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異形の動物(2)

森の湿り気を含んだ生温い夜風が開け放たれた窓から吹き込む。


ふいに、赤い炎がボッと音を立てて部屋の真ん中に現れた。こぶし大の大きさの炎は一つだけではなく、音を立てながら一つずつ円形を形作るように増えていき、すぐに一つの燃え盛る円形の炎になる。

炎の円の中心が一際高く燃え盛り天井を舐めるが、不思議と燃え移りはしない。

そうしてできた円の中に、人影が立っていた。


「毎度のことながら、弱いくせに派手に現れてくれるよなぁ」


からかいを言葉に乗せてシンが侮蔑の一瞥を人影に向けるが否や、ヒュンッと鋭い音と共にシンの頬に赤い筋が走った。

壁に銀色の豪奢なナイフが刺さっていて、小刻みに震えている。シンは頬を伝う血を拭うこともせずに、ただ不機嫌に瞳を染め、己の唇に人差し指を一本立てた。


「ここで暴れるな、マコが起きる。僕の淹れた、淫夢の薬効ハーブティーを飲んで、薬が効いてきた頃……今ごろ夢の中で真の姿の僕と愛し合っているはず」


「……わ、我が君、そんなことまで……ちょっとキモうございます……」


ポツリと白蛇が若干引いた声を落とす。思わず漏れ出てしまったらしき言葉に重なる、部屋の動物たち全員の無言の肯定が痛々しい。


「うつつでの楽しみはまだとっておきたいから夢で楽しんでいるだけだよ。大丈夫、起きたらマコは全て忘れている」


「我が君……」


間の抜けた沈黙。銀狼が気まずそうに後ろ足で頭を掻いた。

「ーー人間の女に懸想なぞ、愚かなこと。あの下賤な身の者のことなど私の知ったことではないが、シン、お前だけはーー許せぬ!」


静寂を破る怒声と共に炎の円が消え去り、中心に立っていた男の姿があらわになった。

燃えるような赤い髪に、精悍な目元も濃い緋色だ。年の頃は30前半ぐらいか。怒りをまとうその姿は美しくも神々しい。引き締まった浅黒い体躯は、今はナイフをシンに投げつけた体勢のまま、一部の隙も見せまいと張り詰めていた。


「まあまあ、そうカッカしなさんな、炎のダンナもそろそろ諦めたらどうじゃい?」


片方の大鳥が宥めるように言えば、隣の頭もうんうんとうなずいている。


「いくらおぬしが認めたくなくとも、もう我らの王は代替わりなさったのよ。何処にお隠れ遊ばしたか、我らには到底想像もつかない。なればこそ、今は新きこのお方を王と崇めるのが筋というもの」


白蛇もシンを庇うように前に進み出て、諭すように言うが、男の耳には届かないようだった。男は拳を握りしめ、ギリギリと音を立てて歯ぎしりをする。


「我が主人は、未来永劫あのお方のみ!こんな者が精霊王の名を冠していいはずがない!大体、お前たち、おのれが情けないとは思わぬのか!こんなっ……畜生の姿を与えられ、あまつさえそれに甘んじおって!更には“あにまるかふぇ”なる奇怪な商いに代償も求めず手を貸し!森羅万象を司る源祖の誇りはどこに置いてきたっ!?」


「……だって、なぁ。ヒト型よりもこっちの方が性に合っとる」


「わしもこの姿、気に入っているしなぁ」


男の絞り出すような声は、しかし誰の心にも響かない。大鳥の右と左は言い訳のように口ごもりながら、バツが悪そうにもじもじしている。


「私は金勘定が楽しい。いずれは、あにまるかふぇなる商いをもっと大きくするのだ」

白蛇はチロチロと赤い舌を出しながら楽しげに身をくねらせた。


「オレ、ドッチでもイイ。ヒト型でも狼型でも。狼用のマコのメシ、うまいし」

今晩食べた干し肉入りの混ぜご飯の味を思い出したのか、尻尾をパタパタと振りながら銀狼が言う。

その横で黒猫が額の黄金色の目を細め、男を見据えた。


「そもそも、私たちは自らの意思で王のもとに降った。ゆえに畜生化の変化も己が意志で自在に操れる。しかし、あなたはいつまでたっても王に従わないから一人だけ呪いを解いてもらえないのよ。夜にしか畜生化の呪いがとけない体がお嫌なら、早く王に従いなさい」


「誰が、従うか!この男は、新しい精霊王たる自分に従わぬのなら、お前らは永遠に畜生のままだと、この世で最も尊き源祖たる我らに脅しをかけたんだぞ!?こんなーー得体のしれぬやつを王と崇めるくらいなら、俺は畜生のままで生きる!」


「黙って聞いていれば言いがかりもいいところ。僕も好んで精霊王とやらになったわけじゃないし……

まあ、お前が地べたを這いつくばる情けないオオトカゲになったのは、紛れもなく僕の呪のせいだけどなぁ?」

面白がるようなシンの口調に、男の両眼が見開かれる。怒りに呼応するかのように、炎が男を中心に燃え上がった。

しかしシンは全く動じずにやれやれと首を振った。


「本当、毎晩毎晩よくやるよ。トカゲの変化がとけた途端にこうして逆上して夜這いにくるが、その度に僕に返り討ちにされて死にたくならないか?それでもまだ僕に降らぬと言うのなら、いっそこの世から消してやろうか、炎の源祖」


「ーーまことの精霊王になら、死ねと言われても迷わずこの身を捧げる!だが、なぜお前のような偽の精霊王にこの高貴な炎の源祖たる俺が降らねばならぬのだ!」


ゴゥッという音と共に突風が吹き抜けた瞬間、男の周辺の炎が男の全身に絡みついた。火達磨になりながらも男は慌てる様子もない。大きく左腕を一閃すると、絡みついていた炎が男の左腕にのみ集結し、不気味な黒い炎となる。


「シン!我が業火を食らい、永劫に灼かれ続けるがいい!」


憎しみと共に男の手から黒炎が放たれた。


光のような速さで向かってくる不気味な炎だが、つまらなそうにシンが人差し指を突き出すと線香花火のようにパチンとはじけ、跡形もなく霧散してしまった。


「灼かれよ、とはどの口で言っているんだ?マコの言霊でのみ、僕の心は縛られる。前精霊王への忠誠心が高いのは結構だけど、時と場所とーー」


言葉を切って、冷たく微笑む。

と、シンの姿がグニャリと大きく歪んだ。次の瞬間には、そこにはもう小さな子供の姿はない。あるのは、一人の青年の姿。


「相手を考えろ」

消えた子供姿のシンの代わりに現れた男はそう言って悠然と腕を組んだ。質素な部屋に場違いなくらい豪奢な雰囲気をまとい、ぐるりと部屋を見回す。


「水の源祖、レイラ」


男の呼びかけに、白蛇が鎌首を高くもたげたあとに、頭を垂れる。


「風の源祖、シェリルとハザード」


「はーいはい」


双頭の大鳥が交互に返事をした。


「土の源祖、ホロケウ」


銀狼は居ずまいを正すかのように、一度ぐるりと自分の尻尾を追うように小さく回ってから改めて座り直した。


「闇の源祖、アマネ」


「御前に」


タッ、と軽やかな音と共に黒猫が机の上に乗る。


「そして、炎の源祖ーーアドラメルク」


それまで突如として現れた青年を食い入るような眼差しで見つめていた男は、アドラメルク、と再度名を呼ばれた瞬間に体を大きく引きつらせた。


「またしても……お前などに……真名を呼ばれて……ああ、我が体が勝手に……」


アドラメルクの膝がガクンと折れる。目に見えない力で押さえつけられているかのように彼の体は小刻みに震えていたが、すぐに膝を折ったまま地面に崩れ落ちてしまった。

まるでひれ伏しているかのようなアドラメルクに、青年は満足げにうなずいた。


「ハハハ、偉いぞ、トカゲ。ちゃんとお座りができたな!そろそろ従う気になったか?お前が摂理に反して精霊王たる僕に降っていないため、お前はどんどん衰弱している。このままでは、僕が何もしなくとも、消滅するぞ」


「くっ……」


「選択肢は3つだなぁ。僕に従うか、光の源祖のように神殿に与するか、消滅するか。どれがいい?僕としては、トカゲちゃんが死んでしまってマコが悲しむのを見たくない」


じっと見据えられ、アドラメルクの額から頬に汗が伝う。

アドラメルクは無意識のうちに降伏しようとしているおのれの心と僅かながら残っている尊厳とを身の内で戦わせ、唇を噛み締めている。だがそんな苦悶の表情も、青年にとってはただの余興でしかない。

やがて、彼は目を閉じた。全てを諦めたかのように力を抜いて、うなずく。


「精霊王にかしこみ申し上げる……我が名は炎の源祖、アドラメルク。この世のことわりを全てあまねく絶対の真理、精霊王、シンに全身全霊をもって……伏す」

アドラメルクは血を吐くような思いで目の前の青年に誓った。


「ーー承知。この世のことわりをになう全き力の化身たちが揃ったな。祝いに今宵は酒宴でもひらこうか」


青年は皮肉げに首を傾げた。

さらり、と黒髪が頬にかかる。薄く美麗な唇は己の出した言葉を嗤い、今は皮肉げな微笑みを刻んでいた。

切れ長の紫色の瞳は月光に照らされ、濡れたように光り余計に艶かしい。

少年の姿のシンが、そのまま22、3歳の青年に成長したようなすがたーー否、それはシンそのものの姿だった。

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