少年は桃太郎と対峙する -過去編-
プロローグ
昔々、桃太郎は鬼ヶ島で鬼を一匹残らず退治しました。
しかし、数匹の子鬼が隠れていたことに気づかなかったのです。
桃太郎一行が帰った後。子鬼たちは鬼ヶ島を離れ、桃太郎一行に見つからないようにひっそりと暮らしました。
これは、その子鬼たちの子孫の物語。
― 血まみれの少年が横たわっている。
今にも事切れそうな少年の体に、一匹の子鬼が縋り付いて泣いていた。
「イヤだ! 小太郎死なないで! オイラを一人にしないでよ!」
「朱丸…ご…めん…な…」
小太郎はゴホッと血を吐いた。朱丸の耳に届いていたはずの鼓動が、音を止めた。
「あ…ああ…」
朱丸は絶望の声を出した。
「そうだ…」
何かを思い出し、石を取り出した。
「大丈夫だよ小太郎。オイラも一緒に極楽浄土に行く。本来なら、人間と鬼は死んだ後、一緒の場所には行けないんだって。でもね、この秘術があれば、一緒に逝けるから…」
朱丸は、自分の手を切ると流れる血を石に浴びせ、それを握った手を小太郎の体に置いた。
今から百年くらい昔の話だ。
とある小さな村に、小太郎という名の男の子が住んでいた。
ある日、小太郎は、友達と遊んだ帰り道、大きなトンボを見つけ、夢中で追いかけていたら、いつのまにか村の外へ出てしまっていた。
気がつけば、太陽が山の向こうへ隠れようとしている。
「大変だ! 早く帰らないと、母ちゃんに怒られる!」
小太郎が慌てて村へ帰ろうとすると、泣き声が聞こえてきた。
「うわーん! 母ちゃーん! 父ちゃーん!」
見ると、5歳くらいの男の子が大声で泣いている。
その子は、村では見たことがない、赤い髪色をしていた。
「迷子か?」
小太郎が話しかけると、男の子は抱きついてきた。
「うわ!」
「オイラおうち帰りたいよ〜」
小太郎は、自分より少し小さい、男の子の頭を撫でた。
「で? どっちから来たんだ?」
「あっち…」
男の子は、山の方を指差した。
「え? 山の向こうってこと?」
「うんとね。山の中! そうだ! オイラの村は山の中にある!」
村の場所を思い出すことができて安心したのか、男の子は泣き止んだ。
「山の中? 山の中に村なんてないだろ?」
小太郎が言うと、男の子はまた目に涙を溜めた。
「あるもん! 絶対あるもん! う〜…」
またグスグス泣きだした男の子に、小太郎は慌てた。
「わかった。わかったから…」
小太郎は男の子と手を繋いで、山の中へ入っていった。
「なあ、おまえ名前は? オレは小太郎っていうんだ」
「オイラは朱丸」
「オレ7歳だけど、朱丸は?」
「オイラも7歳だよ!」
小太郎は驚いた。
「本当か? ずいぶん小さいな…」
その言葉に、朱丸は少し怒った。
「小さくない! 小太郎が大きいんだ!」
「ええ〜?」
小太郎は苦笑いを浮かべた。
山の中を進んで行くと、少し霧が出てきた。
歩いて行くと、大きな木の下に着いた。
「ここだよ」
朱丸は、その木に空いた、大きなウロに入った。
小太郎は戸惑いながら後に続く。
すると、突然めまいが襲い、小太郎は頭を押さえて目を瞑る。
次に目を開けた時には、目の前に小さな村があった。
「え? 本当に村が…」
小太郎が呆然としていると、村の入り口に女の人がやってきた。
「母ちゃん!」
朱丸は駆けていき、女の人に抱きついた。
髪色は朱丸と同じく、赤い色。歳は小太郎の母と同じ20代前半くらい。ただ違うのは、彼女は明らかに人間ではないということだ。
彼女の頭からは二本の角が生えていて、口には牙がのぞいている。
「…鬼…?」
小太郎が呟くと、朱丸の母は朱丸の頭を小突く。
「いたいよ!」
「朱丸。ここに人間を連れてきてはいけない。早くその子を帰しなさい」
「でも、仲良くなれたんだよ? いい人間もいるんだよ」
「その子はまだ子どもだから…。もし、大人に見つかったら、私たちは…」
「…ごめんなさい」
朱丸は母親に頭を下げると、小太郎の手を掴んだ。
「ごめん小太郎。村の外まで送るから…」
朱丸と二人で村の入り口にある、木のウロに入ったところに、朱丸の母が、話しかけてきた。
「ごめんなさいね。今日あったこと、絶対に他の人に話してはダメ。もし、約束を破ったら…」
女の鬼は、牙を剥き出し、恐ろしい形相で言った。
「おまえのこと食いにいく」
「ヒッ⁉︎」
小太郎は恐怖のあまり、固まった。
朱丸に体を押された小太郎は、来た時と同じくめまいが襲い、次に目を開けた時には、元の山の中、木のウロの中に立っていた。
「村がない…」
木の外に出ると、ひたすら大きな森があるだけだ。
「オイラの村は結界の中にあるんだ」
隣で手を繋いだ朱丸が呟く。
「結界?」
「オイラたちが連れて行くと、人間でも中に入れる」
「おまえも…鬼…なのか?」
「うん。まだ小さくて、髪の毛に隠れているけど、オイラにも角も牙もある」
小太郎はゴクンと唾を飲み込んだ。
「も…もし、人間の大人に見つかったら?」
「桃太郎に知らされて、殺される」
「桃太郎⁉︎」
小太郎は驚いた。
「知ってる?」
「有名な昔話だよ! 実在してたのか⁉︎」
「母ちゃんたちがいつも言ってる。桃太郎の子孫が生き残りの鬼を探してるって…」
「……桃太郎は正義の味方だと思ってた…」
「小太郎…?」
「朱丸。オレ絶対言わないよ。きっとまた会えるよな?」
小太郎の言葉に朱丸は、頬を赤く染めてとても嬉しそうな笑顔で頷いた。
小太郎は自分の村へと帰っていった。
それからしばらくして、小太郎が村で畑仕事を手伝っていると、
小太郎の名前を呼ぶ声が聞こえた。
聞き覚えのある声に振り向くと、朱丸が手を振っていた。
「朱丸⁉︎」
「えへへ…来ちゃった」
「大丈夫なのか、他の人間に見られても…」
「オイラ、角小さいから髪に隠れて見えないし、大丈夫」
「けど…」
小太郎は、朱丸の頭に手ぬぐいをかぶせた。
「小太郎?」
「おまえの髪色、珍しいんだよ。かぶっておけ…」
「うん」
少し離れたところで作業していた母親が、こちらへきた。
「小太郎? その子見かけない子だね…」
「学校の友達だよ。夏休みの間会えないの寂しいって、隣の村から来たんだよ」
「まあ! 小太郎ったら、もう恋人ができたの? お父ちゃんに似てモテるのね」
「え⁉︎ ち、違…」
「遊んできてもいいけど、早めに帰ってくるのよ」
「…はーい」
小太郎は朱丸を連れて、いつも遊んでいる神社へ向かった。
お社の周りは、大きな林で囲まれているから、村の友達と鬼ごっこや隠れんぼをしてよく遊んだ。
「ねえ、さっきの恋人ってどういうこと?」
朱丸が聞いてきた。
「あー、朱丸のこと、女の子だと思ったんじゃないかな?」
「オイラ、男だよ!」
「かわいい顔してるからな、おまえ…」
小太郎がニンマリ笑うと、朱丸はムッとした。
「ところで、朱丸は自分の村の友達と遊ばないのか? 危険を冒してこっちに来なくても…」
「オイラの村、オイラと同じくらいの年頃の子いない。そもそも村の鬼少ないし、オイラよりもだいぶ大きい子しかいなくて…」
「オレ、おまえより大きいよ?」
「背じゃなくて年齢の話!」
からかわれて、朱丸は怒った。
「ごめんごめん」
「でもオイラ本当は、小太郎に会いたかったから…」
「…そっか」
小太郎は照れて、頬をかいた。
二人で話していると、いつものメンバーが神社に集まり出した。
男の子2人と女の子2人。学年はバラバラだが、皆同じ小学校に通っている。
いつも小太郎も入れた5人で遊んでいるが、今日はもう一人いる。
「あれ? 小太郎その子だれ?」
「あ〜、隣村の子だよ。朱丸っていうんだ」
「あれ? 男の子なんだ?」
「また言われた〜」
朱丸は不貞腐れた。
「まあまあ、遊ぼうぜ」
細かいことは気にせず、皆で日が暮れるまで遊んだ。
そうして、小太郎が夏休みの間、朱丸は村へ下りてきては、小太郎たちと遊んだ。
宿題をやっている小太郎を、興味津々で見たり、畑仕事を一緒に手伝ったりして、小太郎の家族とも仲良くなった。
「朱丸ちゃん男の子だったのね。お母ちゃんてっきり…」
朱丸を女の子だと思っていた母の誤解も解け、楽しい夏休みが続いていった。
実は朱丸は、小太郎の村へ行く時には、母や皆の目を盗み、こっそり行っていた。
バレた時には、めちゃくちゃ怒られた。
それでも、『角が小さいおかげでバレてないし、みんなオイラが赤い髪でも怪しまないよ。小太郎が言ってた。今は、日本にがいこくじんが来ているから、オイラをその人だと思ってるんだって。その人達の髪はいろんな色しているんだって…』
と説明したら、長老でもある朱丸の祖父が言った。
『そうか。バレてないならいいんじゃないか?』
『でも、お父さん』
『朱丸は、その村に好きなオナゴでもできたのじゃろう?』
祖父が言うと母は黙って、心配いっぱいって顔をした。それでも最後には、仕方ないなと言った。
朱丸は、好きな女の子がいるわけじゃなかった。でも、そういう事にした。そうすれば小太郎たちと遊べるから。
そんな日々の中、朱丸のことを怪しいと思っている人物がいた。
小太郎の父だった。
以前、朱丸の頭の手ぬぐいが取れ、赤い髪の毛に驚いたが、親が外国人だから、という小太郎の言葉に納得した。明治になり東京の方では珍しくないと聞くが、こんな田舎の村ではまだ珍しいだろう。手ぬぐいで頭を隠していたのもわかる。だが…。
隣村から来ていると言っている朱丸が帰る時、隣村に続く道ではなく、なぜか山の中へ入って行く。そこだけが、どうも腑に落ちないのだ。
「どうじゃ? 正太郎。あの子は本当に人間だと思うか?」
小太郎の父が、村長の家で会合をしていると、村長が髭を撫でながら聞いてきた。
「朱丸のことですか…」
「他に誰がいる? 怪しいところがあると言っておったろ?」
「ですが、人間だと思うか? とは…」
「江戸の初めの頃…。この村の近くの山に、鬼が住み着いていたという記録があった。それで、当時は家畜などを食われる被害があって、桃太郎一族に依頼した。と書いてあった」
「桃太郎…ですか…」
正太郎は信じられないという顔をした。
「昔話の桃太郎は、鬼を退治たが、一部の鬼に逃げられた。その鬼の生き残りが、また人間に悪さをするのではと、鬼を一匹残らずせん滅するようにと、帝から命を受けたそうでな。今はその子孫が、鬼を探しておるそうじゃ」
「ですが、もし桃太郎一族がこの付近の鬼を退治してくれていたなら、鬼はもういないのでは?」
「残念ながら、鬼はおるよ。当時子どもの鬼を数匹逃がしてしまったらしい。今はおそらく結界を張って、人間に見つからないようにしているだろう…」
「結界…」
「その時の桃太郎の子孫がな、かわいそうでどうしても子どもの鬼を殺せなかったんだと。その子鬼たちに結界の術を授けたのが、その子孫本人らしい」
村長は、「まったくやっかいな」と呟き、持っていた煙管を咥えた。
正太郎は、朱丸はおそらくその逃げた子鬼の孫くらいなのだろうと思った。鬼は長寿だと聞く。
もし、本当に朱丸が鬼なら、角や牙があるはず。今のところ見かけたことはないが。
まだ子鬼であるがゆえに、角も牙も小さく見えにくいだけの可能性もある。
会合からの帰り、正太郎は、小太郎と遊ぶ朱丸を見かけた。
「ちょっと便所行ってくる」
小太郎が離れ、一人きりになった朱丸を、後ろから羽交い締めにした。
「お、おじちゃん?」
朱丸が暴れると、正太郎は朱丸の口を塞ぎ、人気のない方へと引っ張っていった。
「な、何するの?」
頭の手ぬぐいを取り、頭を撫で回す。
「や、やめてよ」
朱丸は、正太郎がふざけているのだと思った。
「角…あるな…」
正太郎がポツリと呟くと、朱丸は目を大きく見開き、両手で頭を押さえて蹲った。
その行動で、朱丸が鬼であると確信した。
「まだ小さい。だから隠せていたんだな。それから…」
正太郎は朱丸の口を無理矢理開くと、牙を見る。
「小さいが、牙もあるな。ああ、よく見ると、耳も尖っている」
「あ…ああ…」
顔をあちこち触っていた正太郎が気がつくと、朱丸は涙を流しながら、絶望したような声を出した。
正太郎は、今さらながら小さな子どもに何をしているんだと、自分を恥じた。
「すまん。怖がらせてしまったな」
「オ、オイラ、人間を食べたりしないよ? おじちゃん、オイラが人間に悪さしないか心配だったんでしょ?」
朱丸が震えながら言った。
「母ちゃんたちだって、人間に悪さしたことなんかない。今はオイラ達は、静かに暮らしているんだ」
それから、朱丸は、申し訳なさそうに呟く。
「ただ、オイラは、小太郎と遊びたかっただけで…」
正太郎は「そうか」と言うと、朱丸の頭を優しく撫でた。
そこに小太郎がやってきた。
「父ちゃん? 朱丸?」
朱丸の涙と、落ちている手ぬぐい。乱れた髪。
小太郎は頭に血が昇った。
「何したんだ? 朱丸になにしたんだよ⁉︎」
朱丸の体を抱きしめて、父を睨む。
「小太郎…」
「なんだよ⁉︎」
「その子は鬼だろう? もう会わない方がいい。父ちゃん、朱丸が鬼だったって誰にも言わないから、朱丸は今まで通り、自分の村で静かに暮らしなさい」
「…そっか…バレちゃったんだ…」
小太郎は寂しそうに呟いた。
「村長が疑っている。村のみんなを守りたいなら、山から出ないことだ」
父の言葉に小太郎は頷く。朱丸も、わかったと小さく呟いた。
自分のわがままで、村のみんなを危険に晒すわけにいかない。
それはわかっているが、朱丸は、小太郎と離れるのがいやだった。
朱丸を村の結界の近くまで送った小太郎。
「じゃあな…」
帰ろうと背を向けると、朱丸が背中に抱きついてきた。
「朱丸?」
「イヤ…だ…小太郎…。お別れ…したくない…」
涙混じりの声で話す朱丸。
「オイラ、小太郎が大好き。ずっと一緒にいたい」
小太郎はため息をついた。
「あのさ」
小太郎は朱丸の目を見た。
「もう村には来ない方がいいけど、オレがこの森に遊びに来ればいい」
「え?」
「父ちゃんにはもう会うなって言われたけど、そんなのイヤだ。だから、これからはオレが会いにくる」
朱丸はパアッと笑顔になり、小太郎に抱きついた。
朱丸が自分の村へ帰り、母に小太郎の父にバレた事、それでも朱丸の事を黙っておくと約束してくれた事を話した。
「もう村へ行ってはダメ。これからは結界の中で過ごしなさい」
「わかった。村へは行かない。でも、山の中で遊ぶのは許してよ」
「何を言っているの? 近いうちにここを捨てて、よそへ移るのよ。人間にバレてしまったのだから」
「でも、小太郎の父ちゃん言わないって…」
母は悲しそうに朱丸を抱きしめた。
「母ちゃん?」
「人間はね。平気でウソをつくの…」
「そんな…」
朱丸は、前に祖父から、母が昔、人間に恋をして、裏切られた事があったと聞いたのを思い出した。その後、朱丸の父と結婚して朱丸を産んだと。
「でもね、母ちゃん。オイラ、離れたくない子がいる。その子の事好きなんだ。約束したんだ、山の中で一緒に遊ぶって」
母は複雑そうな表情をして、息を吐いた。
「その子人間なのよね?」
「うん」
朱丸は、母が心配する理由が、一つではない事に気づいていた。
桃太郎の子孫が探しにくるかもしれない事。朱丸がその人間に裏切られて傷つくのではないかと言う事。
鬼は基本同じ種族と結婚する。だが、人間と結婚した鬼もいた。
鬼は愛した者に情が深く、好きになると一途にその者だけを追い求める。それゆえに、鬼の一族は兄弟が多い。ただ朱丸の父は、朱丸が産まれて間もなく、食料調達に行った後亡くなった。おそらく、桃太郎一族にやられたのだと、その傷を見た祖父は言った。
だから、朱丸は一人っ子だった。
「その子と過ごさせてあげなさい。愛した者と別れることは、鬼にとって角を折られるくらい辛いことじゃ。そのオナゴがよほど好きなのじゃな…」
祖父が言った。
(女の子じゃないんだけど。それにオイラは恋とか愛とかまだよくわからない。ただ、小太郎が一番好きって事だけ…)
「しかし、来週にはここを移るぞ」
朱丸は頷いた。
それから小太郎と朱丸は、森の中で待ち合わせ、一緒に遊んだ。
時には朱丸が、山の植物の中で、何が食べられるものか教えてくれた。
「オイラたち、この山を出るんだ」
「そう…なのか…」
「うん」
「さよならだな…」
小太郎が呟くと、朱丸は泣きだした。
「朱丸」
「うぇっ…う…小太郎と、離れたく…ない…」
「別れもあれば、出会いもあるって父ちゃんが言ってた」
「小太郎は、さみしくないの? オイラと離れても…」
「寂しいよ。でも、きっと、次に住む場所で新しい友達ができるさ」
「オイラは鬼だから、人間とは友達になれないし、鬼はもうオイラ達しかいないんだって、爺ちゃんが言ってた」
「オレとは友達になれたろ?」
「小太郎は特別だよ」
「オレは特別…そっか…。それで、いつ行くんだ?」
「来週だって」
「それまでいっぱい遊ぼう」
「…うん」
朱丸は涙を拭くと、笑顔を作った。
村に帰った朱丸は、ずっと泣いていた。
「なあ、朱丸」
祖父が優しく話しかける。
「おまえだけ残るか?」
「え?」
「お父さん⁉︎」
朱丸の母は「何を言うの!」と祖父に詰め寄る。
「後悔しない方を選べ。鬼の寿命は長い。ここでその子と別れても、また誰か好きな子ができるじゃろう。じゃが、おそらく鬼の種族はワシらで最後じゃ。結婚相手もこの村の誰かから選ぶことになるじゃろう」
祖父の話に、朱丸はつい周りを見回す。同じ年頃の子がいないし、朱丸よりだいぶ年上の、お兄さんお姉さんから生まれた子と結婚する事になるのだろう。
「それとももし、おまえが人間を選ぶと言うなら、近いうちにくる別れを覚悟しなきゃならんぞ」
「別れ?」
「鬼と人間は生きる長さが違うのじゃ。人間の方が先に老いて亡くなる」
「え?」
朱丸は、初めて聞く事実に愕然とした。
「朱丸、別れを覚悟できないなら、ワシらと共にくるんじゃ。新しい土地でまた村を作ろう」
「うん」
その夜、朱丸は眠れずにいた。
ふと、祖父の部屋を見ると、祖父はまだ起きていた。
薄い灯りの中、祖父はキラキラした黒い石を持って眺めていた。
「それ何?」
「おお…朱丸…起きておったのか」
「うん。眠れなくて…それは何?」
朱丸は、興味津々という顔で見ていた。
「これはな、神話の時代から伝わる秘術を込めた石じゃ」
「秘術?」
祖父は昔話を始めた。
「昔々、人間に恋をした鬼がおりました。ですが、人間は鬼よりもはるかに早く老いて死んでしまいました。鬼は悲しくて悲しくて、三日三晩泣き続けました。すると、鬼の涙が固まって石になりました。その石を抱いて、どうか人間とずっと一緒にいさせてくださいと、鬼は願いました。死後に人間と鬼は違う場所へ旅立ってしまうのですが、鬼の強い想いを受け入れた神は、死後もずっと一緒にいられるように、鬼の魂を人間の亡骸に入れました。すると、人間の魂と鬼の魂は、共に極楽浄土へ行くことができたのでした」
“めでたしめでたし“と締めくくった祖父を、朱丸は訝しげに見た。
「めでたくないよ。二人とも死んでるもん」
「ははは…昔話じゃからな…。この石はその時鬼が残した石じゃ。
二人の想いが残っている。この石に願いを込め、自分の血を注ぎ、人間の胸に手を当てる。その時自分の血と人間の血を混ぜる。すると、自分の魂を人間の中に入れることが出来る。そうして死んでしまった人間と、一緒に極楽浄土へ行けるという秘術じゃ」
朱丸はその石を大事そうにしまう祖父を見た。
(結局死んでしまうじゃないか)
その秘術をその時は変わった秘術もあるなとしか思わなかった。
次の日、朱丸は待ち合わせ場所に行った。だが約束の時間になっても小太郎は現れない。しびれを切らした朱丸は、村の入り口からそっと伺った。
だが、いるのは大人ばかりで、朱丸は仕方ないと、また山の中へ入っていった。
その後、小太郎がすぐ現れた。
「遅いよ」
「ごめん。妹がぐずりだして、母ちゃん手が離せなくってさ、オレがオムツ替えたりしてたから」
「そっか。なら仕方ないね」
朱丸は小太郎の家で見た、まだ赤ちゃんの小太郎の妹を思い出した。
「それより、ここ待ち合わせ場所よりだいぶ下の方じゃん。どうした?」
「小太郎が遅いから、見に行った」
「村に来たのか?」
「でも、入り口のところまでだよ。周りに人いなかったもん」
「なら、大丈夫か」
「うん」
しかし、そんな朱丸の姿を目撃していた人物がいた。
村長の孫娘、チヨだ。チヨは最近長男を出産したばかりだった。
「お爺ちゃん。さっき、あの子いたよ。赤い髪の…。やっぱり、隣村じゃなくて、山から来てた。お爺ちゃんの言う通り、山に住んでる鬼なのかも…」
「やはりな。隣村に赤毛の子がいるか確認したが、赤毛の子など生まれたことはないと報告を受けた。鬼という事を隠そうと、小太郎がウソをついていたのかもしれん」
村長は、小太郎の家へ行くと、そのことも含め正太郎に問いつめた。
「あの赤毛の子はやはり鬼じゃないのか? 正太郎、おまえ何か知っておるな?」
「し、知りませんよ」
正太郎はそそくさと、家へ引っ込んだ。
次の日の朝早く、小太郎は父親に叩き起こされた。
「ふぁ…なんだよ父ちゃん。学校は明日からだって…」
「大変だ。村の牛が喰われたんだ。村長に呼ばれたんだが、小太郎も呼べと言われた」
「え? 狼が山から下りて来たの?」
「たぶん。だが、村長は朱丸を疑ってるんだろう」
「え? なんで…」
「隣村には赤毛の子はいないってバレた。それに、昨日、朱丸が村の入り口から様子を見ているところを、チヨさんが見てたそうだ」
「それだけで、朱丸が鬼だなんて思わないと思う」
「昔の村の記録にな、この辺の山に住んでた鬼が、家畜を喰い殺し、桃太郎の子孫に退治されたが、ソイツはわざと子鬼は逃がし、結界を張る術を教えたとあった」
小太郎はギクリとした。
「それってまさか…」
「朱丸の祖父母なんだろうな。その時の子鬼」
皆が集まる広場へ行くと、村人たちから非難の目で見られた。
「小太郎。あの子鬼を連れてきたのおまえだろ? おまえのせいで大事な牛が喰われてしまった」
「ちょっと待ってください。あの子が鬼だとどうして言い切れるんです? それに、先ほど喰われた牛を見ましたが、冬にも同じ食いあとを見ました。狼だと思います」
正太郎が断言すると、皆ざわざわと意見を述べていく。
「確かに」
「まあ、鬼なんてな、大昔、本当に存在していたのかも、今となってはわからないし…」
「村の記録とかもな、ある意味見間違いとかも有り得る」
そんな村人たちの中、はっきりと宣言する声が響いた。
「鬼はいますよ」
村人が一斉に注目した。
その人は軍服に身を包んだ16〜17歳の少年だった。
にこやかに村人たちを見渡す。
「僕の先祖が退治したんです。残念ながら、せん滅させることが出来なかったんですが…」
小太郎は、背中がぞわっとした。
「申し遅れました。僕の名前は、吉備津桃寿郎。14代目、桃太郎です」
小太郎は山に走った。本当に桃太郎の子孫が来た。早く朱丸に知らせなければと。
「朱丸!」
「小太郎?」
朱丸は、山菜を採っていた。
「どうしたの? まだ待ち合わせの時間じゃないよね?」
「大変だ! 桃太郎の子孫って人が来た」
「え⁉︎」
「どうする?」
朱丸は頭を抱えた。
「どうしよう…そうだ。みんなに知らせなきゃ!」
朱丸は自分の村の方へ走り出す。小太郎も後を追った。
霧に包まれた森にたどり着いたところで、突然目の前に長身の美女が現れた。彼女は軍服を着ていた。小太郎はいやな予感がした。
彼女は、朱丸を捕まえた。
「桃寿郎様、捕まえました」
小太郎の後ろから現れた、吉備津桃寿郎。
「よくやったね。椿…」
「はい!」
椿は褒められて、嬉しそうに頬を染めた。
「やだ! 離して!」
「朱丸を離せ!」
小太郎は、椿に向かっていく。
「動くな…」
桃寿郎は抜いた刀を、朱丸に向けた。
「…っ」
小太郎は足を止める。桃寿郎は、朱丸の腕をつかむと、その首筋に刀をあてた。
「ヒッ!」
「朱丸…」
「椿、その子どもを拘束して」
「はっ!」
小太郎は逃げようとするが、椿に捕まった。
「ふむ…」
桃寿郎は、一度刀をしまうと、朱丸の体をガッチリ捕まえたまま、頭や、口の中を触る。
「ん!」
朱丸が嫌そうに首を振った。
「角と牙…小さいけれど、あるね。君は鬼だ」
「やめて…」
「僕はね、鬼を退治しに来たんだ」
桃寿郎は、刀を持ち直す。そして、再び首筋にあてた。
小太郎は唾を飲む。
「あ、あんたはさ、この村にずっといたの?」
「桃寿郎様にむかって、あんたとはなんだ?」
「…う」
椿が拘束を強くし、小太郎は小さく呻く。
「いいよ椿。そんなに強くしたらかわいそうだ。そうだね。僕は東京にいたよ。この村の二つ隣の村に、椿がいた。ここら辺の山に昔鬼がいて、僕の先祖が一部逃がしたらしくてね。定期的に僕の部下を置いていたんだ。で、椿から、鬼らしき子どもがいるって報告受けて、僕が来たってわけ」
桃寿郎が一気に話す。
「大変だったよ。東京からここまでさ…」
疲れたように息を吐いた。
「そ…それで…オイラ…殺す…?」
朱丸が震えた。
「殺さないよ…だって殺したらさ…鬼の村の場所、わからなくなっちゃうでしょ?」
さも、当然というように言い切る。
「それでさ。村…どこにあるの?」
「村なんて…ないよ…。オ、オイラは一人で暮らしてる」
「いや、村はあるはずだ…」
朱丸は、チラッと目を動かす。その方向には、村へ通じるあの木がある。
「なるほど、そっちか」
「⁉︎」
朱丸は「なんで?」という顔をした。
桃寿郎は、刀をあてながら、そちらに歩くように促す。朱丸は渋々指示に従う。
霧の中、大木のウロを見つけた桃寿郎は、嬉々として尋ねた。
「ここか? 結界があるんでしょう?」
朱丸は、首を横に振る。
「ねえ…君さ…あの子、友達でしょ? 痛い目に合わせたくないよね?」
「…小太郎に、何かするの?」
「あの子、小太郎っていうんだ…」
「オイラは、殺されてもいい。でも、家族や小太郎は…」
「へー。小さいのに、覚悟決めてるんだね。でもさ…」
桃寿郎は、後ろを振り向く。椿に拘束された小太郎が見える。
「ねえ…椿…。この子意外に頑固だよ。小太郎くんさ、少しいじめてやって」
「御意」
「何を⁉︎」
朱丸が叫ぶと、小太郎の声が聞こえた。
「…がっ! ぐ…!」
よく見ると、椿の腕が小太郎の首に食い込んでいる。腕を外そうと爪を椿の腕に立てていた。血が滲む。
「…あ…ぐ…」
「やめて! 結界の中に入るから! 小太郎を離してよ!」
朱丸が泣き叫ぶ。桃寿郎は、笑みを浮かべた。
小太郎は解放されると、大きく咳き込んだ。ぐったりとして、椿に寄りかかっている。
「小太郎…」
「ほら、早く…」
桃寿郎に促され、朱丸は結界に足を運んだ。
朱丸が村へ入ると、母がいた。
「お帰…⁉︎」
母が朱丸の後ろの男を見て驚愕に震える。
「母…ちゃ…ごめ…なさ…」
首に刀をあてられたまま、涙を浮かべた朱丸。
この男が、桃太郎の子孫で、朱丸を脅し、結界の中に入ったのだと、母は一瞬で理解した。
「あ、朱丸…」
「逃げてみんな! 早く逃げ…」
桃寿郎は、叫ぶ朱丸を突き飛ばした。地面に転がって、顔を上げた時には、桃寿郎が母へ刀をふりかざす所だった。
「母ちゃん!」
刀が母の体を切り裂き、倒れていく。母は苦しそうに呻く。
「その…刀…」
「気が付いた? 破鬼の剣と言って、かつて桃太郎が使っていた刀だ。普通の刀で斬っても、鬼はすぐに治ってしまう。でも、この刀は鬼を退治する特別なものでね。例え致命傷じゃなくても、その傷は長い間ジクジクと痛み、熱を生み苦しみを与える。
ふふ…苦しそうだね。今楽にしてあげるよ」
「母ちゃん!」
朱丸が、母の元へ行こうとする。
「逃げなさい!」
鬼気迫る叫びに、ビクッとたじろぐ。
桃寿郎が母にとどめを刺し、動かなくなった。
「あ…ああ…」
朱丸は力が抜け、へたり込んだ。
逃げまどう村人たち。桃寿郎は、あっという間に鬼たちを殺した。
最後に朱丸の方に逃げてくる、年老いた鬼。村長だった。
「爺ちゃん!」
「朱丸、これを…」
祖父が差し出したのは、あの黒い石だった。
「後悔…しないように…な」
そう言うと、祖父は倒れた。背中には、刀傷があった。
「爺ちゃん! 死なないで! 爺ちゃん!」
祖父はすでに、息をしていなかった。
「最後は君だけだね」
桃寿郎は、朱丸に刀を突き付ける。
「ここまで案内してくれたお礼に、殺すのは最後にしてあげようと思ったんだけど、余計なお世話だったかな?」
「みんな…死んだ…の?」
「そうだね。ここ百年、鬼の目撃情報がなかった。きっとこの村が最後の鬼の村だ。だから、君が最後の生き残りだよ」
桃寿郎はニコリと笑った。
「君を倒せば、桃太郎一族の使命も終わりさ」
油断している桃寿郎は、朱丸を捕らえてはいなかった。隙をみて走りだし、村の入り口、結界のある大木のウロに向かって叫ぶ。
「小太郎助けて! 小太郎‼︎」
一方、椿に捕まっていた小太郎は、朱丸の声が聞こえた気がした。
小太郎は椿に体当たりした。今さっきまで、ぐったりしていた小太郎に油断していた椿は、バランスを崩し、尻餅をつく。
「痛った〜」
小太郎は、椿を押し倒し、どさくさに紛れて胸を揉んだ。
「キャア!」
椿は腕で胸を隠し、解放された小太郎は大木のウロに向かった。
「こら! 待ちなさい!」
鬼の村への結界は、難なく通る事ができた。朱丸が小太郎を呼んだから、呼ばれた人間は入ることができるのだろう。
小太郎が村へ入った時、見たのは、後ろから朱丸の腕をつかみ、その背中に刀を振り下ろそうとしている、桃寿郎の姿だった。
「朱丸!」
小太郎は、朱丸に思いっきり抱きついた。
「わ!」
バランスを崩した朱丸は、仰向けに倒れていく。桃寿郎がつかんでいた朱丸の腕は自然に離れ、刀は、勢いのままそのまま振り下ろされた。
「うああ‼︎」
小太郎が叫ぶ。桃寿郎の刀は、小太郎の背中をざっくりと斬っていた。
「え⁉︎ 小太郎⁉︎」
小太郎の下敷きになっている朱丸は、なんとか這い出し、傷の酷さに愕然とした。
「小太郎…! あ…やだ…! ウソでしょ⁉︎」
「うう…ぐっ…」
「あーあ」
慌てる朱丸と苦しむ小太郎の横で、桃寿郎は気の抜けた声を出す。
「人間斬っちゃった。この刀、人間斬るの御法度なんだよね。鬼を斬るための特別な刀だから、人間を斬ると穢れるんだよ。こうなるともう鬼は斬れない。お清めしないといけないんだ。お清めも時間かかるんだよね」
やれやれというように、一人言を呟く桃寿郎。
「…穢れ…?」
朱丸が呟く。
「この刀は、鬼の血が大好きなんだ。でも、人間の血は嫌いでさ。嫌いなもの食べて、へそ曲げちゃってるっていうか…。もう、今日は鬼を斬れないからさ、命拾いしたね君…」
桃寿郎は立ち上がると、大木のウロに向かった。
「ねえ! 小太郎を助けて!」
「あー、残念だけど、小太郎君は助からない。もうすぐ死ぬよ」
桃寿郎は結界を抜けていった。
「小太郎…」
「…ぐ…ゴホッ…」
うつ伏せのままの小太郎は、ヒューヒューと細い息を繰り返す。
「死んじゃう…の? 小太郎も…。みんな…も…いなくなった…。オイラ…一人ぼっち…」
小太郎の息が弱くなる。朱丸は涙を流して、小太郎の体に縋り付いて泣いた。
「イヤだ! 小太郎死なないで! オイラを一人にしないでよ!」
「朱丸…ご…めん…な…」
小太郎はゴホッと血を吐いた。朱丸の耳に届いていたはずの鼓動が、音を止めた。
「あ…ああ…」
朱丸は絶望の声を出した。
「そうだ…」
朱丸は、祖父に渡された黒い石を取り出した。
「大丈夫だよ小太郎。オイラも一緒に極楽浄土に行く。本来なら、人間と鬼は死んだ後、一緒の場所には行けないんだって。でもね、この秘術があれば、一緒に逝けるから…」
朱丸は、自分の手を切ると流れる血を石に浴びせ、それを握った手を小太郎の体に置いた。
「お願い…小太郎とずっと一緒にいたい」
朱丸は、手に額をつけて願った。
「でも、本当は、生き返ってほしい。あの世じゃなくて、小太郎とこの世界で生きていきたいんだ」
手の中でピシリと音が鳴った。手を開いてみると、黒い石は粉々に割れた。
「え?」
その中に、透明の石があった。小さくて丸い綺麗な光。飴玉のサイズのそれを、朱丸は持ち上げ、日の光にかざした。
「キレイ」
するりと手が滑り、石が落ちる。
「あ…」
石は朱丸の口に落ち、反射的に飲み込んでしまった。
「飲んじゃった。…う?」
胸が熱くなって、手を当てた。
朱丸の脳裏に、一つの映像が浮かんできた。
―男の鬼が泣いている。傍らには、人間の女性が眠っていた。いや、眠っているのではなく、死んでいるのだ。
鬼は泣き続けた。そうして、涙は透明の石を作った。
「彼女を生き返らせたい。ずっと一緒に生きていきたい」
鬼の願いを神は聞いた。
女性は年老いていた。寿命による死は、これ以上伸ばせない。
鬼は、ならば魂は一緒に極楽にと。自らの胸に刀を刺し、血を流す。
透明な石に浴びせた血。鬼の肉体は崩れ落ち、魂は人間の亡骸の中へ。二つの魂は天に昇る。透明な石を守るように、ついた血は固まり、黒く石のようになった―
朱丸は、見えた映像に涙を流す。
本当は一緒に生きていきたかったんだ。
その鬼の気持ちがわかる。
自分も、一緒に小太郎と生きていきたい。
―それなら、その願い叶えてあげるー
胸の中から声がする。果たしてそれは神さまなのか。それとも、石に残った、鬼の思念なのか。
朱丸の胸はもっと熱くなった。
「う…あ…」
小太郎の体に縋り付き、熱をやり過ごす。
そのうち、ひどく眠くなって、朱丸は目を瞑った。
小太郎は、目を覚ました。
「あ…オレ…死んで…」
《死んでないよ》
どこからか声がする。
「朱丸? どこ…?」
《オイラは小太郎の中だよ》
「は?」
《小太郎の止まった心臓、オイラが動かしてる》
「…どういう…ぐっ!」
起き上がろうとして、酷い痛みに呻く。
《小太郎…オイラの体なのか…魂なのか…わからないけど、小太郎の心臓ととけ合わさってるのかな…たぶん》
「たぶん…って」
《オイラもよくわかってない。詳しい話はまた後で。それでね、小太郎の体の傷は治ってないんだよ。心臓をかろうじて動かしてる状態》
「ハアッ…ハアッ…ぐ…うう…治せ…るのか?」
《今、オイラの妖力がだいぶ少ない。だから、増やせたら、治せる》
「どうやって…増やす?」
《目の前に、オイラの爺ちゃんが倒れてる》
「ああ…」
《そこまで、なんとか移動して…》
小太郎は、ずりずりと体を移動させる。動くたびに激痛が走った。
「あ…ぐっ! うう! ハアッ…ハアッ…」
《頑張ったね。じゃあね、爺ちゃんを食べて…》
「え?」
《…無理かな? 人間は死んだ人食べないもんね》
「鬼は…食べる?」
《親が死んだ時、その妖力を子どもが引き継ぐためにね。でも、全部じゃないよ。体の一部だ。鬼も人間と一緒で、死んだら埋葬して墓を作るよ。本当は、母ちゃんがよかったけど、だいぶ離れてるから、移動大変だもんね》
小太郎から、一番近かったのが祖父だった。
《無理なら血だけでもいいよ。それでもだいぶ回復する》
小太郎は、覚悟を決めて、朱丸の祖父の血を舐めた。
瞬間、体に熱が走り、血液が巡る感覚がした。
小太郎の目が赤く光る。大きく口を開けて、肉にかぶりついた。
《小太郎…》
しばらくして、朱丸の声がした。
《小太郎、もういいよ。もう充分》
小太郎が、ハッと気づくと、朱丸の祖父のお腹の部分を、だいぶ食べていた。
《大丈夫? 無意識だったかな?》
小太郎は、手や口の周りについた血が気になった。
「オレ…あ…どうし…」
小太郎は呆然とした。
《小太郎、妖力回復して、傷も治ったよ。ねえ、大丈夫?》
「オレ…食べ…」
《食べるつもりなかったんだね? 大丈夫だよ。爺ちゃんの体残ってるからね。ちゃんと埋葬してあげよう。母ちゃんや他のみんなも》
小太郎がショックを受けているのは、無意識のうちに、食べてしまったという事実。
朱丸の頼みで、村のみんなを埋葬し、墓を作った。
《帰ろうか。小太郎の村に》
「……」
《小太郎…》
だいぶ落ち込んでいる。
《やっぱりオイラの体ないね。小太郎の中に一緒に入ったのかな? それとも魂だけで、肉体は消滅したのかな?》
「朱丸。オレさ、人間なのか?」
《え?》
「おまえが中に入ったから、鬼になったのか?」
《…わからない。でも、人間だったら妖力で、傷が治せたりしない》
小太郎は、自嘲気味に笑った。
「ハハ…オレも鬼か…。だったら、すごく長生きなんだろ?」
《う、うん》
「そうか。……余計なこと…して…」
《え?》
「人間のまま、死なせてくれりゃ良かったのに」
《小太郎…》
「オレはさ、もしかしてこれから、人間を襲うようになるんじゃないのか? 朱丸の爺ちゃんの血を舐めて、もっと欲しいって。もっと食べたいって。思ったんだ」
《……》
「怖いよ…朱丸。怖い…」
小太郎は、座り込み泣きだした。
「う…ああ…ひっ…ぐすっ…」
《小太郎…オイラ…う…あああ…ひっ…ずびっ…うああ〜ん》
「あ…ぐっ…う」
小太郎が胸を押さえて、蹲った。
《…ぐすっ…小太郎?》
「ハアッ…ハアッ…心臓が…ギュッって」
《あ…オイラが泣いたから?》
「そうか…もな…」
《小太郎、オイラ…勝手に小太郎のこと、生き返らせちゃって、ごめん》
「いや、オレの方こそごめん。本当なら、命助けてもらったのにお礼言うどころか、文句言って…」
《…人間を襲うことないよ。だってオイラたち鬼は、長い間、人間を襲ったりしないで生きてきたんだ》
「そういやそうか。でも、妖力ってどうやって増えるんだ?」
《何か特別なことがないかぎり、妖力は使わなかった。普通に人間と同じように、米や野菜、魚なんかを食べてきたんだ。たまには、猪や鹿を食べることもあったけど。野生動物にも少しは妖力の元がある。でも、人間や妖怪の方が圧倒的に多い。思考する生き物の方がたくさんあるんだって、爺ちゃんが言ってた。どうしても必要な時は、妖怪を食べてたよ》
「そうか」
それから朱丸は、なぜ、小太郎の中に入ったのか説明した。
祖父にもらった石。飲み込んでしまったけど、不思議な声が願いを叶えてくれた。眠って起きたら、小太郎の心臓と混ざり合っていた。そして、自分の存在が小太郎の心臓を動かしていると気づく。
なぜ、願いを叶えてくれると言った存在が、自分を小太郎の中に入れたのか? 止まった心臓を動かすのに必要だったのか? 詳しいことはわからない。
「朱丸。村に帰ろう。オレの村に」
《うん》
結界の外に出ると、すでに桃寿郎達はいなかった。
自分の村に向かう。
「朱丸はいいのか?」
《え?》
「オレの中に入って、自由がないじゃん」
《オイラは、小太郎と一緒なら、それでいいんだ》
朱丸の純粋な気持ちは、小太郎には少しくすぐったかった。