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鬼の心臓は闇夜に疼く  作者: 藤波璃久
12/17

過ちと後悔 ー過去編ー

自殺の表現があります。欠損の表現があります。

苦手な方はご注意ください。


 山から下りる前、小太郎は裸足だった。

明子の葬式をしていた和室から、天に担がれてきたのだ。

鬼蜘蛛が糸で草履を作ってくれた。

それを履いて町まで来たが、正直履き心地が悪く、鬼蜘蛛には悪いが、早々に履き替えることにした。蜘蛛の糸を使っているからか、足がベタベタする。

 質屋で古着の着物、草履を買う。背広のポケットに財布を入れておいてよかった。大した額は入れてなかったから、服を買い替えたら無くなってしまった。

血だらけの背広とズボンを捨てた。中に着てたシャツは少し血がついているが、上から着物を着ると見えなくなる。

『少し経ったら、家に戻れるかな? この町から出るにしても、色々置きっぱなしだし』

《うん。当分の生活費もないしね。貯金あるの?》

『少しは家に隠してある』

《そっか》


 「だから盗ってないって言ってるだろ!」

裏路地から少年のような声が聞こえた。

「ん?」

《行ってみる?》

小太郎が裏路地を覗くと、着流し姿の男が少年の胸ぐらを掴み、壁に追いやっていた。

「あれ?」

少年は前に会った吉備津桃李だった。

『お供もつけずに歩いてたのかな?』

《そうかもね。桃寿郎はいつも、部下が一緒にいたし…。見たところ、刀らしいものも持ってなさそう》

『15代目って言ってたけど、この前も破鬼の剣持ってなかったし、オレを倒す気あんのかな?』

軍服を着ていないので、お休みの日なのだろう。

「返せ!」

「おれが盗った証拠ないだろ? それにそんな、はした金盗らないよ。おれん家金持ちだし…」

「はした金だ? 結構入ってたわ。くそ…」

男は、桃李の首に手をかけた。

「やめ…」

絞まる首に、苦しそうな桃李。

「やめろ!」

小太郎は男の手を掴んで外す。

「ゲホッゲホッ」

桃李が座り込んだ。

「鬼…?」

「なんだ、おまえ…」

「コイツは他人の物を盗むようなやつじゃない。それに、名家の生まれだ。金には困ってない」

「そうかよ!」

男は小太郎に殴りかかる。小太郎は拳を手で受け止めた。

「ん⁉︎」

掴んだ男の手をギリギリと締め付ける。

「痛っ! 離せ!離せよ!」

小太郎が手を離すと、男は手をさすりながら笑う。

「ケヒヒ…兄ちゃん強ぇな…。おもしれー」

(コイツ変だ。目の焦点があってないし、何かクスリでもやってるのか?)


男が懐から短刀を出し、鞘を抜いて、小太郎に向かってきた。

小太郎は、男の刀を手刀で落とそうと、腕を振った。

「痛ぇ! 痛い痛い!俺の手が!」

刀だけじゃなく、男の手も落ちた。手首からは血がドクドクと、流れる。男は、座り込む。

「え⁉︎ オレ…」

小太郎は朱丸に問うた。

『力加減を間違えたのか。いつもの強さで攻撃したつもりなのに』

《明子さんの霊力を喰べた分、力が増してるんだ。いつも通りにやったら、人間死ぬよ》

『そういう事は、早く言えよ』

小太郎は落ちた男の手を彼の手首にくっつけて、治癒の力を使った。元通りになった手に、男は震え上がり、血を流したせいでフラフラしながら、逃げていった。


「鬼…」

桃李が今の光景に呆然としながら、小太郎に近づく。

小太郎は立ち上がろうとした。

「う…ぐっ…」

胸を押さえて、再び座り込む。

「鬼…大丈夫?」

「ハアッハアッ…敵を心配するのか?」

「そっちだって、おれを助けたくせに」

「そうだな…。うぁ…痛い…ぐぅ…」

《小太郎さっきの男の血を舐めて》

『うん』

地面に落ちている血を指につけて舐めた。

「う…」

桃李が、口元を押さえた。

「ん? 気分悪い?」

「いや、人の血舐めてんの見て気分いいわけない」

「ああ…妖力回復のために必要でね」

「…美味しいの?」

「鬼にとってはね…」

「あんたは、元人間で、鬼が心臓に住んでいて、妖力がなくなると鬼が暴れるって聞いた」

《はあ? どこからそんな情報…》

朱丸が憤慨する。

「桃寿郎が言ってたの?」

「うん」

「オレは人間だった時、桃寿郎に斬られてね。死にかけたんだ」

「え? 父さまが…?」

「その時友達の子鬼がオレの中に入って、心臓を動かした。それからずっと子鬼が動かし続けてる。でも、妖力が減ると子鬼は動けなくなっちゃうんだ。今男の手を治したから、力使って、なくなって…。妖怪を喰べたり、人間の血で回復できるんだ」

「そっか…」

「そういえば、桃寿郎の病気どうなった?」

「…持ち直したけど、治ったわけじゃなくて、今も寝たきりだよ。

あのあと、結局薬草も見つけられなかった。今は、こっちに建てた別荘にいるんだ。空気が綺麗な所で療養するのが一番だって」

「そっか…」

「鬼は…奥さんは?」

「亡くなったよ」

「そう…」

桃李は悲しそうに目を伏せた。

小太郎は思い出したように言う。

「お供は一緒じゃないの?」

「今日は一人で買い物に来たんだ。贈り物を選びたくて」

「へー。刀は持ってないの?」

「うん…」

「それじゃオレと遭遇した時、倒せないだろ?」

「…おれ、おまえの事、悪い鬼だって思えない。この前もだけど、今日も助けてくれたし」

「…オレは人間に危害を加えたりしないよ。でも、桃寿郎は聞く耳持ってなかったな」

「……」

「じゃあな」

小太郎が行こうとすると、桃李は腕を掴んできた。

「ん?」

「一緒に贈り物選んでくれない?」

「え?」

「女の子に渡すものなんだけど、よくわからなくて…。その、おまえ結婚してたんだし、わかるかなって」

「……別にいいけど。その前に、おまえって言う呼び方はやめろよ」

「名前、知らない…」

「小太郎だよ。鬼山小太郎」

「小太郎…。わかった」


 贈り物を渡す相手は、幼なじみだという。

彼女は桃李の部下で、猿女の娘らしい。

《猿女って、あのおじさん? どんな子?》

朱丸が、クフフと笑いながら聞いた。

猿女は大柄な男だった。その娘と聞いて、失礼な想像をしているようだ。基本朱丸の想像は小太郎には伝わらない。

「どんな子?」

「あ、写真見る?」

桃李が、革の財布を出して、仕舞ってある写真を取り出した。

吉備津隊のみんなで撮った集合写真のようだ。

「この子…」

桃李の隣に座る、小柄な少女。

「かわいい…」

《うそだろ…》

朱丸は、猿女と似てない少女に呆然とした。

「おれの左隣の男二人が、犬養と鳥取の息子だ」

少し年上らしい、中々美丈夫な少年が写っていた。

「部下の三人が15代目襲名のお祝いをしてくれてさ。犬養と鳥取は男だし、お礼の贈り物はすぐ決まったんだけど、彼女のは決められなくて…」

頬を染めて照れながら話す桃李。

「桃李はこの子が好きなんだ」

「うん。できたら結婚したいけど…」

「けど?」

「おれには許嫁がいるんだ。家が決めた相手がね」

「そっか…」

二人は店を周った。小太郎が勧めた桜の髪飾りを買うことにした。

「桜…。実は彼女の名前も桜なんだ」

「そっか」

「気になってたんだけど、小太郎がしてる指輪って結婚指輪?」

「ん? ああ…亡くなった妻が選んだんだ。桜の模様がかわいいって」

「へー」

桃李は眩しそうに眺める。

「もし、彼女に結婚を申し込むなら、この指輪作った店、紹介しようか?」

「…いいよ…。彼女とは結婚できないから…」

桃李は哀しそうに肩を落とした。


「ありがとうな。付き合ってくれて」

「ああ」

桃李は悲しそうに、目を伏せる。

「どうした?」

「…小太郎がいいやつってわかったから…おれはおまえを殺したくない」

「……」

「でも、吉備津隊のみんなといる時に小太郎に会ったら、おれは刀を抜かなきゃならない。せっかく友達になれたのに」

「変なやつだな。桃李は…。鬼と友達だなんて…。桃太郎の子孫なのに」

「関係ないよ。鬼でも妖怪でも…。友達になりたいって思ったらダメなのか?」

桃李の言葉に、小太郎は明子を思い出す。明子も妖怪と友達になって遊んでいた。自分が鬼だと明かしても、好きだと言って結婚してくれた。

「…ダメじゃないよ。ごめん。明子も…死んだ妻も…妖怪と友達になってた。オレが鬼だって知った上で、結婚してくれた」

桃李は目を丸くした。

「奥さん、すごいね。鬼だって知って結婚するなんて」

「うん…」

懐かしそうに微笑む小太郎。少し涙を流す。

「あ…」

桃李は、ポケットからハンカチを出した。一緒に折りたたまれた紙が落ちる。

気づかず小太郎にハンカチを渡した。

「ありがと…。何か落ちたけど?」

「あ…」

紙を拾う桃李。涙を拭って、使ったハンカチを桃李に返す。

「それなに?」

「剣道大会のお知らせ」

「桃李が出るの?」

紙を見せる桃李。

「軍の偉い人が見に来るんだ。東京の大きい神社でやるんだよ。仲間も見に来るし、もし当日の体調が大丈夫そうなら、父さまも見にくる…」

「そっか。オレも見に行っていい?」

「…小太郎、吉備津隊みんなに顔割れてるんだ。危険だから…」

「遠くからならいいだろ? オレ、人間より目がいいから」

「…まあ遠くからなら…」

小太郎が大会を見に来るのが、本当は嬉しいらしく、桃李の口元が緩んだ。


 小太郎は、一度家に戻った。

村人に見つからないよう、夜にこっそりと。

隠しておいた貯金を財布に入れた。

葬式をしていた部屋を見てみる。

明子の骨は無くなっていて、葬式の道具などは片付けてあった。

村人が片付けたようだ。

残っているのは、血が飛んだ壁や床。それと、穴の空いた天井。

明子の骨は、村人が墓に入れてくれただろう。

小太郎は、辛そうに顔を歪めた。

夜が明ける前に家を出て、とりあえず、東京に向かうことにした。


 大会が行われる東京の神社。境内には、たくさんの人が集まっていた。

よく晴れた空を背に、小太郎は、木の上から眺めた。

『たくさんいるな。桃李はどこかな?』

大人たちの見物人の真ん中で、集まる防具をつけた若者たち。その中に桃李はいた。

『いた。なんか緊張してるみたいだ』

その近くには、車椅子に座る桃寿郎がいた。傍らには奥さんらしい女性が立って、桃李に小さく手を振っている。

『桃寿郎…』

《なんかくたびれてるね》

朱丸が、バカにするように言う。

『…随分痩せたな。それに、だいぶ老けて見える。やっぱり、病気のせいなんだろう…』

10年前の彼からは、想像つかない姿に、小太郎は胸元を握りしめた。

《……》

晩年に、痩せて衰弱していた明子と重ねているのだろうと、朱丸は口をつぐんだ。

『空気の綺麗な所で療養って、桃李が言ってた。明子と同じ病気なんだろうな』

《小太郎…》

辛そうな声を出す小太郎に、朱丸は複雑な気持ちになった。


 試合は個人のトーナメント戦のようだ。

桃李の出番が来た。一回戦、二回戦と勝ち上がる。三回戦目で、相手に二本取られ、負けてしまった。

「負けちゃったな桃李…」

木の上から見ていた小太郎は、少し悔しそうに言った。


桃李は、面を取って、桃寿郎の元に向かう。

彼は父に頭を下げると、社務所の方に向かった。どうやら、そこを選手の着替え場所として貸しているようだ。

着替えを終えた桃李は、裏の(かわや)(トイレ)に入った。

小太郎は、社務所の裏なら見つからないと思い、そこに下りて桃李を待つ。

「桃李…」

「小太郎」

厠から出てきた桃李に手を上げて挨拶した。

「見に来てくれたんだ」

「うん。木の上から見てた。惜しかったな…」

「うん」

桃李は悔しそうに唇を噛む。


「桃李さん?」

桃李の後ろから、和服姿の優しそうな女性が声をかけた。

「母さま…どうしてこちらに?」

「どうしてって、厠に来たのだけど?」

桃李の母は不思議な顔をした。

「そう…父さまは?」

「今、お知り合いの方とお話しされているわ。ええと、そちら桃李さんのお友達?」

母は小太郎を見た。

「はい。友達です…」

桃李が言うと、母は軽くお辞儀をした。小太郎もお辞儀を返す。

「母さま。厠に行かなくてよいのですか?」

「ああ、そうだったわ」

母が厠に入ると、桃李はホッと息をついた。

「母さまも、小太郎の似顔絵を見てたはずなのに、気づかなかったな」

「ぐっ…」

桃李の後ろで、小太郎が苦しそうに胸を押さえて蹲った。

「え? 小太郎、どうした?」

「ハアハア…妖力…急に…なくなって。何かに…吸われたみたい」

「え…? まさか、母さまが?」

厠の扉が開く気配がした。

「母さまが戻ってくる。小太郎、こっちに隠れてて」

桃李は、厠の裏の茂みに小太郎を連れて行った。

「ハアハア…う…ぐっ…」

《ゲホッゲホッ…ここ臭い…》

朱丸も、辛そうに息をした。


 桃李は母と試合会場に戻る。

「父さま。お話しは終わったのですか?」

「ああ」

「それじゃ、もう帰りませんか?」

「決勝を見て行かないのか? 優勝候補は幼年学校の同期生だろう?」

「…そう…ですね…。でも、父さまのお体が、心配なので…」

桃寿郎は、そうだな…と、優しい息子の提案に乗ろうとした。

「変ね。腕輪が熱いわ。さっきから妙に熱いのよね」

桃李の母は手首を出した。彼女の腕を一周する細い金の腕輪には、細かい模様が入っている。

一見、おしゃれなアクセサリーだが、桃李はその模様を見て愕然とした。

「母さま。これは…」

「お父さまから頂いたの」

嬉しそうな母に、桃李は父を振り返る。

「美代子。貸しなさい」

母、美代子は桃寿郎に、腕輪を渡す。

彼は「ほう…」と感心した。

「これは、妖力を吸ったようだね。と言う事は、美代子の近くに鬼がいたという事だ」

「まあ…この腕輪…そんな事ができたのですか」

美代子の様子から、この腕輪の用途は知らされてなかったようだ。

「父さま。その模様は、呪術の一種ですね」

「よくわかったな。桃李。これは、鬼の妖力を吸いとる呪具だ。最後の生き残りの鬼は、妖力を必要とするようだからね」

「…いつそんな呪具を…」

「僕が一族の、職人達に作らせた。昔から道具を作るのを得意とする、吉備津家の分家の一族にね」

「……」

桃李は父がこのまま帰るはずがないと確信した。鬼が近くにいると分かれば、必ず探しに行くだろう。

「父さま。鬼はおれが探しますので、父さまは母さまとお帰りになってください」

「もしかして、さっきのあの子が鬼なのかしら…」

美代子が呟く。

「あの子とは?」

桃寿郎は呟きを逃さなかった。

「先程、厠に行った時に会いました。桃李さんのお友達。年も桃李さんと同じくらいの…。彼と会った後です。腕輪が熱くなったのは…」

「友達?」

桃李は冷や汗をかく。

「小太郎くんに会ったんだな?」

「あいつの名前、父さま知っていたんですね」

「桃李。鬼と友達とはどういうことだ?」

桃李は「しまった」と口を押さえる。

「妖力を吸ったなら、動けないだろう。まだ厠の付近にいるはずだ。桃李は部下達を連れてこい」

美代子が車椅子を押し、厠の方に向かった。

桃李は複雑な気持ちを抱えながら、部下達を呼んだ。


 「ハアハア…う…ゲホゲホッ…痛い…痛い…」

小太郎は茂みの中で、苦しんでいた。

《小太郎…ここを離れなきゃ…》

「…苦しくて…動けない…」

近くに人の気配。顔を上げると、車椅子に乗った桃寿郎が見下ろしていた。

「…ハアハアッ…桃寿郎…うぁ…苦し…また…吸われて…」

「久しぶり。小太郎くん…。残念だけど、今の当主は僕じゃない。

破鬼の剣を使えるのは、当主だけなんだ。だから、僕の息子に殺されてくれ」

桃寿郎は懐から、先程の金の腕輪を取り出した。

腕輪は鈍く光り、熱を持つ。

「すでに熱いね…。少しずつ君の妖力を吸っているんだろう」

「ハアッハアッ…それの…せいか…クソッ…」

小太郎は、距離を取ろうとズリズリと後退する。

「そんな風に逃げたって、ムダだよ」

桃寿郎が、一言、呪文を言った。

「うぁぁ‼︎ 」

小太郎が苦しみに叫ぶ。

腕輪は、さらに光り出した。

「あぁ‼︎ やめ…‼︎ハアハアッ…苦しい…苦し…うあぁ…」

小太郎は地面をのたうち回った。

やがて、止まると、ヒューヒューと細い息を繰り返す。

『苦しい…息が…できない…朱丸…動いて…』

《…動け…ない…ごめん…小太郎…》

目の前がボヤけていく中、耳だけは会話を拾っていた。


「桃李…さあ、破鬼の剣で止めを刺せ」

いつのまにか、桃李も来ていたようだ。

「斬りたくない。殺したくない…」

「桃李。おまえがこの鬼を倒せば、鬼を一匹残らずせん滅したことになる。一族の英雄になれるぞ」

「英雄とか、どうでもいい…です。おれは、友達を殺したくありません」

「桃太郎が鬼と友達だなんて許されない。逃げるのか? 一族の恥だと思わないのか?」

「どうでもいいです。小太郎を逃がしてあげてください!」

桃李の声は震えている。泣いているのかもしれない。


パンッと乾いた音がした。肌を叩いた音に似ている。

もしかしたら、桃寿郎が桃李の頬を叩いたのかもしれない。

「うあ…あぁぁ…」

桃李の泣き声が聞こえた。

それからすぐに、足音が近づいた。

「桃李⁉︎ 何してる?」

桃寿郎の怒声。

小太郎の目の前には、ぼんやりと桃李の顔が見えた。

「と…り…ヒュッ…か…ヒュッ…」

「ムリしてしゃべらないで。苦しいでしょう?」

桃李の顔は涙で濡れて、頬は赤い跡があった。唇が切れて、血が滲んでいる。やがて、何も見えなくなった。

(もう…意識が…)

「逃げて小太郎。死んでほしくない。おれの血あげるから…」

口の中に、甘い味が入ってきた。小太郎は反射的に飲み込む。

ブワッと力が溢れた。動かなかった体が軽くなる。

あんなに苦しかった息も、肺いっぱいに吸える。

『はあ…気持ちいい…』

霊力の高い妖力の元が入ってきて、体が熱くなる。

小太郎は、起き上がった。

「ああ…堕ちる」

彼は頭を抱えた。


起き上がった小太郎に、桃李はホッと息を吐く。

しかし、“堕ちる”と口にした彼の頭から、ニョキニョキと生えてきた二本の角を見て、愕然とした。

「鬼…に…」

角と牙。赤い髪。赤い瞳。

桃李は、呆然と小太郎の前に座っていた。

小太郎は桃李の顔を両手で挟むと、ペロペロと唇を舐める。

「ちょ…小太郎…?」

切れた唇から滲む血を舐めているのだと気づく。

「やめろ…」

桃李が小太郎の顔を押すと、小太郎は「ぐるる」と不満気に唸る。次は、頬の涙を舐め始めた。

「小太郎、くすぐったい。犬みたいだな…」

桃李がフフ…と笑う。

小太郎の様子がおかしいことに気づいていたが、自分を攻撃してこないので、されるがままになっていた。

「桃李! 何してるんだ。小太郎くんは理性を失っているんだ。殺されるぞ!」

桃寿郎が叫ぶ。

小太郎がピクリと動いた。

「とう…じゅ…ろ?」

小太郎は桃李から離れ、桃寿郎を見つめる。

「とうじゅろ…むらのみんな…ころした…かたき…うつ…」

ゆらりと桃寿郎の方に向かう小太郎。

桃李はハッとして、部下を呼んだ。


猿女、犬養、鳥取の三人と吉備津隊に属する数人の部下は、桃李を中心に陣形を取る。


桜が銃を出し、数発撃った。

「…っ」

小太郎の体に傷を作る。…が、すぐに体から弾が出て、傷が治る。

「あ…」

桜は恐ろしくなって、その場に座り込んだ。

「桜!」

桃李は桜を守るように前に立つ。

「桃李さま…」

破鬼の剣を小太郎に向ける。

小太郎は、桃李に興味がないのか、そばにいた犬養に向かった。

「ヒッ!」

犬養は、刀を振った。小太郎は爪で弾く。刀は地面に落ちた。

「う…あ…」

犬養も桜と同じように座り込む。

小太郎は頭を抱えた。

「う…うぁ…」

鳥取が、母仕込みの祝詞を唱えていた。

「やめ…やめろ…」

小太郎は、鳥取に爪で攻撃する。

「…っ」

鳥取は、腕を引っ掻かれ、祝詞をやめてしまう。

他の数人の部下も、拳銃で撃つ。小太郎はすべて避け、部下たちを蹴りで倒した。皆、立ち上がることができない。呻き声をあげる部下たち。足を蹴られた者は骨が折れているだろう。背中を蹴られた者は、血を吐いている。

「よわいな…もう…たてないのか…」

桃李は小太郎に刀を振り下ろしたが、爪で止められる。

「…どけ…とうじゅろ…ころす…」

「…父さまを殺されるわけにいかない」

「…もっと…ほんきで…きりにこい。おまえ…てかげん…なぜする?」

「おまえだって、止めを刺してないだろ?」

「よわいやつ…きょうみない。いまは…とうじゅろ…ころすのがだいじ。たべるき…ないやつ…ころさない」

「父さまを殺したら、食べるのか?」

「とうじゅろ…れいりょく…たかい。たべないと…もったいない」

小太郎は、ペロッと唇を舐めた。

桃李は鳥肌を立てる。

「おまえ…てかげんしてるの…おもしろくない」

理性を失くしているというより、鬼としての本能が前面に出てきているようだ。

小太郎が爪で桃李の手を引っ掻く。

「うあ!」

「おまえ…じゃま…」

桃李は刀を落とす。右手の指が二本落ちた。人差し指と中指のあった場所から、血がボタボタと落ちる。

「う…ぐっ…ぅぅ」

桃李は膝を着き、手を押さえた。

「桃李…⁉︎」

桃寿郎と美代子が叫ぶ。小太郎は桃寿郎に向けて爪を振り下ろす。

「父さま!」

桃李は桃寿郎の前に立ち塞がる。

小太郎の爪は、桃李の腹を引き裂いた。

「ぐあっ!」

倒れた桃李に美代子が駆け寄る。

「また…じゃました」

爪に付いた血を舐める。

吉備津隊以外の軍人たちが来て、小太郎を取り囲む。拳銃を向けて威嚇した。

「動くな!」

「うってくればいい…そんなもの…おれにはきかない」

小太郎は爪を伸ばす。

「つぎこそ…とうじゅろ…ころす」

小太郎が桃寿郎に向かっていこうとすると、頭の中で声が聞こえた。

“やめて!小太郎さん“

「だれだ」

”このままじゃ桃李さんが死んでしまう。あなたがいるから、皆動けないでいるの。早く桃李さんを病院に運ばないと。ここから立ち去って“

「…あき…こ?」

小太郎は頭を押さえた。

「オレ…は…」

意識が戻ってきた。

「また鬼化して、理性を失くしていたのか? 記憶がない…」

小太郎の目に、倒れて血を流す桃李が映った。

彼はゴホッっと血を吐くと、ぐったりとしてしまう。

「桃李…? まさか、オレが…オレがやったのか? 大きな傷。血を吐いて…。オレの爪が内臓まで…。死ぬ? オレのせいで、桃李が…」

小太郎は頭を抱えて座り込んだ。

「あぁぁぁ…‼︎」

《小太郎…落ち着いて…ちゃんと…息して…》

「…朱…丸…。ハア…ハア…」

小太郎は、ゴクッと唾を飲み込んだ。

『朱丸…桃李の傷…癒してあげられないかな』

《ムリだと思う…》

小太郎は周りの軍人たちを見る。

『近づくのを許してもらえそうにないな』

《うん。今はこの場を去るしかないよ》

小太郎は烏の羽根を広げると、空へ飛びたった。

軍人たちは銃を向けた。

「撃っても無駄だ」

上官の言葉に、皆、銃を下ろした。


 「ハア…ハア…」

小太郎は、東南の方に向かって飛んでいた。

「小太郎、どこまで行くの? まさか、富津まで飛んでくの? 行きは列車で行ったじゃん。海を越えるのは、妖力が持たないよ」

朱丸の声を無視して、小太郎は飛び続けた。


 森の中に降り立つと、羽根はキラキラと消えた。

角が消え、髪の色、目の色も黒に戻る。

小太郎は地面に転がった。

「ハアッハアッ!…ゲホッゲホッ!」

《信じ…られない…ハアッハアッ…まさか…富津まで…飛んでくるなんて…前の…横浜から…よりも…距離…あるのに…》

「ハアッハアッ! 痛っ…心臓…やば…」

《ムリ…しすぎだよ…ハアッハアッ…オイラだって…苦しいのに…まったく…》

「ハアッハアッ…朱丸…桃李…大丈夫かな?」

《大丈夫なわけ…ないじゃん…鬼の爪…内臓に達してた…助かるわけない》

「なんで止めてくれなかったんだ…うぐっ…痛っ‼︎」

《…痛い…ハアハア…桃寿郎を攻撃しようと…してた…。桃李が庇ったんだ…。小太郎、オイラの感情に引っ張られた。村のみんなの…(かたき)って…言ってたし…》

「ハアハアッ…そうか…」

《明子さんの声で…理性を取り戻した》

「…もし…桃李が死んだら…オレ…」

苦しげに息を吸う。小太郎は、涙を浮かべた。

「人を殺してしまったら…心まで鬼になってしまう。心だけは、人のままでいたいのに…」

《人を殺したら心まで鬼に…だなんて。ハアッハアッ…鬼が人を殺してたのは、何百年も前だ…》

「ハアッハアッ…理性失くして…暴れて…オレ…ヒュッ…ゲホッゲホッ…うあぁ…」

泣きながら、痛みを訴える心臓を押さえる。

《小太郎…落ちついて…ゲホゲホ…ちゃんと息して…苦しい》

「ゲホッゲホッ…ハアッハアッ…」

《友達になったって言ったって…敵…なんだ。そんな気にすることじゃない。それに、オイラたちは鬼だ。長い時を生きる。寿命の短い人間を、いちいち気にしていたら、生きていくの、辛くなる》

「ハアハア…」

小太郎は立ち上がると、ふらふら歩きだした。

《小太郎? ハアハアッ…妖怪探すの? 確かに、妖力回復しないとね…》

小太郎は時々、胸の痛みに立ち止まった。脳が酸欠を起こし、何度も失神しそうになった。

「ハアッハアッ」

《小太郎…妖怪…いないね…》

朱丸も動きが鈍くなった。

やがて、小さな池にたどり着いた。

小太郎は池の水に顔を映した。

朱丸は、小太郎の目を見てゾクリとした。

(え⁉︎ 小太郎の目…絶望に染まった目をしてる。いやな予感がする…)

小太郎は、池の中に入って行った。

《何してんの⁉︎》

真ん中は意外と深く、小太郎はドブンと沈んだ。

《小太郎‼︎ 何やってんの?早く上がって! 息できない…》

『ごめん…朱丸…ごめん…』

《死ぬの⁉︎ ふざけんな‼︎ 苦しい…意識…が…》

そこに、ドボンと黒い影が飛び込んだ。朱丸は、その影に安堵を覚え、意識が途切れた。


 影の正体は天だった。

彼は、池から助けた小太郎を地面に横たえる。

[小太郎! おい!]

頬を叩くが、反応しない。

胸に耳をつけた。心臓が止まっていた。

[くそ! さすがの俺でも、死んだ者の蘇生はできないぞ]

天は心臓マッサージをする。

人工呼吸をしようとして、くちばしが当たる。

[ああ!くそ!]

くちばしを触って、人間の顔に変えた。

小太郎に何度か息を送る。

「ぐっ…ゴホッ…ゲホッゲホッ…」

水を吐き出し、息を吹き返す。

「ハアッ…ハアッ…」

小太郎は薄く目を開けた。

「…て…ん…」

《ハア…ハア…死ぬかと思った》

天は、人間の顔のまま、怒っているような、悲しいような、複雑な表情をしていた。

《小太郎‼︎ バカ‼︎ 勝手に死ぬなよ! 前にも言ったでしょ⁉︎

オイラのこと、どうでもいいんだ⁉︎》

「ごめん…ごめんなさ…う…ふぅぅ…」

小太郎は腕で目を隠して、泣き出した。

《泣いたって許してやんない‼︎》


ガサガサと音がして、息を切らした鬼蜘蛛がやってきた。

[ハアハア…]

《鬼蜘蛛…》

[あの…”助けて“って声を追ってきたら、ここに…]

[おまえもか。実は俺も声を追ってきたんだ。明子の声だったな]

天は、くちばしを元に戻す。

《明子さんが…鬼蜘蛛にも聞こえたんだ…》

[前に小太郎が鬼蜘蛛に治癒を使ったよな。明子の力が伝わったからかもな]

《そういえば、妖力回復してる》

[俺が助ける時、息を吹き込んだからな]

「う…ふぅ…グスッ…」

小太郎は倒れたまま泣いていた。

《いつまで泣いてるのさ》

[鬼神さま…どうしたんですか?]

オロオロする鬼蜘蛛。

[色々あってな]

天は、小太郎を抱き上げた。

「天?」

[体が冷えてる。聞きたいことは色々あるが、とにかく体を温めよう。震えてるぞ。俺の住処より鬼蜘蛛の住処の方が近いな。邪魔していいか?]

[はい…]

天は羽根を広げ、小太郎を抱えたまま飛び立つ。鬼蜘蛛は天の足につかまった。


 鬼蜘蛛の住処である洞窟に着き、中で、焚き火をする。

濡れた着物を脱いで、地面に広げて置いた。

天は、小太郎をあぐらをかいた足の上に乗せた。

体の大きい天に座ると、子どものように見える。

「…天…ちょっと…グスッ…降ろして…」

まだ少し泣いている小太郎。

天は、小太郎を抱きしめ、羽根で覆った。

[だめだ。今、裸だろ…]

「…誰も見る人いないし…」

天は、頭を小太郎の肩に乗せた。

「天…くちばし、痛い…」

[…おまえを、池から助けた時、俺がどんな気持ちだったかわかるか…]

「天…?」

[心臓が止まっていて、おまえを失うんじゃないかって、怖かった]

顔を上げた天の目に、涙が浮かんでいた。

「…天…」

[明子がいなくなって、俺は、娘を失った気持ちだった。何百年と生きる俺でも、愛した人間との別れは、いつだって苦しい。

その寂しさも、小太郎、おまえがいたから、いつもより、苦しくなかった]

「……」

[小太郎は鬼だから、すぐにいなくならないと、そう思っていたのに。寂しいよ。いなくならないで]

《烏天狗さん…》

朱丸は、強くて、顔が怖い天が泣いてるのを見て、なんだかかわいそうに思えた。

《小太郎…烏天狗さん泣かすなんて…》

「ごめん…ごめんな…うぅ…グスッ…」

[ええと? 池で溺れたんですか?]

事情のわからない鬼蜘蛛に、天が説明する。


[死のうとしたんですね。鬼神さま…]

[ああ。小太郎…明子はおまえと極楽に行きたいって言ってたよな。でも、おまえが自死してまでっていうのは、望んでないと思うぞ]

「うん。オレ、自死したから地獄行きだって、閻魔さまに言われる夢見た。鬼だから、地獄行き…じゃなくて…」

[確かに、自死した人間は極楽に行けないとは聞くな。そうしたら、きっと、明子と離ればなれになってしまう。もちろん朱丸とも…]

「うん…」

[小太郎…俺は、おまえのこと、息子のように思ってる。明子が娘だから、娘婿ってことだ。もう一人の父親だと思ってくれたら嬉しい]

小太郎は、目をぱちぱちさせた。

[小太郎、もう、死のうとしないって、約束してくれ。俺から、愛する者を奪わないで…]

「…うん。約束…する。ごめんなさい…う…うぁぁ…」

小太郎は、声をあげて泣いた。


[泣き疲れて、寝たみたいだな…]

天は、そっと頭を撫でる。

《オイラ、赤ちゃんの頃に父ちゃん死んじゃってさ。父ちゃんってどんなのだったかわからないんだ。烏天狗さんのこと、父ちゃんって呼んでいいの?》

[ああ…好きに呼ぶといい]

《えへへ…父ちゃん。もう一回頭撫でて》

[小太郎に触れてるのが、朱丸もわかるのか?]

《うん。なんでかはわからないけど、オイラも感じるんだ》

[そうか…]

天は頭を撫でてやった。


鬼蜘蛛が地面に、糸でくっつけた枯れ葉の布団を敷いてくれ、小太郎を寝かせる。置いておいた着物が乾いたので、上にかけてやった。


[朱丸…何があって、小太郎が死のうとしたのか、聞かせてくれるか?]


朱丸は、東京の神社であった出来事を話した。


[そうか…。鬼化して、暴走した結果、友達を傷つけたのか。たぶん、その友達は助からないと…死なせてしまう自分を許せなかったのか]

《小太郎、人を殺したら、心まで鬼になるって思ってるんだよね。そんなことないのに…》

[人間同士で殺し合いをしているのを、見てきたが、戦の時は、皆戦いたくて戦ってるとは思えなかったな。まあ、本当に相手を憎んで殺した場合は、”心が鬼になっている“と表現してもいい顔をしていたな…]

《…見たことあるんだ…》

[永く生きていれば、そういう時もある。小太郎の場合は、鬼化して、理性を失くしている時は仕方ないだろう。話を聞いた感じだと、先祖返りをしているのかもな]

《先祖返り…?》

[昔の鬼は、人間を喰べるために殺していたのだろう? 妖力を増やすために…]

《うん…》

[強い霊力を持つ人間を喰べると、能力が増えたらしいな。それこそ、触れずに物を持ち上げたり、瞬間的に遠く離れた場所に移動したりな]

《その話は爺ちゃんから聞いてたよ。父ちゃんは、どっちも出来そうだけど》

[さすがに瞬間的に移動は、すぐ近くにならできるけどな]

《すごい…。明子さんを喰べて、他人に治癒を使えるようになったのも、そういう事だよね》

[人間じゃなくて、妖怪でも充分、能力を上げられるのだろうが、

人間の方が上がり方の差が激しいのかもな。明子を喰べた小太郎を見て、そう思ったよ]

朱丸は、頷く。

[もう死のうとはしないと思うがな…]

《うん。約束したもんね。それに、自死したら、明子さんやオイラとも離れちゃうし…。ん?…父ちゃんは神様に近いのに、死後の事わからないの?》

[神に近いと言っても、神界には行ったこともないしな。異界に帰っても、妖怪たちの住む場所以外は行ったことがない。人間の生死に関しては、何もわからん]

《そうなんだ…んん…ちょっと寒いな》

朱丸が言うと…小太郎の体も少し震えた。

[火が弱まってきたか…。夜になると、さらに冷えるな。もう少し薪を…]

天が言うと、ちょうど鬼蜘蛛が追加の枯れ枝を拾ってきた所だった。

[ありがとう。鬼蜘蛛]

[はい]

《あのね。そうじゃなくて…。一緒にくっついて寝たいな…》

朱丸が照れながら言う。

[甘えたいのか。朱丸は…たしか、7歳だったよな]

《うん。オイラ、ずっと7歳のままみたい…》

天は、小太郎の隣に横になる。

《まあ、オイラは眠るってことはないんだけどね》

[そうなのか? じゃあ、小太郎が寝ている間、何してるんだ?]

《…言葉にするのは、すごく難しい…。静かにしてると、不思議な存在が現れる。雰囲気は、すごく暖かくて、優しくて。

母ちゃんみたいな感じ? その存在は、毎晩現れて、オイラと遊んでくれる。それでいつのまにか朝になってるんだ》

[それ、寝てないか? 夢だろ?]

《夢じゃないと思うんだけど…。だってオイラが意識を失くすと、小太郎の心臓止まるし…》

[そうか…。小太郎に言ったことあるのか?それ…]

《言ってない。説明難しいし。言ったら言ったで、なんかバカにされそうだし…》

[ああ…]


 朝になって、目を覚ました小太郎は、横に天が寝ているのを見て驚いた。

「うわ…近…」

隅の方では、鬼蜘蛛が寝ている。

小太郎は、着物を着ると、洞窟の外に出た。

「いい天気…」

近くの川で顔を洗おうとすると、自分の顔が水に映る。

「うわ…酷い顔…」

《そりゃ、あんだけ泣けば目も腫れるよ》

「…うん。朱丸…昨日…その、ごめんなさい…」

《うん。もうあんなことしないでよ》

「うん…」

小太郎は川で魚を捕り、焚き火で焼いた。

[ふああ…]

[いい匂い…]

天と鬼蜘蛛が洞窟から出てきた。

「おはよう…」

[ああ…おはよう]

[おはようございます]

「…二人とも、昨日は…ごめんなさい。それから、ありがとう」

照れながら言う小太郎。

[ああ…]

[はい…]

皆で朝食に焼いた魚を食べた。


 二人と別れた小太郎は山を下りると、東京に向かった。

桃李のことを早く知りたくて、横浜に商品を届ける船に乗せてもらい、横浜港から飛んでいった。


 顔を変化させて、町の人に吉備津家の場所を聞く。有名なお屋敷らしく、すぐに見つかった。

聞いた話だと、本家は岡山にあるそうだ。残りの鬼は、関東にいるとの事で、明治の少し前に当主がこちらに移り住んだと、噂好きな町の人が教えてくれた。


 吉備津家に侵入するために、小さな小鳥に変化した。天から習った術は姿を消す術もあるが、難しくて、まだ数秒間が限界だった。

空から見渡すと、かなり大きなお屋敷だ。そっと中庭に降りた。

木の上から見ていると、女中らしき人が二人、忙しそうに洗濯物を抱えて廊下を歩いていた。小太郎は会話を聞こうと、片方の頭の上にそっと乗った。

「…さっき、奥様が一度ご帰宅なされたそうだけど、桃李さまは…?」

「桃李さまの手術は成功されたと、伺っているわ。桜さまも一緒に、帰宅されて。憔悴なさっていたわね」

『桃李、生きてるんだ…』

《うん…》

『良かった…』

小太郎は、小鳥の小さな目から、涙をこぼす。

《…また泣くし…》

『ごめん…』


「ゆう子さん。なお子さん。悪いが、どちらか包帯を変えてくれるか?」

桃李の部下の鳥取が、辛そうに、腕を押さえていた。

「正一さん。まだお熱が高いのでしょう? 無理しないでくださいまし…」

三つ編みのゆう子が、正一を支えた。

「部屋の近くに…誰も…いなくて…」

「すみません。お部屋まで、お支えしますね」

二人が去って行く。なお子の上に乗っている小太郎が揺れた。

「チュン?(なんだ?)」

「ゆう子さんずるい。洗濯物残してくし…。私だって、正一さんのお世話したいのに…」

なお子が、悔しそうに地団駄を踏んだ。

《なるほど、二人ともあいつが好きなんだね。吉備津隊は同じ屋敷に住んでるのか》

『あの人、腕を…』

《小太郎が鬼化した時、爪で攻撃してた》

『…そう…か』

小太郎はパタパタと飛んで、ふすまの開いている部屋に入った。

そこには桃寿郎が寝ていて、枕元に、桃李の母、美代子がいた。

「桃李さんの手術は成功しましたよ。あとは、目を覚ましてくれれば…」

美代子が言うと、桃寿郎は辛そうに頷いた。

桃寿郎は声を出すこともできないようで、だいぶ弱っていた。

美代子の手元に、”東京衛戍(えいじゅ)病院“と書かれた封筒があった。おそらく、桃李の診断書などが入っているのだろう。

『東京衛戍病院…。そこに、桃李が…』

小太郎に気づいた美代子が、シッシッと追い払う仕草をした。

桃寿郎は、美代子の手を取り、微笑むと、小太郎の方に手を伸ばす。

「…チュン」

「あなた、野生の鳥にはあまり触らない方が…」

小太郎はそっと桃寿郎の手に乗る。

『……』

小鳥になった自分を見つめる彼が、優しい目をしているのを見て、小太郎は泣きたくなった。


逃げるように、お屋敷を飛び出した小太郎は、人気のない場所で元の姿に戻る。

顔を覆って、泣き出した。

《小太郎…》

『なんで…あんな優しい顔、するんだ…。オレは息子を殺すところだったのに…』

《…小鳥を見て優しい目をする人が、本当の悪い人なわけない。鬼を倒すっていう使命に、忠実だっただけなんだ。あいつの最期にこんな事に気づくなんて…》

『もう、数日の命だろう』

寝たきりになって、すぐに死を迎えた明子を思い出す。小太郎は、涙が止まらなかった。


 東京衛戍病院に着いた小太郎。

陸軍の病院であるここは、傷ついた兵士たちが入院している。

『桃李の病室がどこか、わかるかな?』

お見舞いに来たであろう妙齢の女性の後を、コバエに変化して追った。

受付で名前を言う女性。小太郎は受付嬢が開いた名簿を覗く。

吉備津桃李と書いてある下に、203とあった。


2階の203号室の扉の、通気口から中に入った。

桃李は、ベッドの上で眠っている。

時おりうなされており、熱も出ているようだ。

「桃李…」

小太郎は元の姿に戻って、額の汗を拭ってやる。

『怪我をしたのは…?』

《お腹だよ。小太郎が爪で引き裂いちゃったんだ》

病衣服の隙間から、包帯が見えた。

「……」

ふと、右手に目をやると、包帯が巻かれている。

「…これ…」

右手の人差し指と中指が途中で無くなっている。

《小太郎が落としちゃったんだよ》

「そんな…オレが?」

小太郎は、包帯を解く。

『治す…』

両手で手を包んで、力を込めた。変化はない。

『治らない。もう一度…』

同じように力を込めるが、ダメだった。包帯を巻き直す。

《小太郎…》

今度は、お腹の方に力を込めた。手ごたえがあった。

お腹の包帯を解くと、巻き直すのが大変なので、見ることはできないが、少しは傷が塞がっただろう。

『指が治らないのはなぜなんだろう』

《もしかしたら、失った部分は作りだせないのかも…》

『でも、鬼蜘蛛は生えたけど…』

《鬼蜘蛛は妖怪だし、しばらくすると生えるって言ってたからな…》

「う…うぅ…」

桃李が苦しそうに呻く。

「熱高いな…」

小太郎は、桃李の額に手を置き、力を込めた。

苦しそうに、しかめられていた桃李の表情が、少し穏やかになる。

「ハア…」

小太郎は、疲れたように息を吐く。

『熱も少しは下がっただろう』

小太郎は、辛そうに座り込んだ。

《力使いすぎだよ》

『ごめん…でも、オレは償いたいんだ』

《…もう》


病室の扉の前に人の気配を感じ、小太郎は烏に姿を変え、窓から飛んだ。

「…っ」

妖力切れを起こし、窓の下に落ちた。元の姿に戻ってしまう。

幸い植え込みの内側で、人に見られなかった。

「ハアハアッ…う…ぐっ」

《小太郎…父ちゃんが持たせてくれた、あれ…》

頷くと、懐から小さな巾着を出した。中には、神力のこもった米が入っている。

何粒か口に入れると、乾いた米を飲み込む。

「ハア…」

妖力が戻ってくる。

[緊急事態に備えて持っていろ]

と、天が持たせてくれた。


 近くの森で寝起きして、魚や木の実を取って食べた。

次の日も、桃李の病院に行って、様子を見た。

小鳥になって、窓から見る。

2日後、ようやく桃李が目を覚ました。


「桃李…」

母や吉備津隊の面々が見舞いに訪れる。

毎日窓から眺めた。誰かしら病室にいるので、中に入れなかった。

数日後、桃李が窓を指差して看護婦に何かを言った。彼女が窓を開けた時、小太郎は中に入った。


「おいで」

桃李が呼んで、小太郎は布団の上に乗った。

「おまえ、いつも窓から見ていたろ?」

「チュン…」

小鳥のまま返事をする。

看護婦が出て行き、二人きりになったので、小太郎は元の姿に戻った。

「わ…!」

「驚かせてごめん…」

「小太郎…」

「どうしても、桃李に謝りたくて。本当にごめんなさい。謝って済むような事じゃないって、わかってるけど…」

「……」

桃李は、顔を伏せた。

「…ごめん。会いたくなかったよね」

「…おれさ…もう刀握れない」

「うん…。オレが指を、切り落としちゃったから…。どうしても治せなかった」

桃李は、顔をあげた。

「おれが寝てる間に、こっそり入り込んだ?」

「うん…。ごめん」

「……指を失くしたのもあるけどさ。おれ、もう左半身が動かないんだ」

「え?」

「一度、心臓が止まって、脳の神経が悪くなったらしい。訓練すれば、戻るかもって医者は言うけど、もう、桃太郎として鬼を倒すことはできない」

「…桃李」

小太郎は涙を流し、両手で顔を覆った。

「う…ひくっ…ごめ…オレ…」

しゃくりあげながら泣く小太郎。

「小太郎…泣くなよ」

「うん…オレが泣く立場じゃ…ないのに…ごめん…」

「ああ…もう、そうじゃなくて…」

桃李は包帯を巻いた手で、小太郎の腕を掴む。

「う…グスッ…」

「おれさ、もう15代目を下りるんだ。次はおれの子どもだって。まあ、まだ結婚もしてないけど。一応、仮の桃太郎は立てるらしい。父さまの弟だって。ただ、叔父さまは、脳に障害があってさ。難しいことはわからないんだ。それで仮らしい」

「ん?」

「なるべく早く世継ぎをって言われてるけど、どうやら、おれの許嫁が結婚をお断りしてきたらしい。半身に麻痺が残ってるのが理由だって」

「そんな…」

「でもさ、おれとしては良かったんだよ。これで、桜に結婚申し込めるし」

小太郎は目に涙を溜めたまま、瞬きした。

「教えてよ。その指輪の店…」

桃李は歯を見せて笑った。

「桃李…うん」

酷い怪我を負ったのに、どこまでも前向きな桃李。

小太郎は、涙をこぼす。

「あ…また泣く…どうしたんだよ」

「…なんで、オレのこと怒らないの? 普通許せないでしょ?」

「ああ…うん。悲しいのはあるよ。動かない体に、泣きたくなることもある。でも、おれは、未来を見てるからさ。これから頑張れば、動かせるようになるかもしれない。桜と結婚して、子どもが生まれて…。楽しい未来を信じてる」

「桃李…」

「それに、小太郎だけのせいじゃない。おれが選択を間違えた。小太郎に血をあげたら、どうなるかって、父さまの報告書読んで、わかってたはずなのに。あの時は、ただ小太郎を死なせたくないって思いだけで行動した」

「桃李がオレに血をくれなきゃ、オレはきっと死んでた。桃李の選択が間違いだったって言うなら、今オレはここにいない」

「…そう…だね」

「ありがとう」

桃李は頷く。

「小太郎。おれはもう桃太郎じゃないから、何も気にせず、おれと友達でいてよ」

「…うん」



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