旅立ち -過去編-
桃太郎の子孫に殺されかけた小太郎は、自分の村に帰った。
学校へ通い、前と変わらない生活を続ける。
違うのは、今心臓に朱丸が住んでいること。
鬼の体というのは、とても丈夫だった。
母の手伝いで、火起こしをして軽い火傷を負っても、一瞬で治るし、牛の世話をしていて蹴られた時も、普通なら骨を折る大怪我だったのに、打撲程度で済んだ。
速く走れるし、木から木へ猿のように素早く飛び移って、高い木から落ちた時も、体をひねって、無事に着地できた。
鬼ごっこをしても、誰にもつかまらなかった。
《ねえ、小太郎。そろそろ妖力が少なくなって来た。小太郎は普通にご飯を食べているけど、魚とかだけじゃ、妖力を補うのには少ないんだ。オイラが活動するには、どうしても妖怪や人間を食べないといけない。じゃなきゃ、オイラは動けなくなる。そうすると、小太郎の心臓、また止まってしまう》
朱丸がそうして話しかけてくる。
小太郎は、朱丸と頭の中で会話していた。
『人間を食べるのは、無理』
《わかってる。だから、妖怪を食べれるといいんだけど…》
『オレにできるかな?』
小太郎は山へ行く。妖怪はすぐ見つかった。
小さな一つ目小僧が一人で遊んでいた。
《小太郎。ゆっくり近づいて》
朱丸の声に頷き、後ろから近づく。
鬼の爪を出し、グワッと襲いかかる。…かと思いきや、すんでのところで止まった。
一つ目小僧は逃げて行った。
《何やってんの? 小太郎》
『…ごめん』
《逃げちゃったじゃないか》
小太郎の足元に水滴が落ちた。
《泣いてんの?》
『ごめん。オレにはできない』
小太郎は、目元を擦った。朱丸はため息をつく。
《しょうがないな…。小太郎は優しすぎるんだ》
村への道を歩く。
(小太郎が妖怪を抵抗なく倒して、食べれるようにしないと)
朱丸は考えた。
夕焼けの道を歩いていると、朱丸は気がついた。
《妖力だいぶ減ってる。まずいな。オイラ苦しくなってきた》
『え? 大丈夫? 朱丸』
《オイラだけじゃないよ。小太郎だって…。オイラの動きが鈍くなるってことだから、小太郎の心臓にも影響が…》
「う…ぐっ…」
小太郎は胸を押さえて倒れた。
《小太郎!》
「う…あ…痛い…! 痛い…ハアッ…ハアッ」
(苦しい。力入らない…。あれ…目の前が暗く…)
小太郎が意識を失ってしまったので、朱丸は焦った。
《小太郎! 起きて! 小太郎!》
そこに一人の男が近づく。
「あれ? 正太郎んとこの坊主じゃないか? おい、どうした?」
男は小太郎の顔を覗き込む。
「大変だ。こりゃ」
男は小太郎を抱っこすると、すぐ小太郎の家に走った。
「正太郎大変だ! 小太郎が!」
運ばれてきた小太郎を見て、母は悲鳴をあげた。
顔色は紙のように白く、唇も青い。
正太郎はすぐに医者を呼びに行き、母は次男の正雄に布団を敷くように言う。
細い息をする小太郎を診察した医者は、首を横に振った。
「心臓の動きがだいぶ弱い。残念ですが、今夜が峠かと…」
「そんな…。先生、せめて何か…お願いします」
「…わかりました。強心剤でも処方しておきましょう」
薬の入った袋を母に渡すと、医者は帰っていった。
「小太郎、あんなに元気だったのに」
正太郎は項垂れた。
「兄ちゃん」
弟の正雄は涙を浮かべ、まだ10ヶ月ほどの妹のハナは、家族の様子にグズっている。
《ハア…小太郎…くっ…》
朱丸は、力を振り絞って、腕を振り下ろした。
「ぐっ!」
小太郎が、呻いて目を開けた。
「ゲホッゲホッ」
「小太郎!」
母が小太郎の手を握る。
「ハアッ…オレ…う…痛い…! ああ…!」
「小太郎…どこが痛いの?」
「ハアッ…胸が…」
母は薬を出した。
「先生に薬出してもらったから、飲んで」
力が入らない小太郎は、支えてもらいながら薬を飲んだ。
「ゲホッ…ゲホッ…」
『朱丸』
《小太郎、オイラ、もう限界…》
【ぐるる】
突然、猛獣のような鳴き声が聞こえた。
見ると、小太郎の枕元に猫又のような風貌の大きな妖怪が座っていた。
《火車?》
朱丸が呟く。
『かしゃ?』
《人間の死体を食べる妖怪だ。小太郎を狙いにきたのかも》
『オレ…やっぱり、死ぬ…のか?』
問いかけたその時、朱丸が苦しそうに呻いた。
「う…ぐっ! ああ!」
同時に小太郎も、悲鳴をあげる。
《う…小太…郎…火車を…食べ…て》
『体…動か…ない』
「小太郎!」
母が叫び声をあげた小太郎を覗き込む。目に涙を浮かべている。
その涙が小太郎の口元に落ち、小太郎は舐めた。
(あれ? 少し痛みが和らいだ?)
《小太郎、少し動けそう?》
『うん』
《あのね、火車って妖怪は、葬式を襲ったりして遺体を持ち去るんだって。
家族が亡くなって、悲しみに追い討ちかけるようなことする。
悪い事する妖怪をこらしめるためなら、小太郎も食べれるんじゃない?》
小太郎は少し考える素振りを見せた。
『……うん。そうだね』
小太郎は意を決して、鬼の爪を出し、火車に攻撃する。
火車は、叫び声をあげて倒れた。肉体を持たない妖怪は、死ぬと粒子となって消えてしまう。小太郎は、その粒子を吸い込む。
『はあ。苦しいの治った』
《よかった。妖力も充分回復したよ》
「小太郎? 急に動いて…どうしたの?」
母は小太郎の肩に手を置いた。
「母ちゃん、オレもう大丈夫だよ」
「本当? よかった」
母は小太郎を抱きしめた。
「医者の薬よく効くんだな」
正太郎は、薬のおかげで小太郎が元気になったのだと思っているようだ。
「あーん! あーん!」
妹のハナが大声で泣いた。
「ハナ? 大丈夫よ。よしよし。お兄ちゃんもう大丈夫だからね」
《大人や少し大きい子供には、妖怪は見えないけど、まだ赤ちゃんのハナちゃんは見えたのかも。怖かっただろうね》
『オレが妖怪を殺すところ見ちゃったかな? 心の傷にならなきゃいいけど』
それからも変わらない日常。小太郎が倒れたことで、家族は少し過保護気味になった。
畑の作業をしていても、少しフラついただけで休むように言われる。小太郎は、本当に大丈夫だから。と苦笑するしかなかった。
ある日、友達と遊んだ帰り道。夕焼けの中、小太郎は家路を急いでいた。
「小太郎君だよね?」
突然名前を呼ばれて振り返る。見覚えのある軍服を着た少年。
「…桃太郎の子孫の…」
「14代目、桃寿郎だよ」
小太郎は警戒心をあらわにして、後退った。
「なんの用?」
「君と一緒にいた子鬼、どこにいるの?」
「し、知らないよ。あの後、別れちゃったから…」
「ふーん」
目を泳がせる小太郎。桃寿郎は一歩近づく。
「何?」
「君さ…。なんで生きてるの?」
「え?」
小太郎はギクッとする。
「僕の刀で斬られてさ。もう死にそうだったじゃん」
「…それは」
「後遺症も無さそうだし…」
小太郎は走り出した。
「待って」
桃寿郎は小太郎の腕をつかむ。
「離せ!」
「背中見せてよ」
「ヤダ!」
桃寿郎は小太郎の着物の隙間から手を入れた。
「ヒッ!」
「傷ないね。君、小太郎君じゃないでしょ?」
「え⁉︎」
「あの子鬼くんなんじゃない? 死んだ小太郎君を食べて、子鬼くんは小太郎君に成り代わってる」
「そんな…」
朱丸は怒った。
《オイラが小太郎を食べるわけない! そんな高度な術使える鬼、300年前ならいたかもしれないけど、人間を食べなくなった今の鬼が使えるわけない‼︎》
「朱丸はオレを食べたりしないよ」
「君は本当の小太郎君かい?」
「そうだよ」
「じゃあ、君はなぜ生きている?」
「……」
桃寿郎はハア…と息を吐いた。
「ねえ小太郎君。君は僕が鬼を退治するの、邪魔したよね」
「当たり前だ! 朱丸は大事な友達だ」
「君のした事はさ、公務執行妨害になるんだよ?」
「え?」
小太郎は、キョトンとした。
「僕は国の軍に所属する軍人だよ? 鬼退治は、国の命令でやってるんだ。国家反逆罪で捕まっても文句言えないよ?」
「そんな…オレ、知らなくて…」
小太郎は動揺する。
「君はまだ子供だし、君の代わりにお父上が捕まっちゃうかもね」
「そんな、父ちゃんが…」
「君が本当のことを話してくれたら、鬼退治を邪魔したこと、不問にするよ」
小太郎は頭の中で朱丸に話しかける。
『どうしよう朱丸』
《…小太郎の父ちゃんが捕まったら大変だよね。話すしかないかな》
「あの…朱丸は…その…」
「うん」
「朱丸は、オレの中にいます。止まった心臓を動かすために、鬼の秘術っていうの使って、オレの心臓と混ざりあって…」
「そうか…。じゃあさ、今君は鬼なの?」
「鬼…かも…しれないです」
桃寿郎は、破鬼の剣をとり出した。
「え⁉︎」
「鬼なら斬らなきゃね。おそらく、君が日本で最後の鬼だ」
「ヒッ!」
小太郎は逃げ出した。
「待て!」
小太郎は桃寿郎に捕まった。
「助けて!」
《小太郎! 反撃!》
朱丸の声に、小太郎は鬼の爪を出し、迫る刀を防ごうとした。
だが、爪は割れ、そのまま刀は小太郎の腕を切り裂いた。
「うあ‼︎」
《小太郎‼︎》
「あれ? 刀が…」
破鬼の剣は以前と同じように穢れてしまった。
「なんで⁉︎ 人間なの? ああ…そうか。小太郎君は鬼と人間の中間なんだね。これから徐々に鬼になるのかな…」
桃寿郎は刀を仕舞う。
「今日はもうダメだね。また来るよ」
桃寿郎が去っていく。小太郎は腕を押さえて座り込んだ。
「ぐっ…う…」
《小太郎、怪我を治そう》
傷に当てた手に、集中して力を注ぐと、傷は小さくなって消えた。
「ハア…ハア…」
《破鬼の剣で斬られても、こうやって治せたし、小太郎の体はまだ大部分が人間なのかもね》
「う…くっ…」
小太郎は、胸に手を当てて呻いた。
《あ、怪我治したから、妖力…少なくなっちゃった…ハアッ…》
「う…痛い…ハアッ…ハアッ」
そこに、大きな影が近づいた。
「小太郎!」
「父…ちゃん」
「帰りが遅いから…」
「ごめん…なさ…っう…あ!」
胸の辺りをぎゅっとつかむ。
「小太郎⁉︎ 苦しいのか?」
「…助け…て…」
小太郎を抱えて、正太郎は走った。
「すぐ医者に見せるから」
正太郎が走って行くと、小太郎の目に、皆で使っている井戸が見えた。そこには小さな河童がいて、井戸に何やら投げ入れ、イタズラしていた。
「父ちゃん…止まって…」
「え? どうした?」
井戸の前に止まった正太郎は、地面に小太郎を降ろした。
「…っ」
立っているのも辛そうな体を、正太郎は後ろから支えた。
「おい? 水がほしいのか?」
井戸にイタズラする河童の存在は、正太郎には見えていない。
小太郎は、鬼の爪を振り上げ、河童を倒した。
粒子となった河童を食べる小太郎。
《これで妖力回復したね》
「はあ…」
「大丈夫か? 小太郎」
「うん。大丈夫」
「…おまえ、やっぱり様子変だよな。この間から…」
心配そうな父に、小太郎は話しはじめた。
「父ちゃん。オレさ、この前一回死んだんだ」
「え?」
「桃太郎の子孫が朱丸の村人みんな殺して、残ったのは朱丸一人。
オレ、朱丸を庇って代わりに斬られた」
「そんな…」
「朱丸が、止まったオレの心臓を動かしてる。秘術でオレの心臓と混ざって…。だから朱丸はオレの中で生きてる」
正太郎は、複雑そうな顔をした。
「さっきまた桃太郎の子孫が来た。オレを殺そうとした。オレは今、鬼と人間の中間らしい」
「桃太郎の子孫は、また小太郎を殺しに来るのか?」
「たぶん」
「そうか…」
「オレの体、これから完全に鬼になるのかもしれない。今まで通り村にいたら、また狙われる」
小太郎は辛そうに、腕をさすった。さっき斬られた場所だ。すでに治っているが、斬られた時の感覚が蘇った。
「…小太郎。村を出なさい。きっとおまえは、人間よりもずっと長生きで、成長もゆっくりになっていくだろう。ここにいては、桃太郎の子孫に狙われるし、みんなにも人間ではないとバレてしまう」
小太郎は涙を流した。
「う…オレ…みんなと別れるの…寂しい」
「父ちゃんも、小太郎と別れるのは辛い。母ちゃんも、正雄もハナも、おまえの友達だって、みんなおまえが好きだ」
正太郎も目に涙をためた。
「でも、小太郎には生きていてほしい」
「うん」
せっかく朱丸に助けてもらった命を守るためにも、小太郎は村を出る決意をした。
ある日の早朝、まだ朝日も昇っていない時間に、旅支度を終えた小太郎が家の前にいた。風呂敷の中には、おむすびや水筒、着替えを入れた。
小太郎が村を出ることは、正太郎しか知らなかった。正太郎しか小太郎の正体を知らないからだ。
母が起きる前に、出ることになった。
小太郎は涙を浮かべた。
「父ちゃん。オレがいなくなった後のこと、頼むよ?」
「ああ」
小太郎は行方知れずになる。神隠しにでもあったことにするつもりだ。
「オレ…やっぱり、寂しいよ」
「…小太郎」
正太郎は小太郎を抱きしめた。
「いつか…この村に帰っておいで」
「うん」
小太郎が遠くに去って行くと、正太郎は止めていた涙を流して、嗚咽をもらした。
小太郎が村を出ると、そこに待っていたのは椿だった。以前あった桃寿郎の部下だ。
「村を出て行くのね」
「おまえ…」
「おまえなんて呼ばないで。私の名前は鳥取椿。桃寿郎様の第一の部下よ」
「オレになんの用だ?」
「こわ〜い。そんな睨まないでよ。私の役目は、あなたの行動を監視すること」
「……」
「桃寿郎様の刀のお清めが終われば、すぐにあなたを殺しに来る。あなたが村を出て行ったりしないか、見張っておけとのご命令よ」
小太郎は、椿を無視して歩いた。
「どこに行くの?」
「…決めてない」
「あら、そうなの?」
小太郎は走った。木の上に跳んで、次々に木に飛び移る。
「ちょっと待ちなさいよ!」
椿は小太郎を追うことができず、どんどん離される。
「ハアッ…ハアッ…無理…」
椿は小太郎を見失った。
「撒いたかな?」
椿が追って来ないことを確認すると、小太郎は木から降りた。
「どこに行くかな?」
《オイラ、東京に行ってみたいな。産まれた村と、小太郎の村の周辺しか行ったことないし》
「オレも、自分の村の周辺と学校までの道のりくらいかな? 親戚も隣村に住んでいるから、遊びに行ったのも隣村までだし」
《舶来のものが色々あるんでしょ? 東京って。見たことないものや、食べたことないものとかも、いっぱいあるんだろうな》
「…朱丸は、心臓にいるんだよな。そういや、オレが見ているもの、感じているものはわかるのか?」
《わかるよ。小太郎が触れたものも、食べたものの味や匂いもね。不思議だよね。なんでなんだろう》
「オレが考えていることもわかる?」
《うーん。小太郎がオイラに、言葉を伝えようとしている時はわかるけどね。ただ、感覚…? 嬉しいとか苦しいとかは、いつも伝わってるかな》
「そっか」
《オイラが考えていることは、小太郎わかる?》
「オレも朱丸と一緒かな。感覚は少し伝わる」
《そっか》
「…よし。東京に行こうか」
《うん》
小太郎は、東京へ向かった。