夕焼け
俺が高校生の頃の世界史の先生は定期テスト前になると授業中に自習の時間を設けてくれる人だったのだが、だいたいどこから仕入れて来たかもわからない昔話を喋っていた。教科書に載っている情報の裏話やオカルトめいた話、たまに日本の地名の語源。クラスの中にはその話に食いつくやつもいれば、うるさそうにしてノートをまとめているやつもいるし、机に突っ伏して動かないやつもいた。他の人に迷惑をかけずに自習をすればいい。と先生が言っていたためか、イヤホンを耳につけていたやつもいた。先生は「いいアイデアだね、でも私以外の先生の前ではおすすめはしないよ」と笑って言っていた。
そんな世界史の先生の昔話を俺が聞いたのは一度だけだった。いつもは教科書や資料集を重ねて机を少し高くし、そこに腕を組み顔を埋めて寝てしまうのだが、その日は暑い夏の日だったこともあってか寝ることはなく、むしろなぜか先生の話に惹かれていた。
内容はその昔、ヨーロッパのある地域に存在する村で起きた事件の話だ。その村の近くには小高い丘があり、教会が建っていたという。その教会には一人の神父、四人ほどのシスターがいたそうだ。格好は一般に「神父」や「シスター」と言われて思い浮かぶ物に黄色いフードがついたような物だったらしい。教会に所属する五人は村人達と大変仲が良く、子供達と遊んだり、村人達の仕事を手伝ったりしたそうだ。中でも、四人のシスターの内の一人は特別親交が深い者がいたようだ。長身で少し伸びた髪が片目を覆っている、そんな女性であったと記録が残っていると、先生は語っていた。
しかし、文献にあるのは容姿だけではないようだった。そのシスターは特殊な力を使うことで触れずに物体を動かすことができ、その力で村人達を助けていたという。村人達も最初こそは驚いたそうだが、彼女の思いやりの心を理解し、親交は深まっていったとされている。今となってはそれが本当なのかはわからない。もしかしたら後々邪魔になったときに排除する理由をでっち上げただけなのかもしれない。だが、不思議な力を持つシスターと村人達の仲が良かったのは事実だったようだ。事件が起こるまでは。
なんと、教会は周辺地域の村から子供を誘拐し儀式の生贄に使っていたのだ。儀式の内容こそ記録には残ってはいないが、多くの子供が犠牲になったようだった。このことを知った村人達は激怒。教会内にいた神父とシスターを惨殺し、教会に火をつけた。しかし、例の不思議な力を持ったシスターはどこかへ行っていたためか、そのとき教会内には居らず、少しの時間が経ってから教会へと戻ったそうだ。帰って来て燃える教会と血濡れた仲間を見るなり走り出し、神父を抱き、治療を施そうとする彼女を、村の若き青年は刺し殺した。
その後、青年は自ら首を括ったという。足元に落ちていた紙には赤い髪のシスターへの懺悔の言葉が綴られていたそうだ。
俺はこの話になぜか強烈に引き込まれていた。授業終了のチャイムが鳴るまで、窓の外でけたたましく鳴いているはずの蝉の声は一切耳に入ってこなかった。どこか無音の空間に一人取り残されたような、そんな不思議な感覚が俺を襲っていた。
授業が全て終わり、部活が終わっても不思議な感覚はまだ尾を引いて頭に残っていた。夕日がやけに赤く見える帰り道。少しぼんやりしていたのか、向かいから歩いて来た二人組にぶつかりそうになった。足元に向いていた目線を上にあげ、当たる寸前で躱す。金髪を結んだ赤い眼鏡の男に軽く頭を下げ、前を向いて歩こうとして。
足が止まった。
一瞬だった。
眼鏡をかけ、服装も変わり、髪色も違う。だが、片目を覆った黒髪に赤い夕焼けが差し込んだその風貌に既視感を覚えた。
午前中に聞いた昔話が高速で再生され始める。
蝉の声が遠のいていく。
思わず振り返った先には。
誰もいなかった。
空白に置いて行かれた俺を
「おーい、どうしたんだよ!早く帰ろうぜ!」
という声が現実に引き戻した。少し遠くにいる友達になんでもない、と返事をして止まっていた足を動かし始めた。蝉の声が一層うるさくなった気がする通学路を歩いていく。
高校を卒業して数年が経つ今でもあの日の記憶は頭に残っている。蝉が鳴く夕焼け空に、名も知らぬ少女の輪郭を映し出すほどに。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。