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「怪しい! あそこに忠光が居るに違いない!」
官兵衛がまたしても騒ぐ。
龍幻が何と言おうとも、霧島家への疑いが晴れぬ様子であった。
龍幻の動揺と官兵衛の指摘に後押しされ、藤華が離れに向かって歩きだす。
藤華の前に龍幻が、さっと立ち塞がった。
「この先は何人たりとも通ることまかりならぬ」
再び無表情に戻った龍幻が告げる。
それに対して藤華も落ち着いた表情で答えた。
「仕方ありませんね。それならば無理にでも押し通らせていただきます」
突如、高まった二人の対決の気配に、霧島門弟たちはどよめいた。
「「姉様!」」
綾女と桜も駆け寄ろうとするが、藤華が「これはあくまで私と龍幻さんの私闘です!」と制したため、両陣営ともに動けなくなった。
「おい、おい!」
重苦しい静寂を破ったのは刀也である。
にやにやと笑い、藤華の傍へと歩を進める。
接近する刀也に、藤華は油断のない視線を向けた。
刀也はすでにお互いが斬り結べる距離に侵入している。
「ずいぶん面白そうじゃないか! 俺も混ぜろ」
心底、楽しそうに口元を綻ばせた。
「駄目ですよ」
龍幻が即答する。
「けちけちするな! まず俺と霧島のお嬢ちゃんが立ち合う」
「だから、駄目です」
「何でだよ!?」
刀也が眉間を寄せ、不服そうに訊く。
「陣内さん、本気で斬るつもりでしょう?」
龍幻の眼差しは、極めて真剣であった。
「あれ? ばれてる?」
刀也がぺろっと舌を出す。
「気付きますよ。私がさせません」
「へえー。お前、俺を止められると思ってるのか?」
刀也が龍幻とにらみ合う。
突然、刀也の全身から立ち昇った不穏な空気が、その場の全員の顔をびしびしと打った。
霧島門弟と官兵衛はおろか、なかなかの腕前を誇る綾女と桜までが、凶暴な剣気に怯んだ。
「必要なら」
龍幻が、さらりと答える。
「ふーん」
刀也が右手を顎に当て、再びにやにやし始めた。
藤華が真っ直ぐにその顔を見つめる。
「私はどちらでも構いません。お二人に勝てば、お屋敷を隅々まで検めさせていただけますか?」
「へえー、言うじゃないか」
刀也の双眸に、じわりと冷たいものが滲みだす。
しかし、それと同時に「陣内さん」と龍幻が、またも口を挟む。
刀也が肩をすくめた。
「はいはい、分かったよ」
藤華の傍から退がった。
「立ち合い人になってやる。勝った方と俺が勝負するのも一興だな」
両腕を組み、口端をにっと吊り上げた。
それを確認した藤華が眼の前に立ち塞がる龍幻から、やや距離を取る。
「では」
そう言うと左手に長刀の鞘を握り、右手で柄を逆手持ちした。
この奇妙な構えに、霞剣法を知らぬ霧島門弟たちは驚きを隠せなかった。
「居合か…?」
「あの握り手は何だ?」
不可解な状態に、ざわめく男たち。
逆に綾女と桜は、まるで姉の勝利を確信したかの如く微笑んでいる。
「ほう…」
刀也が右手を顎に当て、両眼を細めた。
「霞剣法、奇異なり…か」
呟いた時には、藤華に相対する龍幻も刀を抜き、正眼に構えていた。
こちらは何とも定石で、自然体である。
藤華の特異な戦闘態勢にも、戸惑った様子が微塵もない。
二人が対峙し、一瞬で空気が張り詰めた。
お互いの発する剣気が絡み合い、ぎしぎしと軋む。
対決の密度が場を完全に制圧した。
あまりの緊張感に、刀也以外の全員が思わず固唾を呑む。
放つ闘気とは真逆な、二人の涼しげな風貌が、かえってこの戦いの凄絶な決着を予感させた。
本来ならば、死人が出るほどの斬り合いなど、両家ともに望んではいない。
最初は血気にはやっていた霧島門弟たちも綾女も桜も、いざ龍幻と藤華がここまでの真剣勝負に及ぶや、この場の雰囲気のまま突き進むのは、もしやすれば極めてよろしくない結末を迎えるのではないかと躊躇し始めていた。
では、今からでも二人を止めるべきではないのか?
そう分かっていても、完全に臨戦態勢に入った龍幻と藤華の間に立つほど覇気のある者は居ない。
この場でそれが可能なのは刀也ただ一人であったが、その当人ときたら、むしろ二人の対決を今か今かと心待ちに瞳を輝かせているのだから、世話はない。
すなわち、この時、龍幻と藤華の戦いはもはや不可避。