に、俺と明子の縁を切られた。

明子は俺の存在を認識できなくなって、俺が与えた加護も消えた。

俺のことは忘れてると思う。

俺は明子を妖怪から守るため、ずっとそばにいるんだ]

寂しそうに微笑う烏天狗。

「そんな…自分の存在に気づいてもらえないなんて…」

小太郎は胸が痛くなった。

《その付喪神、やっつければいいのに》

朱丸があっけらかんと言う。

[付喪神は悪気があってやった訳じゃない。和尚さんのお手伝いしていただけだ。あの寺は悪縁を断ち切る寺として有名だ。俺が付喪神を倒したら、あの寺は落ちぶれてしまう]

《そっか》

[もちろん、付喪神に縁を戻すように頼みに行った。だが、元来臆病な性格なのか、俺が行くと隠れてしまって、まともに話すらできない]

《そりゃ烏天狗さんみたいなのが来たら怖いよ》

[友達の妖怪も強いやつしかいないから、怖がられてな。小太郎、お前、俺の代わりに頼みに行ってくれないか?]

「ええ。いいですけど…」

[ありがとう]

烏天狗はホッとしたようにお礼を言った。

《烏天狗さん、小太郎にちょっかい出してたのって、小太郎に頼みごとしたかったから? 素直じゃないんだ》

[いや、明子との仲が羨ましくて…いじめた]

《なんじゃそりゃ! じゃあ、初めて会った時に水責めとか火責めしたのも?》

[すまん…]

「あはは…」

小太郎は苦笑した。


 小太郎は寺に行く。境内をのんびり散歩しているハサミの付喪神に会った。

「こんにちは」

[こんにちは?]

付喪神は首を傾げた。

[おいらが見えるの?]

「うん」

[妖怪?]

「ええと…人間だよ。ちょっと、普通より目がいいんだ」

怖がられないように、ごまかす。

鬼だなんて言えば、きっと逃げられる。

[鬼という存在も、小さな妖怪たちにとっちゃ、怖い存在なんだ]

烏天狗が言ったことを思い出す。

[ふーん]

付喪神は納得したようだ。

「あのね、頼みがあるんだ」

[頼み?]

「オレ、烏天狗さんと友達でさ。前に…ええと、たぶん10年くらい前だと思うんだけど、彼と女の子の縁を切ったでしょ? それを戻してほしいんだ」

[烏天狗さんが、そう言ってたの?]

「うん」

[おいらには戻せないんだ]

「え?」

[おいらの友達の、糸巻きの付喪神が、縁を繋ぐことができるんだけど]

それを聞いて、小太郎はホッとした。

「じゃあ頼んでよ」

[糸巻きちゃんは、気難しいんだよ。自分が認めた相手じゃなきゃ、縁を繋いでくれないよ。

でも…おいらが縁を切ったから、困っているんだよね?

うん。おいら、糸巻きちゃんに声をかけておくから、君は烏天狗さんとその女の子をここに連れてきて]


 小太郎は烏天狗と明子を寺に連れてきた。

「ここって…」

明子が周りをキョロキョロする。

「昔、ここでお祓いしたんだって…覚えてる?」

「…なんとなく…でも、小太郎さんはどうしてそんなこと、知っているんですか?」

「あ…ええと…天狗から聞いた」

「天狗…」

そこにハサミの付喪神と糸巻きの付喪神が現れた。

「まあ…かわいい…」

明子はしゃがんで、小さな付喪神に挨拶した。

「こんにちは」

[…あの時の女の子? ずいぶん大きくなったね]

「え? 会ったことある?」

[顔を合わせてはないよ。おいらが遠くから見ていただけ]

「ふーん?」

糸巻きは、二人の間に割って入った。

[それで? この子と烏天狗の縁を戻してほしいんだっけ?]

「うん。お願いします」

小太郎が頭を下げる。

「烏天狗?」

明子が首を傾げる。

[あなたは忘れているのよ。彼の事を…]

糸巻きは、小太郎の隣に立つ烏天狗を見た。

[あなたたちがもう一度縁を繋ぐのにふさわしいか、見せてもらうわね]

糸巻きが明子の頭を触り、次に烏天狗にしゃがむように言うと、彼はしぶしぶ、片膝をつく。

彼の頭を触った糸巻きは、ふむ…と目を瞑った。

[明子さんが小さい頃、本当に仲が良かったのね。いいわ。縁を繋いであげる]

糸巻きが糸を出し、明子の腕に結び、もう片方は烏天狗の腕に結んだ。

[ハッ]

糸巻きがパンと手を叩くと、腕に結ばれていた糸は、溶けるように皮膚に沈み、やがて見えなくなった。


「あ…烏天狗…?」

明子が息を飲む。

[俺が見えるのか? 明子]

「…はい。ええと…はじめまして?」

[覚えてないのか? 小さい頃一緒に遊んだこと]

寂しそうに呟く烏天狗。

明子は元からの大きな目を、さらに大きく開いた。

「天…ちゃん?」

[…! 思い出したのか。俺のこと]

明子は、頬を染めて、烏天狗の手を握った。

「うん。天ちゃん。久しぶり。なんで忘れてたんだろう、私。嬉しいよ。また逢えて」

[俺は、ずっとそばにいたんだけどな。妖怪に狙われないように、守っていた]

「ずっと?」

[お前が俺を忘れてしまった時から、ずっとな]

「そっか…いつもそばにいてくれてたんだ。ありがとう…」

明子は涙を流して、笑った。


[よかったねぇ]

ハサミの付喪神が、目を擦る。

[そうねぇ]

糸巻きの付喪神は、幸せそうな二人を見て、チラッと小太郎の表情を伺った。

小太郎は、よかったねと笑っている。

[はあ…]

糸巻きがため息をつく。

[どうしたの? 糸巻きちゃん]

ハサミが聞いた。

[私としてはさ、二人の恋も応援したいわけ…]

[二人? 明子さんと烏天狗さんならうまくいくと思うよ]

[違うのよ。明子さんは、小太郎さんに想いを寄せてるわけ]

[え?]

[小太郎さんも、たぶん明子さんのこと…。まあ、まだ自覚なさそうだけど]

[さすが糸巻きちゃん。よくわかるね]

[伊達に何組も縁を取り持ってないわよ]

[おいら、教えてあげようかな? 小太郎さんに]

[やめておきなさい]


 寺で付喪神たちと別れ、小屋に戻ってきた。

明子は烏天狗とずっと話をしている。小太郎は、二人を見て、胸がざわざわした。

《小太郎? ちょっとイライラしてる?》

『してないよ。なんで?』

《わからない。小太郎の気持ち伝わってくるから》

『じゃあ、してるのかも…』

《…やきもち?》

『え?』

《小太郎はたぶん明子さんを取られて、寂しいんだよ》

『…オレはそこまで子どもじゃない』


 夕飯を食べた後、小太郎は烏天狗と小屋の外に出て、人気のない場所に移動した。

[話とはなんだ?]

「頼みがあるんだ」

[ふむ…俺と明子の縁を戻してくれた礼もあるしな]

「烏天狗さんの体の一部をください」

[そうか。妖怪を食べるとその妖怪の能力を使えるんだったな?]

「いいですか?」

烏天狗は広げた羽根から、一本の羽根を抜くと、小太郎に手渡した。

[俺くらいの霊力の持ち主なら、その羽根一本で充分なはずだ]

小太郎は羽根を喰べ、飲み込んだ。

「あ…」

体の中心から溢れ出した力が全身に回って、指の先まで痺れる感じがする。

例えるなら、寒い中、やっとお風呂に浸かった時のような心地よい感覚。

「ふぁ…」

小太郎は気持ち良さに目を瞑り、両手で自分の体を抱きしめた。

「はあ…」

[落ち着いたのか?]

「はい。妖力が馴染んだみたいです…」

[そうか…。お前、これから霊力の強いやつを喰べる時は、誰も見てないところで喰べた方がいい]

「え?」

[…なんていうか…妙に色っぽいんだよ。だから、気を付けろってこと]

烏天狗は頬を染め、くちばしをかく。

「…はい」


小太郎は背中から羽根を出してみた。

《すごいよ小太郎!》

「黒い羽根。かっこいい!」

《飛んでみようよ》

[待て待て…そんなすぐ飛べはしない。練習は必要だろ]

「そっか」

小太郎は羽根を動かして走ったり、羽ばたいてみたりした。

そのうちフワリと浮けるようになった。

[ふむ。この調子ならすぐ、飛べるようになるな]

「海を渡れるかな?」

[行けるんじゃないか?]

「天ちゃん? 小太郎さん?」

そこに二人を探していたのか、明子がやって来た。

「小太郎さん…その羽根…」

「あ…」

「小太郎さんも、天狗?」

「オレは…その…」

まさか見られるとは思ってなかった。本当のことを言うか迷う小太郎。

「…オレは…鬼…だよ」

「鬼?」

「…うん。黙っててごめん…」

「……」

明子の沈黙が怖い。鬼だと知っても、明子なら受け入れてくれると思っていた。それに、誰かに話したりもしないだろうと。

「優しい鬼もいるんですね」

明子は笑う。

「怖くない?」

「怖くなんてないです。見た目で言えば、天ちゃんの方がよっぽど怖いから」

[おいおい…]

「うそうそ。天ちゃんのくちばし、かわいくて好きよ」

烏天狗は照れたように、くちばしをかく。

「…オレが鬼だって誰にも言わないでね」

「…言わないけど、どうしてですか?」

「鬼を退治する一族に狙われてて…」

「それって、小太郎さんが襲われたって言ってたことと関係あるんですか?」

「うん。あの時負った怪我は、その一族につけられた。オレが死んだって確証がない限り、ずっと追ってくる」

「…じゃあ、ここにも来る?」

「オレが小舟で逃げたってところまではわかっているかも。どこに流れついたのかは、さすがにわからないと思うけど」

「そっか…」

小太郎は羽根をバサリと動かすと、もう一度練習を始めた。

「小太郎さん?」

「オレ横浜に行ってくる」

「え?」

「友達に会ってくる」

「…もうここには、戻ってこないんですか?」

「え?」

小太郎は羽ばたくのをやめた。

「戻ってきます?」

明子は寂しそうに聞いた。

「…横浜には、一族がまだいるかもしれないし、戻ってこようと思ってる」

「本当に?」

「うん。迷惑じゃなければ、もう少し明子さんと、一緒にいたい」

「迷惑なんかじゃないです」

明子は小太郎の手を握った。

「え…明子さん…手…」

「あ…ごめんなさい」

明子は手を離し、火照る顔を覆った。

「もう…私ったら…」

明子の反応に、小太郎も顔を赤くした。

「あれ…オレ…」

戸惑う小太郎に、烏天狗は呟いた。

[小太郎…それはな…恋ってやつだ]


 日もまだ昇らない早朝。誰もいない港に小太郎たちはいた。

[小太郎、これを]

烏天狗が懐から小さな稲わらの塊を出した。それは、みるみる大きくなって、被れるくらいの大きさになった。

[俺のミノを貸してやる。これを被ると、姿が隠せる]

《天狗の隠れ蓑⁉︎》

朱丸が興奮したように言った。

「昔話のやつ!」

小太郎も驚いた。

[本当は、姿を変える術とか、このミノがなくても、姿を消せる術とかもあるが、小太郎はまだ飛ぶことしかできないからな]

「うわ〜めちゃくちゃ気になる」

[無事帰ってきたら教えてやる]

「小太郎さん。気を付けて…」

明子は心配そうに手を振った。

「うん」

烏天狗に借りたミノを被り、小太郎は羽ばたいた。


 横浜に着いた頃には、日はすっかり昇っていた。

小太郎は、ヘロヘロと人気のない森に降りた。地面に膝を着く。

同時に羽根が消えた。

「ハアッハアッ…ゲホッゲホッ…やば…妖力の減りが…早い」

《ハアッハアッ…羽根で飛ぶの…だいぶ妖力使う…ね》

「だいぶって…いうか…ほとんど…持ってかれた…うぅ…痛…」

《ハアハア…動けそう?》

「う…ぐっ…あ…なんとか…トーマスが…いるところは…」

小太郎はトーマスが働く大学病院に向かう。

「う…ぐっ…いっ! あぁ‼︎」

歩いていたが、倒れた。隠れ蓑で誰にも見えていないので、人は足早に通りすぎる。

「ハアハアッ…ぐっ…うぁぁ‼︎」

小太郎は胸の辺りを鷲掴みし、痛みに叫ぶ。

《小太郎…もう…誰か…助けて…もらお…》

小太郎はミノをずらす。

気がついた人が、小太郎を抱き起こしてくれた。

「ハアッハアッ…苦し…助け…」

意識が朦朧とする中、誰かがおぶって運んでくれた。


 「ハアッハアッ…んん…」

甘い香りがして、口の中にそれが入ってくる。

(甘い…おいしい…)

小太郎は夢中で啜った。

「んん…?」

薄らと、目を開けた。

「コタロー…」

「…トーマス」

目の前にいたのはトーマスだった。

「びっくりしたよ。急患だって運ばれてきたの、君だったから」

「今の…甘いの…は?」

「ボクの血だよ」

トーマスの指先に、小さい傷があった。

「ごめん。ありがとう」

「酷く苦しんでたから。君のことだ。だいぶ無理してここに来たんじゃない?」

「…千葉から飛んで来た」

「千葉? 飛んで来た?」

「オレは小舟で逃げて、途中で気を失って、気づいたら向こうに」

「そうか」

「飛んで来たっていうのは、文字通り飛んだんだ。烏天狗に貰った力で、羽根を生やして」

「ハネ⁉︎ アメージング! 見てみたいね」

「ふふ…。トーマスならそう言うと思った」

小太郎は微笑う。

体を起こそうとすると、めまいが襲う。

「う…」

「コタロー…」

トーマスが体を支える。

「ボクの血、足りない?」

「いや、大丈夫…」

正直に言えば、もう少しほしいが、トーマスにばかり負担はかけれない。

「ここは、大学病院じゃあないんだ?」

「ああ…まあ、まだ患者を受け入れる状態じゃないから。近くの公園だよ。ここに臨時の診療所を作ってる」

よく見れば、テントだった。

「桃寿郎たちは?」

「君がこの町に戻ってこないと判断したのか、撤退していったよ」

「そっか。トーマス、あの時オレを逃がしてくれて、ありがとう」

「ああ」

「ずっと、気掛かりだったから…」

「ボクなら大丈夫だよ。桃太郎の一族は、ボクには興味なかったみたい。コタローが逃げた方に、みんな追いかけていったし」

トーマスは、息を吸う。

「ボクの方がずっと気掛かりだったさ。君は怪我を負って逃げて、生きているのかすら、わからなかったから」

「オレは無事だって、知らせたくてさ。でも、電話も住所も知らなかったんだ」

「あれ、そうだっけ?」

「大体店に行けば会えたし…」

「そうだね…」

トーマスが外から呼ばれ、少し待っててと小太郎に言うと、外に出て行った。

《桃寿郎たちいないんだ》

『うん』

《小太郎は、明子さんの元に戻るの?》

『戻るよ。なんで?』

《桃寿郎たちがいないなら、別にここで暮らしてもいいんじゃないかな?》

『…戻る…。約束したし…』

《帰りはまた羽根で飛んでいくんでしょ? また苦しい思いするよ》

『……』

《それとも、船?》

『船か…』

小太郎はうーんと考えた。

《もし、また飛ぶなら、しっかり妖力回復させないとね》


 午後になって、トーマスが一度家へ帰るというのでついて行った。

「家って…」

「ボクが医者仲間と住んでた寮は焼けちゃったんだ。近くに仮設住宅があって、そこに住んでるよ」

公園の角にある仮設住宅は、比較的綺麗だった。

トーマスだけじゃなく、寮にいた他の医者仲間も一緒に住んでいるらしい。聞けば政府が用意した物との事。

なるほど、明子のいた小屋とは雲泥の差だ。

「ボクの友達のコタローだよ。少しの間、お邪魔するね」

「こんにちは」

「おう。よろしくな」

トーマスの仲間は、日本人の他にも、色々な人種の人がいた。

「トーマスに、こんなかわいい友達がいたなんてな」

みんな小太郎に好意的だった。

「病み上がりだから、優しくしてよ」

トーマスは、コーヒーを淹れた。

「コーヒー?」

「ああ、喫茶店のマスターが豆をわけてくれたんだよ」

トーマスは小太郎にカップを渡した。一口飲む。

確かに小太郎が毎日お客さんに出していたものだ。

懐かしさに、口もとが緩んだ。

「苦い…」

「ああ、コタローはミルクを入れる派だったっけ。今切らしてるんだ」

「いや、おいしいよ」

「また、マスターの淹れたコーヒーが飲みたいな。早くお店を再開できるといいよね」

「うん」

「コタローは喫茶店の仕事、続けるの?」

「え…ああ…オレは…向こうに戻ろうと思う」

「そうなの?」

「うん。お世話になった人がいて…」

「ああ。なるほど、好きな人ができたんだね」

「好きな人…。うん…」

小太郎は、恥ずかしそうに頬をかいた。

「そっか…」

トーマスはうれしそうに笑う。


 次の日。小太郎は森に行くと、異界から戻っていた妖怪を喰べた。

その後、トーマスと一緒に港に行く。

「もう、戻るのか?」

「うん」

「さみしくなるな」

港で船が出せるか聞いてみた。

「今日は無理だな」

船を管理しているおじさんが言う。

「これから台風来るらしいぞ」

「台風…」

「台風じゃしょうがないね、コタロー」

トーマスが肩を叩く。

「明日には風も治まってるだろうし…」

小太郎は、明子の家が簡易的な小屋だと思い出す。

「ダメだ。すぐ帰らないと。台風で明子さんの家壊れちゃう」

「え?」

「明子さん…オレが世話になった人。津波で家が流されて、今、簡単な小屋に住んでるんだ。風で飛ばされちゃう。お母さんと二人暮らしだし、心配だよ」

「だけど、どうやって帰るの?」

「飛ぶよ。来た時と同じように…」


小太郎とトーマスは、人気のない岩場に移動した。

まだ昼だったが、空は雲が覆って暗くなってくる。

小太郎がバサリと羽根を出すと、トーマスは目を輝かせた。

「ワォ! すごいすごい。本当に羽根が生えてる!」

小太郎が懐から稲わらの塊を出し、元の大きさに広げると、トーマスは首を傾げた。

「それ、コタローを運んできた人が一緒に持ってきたけど、ゴミかと思ったよ」

「ゴミじゃないよ。捨てられなくて良かった。借り物だから」

天狗の隠れ蓑を被ると、姿が消えた。

「え⁉︎ コタロー?」

「ここだよ」

顔を出した小太郎を見て、トーマスは小さく「ワォ…」と呟く。

「烏天狗の友達に借りたんだ。桃寿郎たちに見つからないようにって」

「すごい…。でも、首だけ浮かんでるの、ホラーだよ」

「あはは…」

小太郎は苦笑すると、一度ミノを脱いで、トーマスに握手を求めた。

「色々ありがとう。またね…」

「ああ。また…きっと会おう」

トーマスは手を握り返した。


ミノを被り直した小太郎は、羽根を広げ、強さの増す風の中飛び去った。


 海を渡る中、徐々に強くなる風。次第に雨も降ってきた。

富津に戻ってくると、町の人たちは高台に避難を始めていた。

 明子の住む所まで飛んで行く。明子と母親と隣のおじさんが見えた。母親を荷車に乗せている。周りの村人はもう避難しているのかいない。手作りの小屋は、風に飛ばされて、あちこちボロボロになっていた。

「ハアッハアッ…うぐっ…妖力…切れる…」

《小太郎…オイラ…もう…ダメ…》

『朱丸…ごめん…もう少しで…明子さんに…』

あと少しの距離で、明子の所にたどり着く。

―ドガッ‼︎

「…っぐ⁉︎」

風に飛ばされてきた木片が、小太郎の背中にぶつかった。

「…ッ…」

衝撃に息が出来なくなる。背中の羽根は消えた。

《小太郎!》

朱丸が叫ぶ。意識を飛ばした小太郎は、墜落してしまった。

「ぐっ…‼︎」

墜落の衝撃に目を覚ます。それほど高い位置を飛んでいたわけじゃないが、体はあちこち痛む。

「ハアッハアッ…」

おまけに妖力が切れかけた心臓が、悲鳴をあげる。

『まずい…これ…』

《うん。ゲホッゲホッ…》

気づけば、天狗の隠れ蓑もどこかへ飛んでいた。

『あ…烏天狗さんに怒られる…』

《どうしようも…ないよ。もう体動かせないでしょ…》

「小太郎さん⁉︎」

明子が気づいて近づいてきた。

「大変…!どうしよう…」

泣きそうな顔の明子。その後ろから、おじさんがやって来た。

意識が朦朧とする中、おじさんが小太郎の体を抱えた。

荷車に乗せられ、運ばれる。


途中意識が飛んでいたのか。気がつくと、毛布に包まれて横たわっていた。

周りで話声がする。たくさんの人がいる気配。避難場所にいるようだった。

「う…ぐっ…ハアッハアッ…」

「小太郎さん?」

明子は心配そうに小太郎の背中を撫でた。

「苦しいんですか?」

「う…ん…。妖力が…切れそう…で」

「妖力…?」

「オレの心臓…妖力で動いてて…定期的に…補給して…て…っ…」

「どうすれば…いいんですか?」

「ハアッハアッ…うぁ…妖怪を喰べたり…してる」

「天ちゃんに…あ、でも今は、山に友達の様子見に行ってるんだった」

「ハアッハアッ…うぐっ…痛い…痛い…」

「小太郎さん…」

明子は涙を浮かべた。

「明子さん…」

小太郎は明子の顔に手を伸ばすと、涙を拭う。

その手についた涙を、おもむろに舐めた。

「あ…」

少しだけ甘い。明子が前に人口呼吸で、自分を助けてくれたことを

思い出す。

血じゃなくても、霊力の高い明子なら、その体液で妖力を補えることに気がついた。

「明子さん。お願いが…」

「え?」

「口づけ…してくれません…か?」

「え⁉︎ な…なんで?」

明子は真っ赤になって狼狽えた。

「オレ…人間の…血でも…妖力補える。ハアッ…でも…明子さん…霊力が高いから…唾液でも大丈夫」

「…そういう事…。だ、だったら血で…」

「ごめん…ハアッハアッ…霊力高い人から血もらうと、鬼化しちゃうから…理性失くして、暴れちゃう…。だから…」

「う…でも…」

小太郎の縋るような瞳に見つめられて、明子は言葉を詰まらせる。

「それに…明子さんが血を出すために、傷を作るなんて、イヤだから」

「ああ…もう! わかりました。恥ずかしいですけど…」

明子は目と唇をぎゅっと閉じて、小太郎の唇にくっ付けた。

それから、恥ずかしそうに顔を上げ、手で覆う。

「…それじゃ意味ない…」

「うう…だって…」

「うぁ…ゲホッゲホッ…明子さん…限界…ぐっ…」

小太郎が背中を丸めて苦しむ。

「小太郎さん…」

明子は小太郎に口づけた。

「ん…」

恥ずかしさで涙目になる明子。小太郎は彼女の頭に手を置いて、口づけを深くした。

「んん!」

明子が抗議の声をあげる。

「ハア…」

小太郎がやっと離した時には、明子は涙目で怒っていた。

「明子さん?」

「う〜小太郎さんのバカ〜」

明子は顔を手で覆うと、走って端にある衝立の向こうに消えた。

「え?」

小太郎が辺りを見回すと、大人たちがニコニコしてこちらを見ているし、若い子はコソコソ話をしている。子どもは大人に目を塞がれていた。そしてよく見れば今いるこの場所は、小学校の講堂のようだ。

「ええと?」

「小太郎…。こんな皆がいる所で接吻ったあ、お前やるな! 結婚式はいつにする?」

「は?」

おじさんに言われて、目が点になる。

「でも、明子ちゃん恥ずかしかったと思うわよ。こんな皆の見てる前で、「明子は自分のもの」だなんて、宣言するようなものだもの」

おばさんが微笑む。

「…え?」

後ろから、ガシッと肩をつかまれた。

[小太郎…]

「うわ! 烏天狗さん?」

《烏天狗さん…ええとね…怒ってるよね》

「すみません! オレにも何がなんだか…」

《でもね…しょうがないんだよ》

[何がしょうがないんだ?]

「顔…怖い」

[生まれつきだ。文句あるか]

「ないです」

《風で飛んでいっちゃったんだよ》

[「は?」]

朱丸の言葉に、二人同時に首を傾げた。

「朱丸?」

[何の話だ?]

《天狗の隠れ蓑を失くしたから、怒ってるんじゃ?》

[ああ…あれなら、台風が去ってから探せばいい。俺が来いと言えば手元に戻る]

《そうなんだ? ならなんで怒ってるの?》

[…それはな、小太郎がいつのまにか、明子と結婚という話になってるからだ]

「…そんなつもりないんですよ。みんなが勝手に言ってるだけで…」

[何?]

烏天狗は、さらに眉間のしわを深くした。

[お前は明子と結婚する気もないのに、皆が見てる前で接吻したのか?]

「え? 烏天狗さん、いつから見てたんですか?」

[お前と明子が接吻を終える頃だ。お前は責任を取らないのか?]

くちばしを小太郎の顔に近づけ、唸る烏天狗。

「顔怖い…」

[生まれつきだ]

「何やってるの? 天ちゃん」

明子が側に来た。

[明子]

「小太郎さんが一人でブツブツ言ってることになってる」

「え?」

周りの人は小太郎を遠巻きに見ている。烏天狗も朱丸の声も周りには聞こえていないのだから。

「小太郎さん。こっちに来て」

明子は小太郎の手を引き、衝立の中に入った。

そこには明子の母が横たわる。

「お母さん…」

小太郎は母の体に心配そうに触れた。

「小太郎さん。ありがとうね」

「え?」

「聞こえてたわ。みんなの話。明子を嫁にもらってくれるんでしょ?」

「ええと…」

「心配だったのよ。私もう長くないから。よろしくね」

母に微笑まれて、小太郎は「うっ」と言葉を詰まらせる。

「はい…」

「小太郎さん…」

明子が頬を染めて目を細めた。小太郎は明子にこっそり耳打ちする。

「オレ、明子さんと結婚することになっちゃたけど、いいの?」

「小太郎さんは私のこと嫌いですか?」

「…好きだよ。好きだ…」

「嬉しいです。私も、小太郎さんが好きだから」

小太郎は顔を赤く染めた。

「で、でも、烏天狗さんはいいの?」

[ん? 俺がなんだって?]

「だって、烏天狗さん、明子さんのこと…」

[明子は俺にとって、娘みたいなものだ。恋愛感情はないから安心しろ]

「明子さんは?」

[天ちゃんは、大好きな友達だよ]

明子はキョトンとした。

「そっか…。オレ一人で勘違いして…」

[小太郎は、俺に明子を取られると思ってたのか]

「だって…」

小太郎はゴホンと一つ咳払いした。

「明子さん。オレと、結婚してください」

「はい」

衝立の向こうで歓声が上がった。どうやら聞き耳を立てていた人がいたらしい。

小太郎と明子が皆の前に戻ると、大人たちは拍手した。

「いや〜めでたい日だ。こんな嵐の夜に、こんなめでたい事が起こるとはな」

おじさんは、嬉しそうに笑う。

「酒だ。祝い酒だ」

「あんた。ここには水しかないよ」

皆の笑う顔を見て、小太郎は安堵した。

『意識が朦朧としてた時、オレ自分が鬼だって事口走った気がしてたけど』

《ああ言ってたね。でも、小太郎の声小さかったし、聞こえてないと思う。それにみんな、小太郎と明子さんの口づけで興奮してたから…》

『ホントにみんなに見られてたんだ。そりゃ、明子さんも怒るよな…』

《でも、丸く収まったよ》









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