8、ずっとこのまま
「マコちゃん、『媚薬あります』だって。びやくってなーに?お土産に買って帰ろうよー」
「…………」
シンの脳天気な声が路地に響く。マコは聞こえないふりをした。繋いでいる手には、じんわりと嫌な汗をかいている。
西門の乗合馬車発着所に到着した途端、シンが、『西地区は治安が悪くて怖いし、手を繋いで歩きたい』と言い出したのだ。
やはり強がっていてもまだ子供。怖がっている割に嬉々として手を繋いでいるが、精一杯の演技かもしれない。
とはいえマコも、西地区の寂れた雰囲気に足がすくんでしまったのも事実だ。喜んでシンの提案に賛成し、中央通りへ向かう。
歩きながらも、いかがわしいお店の窓からナイスバディーなお姉様が、からかい気味に投げキスを寄越してきたり、通りすがりの酒の匂いのするおじさんが、マコの知らない謎のハンドサインを見せつけてくるのを、シンの目を塞いでやり過ごしたりしつつと忙しい。
道の片隅でいろいろな薬草を売っている露天商を見つけ、傷薬の補充をしておこうと覗いてみれば『めくるめく快楽の世界へ!』『今夜は眠らせない』などとポップのついた怪しい草しか売っておらず、次に来るときは遠回りしてでも西門以外の発着所に到着する馬車に乗ろうと、マコは固く誓った。
全くの異世界なのに、文字がスラスラと読める。言葉も難なく通じるし、コミュニケーションで苦労したことはない。一体どういう仕組みなのか分からないが、これだけは感謝するべきことなのだろう。
すんなり読めてしまう、いかがわしい名前の看板を横目にシンの手を強く握りなおした。ちらりと見やれば、怖がるどころか上機嫌でマコに大人しく手を繋がれて歩いている。シンの方は字は読めても何も分かっていないのかもしれない。
少しだけ、マコはホッとした。
歩くうち、どうやら治安の悪い地区は抜けたようだ。
行き交う人々も増え、通りにも活気が溢れている。
よく舗装された石畳の目抜き通りを歩くと、花や草木の植栽が美しい中央広場に出た。誘うようにあちこちの屋台からいい匂いが漂ってくる。
色とりどりの花輪を売り歩いている女の子もいれば、王都へ向かう旅人向けに、害獣よけのハーブの入った守袋を売る屋台、綺麗な声で高らかに歌を歌っている吟遊詩人もいて、先程の西地区とはうって変わった様子にマコの胸が高なった。
「やっと大通りに出られたね!緊張したらお腹が空いちゃった」
「露店もいいけど、せっかくだからどこかのお店に入ろうか?銀の鈴亭がスパイス料理で有名だよ。僕がご馳走するね」
「ダメだよ、シンくん。今日は他にも買いたいものがあるんでしょ?無駄遣いしちゃダメ」
気前のいいことを言うシンに、しかしマコはキッパリと首を振った。
マコもやや多めにお金を持ってきたといえども、贅沢はできない。カフェ経営で貯めた金銭は、本好きのシンが学者の道に進むことも想定して、学費などシンの将来のためにとっておこうとも考えているのだ。
ーーいつか自分が日本に帰った後も、シンが楽に生活できるように。
シンはマコが日本に帰る話をするのを嫌がるので、あまりこういった将来の話はできないでいる。近々話すべきかもしれない。
「私が払うから、シンくんのお金はなるべく使わないでとっておいてね。露店の食べ物も結構美味しそうだよ!ほら、ペレッチョサンドだって……ペレッチョ?全然どんな食べ物か想像つかないけど」
「せっかくのデートなのに……」
不満そうに何やらブツブツ言っているシンの手を引いて屋台へ向かう。
ペレッチョとやらは、焼いたちょっと分厚めのクレープにいろいろな野菜と甘辛いソースのかかった肉を挟んで食べる食べ物で、安い上にボリュームもあり、なかなかマコは気に入った。
「日本でもこういう食べ物食べたなぁ。懐かしい」
日本の屋台で友達と食べたケバブを思い出し、少し鼻の奥がツンとする。
隣でシンはペレッチョにかぶりついて、うんうんとうなずいていた。機嫌も少し直ったようだ。
「マコちゃんのいた世界は美味しいものがいっぱいあるんだね」
「うん、パンもふわふわなんだよ。シンくんに食べてもらいたいなぁ。でも、この固いクレープも、これはこれで美味しいかも。カフェでもこういうメニュー、出してみようか?」
「うーん、手間と原価を考えると、割に合わないし、やめた方がいい……」
シンの目が商売人の目に変わる。愛想は悪いが、店のやりくりはシンの方がうまい。
ふとマコは今の自分の立ち位置を考えてペレッチョを食べるのをやめた。
このままカフェを軌道に乗せ、シンが一人前になるまで見届けたい気持ちはとても強い。が、それと同じくらい帰りたい気持ちもある。まるで、グラグラと両方に傾く天秤に立っているみたいだ。
ひとまず、シンの成長を見守りつつ、帰る方法を探そうと結論づける。せっかく街まで出てきたのだから、情報を集めたいところだ。
「食べたらまず、本屋さんに行こうか?私もちょっと本を見てみようかな。調べたいことがあるし」
「調べたいことって?」
「うーん、魔法のこととかかなぁ。この世界の魔法?精霊術っていうんだっけ。それについて知りたいの。もしかしたらその精霊術とかで日本に帰る方法がーー」
「ないね」
キッパリした断言。シンが手についたソースを舐め、にっこりと笑う。が、やけに目が座っている。
「この世に満ちる六大源素、火、水、土、風、闇。そして光。それらを司る源祖に連なる眷族を使役して使う術が精霊術」
「……うん」
「マコちゃんが言う、日本に帰る方法は多分、時空転移だよね?それは精霊術の管轄じゃない。残念だね……」
スラスラと述べるシンにマコは閉口し、ぎこちなく首を傾げた。正直、話の半分も理解できない。
「でも、もしかしたらシンくんの知らない魔法があるかも……」
「僕の知らない?」
シンが吹き出しそうに手で口元をおおう。本ばかり読んでいるからか、知識には自信があるのだろう。
「たしかに、僕の知らないこともたくさんあるかもしれないね。だって、まだこの世界にきて間もないから」
生まれた、という言い回しを中二病風に言い換えるとそうなるのだろうか。マコはぼんやりと弟のことを思い出していた。
***
昼食をとった後は、市場で食材を買い込んでから本屋に行くことにした。
手を繋ぐのをやめ、前を歩くシンはやはり目立っていた。
市場のおばさま方から声をかけられ、色とりどりの果物やら、試食の焼き野菜などを差し出され戸惑っているのが面白い。今度から買い出しはシンに行ってもらおうとこっそりマコはケチなことを考えた。
昼食の上、試食でパンパンになったお腹をさすりつつ、次は運動がてら北地区にあるという大きな本屋に向かう。
「精霊術の本?あんた、見たところ魔力持ちに見えないが……」
じろじろと上から下まで見られた挙句、ため息混じりに本屋の店員が言った。
この世界では魔法ーー精霊術を使えるのは、王族や貴族、神官などの一部の限られた者たちだけだ。ひと目見て一般市民だと分かるマコが精霊術の本を見たがること自体おかしなことなのだろう。
「マコちゃん、元気だしなよ!どうせ精霊術を調べても帰る方法なんて分からないし。そのうち何かいい方法が見つかるといいね!ないと思うけど」
結局シンも本を買わずに一緒に店から出て、励ましているのかよく分からない言葉をかけてきた。
先ほどシンに、精霊術と帰る方法は無関係だと断言されていたせいか、そこまで落ち込んでいないのだが、何から調べたら帰る方法が分かるのか見当もつかず、知らずため息が漏れる。
が、せっかくの外出だ。
めったに行かない街での時間をくよくよ過ごしていても、もったいない。
マコは気持ちを切り替えることにした。
「よし、次はシンくんの買い物に行こう!」
「あー、僕は……ごめん、別行動はしないって言ったけど、やっぱりこれだけは一人で行きたい」
マコの提案に、シンが紫色の瞳を揺らして戸惑ったような表情を見せた。
「そうなの?」
「そうなの」
意味ありげに微笑むシンに、問い詰めたくなる気持ちを抑える。思春期だし、何か知られたくない買い物もあるのかもしれない。
「じゃあ私はその間に薬草屋さんに行ってくるね」
大人しく引き下がると、急に手を引かれ、マコはバランスを失い危うく転びそうになった。
「ーー知らない人には絶対ついて行かないでね」
子供の言うセリフだろうか。思わず咳き込んで笑い転げる。
自慢ではないが、マコは日本でもナンパなどされたことがない。ただ、これに関しては、街に出て声をかけられやすい場所に出るような週末を過ごしていなかったせいもあるはずだ。
ひとまずお互いの買い物が終わったら、中央広場で落ち合うことにして別れる。
手を振るマコを、シンは何度か疑わしげに振り返っていた。