異界にて ー過去編ー
桃李と話をしていると、扉が開いた。
「な…鬼…⁉︎」
桃李の部下で、彼の想い人である桜だった。
彼女は手に花を生けた花瓶を持っていた。
「出ていきなさい!」
花瓶を小太郎に投げつけた。
大きな音がして割れる。小太郎は水浸しになった。桃李は慌てた。
「桜、小太郎はおれを心配して来たんだ。殺しにきたわけじゃない。落ち着いて」
「そうだとしても、よく顔を見せられるわね。怪我を負わせた本人が。もう桃李さまは戦えない。あなたのせいで…」
「…っ」
自分でも思っていた言葉をぶつけられ、睨みつけたその目に、思わず涙が溢れた。
「何泣いてんの? 私はあなたを許さない」
「…ぅ…ごめ…ごめん…なさ…」
小太郎は、顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「小太郎…」
桃李はまた泣き出した小太郎の頭を、指のない手でヨシヨシと撫でた。
「桃李さま?」
「桜…前に言ったろ? おれは桃太郎の使命とかどうでもいいんだ。鬼は倒さなきゃいけないって、家の命令に従ってたけど、小太郎みたいな、泣き虫で優しい、こんなにも人間味ある鬼を殺すなんて、苦しかった。
もう小太郎を殺さなくていいんだって、おれは、肩の荷が降りた気持ちなんだ」
「…桃李さま」
桜はため息を吐く。
「鬼…ここから出て行って。二度と顔を見せないで…」
小太郎は、顔を上げた。
烏に姿を変えると、窓から飛んで行った。
病院の裏手に周り、人気がないのを確認すると、元の姿に戻る。
前にずっと鳥の姿でいて、妖力をだいぶ消費してしまった事があるからだ。
「う…ふっ…グスッ…」
《小太郎…》
壁に背を預け、涙が止まらず、目をこする。
《ああもう。そんな目こすったらまた腫れるよ》
「うん…う…ヒクッ…」
《ああ…もう…》
朱丸が呆れていると、人の気配がした。
「鬼…見つけた…」
「え?」
息を切らした20歳くらいの女性が立っていた。
「ハア…今…烏になって、桃李さまの病室から出ていったって聞いて…。これでやっと、復讐できる」
女性はカバンから包丁を出した。
「許さない。あなただけは絶対に…」
「…え?」
「私の恋人を殺した」
「殺した…? オレが誰を…」
「覚えていないのね。あなたにとって人を一人殺した事なんて、どうでもいいのね」
「…オレは誰を…」
小太郎は声を震わせた。
「吉備津隊の兵士。あなたが背中を蹴って、背骨が折れた。骨が内臓に刺さって、死んだ。あの日の、唯一の犠牲者だった」
「そんな…」
小太郎は頭を押さえた。
《そういえば、あの神社で鬼化してた時、小太郎は蹴りを入れてた。兵士が2人か3人いたような。あの時の一人が死んだのか》
朱丸が淡々と話す。
「そんな。オレ…殺してたのか…人を…」
《人間って脆いね》
「う…ぐっ…ふ…」
小太郎は口を押さえて座りこむ。
《ちょっと大丈夫?》
「う…ごめ…吐きそう…」
「何を動揺したふりをしているの。鬼のくせに。今までも殺してきたんでしょ」
「違う…オレは…」
ショックのあまり、泣きながら、体が震える。
「彼とは結婚するはずだった。許さない」
女は座っている小太郎に、包丁を突き刺した。
「ぐっ…⁉︎」
胸に刺さった包丁を、女が抜き取る。
「がはっ…ゲホッ…」
小太郎は血を吐いて倒れ込んだ。
「ハアッハアッ‼︎」
《心臓の位置ずらして、助かった》
胸の傷は少しずつ塞がって行く。
「ハアッハアッ…」
「傷…治ったの?」
「…っ」
女は、包丁を振り上げ、振り下ろす。
「ぐ! うぁ! いっ! あぁ‼︎」
女は何度も刺してくる。体に傷が増えていく。
「ハアハア…」
女は疲れたように息を吐いた。
「…ゲホッ…っう…」
少しずつ傷が治っていく。女は舌打ちした。
「この…早く死んでよ…」
「…オレは…死なないよ…簡単には…」
女は包丁を捨て、小太郎に馬乗りになった。
両手で首を掴むと、力をこめる。
「…っ」
「ハアハアッ…死んでよ…一郎さんがどんなに苦しかったか。あんたも苦しんで死ね!」
女の鬼の形相に、“相手を憎んで鬼のようになる”とは、このことかと、朱丸は天が言っていたことを思い出す。
《って…冷静に考えてる場合じゃないよね。小太郎…頑張って》
「ぐっ…う…」
腕を掴んで外そうとするも、ビクともしない。
『ダメだ。傷を治すのに妖力使って、力が…』
《そんな…》
「がっ…ぁ…」
小太郎の体からくたりと、力が抜けた。
「ハアハア…死んだ…やっと…」
女は嬉しそうに立ち上がる。
《いや死んでないし。鬼が人間に首絞められたくらいで死ぬか。気絶してるだけだ。ハアッハアッ…苦しいな。妖力が尽きかけてる。
小太郎も…呼吸が細くなってる。人が来る気配がするし。起こさないと…》
朱丸は深呼吸して、覚悟を決める。
《よし。小太郎…苦しいけど…ごめんね。オイラも、苦しいんだよ。これやると…》
朱丸が、心臓に衝撃を与える。
「がはっ⁉︎ ゲホッゲホッ…うぁ‼︎ 朱…丸…」
小太郎は痛みに呻きながら、恨みがましく名前を呼ぶ。
《ハアッハアッ! ぐっ…痛っ…起こすためだ。オイラだって、やりたくないよ…ゼッ…ハアハア》
「生きてる…?」
女が驚き、呟く。
《小太郎…人が来る。逃げよう》
小太郎は羽根を出し飛んだ。
「ハアッハアッ…っ…苦し…」
飛んでいる最中も、胸元を掴み、フラフラと落ちかけた。
《もう少しで、町の外だから。人も多くないはず。そしたら降りよう。限界みたいだね。神力の米…食べて…妖力…補給しようか》
「…ああ…」
巾着を懐から出そうとした。
《小太郎…手震えてる…大丈夫?》
「…っ…はっ…ぁ…」
ふっ…と意識を失い、小太郎は落ちていった。
《わ⁉︎ ちょっと‼︎》
川の上空だったらしく、落ちたのは川の中。
そこに、近づく影がいた。影は小太郎を川の外に出す。
[ほら…しっかりするんじゃ]
「ゲホッゲホッ…ハアッハアッ…」
《ハアハア…助かった》
小太郎を助けたのは、美しい女性だった。
「苦しい…うぐっ…」
小太郎は胸元を鷲掴んだ。
《妖力が…》
[どうしたんじゃ?]
《妖力が尽きかけて…》
「あの…あなたは…」
[わしは川姫じゃ。おまえが空から落ちてきたんでの…]
「ありがとうございます。助けてくれて…っ…う…」
[ん? 人間かと思いきや、妖怪か…]
《オイラたちは鬼だよ》
[鬼か。魂が二人分存在する人間なんておらんもんな。鬼と言えば、絶滅したと聞いたが。最後の生き残りか]
「ハアッハアッ…痛い…うぐっ…」
小太郎は懐を探す。
「懐に入れてた巾着…ない…」
《そんな…川に流された? 妖力回復できない…》
「いっ…ぐぅぅ…! ヒュッ…ヒュッ…息が…」
小太郎は、再びガクンと気を失った。
[おい! せっかくわしが助けてやったのに、妖力が尽きたくらいで死ぬのか?]
《オイラたちは…ハアッハアッ…事情があって…尽きると死ぬんだ》
[しょうがないの…]
川姫が小太郎に息を吹き込んだ。
「う…ハアハア…」
[わしの妖力わけてやったぞ]
「ありがとうございます…」
[おぬし名前は?]
「小太郎です」
[そうか、助けたお礼にわしと来てくれんか?]
「はい…」
小太郎が返事をした次の瞬間、気が付けば水の中にいた。
「水の中? 溺れる!」
[大丈夫。わしの妖術で溺れんよ]
「あ…ほんとだ」
[ふふ…おぬし、なかなか可愛らしい顔をしておるのぉ。気に入ったぞ]
一方。こちらは先程の川辺。
小太郎が横たわっていた。
周りに背の高い雑草が生えているからか、人に見つからない。
《大変だ。まさか川姫に小太郎の魂連れてかれるなんて…》
小太郎の肉体に残された朱丸は、一人焦る。
《明子さんも小太郎の魂にしがみついていったみたい。オイラがこの体にいるから、小太郎死んではないけど。でも、オイラだけじゃ動くこともできないよ》
[ぐわー‼︎]
《え?》
川から急に現れたのは、鬼魚という化け魚だった。
巨大な体で人間を喰らう。
《く、喰われる⁉︎》
ーバリバリッ
[ギャアア‼︎]
鬼魚に紫色の雷撃が当たった。
《え?》
雷撃を放ったのは天だった。
[烏天狗だと⁉︎ ]
鬼魚は、痛みに耐えて、睨み付けた。
[朱丸!]
《父ちゃん》
[父ちゃん⁉︎]
小太郎の肉体から聞こえる声が、烏天狗を父と呼んだことに、鬼魚は狼狽えた。
《どうしてここに?》
[手下の烏にここら辺を見張らせておいたんだ。烏の目は俺の目と繋げることができる]
《じゃあ、何があったかわかるんだね》
[川姫に小太郎の魂を連れてかれたんだろ]
《うん。明子さんも着いてったぽい》
鬼魚は無視されていることに腹を立てた。
[おい! 俺を無視するな! 川姫が人間の魂を連れて行き、残った体は俺が喰らうはずなのに、なんでもう一人分魂がいるんだ]
《オイラは人間じゃない。鬼だよ》
[鬼…? 言われてみれば、強者の雰囲気]
鬼魚はブルブルと震え出す。
[す、すみませんでしたー! 鬼神さまだとは!]
鬼魚が、大きな体で頭を下げた。
《ふふん》
[朱丸…]
得意気な朱丸に、天は呆れる。
[川姫は異界に行ったのか?]
[は、はい]
天は小太郎の体を抱き上げ、飛んでいった。
[一人生き残った鬼神さまが、烏天狗さまの子ども? さ、最恐じゃねえか…]
鬼魚は盛大な勘違いをして、静かに水の中に戻っていった。
「綺麗な場所だな…」
小太郎は川姫と、川の底の洞窟を抜けた先にある、不思議な場所にいた。
自然豊かな村もあり、町もあり、小太郎たちが住む場所と変わらないように見える。ただ、なんとなく、空気が違う感じがした。
川姫に案内されてきたのは、大きな屋敷だ。美しい日本庭園には、細い川が流れ、綺麗な水にしか育たない、梅花藻が生えていた。
[綺麗じゃろう? 夜には蛍が飛んで、幻想的じゃぞ。ここはわしの屋敷なんじゃ。実はのう…ふふ…ここは異界なんじゃよ]
「異界?」
[妖怪たちの住む世界じゃ]
川姫は“驚いたか”と、イタズラが成功した少女のように笑う。
「驚きました。そういえば、天も時々異界に帰るって言ってた…」
[天?]
「はい。烏天狗のことですが…」
[烏天狗をあだ名で呼ぶなんて、仲が良いのか?]
「はい…まあ…。それにしても、妖怪の世界に来るなんてな。なあ、朱丸」
小太郎が話しかけても返事はない。
「朱丸?」
[ああ、おまえの中の子鬼ならおらんよ。おまえは今、魂だけの存在じゃ]
「え? オレ、死んだの?」
[人間なら死んでおるが、おぬしの場合はもう一つ魂があるからな。子鬼の方が体に残っておるじゃろ]
「……」
小太郎は不安そうに、眉を下げた。
屋敷にあがり、広間に案内された。
綺麗な女中が酒やつまみを並べて、去っていった。
[わしと酒でも飲もう。鬼じゃし、イケる口じゃろ?]
「あの…オレ戻ります」
[戻る?]
「だって、朱丸が心配で。ずっと一緒だったから」
川姫は、酒を一口飲むと、息を吐く。
[その内ここに来るじゃろ]
「どうやって…」
[死んだら来る…]
「…死んだらって…」
[あそこの川にはな、わしと仲良しの魚妖怪がおるんじゃ。きっと今頃喰われておるよ。おぬしの体はな]
「…そっか…」
小太郎は、ため息を吐く。
「死んだのなら…もう…いい」
[ん? なんじゃ? 急に大人しくなって…。まあ、ここで暮らせばええ。本当は人間の魂を攫って食っておったんじゃが。小太郎。おぬしのこと気に入ったんでな。わしと暮らそう]
「はい…」
[ふふ…聞き分けがええの。いい子じゃ…]
川姫は小太郎の頭を撫でる。
「…ふっ…う…グスッ…」
小太郎は泣き出した。
[どうしたんじゃ]
「オレ…人間界にいるの…ホントはいやだった。人間と一緒にいるの、怖くなった」
[怖い?]
「一人、人間を殺した。彼の恋人に恨まれて、殺されかけた。
オレは、彼を殺したことを覚えてないんだ。暴走して本能のまま暴れてたらしい。その時の記憶がない。また誰かを殺してしまったらって、怖いんだ」
小太郎は、胸を押さえた。
「う…ゲホゲホッ…ヒュッ…ヒュッ…」
[おい、どうしたんじゃ]
「う…息が…]
[魂だけの存在なのに、息が苦しいわけないじゃろ。よいか。
体がないんじゃ。息を吸うというのも、おぬしの思い込みじゃ。自分で自分を苦しめておるんじゃぞ。ほら、落ち着け]
川姫が小太郎の背中をさする。
「ハアハア…っ…う…グスッ…うぁぁ…」
小太郎は声をあげて泣き、目元をこする。
[鬼なのに人間を殺したことで悩むとか。まあおぬし、魂は人間でもあり鬼でもある。どっちつかずなんじゃな]
川姫に言われ、ピクリと反応した。
「オレの魂は、人間でもあり鬼でもある?」
[そうじゃな。気づいてなかったのか?]
「オレ、完全に鬼になったわけじゃなかったのか…」
魂に人間の部分が残ってることに、小太郎は安堵した。
[小太郎は、元人間なのか?]
「うん」
[なるほどな。じゅる…]
川姫は、唾を飲み込む。
ー鬼と人間が混ざった魂か。
もし喰ったら、わしに強い力が手に入るかも。あーでも小太郎と夫婦のように暮らすのも良いなー
川姫が小太郎を見つめ、そんな事を考えていると、小太郎が視線に気づく。
「何か?」
[いや…さあ、酒を飲め。いやなことは忘れてしまおう]
夜に寝室に案内され、お酒で酔った小太郎はすぐに眠った。
「小太郎さん…小太郎さん」
「ん…んん…?」
呼びかけてきたのは、明子だった。
「あれ? 明子? なんで」
「小太郎さんの魂にしがみついてたから、私もこっちに来れたの」
「そっか」
明子の手を握る。
「触れる」
「そりゃ、魂同士だし…」
「う…グスッ…明子…ヒクッ…ふぅぅ…」
「あーもう泣かないで。川姫に聞こえちゃう」
ーガラッ
扉を開ける音がして、川姫が入ってきた。
明子は慌てて、光の玉になって隠れた。
[小太郎?]
「う…グスッ…川姫…」
[泣いておるのか]
「う…」
[わしが慰めてやるぞ。ふふ…ん…]
川姫が小太郎に口づけた。
「ん…ぁ…」
長い舌で、小太郎の口の中を舐める。
[ん…うまいの。おまえの精気は…]
近くで明子が見ているのだ。小太郎は慌てる。
「ハア…ハア…ちょっ…んん!」
川姫は、さらに口づけを深くした。
「ハア…ハア…ぁ…」
トロンと蕩けたような瞳をする小太郎。
[一緒に暮らしていくのもいいかと思ったが、やはり喰ってしまおうかの…。どうじゃ?」
「はあ…はい…」
ーパンッ
乾いた音がした。明子が小太郎を叩いたのだ。
「あ、明子…オレは何を?」
小太郎は頬をさする。別に痛くはない。
[なんじゃおまえ]
「私は小太郎さんの妻です」
[人間じゃろ? しかも、もう死んでおる]
「私、目の前で小太郎さんが、堂々とこの人と接吻をしてるのなんて、気にしてないから」
「いや、気にしてるだろ。それ…」
突然明子の周囲が冷え、氷が張っていく。
「え?」
[人間のはずなのに、雪女みたいじゃな]
「私の前世は、妖怪だったの。こっちに来たら、思い出した。雪女だったみたい」
「明子…」
「逃げるよ」
小太郎は明子に手をひかれ、屋敷の庭に出た。
夜に川辺を飛ぶ蛍の美しさも、今は目に入らない。
[待て!]
追いかけてくる川姫。走って逃げる中、小太郎が転んだ。
「あ…」
「小太郎さん」
「ハアハア…力が…」
[ふふ…さっき精気を喰ったからな]
「立てない…」
明子が、氷の粒を作り、川姫にぶつけた。
[冷たいのぉ…]
「小太郎さんは私の旦那さまなんだから! あなたなんかに渡さない」
[もう面倒じゃ! 一緒に暮らそうと思える男に出会えたと思うたけど、やはり喰ろうてくれる]
川姫は龍の姿になった。
「水龍?」
[これがわしの本当の姿じゃ。そこの女共々、喰ってやろうぞ]
口を開けて、水龍が襲ってきた。
明子は倒れている小太郎に覆い被さる。
[待て!]
低い声に顔をあげると、天が飛んでいた。
「天…⁉︎」
「天ちゃん」
天は水龍の前に立ち塞がった。
[烏天狗!! 邪魔をするな!妖怪界では人間を攫って喰っても、文句はないはずじゃぞ。まあこやつは半分鬼じゃが]
[それがそうもいかんのだ。小太郎は俺の息子だからな]
[息子?]
水龍は訝しげに聞く。
[いや待て。烏天狗。こやつは鬼じゃ。おまえと血のつながりはないぞ]
[ああ。だが小太郎は元人間だ。死にかけた所をコイツが助けた]
朱丸がひょっこり顔を出した。
「小太郎」
「朱丸!」
「心配したよ」
「ごめん…う…体に力が入らない」
「小太郎さん」
明子は小太郎に口づけた。
「精気…? ありがとう。力が戻った」
[小太郎、おまえが俺の息子だという証を見せろ]
立ちあがった小太郎に、天が言う。
「ええと…ああ…」
小太郎はバサリと羽根を広げた。
羽根を一枚手に取ると、錫杖と呼ばれる杖に変えた。
天に掲げると、雲が現れ、雷鳴が轟いた。
[んん! いや…わかったわかった。息子なんじゃな! わかったから、雷落とさんでくれ]
水龍は慌てたように、叫んだ。
[いや…俺に言っても…アイツに聞こえてないし]
天は苦笑した。
[え⁉︎]
小太郎は錫杖を下に向けた。
紫色の雷が、水龍に命中した。
[ギャア‼︎]
倒れた水龍は、ビクビクと震えた。
[し、痺れる…]
「紫色の雷って、烏天狗とか、天狗族にしか使えないんだよな?」
[そうだな]
小太郎が確認するように聞くと、天は頷いた。
[じゃあ、烏天狗は人間との間に子をもうけて…死にかけたそやつに…子鬼が入って生きながらえたっていう…ややこしいことになったんじゃな?]
水龍が泣きながら言う。
[そうだな…]
[帰ってくれ…]
小太郎は水龍の鼻先を撫でた。
「水龍…いや…川姫…ごめん。痛かったよな。川に落ちたの助けてくれたのに…」
[な、なんじゃ…。わしはおまえを喰おうとしたんじゃぞ]
「うん…」
水龍は頬を染めた。
[ふん…さっさと帰らんか…]
小太郎たちは屋敷を後にした。
この妖怪たちの世界で、天が住む家は、農家の集落にあるらしい。
皆でゆっくりと田んぼの広がる道を帰った。
「水龍、騙しちゃったね」
小太郎は笑った。
[ああ言っておけば、もうおまえを狙ってこないだろう。それに、おまえが俺の息子だと言ったのは、嘘じゃないだろ?]
「うん…」
小太郎は恥ずかしそうに、嬉しそうに微笑った。
天の住む家は、大きな屋敷だった。
「大きい…」
朱丸が呆けた。
[まあ、水龍の家ほどじゃないが…]
「それでも、一人で住むには広すぎじゃ…」
小太郎が言うと、天は少し寂しそうに頷く。
[昔は、家族が一緒だったんだ。300年くらい前までは。妻と子供たちと、使用人がいて。人間界で戦に巻き込まれて、死んでしまった。烏の妖怪だったんだが]
「そっか…」
家に入ると、朱丸が横になった。
「朱丸…人ん家に入って急に横になるなんて、失礼じゃ…」
小太郎がたしなめる。
「だってオイラすごく疲れた…」
[いいんだ小太郎。寝かせてやってくれ。朱丸は、おまえの体を守るため、意識の大部分を体に残してきた。こっちにいるのは意識の一部だ。疲れやすくもなる]
「…ごめん。そんな事になってるなんて…」
「そんなこと出来るんだね」
明子が感心した。
「オレの体って、今は…」
[俺の社がある洞窟に隠してある。一応生きてはいるが、あまり長いこと放っておくのはダメだぞ。朱丸にも限界がくる]
「…うん」
[まあ、おまえたちは俺の家族だ。気にせずくつろいでいい]
「天ちゃん…」
明子が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、小太郎と明子お姉ちゃんは夫婦で、オイラはその子どもで、父ちゃんはおじいちゃんかな…」
朱丸が言うと、小太郎は吹き出した。
[おじいちゃんはちょっとな…]
天は困ったように頭をかく。
朱丸が眠そうなので、布団を敷いた。
「ん〜、明子お姉ちゃん…オイラと一緒に寝よう」
朱丸が目をこすりながら、明子の着物のすそを引いた。
「うふふ。いいよ。朱丸ちゃんて、声だけはずっと聞こえてたけど、こんなかわいい子だったなんて」
「オイラ、かわいい?」
[かわいいよ]
天もヨシヨシと頭を撫でた。
実際朱丸はかわいい容姿をしている。
天然っぽいクルクルと巻いた赤い髪と、クリクリとした大きな瞳が、よく女の子に間違えられていたなと、小太郎は思い出す。
「オイラ…寝るの久しぶり…小太郎の中では、眠ることなかったもん」
布団に入って、明子に頭を撫でてもらう。
朱丸は、すぐに眠りについた。
「うふふ。かわいい…。私たちに子どもがいたら、こんな感じかな?」
「そうだね。明子…」
小太郎は、明子に口づけた。
「…小太郎さん」
「明子に触れられる。嬉しい…」
「ふふ…。私も嬉しい」
「あの…川姫との接吻は…ごめん」
「いいよ。小太郎さん様子変だったし、ちょっと操られてたのかもね」
「うん…」
ちゅっ…ちゅ…と、明子にキスをして、そっと着物のエリをずらした。白い肩があらわになる。
「あ…ちょっと…小太郎さん」
「明子…」
ハア…と熱い吐息を溢す小太郎。
[ゴホン]
天が後ろに立っていた。
「あ…」
[そういう事をする気なら、奥の部屋行ってくれ]
「あ…はい」
「もう…」
明子は小太郎をジト目で見て、着物のエリを直した。
翌日朝。ご飯を食べる。
「ご飯を自分の口で味わって食べれるなんて、久しぶり」
朱丸は嬉しそうに食べる。
「そういえば、魂なのにお腹がすくんだな」
[ああ。この妖怪界は、人間界と生活もたいして変わらん。魂が極楽浄土に行った時は、どうなるかは知らんが…]
「ふーん」
「魂になってもご飯食べられるなんて、嬉しいよ」
明子が言う。
「うん。そうだよね。おかわり」
朱丸がお茶碗を出した。
「はいはい」
明子がよそってやる。
せっかく妖怪の世界に来たので、天が案内してくれることになった。
村の中を歩くと、たくさんの妖怪たちに声をかけられた。
[烏天狗さま。お久しぶりでございます。そちらの方がご子息ですか? ええと、お子様三人いらっしゃるので?]
村人が、小太郎たちを見て言った。
[ああ、まあな]
村人が去って、明子が言った。
「私たち天ちゃんの子どもで、三人兄妹って思われてるのかな?」
「兄妹か…」
朱丸は嬉しそうに呟く。
[昨晩のことなのにもう噂が…。まあ俺の子ってしといた方が、色々都合がいい。明子は特に人間だしな。人間と知って悪さするやつもいるから…]
「でも明子、前世雪女なんだよな? 妖術使ってたし」
[雪女? そうだったのか。どうりで霊力の高い人間のはずだ。前世を思い出して、妖術が使えるようになったのか]
天が納得したように頷いた。
町に行っても、天は妖怪たちに声をかけられていた。
「天って、みんなに“烏天狗さま”って、慕われてるんだな」
「父ちゃんって偉い人?」
[俺は一応、ここら一帯の領主的な仕事をしているんだ。悪さする妖怪を捕まえたりとかな。まあ、基本平和だから、俺も農作業を手伝ったりしてる。最近はずっと人間界にいたし、俺がずっとこの場所にいなきゃいけないわけじゃないんだが、たまには帰らないとな。俺がいないと悪いことするやつが、のさばるからな]
家の方に帰ってくると、たぬき妖怪の子が二人遊んでいた。鬼ごっこをしているようだ。
「あ…」
朱丸は二人を見て、羨ましそうに指を咥えた。
「遊びたい…」
「遊んでこいよ。でも、あんまりはしゃいで倒れるなよ?」
「うん」
朱丸は二人の所に行った。
たぬき妖怪の子は、朱丸が烏天狗の子だと思っているのか、気後れ
しているようだ。
「そんな緊張しないで。オイラ、父ちゃんの本当の子どもってわけじゃないんだ」
朱丸は二人と打ち解け、楽しそうに遊んでいた。
急に電源が切れたように、朱丸が倒れた。
小太郎は、慌てて朱丸を家の中に運んだ。
「ハア…ハア…」
「朱丸…大丈夫か?」
「うん…ごめん。なんか…体が重い」
[疲れが出たんだ。向こうの意識に影響が出ないように、活動限界を知らせてる。こちらでは無理したらダメだ]
「うん…ごめんなさい。遊びに夢中になっちゃって」
明子は朱丸の額に手を置いた。
「明子お姉ちゃんの手、冷たくて気持ちいい」
「熱が出てきたみたいね」
桶に水を張って、雪女の術で氷を作った。氷水に手ぬぐいを浸し、朱丸の額に乗せる。
[便利だな…]
天が言った。
「…朱丸…ごめんな」
「ん? なに小太郎」
「オレの体守るために…」
「うん。まあ、オイラの体でもあるし…」
「でも、思い切り遊びたいんじゃないか? 朱丸は、まだ小さい内にオレの中に入ったから]
「まあ、そりゃね」
小太郎は思い詰めた顔で俯いた。
小太郎の様子に、天と明子は、顔を見合わせる。
「いっそのこと、体を捨てて、みんなでこっちで暮らしたら…」
「…それもいいのかもね…」
朱丸が珍しく賛成した。天と明子は複雑な表情で、小太郎と朱丸を見ていた。
次の日の夕方。お祭りがあるとのことで、元気になった朱丸と、小太郎、明子、天は、神社に来ていた。
天は「まずはお参りだ」と、出店を覗こうとした朱丸を捕まえた。
ここの神さまは狐妖怪らしい。社から出てきた、狐の耳と尻尾が生えた神さまは、見た目が幼い女神さまだった。
「え…神さまって…実体化してるんだ」
「かわいい」
小太郎と明子が感想を言う。
[実体化? ここは妖怪界じゃぞ。神さまが普通にいても、誰も驚かんよ。じゃから、わしは普段から姿を見せておる]
狐の神…天狐さまは、次に明子を見た。
[かわいいのは…あたり前じゃ。わしは、この可愛さで、妖怪たちに愛されておる]
「はあ…」
失礼なことを言ったかと思った明子は、気が抜けた。
[で? 烏天狗よ。おぬしまた長いこと人間界に行っておったな]
[ああ。まあな。最近大切なものが増えてな]
天は、三人を見た。
[なるほど…。おい、そこの小太郎とかいう小僧]
「は、はい…」
[息子などと嘘をつきおって、川姫もよく騙されおったな]
「すみません…」
小太郎は頭を下げた。
[いや、別に怒ってるわけじゃないんじゃ。よく騙せたなと感心しておるんじゃよ。鬼が妖怪の力を自分のものにすることができるのは、アヤツも知っておったろうにな]
[まあ俺のような神に近い妖怪が、そう簡単に力を奪われることがあるとは思わないのだろう。まあ小太郎には、俺が自分から渡したからな。俺の大事な娘が惚れたやつだから]
[また人間に心を奪われおって。おまえも懲りないの。別れが来るたび泣いておったくせに]
「そうなんだ?」
明子が微笑むと、天は恥ずかしそうにくちばしを触る。
そこに角が生えた20代後半くらいに見える、優しそうな女性が現れた。
[朱丸ちゃん]
「お姉ちゃん、誰?」
[いつも夜に一緒に遊んでるでしょ?]
朱丸の頭の中で、霞がかった不思議な存在が、目の前の女性と重なった。
「あ…そうだ! いつも遊んでくれるお姉ちゃんだ」
朱丸がお姉ちゃんと呼んだ彼女は、小太郎たちには面識がなかった。
「朱丸、誰?」
「小太郎が寝てる間、遊んでくれるお姉ちゃんだよ」
「オレが寝てる間?」
[ああ。朱丸はおまえの中で眠ることがないから、夜は誰かと遊んでもらっていたと言ってた。まさか、鬼神さまだったとはな]
小太郎と朱丸は顔を見合わせた。
「「鬼神さま⁉︎」」
二人で同時に声を上げる。
[そうだよ。鬼神だよ]
鬼神は、のんきに手を振った。
「ええと、鬼神さまって確か…神話の時代に神の資格を剥奪されて、人間と妖怪の中間の存在になったっていう?」
明子が首を傾げる。
「てっきり男の神様で、すごく怖いのを想像してた」
[勘違いされるのよね。私、こんなに優しいのに。ねえ、朱丸ちゃん?]
「うん。お母ちゃんみたいなんだよ」
[お母ちゃんって呼んでもいいのよ?]
「ほんと? オイラずっとそう呼びたかった」
鬼神は朱丸を抱き上げた。
「えへへ。お母ちゃん」
天狐さまは、ジト目で鬼神を見た。
[何が優しいじゃ。おまえの悪名は、その時代からおる神に聞いておるぞ。村で出た罪人を喰っては、力を取り込んでおったそうじゃな。悪い心を持ってる人間を喰うと、強い力を使えるとか]
[それは…]
鬼神は萎縮した。
[村に疫病を流行らせて、全滅させたこともあるらしいな]
[ちょっと! 黒歴史なんだから!]
恥ずかしそうに顔を覆った。
「……」
小太郎たちはポカンとして、話を聞いていた。
[子どもたち、ドン引きしておるぞ]
[うわーん]
鬼神は座り込む。
「それで神さまじゃなくなったんだね。その後はどうしてたの?」
朱丸が聞く。
[人間界で、妖術を使うために、死罪にされそうな人間を喰って、角を隠して、人間と結婚して、鬼の子を産んで、人間が死んだら、また他の人間と結婚してた。長生きだから何百年て。そんな感じでたくさん子孫残して死んだのよ]
「じゃ今は霊体なんだ?」
[コヤツは転生できるのに、ずっと魂のままなんじゃって]
天狐さまが言う。
[だって鬼以外に転生したくないし…。鬼には転生させないって、神さまに言われたから]
鬼神は困ったように頭をかく。
「オレが寝てる間遊んでくれたって、鬼神さまはずっと近くにいたんですか?」
[うん。朱丸ちゃんが赤ちゃんの頃からずっと見守ってた。
私死んでから子孫を見守ってたんだけど、最近数が減ってきたから、子孫の中で一番若い子に取り憑いてたんだ。
桃太郎一族に倒されて全滅は避けたくて。元神様でも、今はただの霊体だし、小太郎くんや朱丸ちゃんが殺されそうな時も、何もできなかった。生きてる者に干渉できないし]
「そっか…」
朱丸は頷く。
[朱丸ちゃんが秘術を使った時、力を貸ししたの私なんだよ。朱丸ちゃんの肉体を小太郎くんの心臓に、魂を力にって]
「じゃ、オイラの肉体は小太郎の中に入ってたのか」
[朱丸ちゃんはまだ小さいから、ずっと心臓の中で大人しくさせてるのもかわいそうだなって思って。
小太郎くんが感じた事、五感を…匂いとか味とか触った感触を、朱丸ちゃんにも伝わるようにしたんだ。
痛いのとかは伝わらないようにしてる。心臓以外はね。
心臓は朱丸ちゃんの体だから…]
小太郎は鬼神の説明に納得した。
鬼神は小太郎を見ると、真剣な顔をする。
[小太郎くん。君さ肉体を捨てて、ここで暮らそうと思ってるんでしょ]
「はい…」
[酷いよ…。最後の生き残りなのに。子孫みんな死んで鬼が絶滅しちゃうじゃない]
「ええと?」
小太郎は困惑した。
[子供作ってよ。鬼の子産んでよ。私の子孫誰もいなくなっちゃう]
泣きそうになる鬼神。
「お母ちゃん」
朱丸は辛そうに呟く。
[あのね。今肉体を捨てるって判断するのは、自死と同じ事。だってまだ生きてるんでしょ。
小太郎くんが肉体を手放した時点で、明子ちゃんは極楽に行くからね。小太郎くんと朱丸ちゃんは、一緒に行けないよ。小太郎くんは地獄。朱丸ちゃんは、ここでも極楽でも好きなとこに行けるけど]
「そんな…」
「そっか。じゃあ人間界に戻って、ちゃんと生きるしかないね」
朱丸が言うと、小太郎は複雑な表情をした。
お祭りを楽しんで家に戻る。
[明日にでも、人間界に戻るか?]
天の言葉に朱丸は頷く。
「そうだね」
「うん…」
[小太郎は、戻りたくなさそうだな]
「うん…」
俯く小太郎に、天は頭を撫でた。
[人間界とこちらの時間の流れは違う。こちらでは、三日経ったが、向こうは一晩経ったくらいだな]
「じゃあ、もう少しこっちにいても…」
[朱丸の精神に疲れが見える。元気そうに見えても、負担はかかってる]
朱丸を見ると、お祭りでお土産にしてもらったわたあめを食べていた。目の下にクマが出ている。
(こちらではたっぷり眠っているはずなのに。意識を一部切り離しているというのは、思ったより負担が大きいのかもしれない)
小太郎は、息を吐く。
「わかった。戻る…」
[不安なのか?]
「うん…」
[言ってみろ]
小太郎は、不安げに瞳を揺らした。
「…オレ、人間が怖い」
「怖いの?」
明子は、ベタベタになった朱丸の顔を拭いた。
「鬼化して、暴走して、知らないうちに一人殺してた。殺した彼の恋人に、刺されて殺されそうになって」
「うん…」
明子と朱丸は、実際に場面を見ていたので、納得したように返事をした。
「また理性失くして、知らないうちに人間を殺したりしたらって、怖いんだ」
[そうか…烏に見回らせていたが、おまえが、刺されたのは知らなかった」
天が言う。
[小太郎。人間が怖いなら、山籠りすればいいんじゃないか? 俺の住処で一緒に過ごせばいい]
「…いいの?」
[ああ。これから冬になるし、一人より暖かいだろ?]




