明子との日々3 ー過去編ー
二日後、明子は息を引き取った。
明子は小太郎にお願いをした後、眠りについて、二度と目を覚まさなかった。眠ったままで死を迎えたから、きっと苦しむことはなかっただろう。明子の最期が穏やかだった事が、小太郎にとって唯一の救いだった。
これから彼女の体を喰べるのだから。
明子は村人に慕われていた。村人のためにも葬式は行うことにした。
滞りなく式は進んだ。小太郎は洋装の喪服に身を包んでいた。相変わらず狐の面は被っている。誰にも見えないが、天も参列している。
「それでは皆さま、最期の挨拶を…」
住職が言った。小太郎は、頭を下げる。
「あの…最期に二人きりにしてほしいのですが…」
「わかりました」
住職と参列者は皆出て行った。
狐の面を取り、棺に入った明子を、小太郎は抱きおこす。
その横には天が佇んでいた。
[喰べるんだな。明子を…]
「今さらだけど、天は良いのか? オレが明子を喰べても…」
[明子の遺言なんだ。俺は何も言わんよ]
小太郎は意を決すると、明子の亡き骸を喰べ始めた。
小太郎に角が生え、鬼化する。
周りには血が飛び散る。明子の体がどんどん無くなっていく光景を、天はじっと見ていた。
小太郎が口からプッと何かを吐いた。それは明子の指輪だ。
天は指輪を拾うと、そっと懐にしまう。
残ったのは、骨と頭のみ。小太郎は明子の顔をじっと見つめ、愛おしそうに、顔に飛んだ血を舐め始めた。
顔は綺麗なままにしたいのだろう。かじることはしないようだ。
「ぐるる…」
嬉しそうに喉を鳴らし、綺麗になった顔に頬ずりを始める。
明子の霊力の影響か。完全に理性を失くした小太郎は、ただのケモノだ。
天は、小太郎をここから連れ出すタイミングを計っていた。
「小太郎くん。そろそろいいかね?」
村長がふすまを開けて、入ってきた。
血だらけの部屋の惨状。
首から下が無くなった、明子の頭を抱える小太郎を見て「ヒッ!」と声をあげた。
「お、鬼…‼︎」
「ぐるる…」
村長は、鬼の薬指に見覚えのある指輪を見て「まさか」と溢した。
「小太郎くん…なのか?」
「じゃまするな」
小太郎は、村長に向かって爪を振り上げる。
「ヒッ!」
[ご老人、危ない!]
天は実体化して村長を庇う。
[…っ]
小太郎の爪が天の羽根をひっかいた。
「烏…天狗?」
村長は、呆然とした。
[この鬼は俺が押さえる。早く逃げなさい]
村長は急いで逃げていった。
「ぐるる!」
攻撃をしてくる小太郎を押さえ込むと、天は、屋根に穴を開け、鈴木家を飛び出した。
暴れる小太郎を捕まえたまま、上空を飛ぶ天は、鈴木家の騒動を見ていた。
どうやら、村長が鬼を捕らえようと、若い男たちを連れて部屋に戻って来たようだ。
「ぐるる!はなせ!じゃまするな!」
[こら!暴れるな! ここで離せば落ちるぞ!]
「はなせ!」
小太郎が暴れて、天の手からずり落ちた。
[あ…]
落ちて行く小太郎。地面に叩きつけられる前に、キャッチした。
[はあ…まったく]
小太郎を森の中で横たえた。
落ちた時に失神したのか、鬼化が解かれていた。
「うう…」
[起きたか…]
天は疲れたように、目の前に座った。
「オレ…」
[明子を食べてからおまえは理性をなくして、村長を襲おうとし、俺がおまえを連れ出した]
「明子の体は?」
[あとは骨と頭だけだ。あとは村人が墓に埋葬してくれるだろう]
「村には帰れない?」
[鬼と化したおまえを、村長は小太郎だと言っていた。長く仮面を被っていたが、年寄りは気づくかもな。戻れると思うか?]
「……」
[最後に見た時、鬼を捕らえようとしていた感じだったし、桃太郎の一族に見つかる危険がある]
「そうか…」
[ほとぼりが覚めた頃墓参りに行け。まあ、明子の魂はおまえのそばにいるけどな]
「いるの? どこに…」
[おまえの中だよ。ほんのりと灯りがある。魂と意思の疎通は出来ないだろうが…]
「そっか」
小太郎は嬉しそうに胸の辺りを撫でた。
「…ぁ…」
胸の奥がザワザワとし出す。体が勝手に震え、腹の中が燃えるように熱くなった。心臓がいつもより速く鳴っている。
小太郎は体を抱きしめた。
「ハア…ハア…」
[どうした?]
「わかんない。急に体が…」
[苦しいのか?]
「違うけど…なんだか、腹の中が熱くて…その…」
小太郎の手が、ズボンの前を隠すように触れる。
[ああ…強い霊力が体の中で暴れているんだ。興奮状態になってるんだな。辛いか?]
小太郎は首を横に振った。
「大丈夫…」
ー烏天狗が連れ去ったなら、こちらを探してみますか?
どこからか声が聞こえた。
[探しているみたいだな。俺たちを…]
「ああ…。見つかる前に移動した方がいいか…」
小太郎は立ち上がろうとして、フラついた。
[おい?]
天が支えると、小太郎はビクッと震える。
[小太郎…]
「体にあんまり力が入らなくて…。んん…天…あの…脇支えないで…」
[ん?]
「オレ、なんか今敏感になってて…んぁ!」
小太郎が顔を赤くして口を押さえた。
[……]
天も頬を染めると、ため息を吐いた。
それから面倒そうに、小太郎を刺激しないように抱えて飛んだ。
ついた場所は、小さな洞窟だった。自然にできたもののようだ。
天は小太郎を抱えたまま、中に入っていく。
中には鬼蜘蛛と呼ばれる大きな蜘蛛がいた。
[烏天狗さま…?]
[鬼蜘蛛。すまないが、しばらく匿ってくれ]
[かまいませんが…。烏天狗さまほどの強いお方が、匿ってほしいとは…?]
鬼蜘蛛は、それほどの強い妖怪、もしくは陰陽師などが現れたのかと怯えた。
[匿ってほしいのは俺じゃない…コイツだ]
天は小太郎をそっと座らせる。
「ふ…」
小太郎は小刻みに震えながら、膝を抱えた。
[汗が凄いな…]
天は濡れた髪を触る。
[ワタシはてっきり、その人間を食糧にするのかと…]
やけに優しい天に、鬼蜘蛛は訝しんだ。
[俺が人間を食ったことあったか?]
[ありませんでした?]
[あったとしたら、それは熊か何かが食べたのを、俺の仕業だと勘違いした人間が、広めた噂だ。俺は人から怖がられるから、よく人間に悪い噂を流される]
[ああ…]
鬼蜘蛛は納得したように、天の顔を見る。
[おい、俺の顔を見て納得すんな]
[あ…すみません]
天は、鬼蜘蛛の方がよほど見た目が怖いくせにな…と、独り言ちた。
[それから、コイツは人間じゃない。鬼だ]
[鬼? 絶滅したと聞きました]
[最後の生き残りだ]
鬼蜘蛛は目を輝かせた。
[すごい。ワタシ会ってみたかったんです。鬼神さまの子孫なんですよね?]
[ああ]
「う…天…」
小太郎が小さな声を出した。
[大丈夫か?]
「暑い…」
天は小太郎の額を触る。
[熱が高いな…]
[どうしたんです?]
鬼蜘蛛が側による。
[ついさっき、強い霊力を取り込んでな。馴染むのに時間がかかってるようだ]
[強い霊力…]
[妖怪が見える人間を喰ったんだ。コイツの妻だったんだが…]
鬼蜘蛛は、目を見開く。
[すごい。鬼神さまは、力を欲すれば、自分の女房も喰っちゃうんですね。あ…鬼神さまって呼んでいいですか? 我々、鬼と名のつく妖怪は、鬼神さまに憧れを抱いているんです]
「……」
小太郎は、鬼蜘蛛を睨む。
[ヒッ…。すみません…出過ぎたマネを…]
[……]
天は、“明子を殺して喰べたのだ”と思われていることに、小太郎が腹を立てているのだと知っているが、訂正はしなかった。
「天…水ほしい」
[ああ…。鬼蜘蛛…悪いが持ってきてくれるか?]
[はい]
鬼蜘蛛は嬉々として、出ていった。
「天…オレは…明子を喰べたくて喰べたんじゃない。そもそも、人間を喰べたくなんかない…。オレは…心はずっと…人間のままでいたいんだ」
小太郎は、涙を流した。
[ああ…わかってる]
膝に顔を埋めて、肩を震わせる。
グスグスという泣き声が静かな洞窟の中に響いた。
天は慰めるように、小太郎の頭をポンポンと叩く。
こう言う時に色々言ってくる朱丸は話さなかった。
膨大な霊力を妖力に変換するのに、喋る余裕がないのだろう。
天には、小太郎の中の朱丸が、集中している雰囲気が伝わった。
「天…なんか優しいな」
[何を言ってる? 俺は元々優しいぞ]
「そうだけど、明子がオレの中に入ってから、もっと優しくなった気がする」
[俺は明子には、尚のこと甘いんだ]
「明子の魂がオレの中にいるから?」
[そう…だ。んん? そうだな…]
「ん?」
[明子がいるからだな。うん]
「天…?」
天は少し離れて、嘴に手を当てて考え込んだ。
[俺は…明子がいるから、小太郎に優しくしてるんだよな? いや、でも…。小太郎が弱っていると、つい甘やかしたくなるんだが…。これって…]
天は頭をガシガシと掻いた。
[お水…持ってきました]
鬼蜘蛛が竹筒に水を入れて戻ってきた。
[どうぞ]
小太郎の前にニコニコしながら差し出す。
「あり…がと…」
鬼蜘蛛から、恐る恐る受け取る。
ゴクゴクと飲み干した。
「美味しい…」
[よかった。湧水がいいと思って、山頂に近い方まで汲みに行ったんです。でも、帰りに少し溢しちゃいました]
[だから遅かったのか。そこの川の水汲みに行くのに時間かかるなと思ったんだ]
[鬼神さまに綺麗な水飲んでほしかったから]
ニコニコしながら話す鬼蜘蛛。小太郎は、さっき鬼蜘蛛が言ったことも、悪気があって言ったわけじゃないと気がついた。
元人間の自分と妖怪の鬼蜘蛛とでは、考え方が違って当たり前だ。
純粋に自分を慕ってくれているのだ。
「ありがとう」
小太郎は微笑んだ。
[い、いえ…]
鬼蜘蛛は照れたように、前足で頭を掻く。
「う…」
小太郎は頭を押さえた。
[どうした?]
小太郎の頭から角が生え、髪が赤く染まった。
[また鬼化してるぞ]
[鬼神さまの角…かっこいい]
鬼蜘蛛はうっとりと、二本の角を見つめた。
「天…オレ…」
[理性はあるんだな]
「うん…。体が熱い。力が押さえられない。暴れたい」
[ここで暴れたら、鬼蜘蛛の住処が壊れるぞ]
「うん。ハア…ハア…」
小太郎は頭を押さえて、歯を食い縛る。
「…っう…」
赤い目が獲物を探すように動き回る。
[ヒッ…]
鬼蜘蛛は、一瞬目が合ってゾクリと体を震わせた。
[ところで鬼蜘蛛]
[ひゃい!]
急に天に声をかけられ、びっくりしてしまう。
[怖がりすぎだ。外には人間がいたか?]
[数人いました。何か探しているみたいでした]
[桃太郎の一族か…]
[よくわかりませんが、軍服を着ていたと思います]
「軍服…」
[桃太郎の一族は、今は軍の一部隊なんだったか?]
「うん…」
天は[うむ]と唸る。
[じゃあ、小太郎。外に出て桃太郎の一族を蹴散らして来い]
「なんで…」
[なんでって、暴れたいんだろ?]
「でも、今のオレじゃ、みんな殺してしまう」
鬼蜘蛛と天は目を合わせた。
[殺してしまえば、もうおまえをつけ狙うやつがいなくなるんじゃないか?]
天の言葉に鬼蜘蛛も頷く。
[そうですよ。鬼が絶滅に瀕したの、そいつらのせいでしょ?
なんで殺さないんです?]
「オレは人間を殺したくない。心はずっと、人間のままでいたい」
[えっと?]
鬼蜘蛛が首を傾げた。
[小太郎は、元人間なんだ。瀕死の重症を負って、友達の鬼が心臓に宿って、小太郎の心臓を動かしている。同化したから、コイツ自身も鬼になった]
《そういうこと…》
朱丸が喋る。
[中から声が…]
鬼蜘蛛は驚いた。
《オイラは朱丸。オイラが鬼神さまなのだ。小太郎は、オイラが動かしているのだ》
[そうだったんですか。この人間を操っていたのですね]
鬼蜘蛛は、キラキラした目を向けた。
《そうなのだ。ハッハッハッ!》
「おいコラ…」
小太郎が低い声を出す。
「調子乗んな…」
《あはは…ごめん》
[えっと?]
《操ってはいないよ。死にかけた小太郎の心臓に宿って、今も動かし続けているのは本当だけど…》
[妖力への変換は終わったのか?]
天が聞く。
《うん。ただ、容器に収まり切らなくて、漏れてる状態って感じなんだよ。それでも、妖力を入れられる器が前より大きくなったみたい》
[なるほど、漏れてる状態。だから、暴れたいのか]
《小太郎が人間を殺したくないって言うのは、前からずっと言ってることだし。今、破鬼の剣を使える当主を殺しても、結局、他の当主を立てて、追ってくるしね》
「うう…」
[鬼神さま。どうか押さえてください]
一歩前に出た鬼蜘蛛を見て気がついた。
「ん? 鬼蜘蛛、足一本ない」
[はい。この前折ってしまって。でも、しばらくするとまた生えてくるんで…]
小太郎はじっと考えた。
「もしかして…」
《どうしたの?》
「なんだか、できる気がするんだよね」
《ん?何を?》
「鬼蜘蛛、体触っていい?」
小太郎に言われて、鬼蜘蛛はビクッと震えた。
[え? あ…はい]
鬼蜘蛛の体に触れ、手の平に力を集中させた。
折れた足が生えてきた。
[足が生えた!]
小太郎の角が消え、鬼化が治まった。
「今まで自分にしか使えなかった治癒の力。他に対しても使えるようになったのか」
《すごいよ。小太郎。新しい力だね》
[明子の霊力のおかげだな]
[暴れたいのはもういいのですか?]
「力使ったら、落ち着いた」
[そうですか…]
鬼蜘蛛はホッとした。
それから、2日ほど洞窟にいた。
外にいた桃太郎の一族がいなくなって、小太郎は外に出た。
「はあ…。やっと帰ったか…」
《これからどうする?》
「うーん…」
[小太郎、手を出せ]
天が何かを持って言う。
「ん?」
小太郎が手を出すと、彼は指輪を乗せた。
「これ…」
[明子の指輪だ。おまえが明子を喰べた時、吐き出してた。本当は、こっそり持って帰ろうと思ってたんだ]
「……」
[悪い…]
申し訳なさそうに頭を下げる天。小太郎はそれを彼の手に戻した。
[小太郎?]
「持っててよ。人間はさ、死んだ人の持ち物を形見として、手元に置いておくんだ」
[でも、小太郎も明子の物何も持ってないだろう?]
「持っているよ。形には残ってないけど、ちゃんとオレの中に…」
小太郎は胸を撫でる。
《そうだね。明子さんの魂と彼女がくれた新しい力が宿ってるんだ》
[そうだったな]
天は指輪を懐にしまう。
「ありがとう。色々…」
[なんだ…もう…どこかに行くのか?]
「うーん。とりあえず、山は下りるよ。この服窮屈だし、それに血だらけだしな…買い替えたい」
まだ喪服のままだった。
「家にはまだ戻らない方がいいだろうし…」
[そうだな]
「鬼蜘蛛、ありがとう。お世話になりました」
小太郎は頭を下げた。
[いいえ。またいつでも来てください]
鬼蜘蛛は恐縮して、前足をブンブン振る。
[怖がってたくせに…]
天が笑う。
[普通、鬼って怖いですよ。妖怪の中で、ワタシのような中くらいの強さの者でも、瞬殺って聞きます。まあ、大昔の情報ですけど]
[アイツは大して強くないぞ。おまえでも勝てるかもな]
[ええ…]
「聞こえてるんだけど…」
小太郎が、ムッとして天の着物を引っ張る。
「戦ってみる?」
[いいえ。そんな…]
鬼蜘蛛は慌てて、首を振る。
天は、住処へ戻り、小太郎は山を下りた。




