罪と罰 ー過去編ー
流産の表現があります。
自殺の表現があります。
気になる人はご注意ください。
人間界に帰る事にした一行は、天が持ってきた手鏡を見た。
「それは?」
[移動するための媒体だな。鏡じゃなくてもなんでもいいんだが…]
「来る時もそこを通ってきたよ」
朱丸が言う。
天が手鏡に力を込めると、鏡面が揺れた。
朱丸が手を触れた。中に引き込まれていく。
「わ…」
小太郎は目を丸くした。
次に明子が入って、小太郎も入る。最後に天が入った。
鏡の向こうは洞窟だった。
「ここ…」
[俺の住処だ]
振り返ると、小さな鏡を持っている天がいた。
「こっちにも鏡?」
[ああ。媒体が同じ物の方が、力が伝わりやすい。それに…]
天は鏡を小さな社の前に設置する。
[このお社に参拝する時に見る神鏡だからな。誰かに盗まれたりしない物の方が安心だろ]
「神鏡だったの⁉︎」
小太郎も明子も驚く。
天の住処には、小棚と火鉢、水甕が置いてあった。
「あ…」
洞窟の奥に、薄い畳の上に寝かされ、薄い布団をかけられた、小太郎の体が横たわっていた。
[戻った方がいい。今心臓は必要な回数しか動いてない。時間がたつほど、回復し辛くなるぞ]
「うん」
小太郎と朱丸、明子は、三人でそっと体に触れる。
魂はスッと、体に戻っていった。
小太郎は目を開けた。
戻ったのだとわかる。朱丸が心臓にいる感覚。明子はどこにいるかわからないが、きっと自分の中にいる。
「…ぁ…」
声がうまく出ない。
[大丈夫か?]
「…て…ケホッ…」
[体、動かせるか?]
体が重い。息が苦しい。心臓の動きが弱くて血の巡りが悪いのだ。寒くて仕方ない。朱丸も、頑張ってるのだろうけれど。
「さ…む…」
[寒いか。ああ…冷たいな。気づかなくてすまん]
天は小太郎の頬に触れ、置いてあった火鉢を持ってきた。
火鉢に術で火を灯すと、置いてある小棚からヤカンを取り、水甕の水を入れ、火鉢の上に置いた。
ヤカンの水が沸くと、湯呑みに移す。
天は、小太郎を抱き起こすと、薄い布団ごと膝に乗せた。
「……」
小太郎は恥ずかしそうに、目を背ける。
ちょうど良い温度になった湯呑みを、小太郎の手に持たせた。
[持てるか?]
手に力が入ってないのを見て支えてやる。
一口飲む。
「あった…かい」
[ただのお湯で悪いな。ここには水と酒しかないんだ]
「ううん。ありがと…」
素直な言い方に、天はくちばしをかく。
「天…あんまりオレを…甘やかさないでよ。オレ…この世界にいるのが辛くて、死のうとして。みんなに迷惑かけて。なのに、みんな優しくて。天は甘やかしてくるし」
小太郎は俯いた。
「オレ…天の腕から出れなくなっちゃうよ。この心地良い場所から」
[なんでダメなんだ?]
「だって、もう大人だし」
[小太郎はまだ子どもだ。鬼ならな。これから何百年生きると思ってる?]
「…子ども…。そっか」
[永い人生…いや、鬼生? 少し休んだって影響はない。甘えたければ、存分に甘えればいい。もう故郷に帰れないなら、今の親は俺だけだろ?]
「うん…。と…」
父さんと呼ぼうとしてやめた。顔が熱い。
[ん?]
「なんでもない…」
《あ〜、やっと体があったまった。どう小太郎? もう動けるでしょ?》
朱丸の声がした。
「あ、ああ。本当だ。もう大丈夫」
小太郎が、天の膝から降りようとする。
[小太郎、父さんって呼んでくれないのか? さっき言おうとしたろ?]
「ち、違…」
顔を赤くして否定すると、天は抱きしめてきた。
[ふふ…]
嬉しそうに微笑う。
「もう離して…」
《オイラは父ちゃんって呼んでるよ》
[朱丸はかわいいな]
《えへへ》
小太郎の頭を撫でる。
「オレを間に挟むな!」
[小太郎もかわいいぞ]
《よかったね。小太郎》
「あ〜もう…」
天と生活を始める小太郎。基本、霊体の烏天狗は、生活に必要な物もそれほどない。
火鉢も酒を熱燗で飲みたいために用意した物だし、薄い布団も、酔って寝る時に、気持ちよく寝るためだ。
人間界で、生きるために食事をする必要もない。
妖怪界で育てた食物を食べていれば、妖力を補える。
妖怪が人間界に来るのは、人間に忘れられてしまうと消滅してしまうからだ。時々人間を驚かして認知させている。
もし、小太郎が肉体を保ったままで、妖怪界に来ることができれば、妖力を充分に補えるだろう。霊体しか行くことができないし、一々魂を切り離すのは、リスクが大きい。
生活に必要な物を、洞窟に持ち込む。
と言っても、自分の着替えや布団くらいだ。貯金があったので、買い揃えた。
前に住んでた村の家に行ったら、家はなくなっていた。
別人に変化して村人に聞くと、軍人が来て、中を調べてから、燃やしたと言っていた。
「鬼が住んでいた家には禍いが残っていると、村長が焼き払いたいと言ってたからね。軍の方から、調査したいから待つように言われてて。最近調査に来て、燃やしてたよ」
後で持ち出したいと思っていた、明子のお気に入りの椅子も着物も燃えてしまったのか。
小太郎が呆然としていると、村人は「明子さんの知り合い?」と聞いてきた。
「はい…」
「そうか。軍人さん。金になりそうな物を持っていったよ。鬼の呪いが怖くないのかね」
「ロッキングチェアも持って行った?」
「ああ…運んでたかな」
小太郎はギリッと、歯噛みした。
吉備津隊が…桃李がそんな命令をするだろうか。
小太郎は、吉備津家に情報を収集しに行こうと思った。
でも、色々な事を思い出し、足がすくんだ。
[そうか。それは悔しいな…]
天が頷く。
「鬼が住んでた家だって、バレてるのも気になるけど…」
[前に村長が、明子を喰べているおまえを目撃してたしな。小太郎本人だと思い込んで、桃太郎の一族に言っていたんじゃないか?]
「そっか。オレ、明子がよく着てた着物…持ち出しておけばよかったな。椅子は大きいから無理だけど」
[金に換えているなら、町の骨董屋にでもあるんじゃないか?]
「うん…探してみる」
骨董屋を探してみると、椅子はすぐに見つかった。
買って帰ってきた小太郎は、天の住む洞窟に置くことにした。
「ここ置いておいていい?」
[まあ、構わんが…]
小太郎は嬉しそうにロッキングチェアに座る。
それからは、夕飯後のまったりとした時間に、よく座ってはボーッとしていた。
明子との思い出を思い出しているのだろう。
天は、酒をちびちびやりながら、そんな小太郎を見るのが習慣になった。
妖術の修行も欠かさず行った。
今までは、錫杖を出すのにも、媒体が必要で、いちいち羽根を出して、その羽根を媒体にしていたが、媒体がなくても、出せるようになった。
見た目だけでは、小太郎は鬼には見えない。妖怪も、鬼だと知れば、警戒もするが、今の小太郎では、舐められることも多い。
天の助言で、鬼のオーラを体に纏わせるという術も習得でき、さらに、妖力が充分あれば、自分の意思で角を生やすこともできるようになった。
貯金が尽きそうなので、川魚を獲ったり、たまにウサギやイノシシを獲って、町に売りに行ってお金を稼いでいた。
人間を傷つけてしまうのが怖いと言っていた小太郎だが、魚を売っている時も普通にしてたので、人と接するのが怖いわけではないのだなと朱丸は思った。
でも、20歳くらいの女性が声をかけてきた時、緊張しているのがわかった。
小太郎を殺そうとしてきた人も、同じくらいの年齢だったなと、朱丸は思い出す。
米がなくなりそうなので、買いに行く事にした。
そっと米屋を覗くと、店主はお婆ちゃんのようだ。
小太郎はホッとした。
《小太郎?》
『若い女の人だったら、怖いし…』
《あ〜、心の傷になっちゃってるんだね》
米を買って帰ろうとした時、ふと目に入った。
お婆ちゃんが腰をさすりながら、重い袋を運んでいる。
「手伝いますよ」
「お客さんに、そんなことさせらんないよ」
「でも…」
「あいたた…」
辛そうなお婆ちゃんに、小太郎は思わず手を貸した。
片付けを終えて、座るお婆ちゃんの隣に腰掛けた。
「ありがとうね。はあ…」
「お婆ちゃん。一人でやってるの?」
「爺さんが腰やっちゃってね。あとは孫がいたんだけど…」
「けど…?」
「口喧嘩してね。出ていったんだよ。もう16歳だし、そんなに心配はしてないけど。たぶん年上の恋人の所に行ってるんだよ」
お婆ちゃんはため息を吐く。
「地震の時、あの子の両親が死んじゃってね。代わりに育ててきたけど、甘やかしすぎたかね。最近ずっと家の手伝いせずに、遊んでばかりで…」
店に少年が入ってきた。
「武…」
お婆ちゃんが駆け寄った。出て行った孫のようだ。
「帰ってきてくれたのかい?」
「違うよ。金…取りに来た」
「お金…? 出ていく時持っていったじゃないか。爺さんに止められたのに。もう渡す金なんてないよ」
「…ちっ」
武は家の中に入って行った。
「ごめんね。家の事情なんて見せて…。さ、もう帰ってくれ」
お婆ちゃんに促され、小太郎は店の外に出た。
武が出て来た。お婆ちゃんが「待ちなさい」と彼の腕を取る。
「離せよ。ババア」
「爺さんが動けないからって、勝手に金持って行くなんて」
「うるせーんだよ!」
武がお婆ちゃんの腕を振り払うと、彼女はバランスを崩して尻餅をついた。
「大丈夫?」
小太郎はお婆ちゃんに駆け寄る。
「…武…お店はおまえがいないと、困るんだよ」
お婆ちゃんは悲しそうに言う。
「人手が足りないなら、雇えばいいだろ? おれは米屋を継ぐ気なんてない」
武は走り去った。
「武…」
お婆ちゃんは悲しそうに俯く。
小太郎は放っておくことができなくて、武を追った。
武は喫茶店に入って行く。
どうやら誰かと待ち合わせしていたようだ。
お婆ちゃんのために彼を説得しようと、しばらく外で待っていた。
喫茶店の入り口は、入店する客と出て行く客が同じくらいいた。
やがて、武と20歳くらいの女性と、強面の男性が出て来た。
武はオドオドした様子だ。
三人が路地裏に入って行くのを見て、小太郎は追いかけた。
「もう許してください」
「人の女に手出して、簡単に許してもらえるわけないだろう?」
強面の男が、武に詰め寄った。
「他に恋人がいるなんて、聞いてなかったから…」
「だって言ってないし…」
女が、男の後ろで笑う。
「もしかして、お父さんが病気っていうのもウソ?」
「あれ? 気づいちゃった?」
武が聞くと、女は悪びれもせず言う。
「お父さんの手術費が必要って…」
「私のお父さんが、有名な画家っていうのもウソだよ。だからアンタを弟子入りさせるのは無理。ごめんね〜」
「騙してたんですね。お金返してください…」
武が涙目で訴えると、男が笑う。
「俺の女といい事してたろ? 迷惑料として受け取っておくよ」
「そんな…」
武が男の着物を掴むと、男は舌打ちして彼を押す。武は座り込んだ。
「婆ちゃんに、なんて言えば…」
「待て…」
「あ?」
小太郎は二人の前に立った。
「なんだお前? コイツの友達か?」
「お金返してあげてください」
「関係ないヤツは引っ込んでな」
小太郎は見えない速さで動き、去ろうとした男の懐から、スルリと財布と封筒を盗った。武に見せる。
「この封筒が、君の?」
「え…あ…はい」
「な⁉︎ いつのまに?」
「あ、財布も盗っちゃった。はい…」
男に財布を返すと、もう一度、武に向きあった。
「お婆ちゃんが心配してた。帰ってあげなよ」
「うん…」
「おい…金を返せ」
男は小太郎に詰め寄った。
「返したよ?」
「その封筒だ」
「騙し取ろうとしてたんでしょ?」
武は封筒を懐にしまうと、小太郎にお辞儀をして、その場を離れようとした。
「待ちなさいよ」
女が武を通さないように、腕を広げた。
「大人しくその封筒を渡せば、痛い目見なくてすむぜ?」
「…っ」
武がぎゅっと胸元を握りしめる。
「ほら、つかまえた」
女が武を抱きしめた。
「…ぁ」
武は顔を赤くする。
女がスッと懐から封筒を抜いたのを見て、男は動いた。
小太郎は男の腕を掴む。
「お金…」
「しつけーんだよ」
男が殴りかかってきた。拳を受け止めた小太郎は、その腕を捻る。
「痛っ!」
男が悲痛な声を上げる。その声に、小太郎は力を抜いた。
『力入れすぎたかな?』
《大丈夫だよ》
小太郎が不安そうに聞くので、朱丸は安心させるように言う。
《痛い目見せて、お金を返してもらおうと思ったのに、小太郎すぐ離しちゃって…》
『だって…』
以前は平気だったのに、人を傷つけることが怖くなっているんだなと、朱丸は思う。
一緒にいる女の人には、目も合わせないし。
「この!」
男は小太郎の胸ぐらを掴むと、そのまま地面に押し倒す。
思い切り、頭を打った。
「うぁ!」
運悪く、置いてあった石の鉢植えに後頭部を打ち付けた。
「う…」
頭から血が流れる。
『意識が…やば…朱丸…』
《うん。一回寝ときな…》
小太郎は失神してしまった。
「あ…」
男は、慌てた。
「ど、どうしよう…俺…人を…」
「逃げようよ」
女が言う。
「逃げないで! 誰か呼んで来てよ! 病院に運ばなきゃ」
武が言うと、二人は走り去った。
小太郎の胸に耳を当てる。
「生きてる…」
ホッと息を吐く。
「う…」
小太郎は目を覚ますと、頭を押さえて起き上がる。
「あ…大丈夫?」
「うん…」
《傷は塞がったね。妖力で治したから、減っちゃったよ》
『うん。少し苦しい…』
小太郎は息を吸う。
「あの二人は?」
「人を呼んでくるって。君を病院に運ばなきゃって」
「そっか。でも、オレはもう大丈夫だよ」
小太郎は立ち上がる。
「二人は戻ってくるかな?」
「わかんない」
「戻ってこないなら、お金回収できないな」
急にクラッとめまいがした。
小太郎は壁に体を預けると、ズルズルと座り込んだ。
「大丈夫⁉︎」
武は慌てた。
「うん…だるい」
カラスが降り立つ。
[カー]
「ん?」
《あれ? 父ちゃんの手下の烏だ》
『天の?』
《足首の所に、模様がある》
烏の足首には、紫色の細い線が一周していた。
[カー]
烏は小太郎の着物のすそをくちばしで食むと、クイクイと引っ張る。
《着いてこいって言ってるのかな? 小太郎動ける?》
『うん…』
立ち上がる小太郎に、武は手を貸す。
「大丈夫?」
「ありがとう。ごめん、オレ行くね」
忘れないように、落ちている米の袋を持った。
「あ…あの、ありがとう」
「いや。二人戻ってくる気配ないし、お金取り戻せなかったね」
武は、バツが悪そうに頭をかいた。
「…おれ、婆ちゃんに、ちゃんと謝る」
「うん。それがいいよ」
小太郎が烏を追って行くと、人気のない小さな神社に着いた。
「ハアハア…体がだるい…もう歩けない」
《うん。妖力が減って、オイラも動くの辛い》
[カラステングさま…マッテル。カエロウ]
烏は高い声で喋りだした。
「《喋った⁉︎》」
小太郎と朱丸は同時に驚いた。
烏は[カー]と高く鳴くと、靄に包まれ、次の瞬間には、自動車くらいに大きくなった。
「《ええ⁉︎》」
[ノッテ]
烏に言われるまま、小太郎は背中に乗った。
大カラスは飛んでいく。
烏天狗の住処に着く。
小太郎が大カラスから降りると、彼は元の大きさに戻った。
「ありがとうね」
[カー]
[ん? お帰り]
天が出迎えると、小太郎を乗せてきた烏は、彼の肩に止まった。
[クルゥ…ホメテホメテ]
[ああ…ありがとう。よくやったな、クロマル]
天がクロマルの喉を撫でると、彼は気持ちよさそうに目を閉じた。
《クロマル…って。オイラの名前に似てるね。黒丸と朱丸》
[まあな。たまたまだ。コイツは手下の中でも頭がいいんだ。俺の代わりに、山の偵察もしてくれるし]
[カラステングさま。コタローのことシンパイシテル。クロ、ズットコタローみてた。シニソウニなってたら、カラステングさまに目ツナゲル]
《じゃあさ、小太郎が女の人に刺された時は?》
[コタローおに…ササレてもシナナイ]
《うーん》
[はは…クロマルは厳しいな]
天は苦笑する。
[クロはカラステングさま、ちょっとカホゴとオモウ]
「ええとさ。今回なんで…クロマルはオレを助けたの?」
[カラステングさまにモラッタちからのシウンテン]
《試運転?》
[ああ。大きくなれる術だ。試しに、小太郎を迎えに行ってくれって頼んだ]
「そう…うっ…」
小太郎は、胸を押さえた。
[妖力減ったのか?]
「うん…」
天は、小太郎が買ってきた米を置くと、前に奉納された米を数粒持ってきた。
[ほら、神力のこもった米だ。もう、残り少ない]
小太郎はそれを口に運ぶ。
「はあ…」
[大丈夫か?]
「うん…」
[ヤッパリ、カラステングさま。コタローにカホゴだとオモウ]
クロマルがつぶやいた。
ある日の朝、朝食を作ろうと味噌の入った壺を開けた。
「あ…」
[ん? どうした?]
「味噌ない…。昨日夕飯で使ったの最後だった」
[じゃあ、朝は味噌汁なしだな。後で買ってくればいい]
「うん…」
小太郎は朝食の用意を始めた。
二人で朝食を食べる。
[やっぱり味噌汁ないと寂しいな]
天がご飯を頬張る。
「そういや、なんで天もご飯食べてるんだ? 栄養としては必要ないんだよな?」
[ああ。でも、美味しそうなご飯が目の前にあったら、腹も減るよ]
「都合いいのな…」
小太郎は苦笑した。
[一人で食べるのも味気ないだろ?]
「ふふ…そうだね。オレが作ったご飯、天が美味しいって言ってくれるの、素直に嬉しいよ」
[…そ、そうか]
時々、素直に気持ちを言う小太郎に、面食らう天。
「そういえば、オレ色々、物を揃えたけど、お米炊く土鍋と釜戸はあったな。まあ釜戸は簡易的な物だったけど」
[あ、それは…]
「人間界では、自分で食事作ったりしてなかったんだよね?」
《あ…あれだよ。小太郎》
「ん? どれ?」
朱丸の声に、天はため息を吐く。
[おまえが、妖力不足で、死にそうになってた時あったろ? 明子の体調が悪くて…]
「ああ…うん」
明子の体が気がかりで、夜も充分眠れず、妖怪がいなくて、妖力がうまく回復できなかった時、天が自分の住処に連れて来て、おむすびをくれた。神力のこもった米で作ったと言って。
[釜戸は石を重ねて作ったが、土鍋は買ってきたんだ。金がなくて、俺の酒を売って]
「え?」
[今思えば、米をそのまま食わしても良かったんだよな。焦ってたから…]
天は頭をかいた。
「天…。わざわざ、オレのために…?」
《小太郎中に寝かせてから、洞窟の外でなんかやってるなって思ったけど、そういうことか》
朱丸が納得するように言う。
[なんか、言うの恥ずかしかったんだよ]
「天…」
小太郎は涙を浮かべた。
[おい。泣くなよ]
「ごめん。嬉しくて…」
涙を拭くと、残りのご飯を食べた。
町への買い物は、天も一緒に行くことになった。
人間に変化して、実体化している。
12月も後半に入り、ついでに年末の買い出しをする予定だ。
二人で歩いていると、本当の親子のように思えた。
味噌とお餅と少しのおせちの材料を買った。
「正月飾りは?」
[毎年、村の人がお社に奉納にくる]
「ふーん」
お昼には、二人で食堂に入り、カレーライスを食べた。
[初めて食べたぞ。うまいな…]
天は気に入ったようで、夢中で食べていた。
午後、商店街をブラブラしていると、女性の叫び声が聞こえた。
「ひったくりよ! つかまえて!」
小太郎と天が振り向くと、若い男が女性用カバンを持って走ってきた。
「どけ!」
小太郎は男の腕を掴み、背中側に捻って地面に押し倒した。
「…っ」
「天…これ」
男の手から離れたカバンを、天に投げる。
受け止めた彼は、後ろから恐る恐る近づく被害者の女性にカバンを渡した。
「痛い!離せ!」
男が叫ぶ。
「…ぁ」
小太郎は力を抜いてしまう。
その隙をつき、男はナイフを取り出すと、小太郎に斬りかかった。
「…っ」
腕を斬られ、蹲る。
「ぐぁ!」
叫び声に男を見ると、天に取り押さえられていた。
警官がやってきて、男は連れて行かれた。
「ありがとうございました」
女性はお礼を言って、去っていく。
小太郎は座ったまま、俯いていた。
[小太郎、大丈夫か?]
「うん。大した傷じゃない。もう、治った」
[そうか…。でも、泣きそうな顔してるぞ。妖力足りなくなったのか?]
《まだ大丈夫だよ》
朱丸が答える。
「オレ…怖い…」
[怖い?]
「とっさに、あの男を取り押さえたけど…。また「痛い」って言われて、力を抜いた。力加減を間違えて、殺してしまうかもって」
《ああ…この間もそうだったね》
[そう簡単に死んだりせんよ]
「でも! 人間て弱いんだ。骨を折っただけで、死ぬこともある。オレは、それで…殺した」
《うん…そう…だったね》
「今みたいな時って、体が勝手に動くんだ。困ってる人を放っておけない。
でも、人間相手だと、力の加減がわからない時がある」
[そうか…。だが、悪い事をした人間だから、気にしなくてもいいのではないか ]
天の呟きに、小太郎は目を見開いた。
「天も、そういう事言うんだ?」
[え?]
「オレとは考え方が違う…」
俯いて、顔を隠す。
[小太郎?]
小太郎は目に涙をためて、天を見返した。
[こ…]
「ごめん…先帰ってて。オレ、今、天と話したくない」
小太郎は、走り去った。
[小太郎…]
[カラステングさま…]
クロマルが天の肩に止まった。
[オイカケナイの?]
[今は…。クロマル、頼むな]
[ハイハイ…]
クロマルは、小太郎の後を追った。
小太郎は、川の土手に座って、顔を膝に押し付けて泣いていた。
クロマルは側に降りる。
「う…グスッ…」
[コタロー、カラステングさまシンパイしてる]
「放っといてよ」
クロマルはため息をつくと、地面をくちばしでつついて、エサを探しはじめた。
陽が落ち始め、辺りが暗くなっていく。
クロマルは面倒そうに言った。
[イツマデそうシテイル?]
《そうだよ。帰ろう小太郎》
「うん…」
ふと、側にかかる橋を見ると、誰か佇んでいた。
どうやら女性のようだ。
その小さな橋には、他に人はいない。
彼女はおもむろに橋を乗り越え、川に身を投げた。
「あ!」
小太郎は、烏の羽根を生やし飛ぶ。落ちてきた女性を抱き止め、橋の上に降りたった。
「ハア…」
《助けてよかったの? 死のうとしてたんじゃない?》
朱丸の指摘にハッとする。
腕の中の女性が顔を上げた。
「あ…」
街灯の明かりに照らされた彼女は、以前、小太郎を刺して殺そうとしてきた、あの女だった。
「なんで…」
狼狽える小太郎。女も小太郎の顔を見て、驚くと、迷惑そうに距離を取った。
「なんでって、こっちのセリフなんだけど? 死のうとしてたのに、邪魔して…」
「…ごめ…」
「私、実家がこの町だから」
女は大きくため息をついた。
「覚悟を決めて飛び降りたのに」
女の冷たい視線に、罵倒され、包丁で刺された記憶が蘇る。
「う…」
小太郎は口を押さえて蹲った。
《小太郎? 大丈夫?》
「ん…ぅ…ごめ…吐く…」
嘔吐して、膝をついた。
「ハア…ハア…」
「人の顔見て吐くなんて、失礼じゃない?」
「う…」
「アンタの顔なんて、見たくなかったのに。でも、死ぬ前に教えてあげる。私、お腹に赤ちゃんがいたのよ」
「え⁉︎」
「でもね。この前、流産しちゃったの。赤ちゃんがいるってわかったのも、お腹が痛くて病院に行ったからで、気がついた時には、もうお腹の子は死んじゃってたの」
「そんな…」
「あの人の、一郎さんの唯一残してくれたものだったのに。医者が言うには、婚約者が死んで、心労がたたったせいだって。だから、アンタのせいよ」
「…ぁ…」
「アンタは一郎さんだけじゃなくて、私の赤ちゃんも奪ったのよ」
女は涙を流しながらも、淡々と話した。
「オレ…の…せいで…?」
小太郎は、頭を抱えて蹲る。
「鬼のくせに、命を奪った事、後悔してるんだ? だったら、私と一緒に死んでよ」
「え?」
「夢に出てくるんだよね。一郎さんと赤ちゃんが。私をあの世に呼んでるのかな。早く、一郎さんたちの所に行ってあげなきゃ。アンタも一緒に、飛び込んでよ」
彼女はフラフラと、橋の欄干に手をかけた。
「オレは…鬼だし、こんな川に落ちたからって、死なないよ」
小太郎は、ウソをついた。鬼だって、溺れたら死ぬ。
「知らないの? この川には、鬼魚っていう化け魚が住んでて、川で溺れた人間を食べるんだって。アンタもきっと食べてくれるから」
《鬼魚…。こっちにもいるのか。小太郎、彼女が何を言っても、一緒に死ぬなんて、ダメだからね》
『当たり前だろ? 何言ってるんだ』
小太郎が朱丸に言い返す。
《前科があるからさ。小太郎は…》
『……』
小太郎は、ため息をこぼすと、女に聞いた。
「君はどうしても死にたいの?」
「なに? 私を止める気?」
「愛する人が死んで、今は辛くても、生きてたら、きっと…」
女は、小太郎の頬を叩いた。
「その愛する人を奪ったのはアンタじゃない!」
「…そうだ…ね。ごめん…。オレは、一緒には死ねないよ。自分から死ぬことはしないって、約束したから」
「大丈夫。私が殺すから…」
女は髪を結っていた紐をほどいた。
「ぁ…」
逃げようとした小太郎の首に巻きつけると、後ろからギリギリと締めつける。
「が…ぁ…」
「一緒に化け魚に喰われましょ?」
女は紐を引っ張りながら、橋の欄干を乗り越えた。
抵抗しようとするも、意識が薄れて力が入らない。女は一度力を抜くと、小太郎の上半身をつかみ、こちら側に引き入れた。そのまま重力に従い、落ちていった。
《小太郎!》
慌てる朱丸。
二人は勢いよく川の中に落ちた。
「ゴボッ…」
直前まで呼吸を制御されていたせいで、思い切り水を飲んだ。
小太郎は目を開ける。
女は、薄ら笑いを浮かべながら、手を離し、底に向かって落ちていった。
「ゴボッ!」
女を追いかけようとしたが、もう力が出ない。
小太郎の意識は、闇に飲まれた。
「ゲホッ! ゴホッ!」
気がつくと、土手の上に倒れていた。
[ダイジョブ?]
大きくなったクロマルがいた。
「ハアッ…ハアッ」
《クロマルが助けてくれたよ》
「…あり…がと…」
女の姿がない。沈んだままなのだ。
気がついた小太郎は、再び川に飛び込む。
[チョット⁉︎]
クロマルが叫ぶ。
《なにしてんの⁉︎》
朱丸も声を上げる。
女は川の底にいた。
小太郎は泳いでいく。そこに鬼魚が現れた。女をバクンと飲み込むと、去って行く。
小太郎は、錫杖を呼び出すと、鬼魚に向けて放つ。
鬼魚のおしりの辺りにズブリと刺さった。
[ウギャア!]
小太郎は錫杖をつかむと、痛みに叫ぶ鬼魚を無視して、モリでついた魚のごとく、連れていく。
土手に着くと、鬼魚を地面に投げ、錫杖を抜きとった。
[ギャアア!]
鬼魚は苦しそうに暴れた。
錫杖から、鬼魚の血がポタポタ落ちた。小太郎はそれを舐めとる。
そして錫杖の先端を鬼魚に向けると、低い声を出した。
「吐け…」
[え?]
「彼女を吐き出せ」
鬼のオーラを出し、体に纏わせる。
角を生やし、牙を見せた。
[お、鬼⁉︎]
鬼魚は震える。
「吐け…」
[わかりました! わかりましたから!]
鬼魚は女を吐き出すと、川の中に逃げ込んだ。
女の容態をみると、すでに脈がなかった。
治癒の力は、死んだ者には効果がない。
小太郎は心臓マッサージをした。
開始してから2分。全く反応がなかった。
「ハアッハアッ」
《小太郎、もうムリだって。死んじゃってるよ》
朱丸が言う。
[ソモソモ、たすけるヒツヨーない]
クロマルが呆れたように言った。
「ハア…ハア…」
小太郎は座り込んで、膝を抱え、顔を伏せた。
「…っ…ぅ…ふ…」
肩を震わせている。
《泣いてんの?》
「オレのせいで…また…死んだ…」
《…それは…》
「オレが、彼女の恋人を殺したから、赤ちゃんも死んで…彼女も…」
《…うん…》
「…う…っ…オレ…ヒュッ…ハアッハアッ…」
小太郎は胸を押さえた。
《小太郎?どうしたの? 妖力切れてないのに…》
「くるし…息が…ハアハアッ!」
小太郎は激しく呼吸を繰り返した。
「息…できな…」
《ちょっと…大丈夫? 心臓すごく速いよ》
[カラステングさま…いまコッチムカッテル。コタロー、もうスコシガンバレ…]
いわゆる、過呼吸というやつだが、知識のない朱丸たちにはどうすることもできなかった。
やがて小太郎は意識を失った。
「ん…」
意識を取り戻すと、なんだか暖かくて気持ちいい空間にいた。
「なん…だ?」
[起きたか]
天の顔がすぐそばにあった。
「て…ん」
気がつくと、小太郎はお湯の中にいて、天に抱っこされていた。
「んん⁉︎ え? お風呂?」
[烏山の秘湯だ。自然に湧いた温泉で、動物たちが入りにくる。綺麗に整備したのは俺だが…]
石が敷き詰められていて、人間も気持ちよく入れるようになっていた。
[俺もたまに入りにくるんだ]
小太郎は、天から離れた。
「なんで…オレ…ここに」
[おまえは川のそばで倒れていたが、酷く冷えていた。体温が下がりすぎると、人間は死ぬからな。鬼もそうかは知らぬが…]
「抱っこしてなくてもいいのに…」
[抱っこしてなかったら、溺れるだろうが…]
「…そう…だね…」
小太郎は恥ずかしそうに口元まで沈んだ。
「あの…ありがとう」
[ああ。もう、怒ってないのか? 俺のこと…]
「え? ああ…」
そういえば、天の考え方が自分とは違うと言って、走り去ったのだった。
「怒ってたわけじゃないよ。悲しかったんだ」
[そうか…]
「考え方が違うのなんて、当たり前なのに。元人間のオレと、妖怪側の天や、朱丸とじゃ…」
[……]
「オレを前に殺そうとした女の人、自殺した。助けられなかった」
[ああ…クロマルの眼から見ていた]
「彼女はお腹に赤ちゃんがいて、オレが恋人を殺したから、心労がたたって、赤ちゃんも死んだ。彼女も二人の後を追った。オレは三人も殺した」
[小太郎…]
「天…オレは、どうしたらいい? どうすれば、この罪を償えるんだ?」
小太郎は涙を流して顔を覆った。
《オイラたちは鬼だよ? 確かに昔とは違って、人間を襲わなくなったけど、不可抗力っていうの? 誤って、殺しちゃうこともあったよ。それでも、そんなに気にしなかった。死んじゃったら、喰べちゃってたよ。それが弔いだよ。オイラたちの…》
「…う…ゲホッ…ゲホッ…」
小太郎は、口を押さえた。
[小太郎?]
「…吐きそう」
小太郎は、風呂から上がって、草むらに嘔吐した。
「ゲホッ…ゲホッ…うぅ…」
[大丈夫か?]
天は、小太郎の背中に浴衣をかけた。
「ハアッ…ハアッ…」
《あれ?もしかしてオイラのせい?》
天は、手ぬぐいで軽く体を拭くと、浴衣を着る。
体調の悪そうな小太郎を、抱きかかえて飛んだ。
住処に着くと、やはり疲れていたのか、小太郎はすぐに眠った。
次の日の早朝。いつもなら起きている時間も、小太郎は眠ったままだ。
[おい? 小太郎、起き…]
天が体を揺するが、様子がおかしい。
額を触ると、熱かった。
「ん…天?」
[小太郎…おまえ、熱があるぞ]
「え、熱? そういえばなんか怠いし、苦しい」
《え? 鬼は病気なんかしないよ。破鬼の剣で斬られた時は熱出たけど…》
[人間がかかるような感染症にはならないんだろうが、たぶん、小太郎のこれは、知恵熱ってやつじゃないか?]
《ちえねつ?》
[頭使いすぎて、疲れたら出るやつだ。小太郎は、ムリしすぎなんだ。今日は何も考えずに寝ておけ]
天は手ぬぐいを水で絞って、小太郎の額にのせた。
「ハアッ…ハアッ…」
[小太郎、だいぶ熱が上がったな]
天は心配そうに小太郎の頭を触る。
《大丈夫だよ。父ちゃん。心臓の方に影響はないし、寝てれば治る》
朱丸が言うが、苦しそうに呼吸する小太郎に眉を下げる。
水を飲ませたり、汗を拭いてやったりして世話を焼く、天。
[何か食べられそうか?]
「今はいらない…」
[そうか…]
「天…迷惑かけて、ごめんね」
小太郎の素直な言葉に、天は頭をかいた。
[…いや…]
その夜。天は、小太郎の声に目を覚ました。
「う…ん…ハア…ハア…ぅ」
[小太郎、大丈夫か?]
「ハア…ハア…ん?」
小太郎は薄く目を開けた。
[悪い夢でも見ていたのか? うなされてたぞ]
小太郎は、ぼんやりとした表情で、眠そうに目をこする。
「……さむい」
[寒いのか。まだ熱が下がらないものな。他に掛ける物を…]
天が自分の掛け布団を取ろうとすると、小太郎が彼の着物のすそを引っ張った。
[ん?]
「いっしょがいい…」
[…一緒に寝るのか?]
「ん…」
天は小太郎の布団に入った。
二人で寝るには狭い。体の大きな天は、半分以上はみ出ていた。
[狭いな]
「…かあちゃん」
小太郎は天の胸にすり寄ると、寝息をたてた。
[ふ…]
寝ぼけて、母と間違えていたのか。天は、くすりと笑うと、羽根を出して、布団の代わりにした。
朝、小太郎が目を覚ますと、天の腕の中で眠っている自分に気づいた。
「え?」
[ふあ…おはよう]
「天…? オレ、なんで…」
[熱は下がったな。よかった]
天は、小太郎の額に手を当てる。
[夜中、一緒に寝たいって言ってたからな]
「寝ぼけてたんだろ? まともに取り合わなくていいよ」
頬を染めて、恥ずかしがる小太郎。
《でも、小太郎熱のせいで寒がってたから。父ちゃんと一緒に寝てたら、暖かかったよ》
朱丸が言う。
《小太郎、「母ちゃん」って呟いてたね》
「え? オレ、言ってたの?恥ずかしい…」
小太郎はそれからも、夜中うなされていた。
だいぶトラウマになっているようだ。
それからしばらく経った。
やっと決心がついて、小太郎は吉備津家に行くことにした。
小鳥に変化して、吉備津家の中に入る。
桃李の部屋を探していると、桃李の部下だった、猿女桜がいた。
桜はおそらく、桃李と結婚したのだろう。左手の薬指には指輪があった。
小太郎は桜の後を追う。
とある部屋に入った桜。小太郎もこっそり中に入る。
布団が敷いてあって、桃李が横になっていた。
(桃李…)
少し痩せていた。
「桃李さん。お体の具合はいかがですか?」
桜が額に手を当てる。
「うん。大丈夫。熱も下がったし。ケホッ…ケホッ」
「まだ咳が出ますね」
「うん。まだ少しだるいけど、そろそろ原稿書かないと…」
桜が出て行き、桃李だけになった部屋。
小太郎は、そっと桃李の枕元に降り立った。
「チュン」
「あれ? どこから入ってきたの?」
桃李は怠そうに起き上がると、小太郎を手に乗せた。
じっと目を見る小太郎。
「…もしかして、小太郎?」
桃李が言うと、小太郎は「チュン」と鳴く。
「桃李…」
小鳥の口から小太郎の声がした。
「やっぱり小太郎か。なんか、ずいぶん久しぶりな気がするよ」
「桃李、風邪?」
「うん。季節の変わり目はどうしてもね。怪我をしてから、ちょっと体弱くなったみたいでさ…」
小鳥の姿のまま、小太郎は項垂れた。
「…ごめん。それってオレのせいだよな」
「ハア…もういいから。左半身も、少しは、動かせるようになったんだよ」
桃李は、左手をぎこちなくあげた。
「鉛筆を持つのはまだできないから。物を書くのは右手でやってる。指がなくても鉛筆を持てる器具があってさ」
桃李が指を差した先。机の上に不思議な形の器具と、原稿用紙があった。
「何か書いてるの?」
「父様の伝記を書いてる。鬼と戦う吉備津桃寿郎の物語。雑誌に連載させてもらってるんだ」
「そう…」
小太郎は複雑そうに目を瞑る。
「読んでいる人は、ただの物語だと思うだろうけど。おれは、父様がどう鬼と戦ったのか、知ってほしいんだ」
桃李はキラキラした瞳で語った。桃李が父親を尊敬していたのは知っている。だが、小太郎からすれば、彼は憎き敵だ。
黙り込んだ小太郎に、桃李は声をかけた。
「小太郎…。小太郎のことも、書いたんだ。別の物語としてね。こんな優しい鬼もいたんだって、子孫に知ってほしくて。もちろん、小太郎の容姿とか、特徴は書いてないよ。オレがいなくなった後も、小太郎はずっと生きてくんだ。子孫に狙われるようなことにはならないように」
小太郎は桃李の話を静かに聞いていた。
「ダメだった?」
不安そうに聞く桃李。
「いや…大丈夫」
「よかった。もう本にする準備、出版社がしてたから、ダメって言われたらどうしようかなって」
「発売されたら読んでみるね」
「うん。感想聞かせてくれたら嬉しい」
「…うん」
小太郎は、少し迷いながら、聞きたかったことを聞く。
「桃李。ここに来たのは、確認したいことがあったからなんだ」
「なに?」
「オレの家さ。なんで燃やしたの?」
「家? ああ…。鬼が住んでいた家が村にずっとあるのは不吉だって、あの村の村長から、焼き払ってほしいって、依頼が来たんだって」
「桃李が命令したんじゃないんだ」
「うん。おれ入院してたし、吉備津隊はお休み中だったこともあって、他の隊が現場に行ったみたい。おれ達には事後報告だったんだ」
「そっか…。金になりそうな物を持ち出してから、焼いてたって、村の人から聞いたんだ。明子との思い出のイスだけは、近くの骨董屋で見つけたけど…」
「なにそれ…聞いてない」
桃李は怒りを露わにした。
「鬼が住んでた家だからって、勝手なこと。ごめんね、小太郎」
「…明子との思い出の品、一つでも取り返せたから、もういい」
「……ほんとにごめん」
桃李は俯く。
「…オレの方だって、謝りたいこともっとある」
「ん?」
「吉備津隊の兵士、一人殺した」
「…ああ」
「鬼化していた間のことは覚えてないんだ。結果的に殺してしまったけど、オレは人を殺めるつもりなんてなかった」
苦しそうに話す小太郎。
「オレ、人を殺したことなんて無かったんだ。鬼になっても。人間の心をずっと持っていたいって思って」
「うん。小太郎はそうだろうね。彼が死んだのは確かに悲しいけど、軍人はいつだってそういう覚悟をして仕事してるんだ。小太郎が彼を殺めたのも、おれたちが小太郎を殺そうと動いたから、結果的にそうなってしまっただけだ。だから、もう気にするな」
「でも。彼が死んだから、彼の恋人は辛い思いをした」
「ああ。彼女から聞いていたよ。鬼を殺そうとしたけど、逃げられたって。妊娠していたけど、流産したらしいね。彼女が遺体で見つかったって連絡を受けて、やっぱりかって思ったよ」
桃李は悲しそうに小太郎を見た。
「やっぱりかって?」
「警察は恐らく自殺だろうって言ってたけど。彼女、流産してから塞ぎ込んでたらしい。部下の婚約者だった人だ。気にかけていて、実家に戻った後も、何度か電話して、様子を伺ってたんだ」
「そっか。彼女が自殺してしまったのも、オレのせいだ。オレ彼女に橋の上で「一緒に死んで」って、川に落とされて、結局彼女は死んでしまった」
小太郎は小鳥の目から涙を流した。
「小太郎…」
「桃李。オレ、自分の過ちに耐えられないんだ。オレに罰を与えてくれよ」
「…罰って。小太郎、もういいんだ。充分悩んで苦しんだんだろ?小太郎は鬼だから、法で裁いたりできないよ。鬼だからって理由で容赦なく死罪になるだろうし」
「……」
「小太郎。もし、罪を償うことで、心が軽くなるんなら、おれは、国のために働いてほしいと思う」
「え?」
「おれはこの体だから、もう兵士として戦えない。今、中国との戦争が始まろうとしてるんだ。吉備津隊は鬼を専門に扱う隊だけど、有事の時は、陸軍の一隊として出なきゃいけない。おれの代わりに、国のために戦ってくれるか?」
小太郎は頷く。
「うん」
それからしばらくして、小太郎は軍人になっていた。
太平洋戦争が始まる。




