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7、グラーノの街へ

 ガタゴト、と乗り合い馬車が揺れる。

 日本にいた頃の移動手段は電車かバス、車が主だったから、車窓の景色も目で追うのが忙しいスピードだった。今は、ゆっくり、まったりと景色が流れていく。

 そののどかさにつられ、盛大なあくびが出た。朝が早かったから、とマコはそっと心中で言い訳をする。


 今朝は夢見が悪かったのか、夢の内容は覚えてないのになんだか後味の悪い寝起きだったし、微妙に疲れも取れていない。反して隣に座るシンはとても機嫌がいい様子で、鼻歌など歌いながら窓の外を眺めている。いつにも増してツヤハリのよいお肌は朝日に照らされ輝いていて、若いって素晴らしい。などと思うマコだった。


 村の市場に買い物に行くつもりだったのに、さらにその先のグラーノの街に行きたいとシンが突然言い出したのは今朝のこと。

 村までなら森を抜けるまで徒歩2時間もあれば着くが、街となれば話は別だ。まず村に行き、そこから乗り合い馬車に乗らなければならない。

 原始的な方法に頼らない、例えば魔法のような移動手段や乗り物はあるにはあるが、そういった類のものを利用できるのは生まれついて魔力を持つ王族、貴族やそれと同程度の権力を持つ神職に就くもの達のみだ。庶民は庶民らしく地を這うルートを使わなければならない。

 異世界に落ちた当初は理不尽さに憤ったものだが、もともと魔法とは無縁の生活をしていたマコは魔法のない生活にもうすっかり慣れてしまっていた。

 グラーノの街に行くとなると帰りは夜中になる。

 疲れも取れていないこともあり少し返答に困ったが、シンがどうしても買いたいものがある、ととても切実な瞳でお願いするので断りきれず、結局早朝に家を出て、日帰りで帰宅する予定を組むことにした。


「あとどれくらいで着くかなぁ」

 まだ一度も街へは行ったことがないどころか、実はマコは異世界に来てから1年は経とうというのに、森の周辺と村ぐらいしか訪れたことがない。

 異世界の、さらに自分の知らない場所に行くというのは小心者のマコにとってなかなかに不安なミッションだ。知らず心細い声になった。


「えーと、ああ、あの丘の向こうに領主の家の屋根が見えるよね、赤い大きな。あれが見えてきたからもうすぐ着くと思うよ」


「そっか!良かった!もうずっと馬車に乗ってるからお尻が痛くなっちゃった」


 冗談めかして笑うマコに、シンがちょっと眉を寄せたあと、すぐに自分の着ていた上着を脱いだ。くるくるっと丸め、即席の座布団を作って極上の微笑みと共にマコに手渡す。

 流れるような一連の動作に何も言えず受け取ったマコは、早く敷けという無言の威圧に負けて、赤面しつつ礼を言い、ありがたく上着の座布団をお尻の下に敷いた。

 この顔にして、この紳士な物腰。年頃になればさぞかしおモテになるだろう、と寂しいような、誇らしいような。

 街に行くからということで、いつもの着古した格好ではなく、こざっぱりしたシャツとズボンを身につけているシンは、狭い馬車内ではさらに目立つ。日本の原宿あたりを歩こうものならスカウトマンの名刺まみれになることだろう。

 幸い早朝発の馬車だったため、マコ以外の少ない乗客は皆寝ていて、マコ達に注目する者はいない。行商人や買い出しに行くであろう、やや疲れをにじませている乗客を起こさないよう、マコは声を潜めた。


「着いたらちょうどお昼前だね。お金も少し多めに持ってきたし、何か食べようね。あと、買い物も。私は市場と薬草屋さんに行きたいなぁ」

「そうだね。僕はマコちゃんに……ううん、本を買いたいな。ちょっと街を見て回りたいし」

「じゃあお昼を一緒に食べてから別行動する?」


 シンも年頃の少年だ。もともと自立しているし、もしかしたら一人で行きたいところもあるかもしれない。やはり別行動して後で待ち合わせて帰るというのがいいだろうか。でも知らない街で一人にされるのは不安だ……などというマコの葛藤は2秒で終わった。


「なんで?わざわざ?せっかく?2人で行くのに?」

 口元は笑っているが目だけはマコを睨みつけ、シンはこれみよがしなため息までつく。


「グラーノの街は王都への街道もすぐ近くにあるから、王都を追い出された悪い奴も結構いるんだよ?夏の終わりには王都の神殿で豊穣祈願のお祭りもあるから、準備で人の行き来も激しいらしいし。本当、マコちゃんは危機感が足りないよね」

「あ、ハイ……すみませ……」

「グラーノ行きの馬車は出発地の方面によって到着場所が分かれていて、僕たちはど田舎のファーレン村から来たから、街の外れにある西門で降ろされるよ。西の外れの地区はちょっと治安が悪いから、念のため着いても僕から離れないでね」


 シンは何度か街へ行ったことがあるらしく、ツアーコンダクターのように諸注意を促してくる。

 知らない男に声をかけられても無視するようにだとか、財布は念のため自分に預けるようにだとか、何なら支払いは全部自分に任せるようにだとか、まだまだ続く注意事項を聞き流しながら、マコは微妙な気持ちでただただうなづいていた。




 ***


 喧騒の中、渋面で酒を飲む男がいた。

 ”銀の鈴“亭、王都におわす聖女のシンボルを店の名前に冠したその宿屋は、ギィスカル神聖国の王都に2番目に近い街ということもあって、連日なかなかの賑わいを見せている。一階の食堂は宿の利用客以外にも開放していて、南国地方出身の女将の辛口の味付けが酒飲みたちに好評だ。


「王都と違ってグラーノの女は田舎くさいと聞いていましたけど、なかなかどうして。王都にいない素朴な美人が多いですね」


 失礼なことを言いながら、片手にこの店名物の鹿肉の香辛料焼きを手にした男が、渋面の男の正面の席に座る。

 男ーーファリスダールは渋面をより一層深めた。短く刈り込んだ金の髪、涼やかな青い瞳の美丈夫が、今は機嫌の悪い獣のようで、繁雑としたこの食堂の雰囲気に良く馴染んでいる。


「王都の大神殿の一級神官ともあろう者が、そのような下卑たことを言うな」

「でしたら、ファリスダール様こそ王都の大神官に相応しからぬ強面を引っ込めたらどうですか?」

「うるさい」


 ファリスは吐き捨て、淡い色の麦酒をグイッとあおった。まだ昼を過ぎたばかりで、度数のきつい酒を呑むには憚られた。何より、王都の神官長直々に下された密命に芳しい成果を成すことができていない状況がそれを許さない。


「くっそ、なんなんだ、あの森は……こんな片田舎に我らの精霊術をもってしても破れぬ結界があるとは。もう一月も経つが、偵察に出した者たちは帰ってこないし、こちらから出向けば

 奇妙な泉の前で結界に阻まれ立ち往生……やはりあの聖女の呪いか!?」

 麦酒のカップを叩きつけ、額をテーブルにゴンゴンと打ち付けているファリスダールの後頭部を、もう一人の青年ーーメルクは苦笑しつつ眺めた。普段は仕事もでき、催事の段取りから礼拝者の対応、説教に聖女の世話まで幅広く仕事をこなすこの男がこのように惑う姿は初めて見る。有り体に行って面白い。


「ファーレン村の者に聞いたところによると、身寄りのない姉弟が2人で住んでいるとか。何やら休み所のような店を商っているそうですよ。村の役場で調べましたが、戸籍も定かでなく、身分ももたない庶民でした」

「なぜ、その庶民の営む店に我らは行き着けないのだ!?結界のせいだとすれば……我ら以上の神力を持つ者が編んだ結界ということになる。ありえん、こんな片田舎に……」

「ファーレンダール様、俺はやはりひとまず撤退するのが良策だと思います」

 メルクはキッパリと言い切った。言葉を選ぶよりも率直に言ったほうがこの真面目な男は話をよく聞いてくれる。


「あの森に入ろうとすると道に迷ったり、数名の三級神官など歌い出したりして精神に異常をきたしていましたよね。私たちは村人たちと違い、あの森の住人に招かれていないのでしょう」

「それは分かっている。だが、この私の神力を上回る者がいるということが信じられない」

「まあ、何かカラクリがあるとして。ひとまず神殿に持ち帰りましょう」

 この街のいい女は大体味わい尽くしたし、と色好きで有名なメルクはこっそり付け加える。


「聖女に何かいい案がないかお尋ねするか、密猟、不法滞在など適当な罪を作って差し上げて、裁きと言う名目で神殿にお招きするのが妥当では?」

 神職にあるまじき物騒な笑みを見せて、メルクはすっかり冷めてしまった串にかぶりついた。


「あの聖女の力は使いたくないが……たしかにこれ以上ここにいても埒があかないな。よし、王都に帰還する。準備せよ」

 そう言って立ち上がったファーレンダールは、勢いづけとばかりにメルクの買った串焼きの口をつけていない方にかぶりつき、無表情に、

「……辛い」と一言漏らした。

 ファーレンダール様は辛いのが苦手、とメルクの心の人物辞典に新しい項目が書き込まれた瞬間だった。

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