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2、黒髪の少年

 

 勢い良く開いたドアが壁にぶつかって跳ね返る。

 入ってきたのは黒い髪の少年だった。年の頃は10歳もいかないくらい。ふっくらした頬と、長い睫毛に縁取られた切れ長の紫色の瞳が印象的な美少年だ。

 走って帰ってきたのか、よく日に焼けた額に汗が伝って落ちるのをグイッと拭う仕草が年相応で可愛らしいのだが、少し様子がおかしい。


「マコちゃんただい……ま……」


 転がるように息せききって入ってきたものの、少年はマコの姿ーーー詳しくいうならマコの着ている青いワンピースを見つめて目を細める。そうすると愛らしい顔立ちにたちまち剣呑な影が落ちて、凄みのある美貌に変わるのだが、彼の保護者になって早一年、そうした少年の喜怒哀楽の激しさに慣れきったマコは何も気づかない。もともと日本にいた時から反抗期の弟の言動に日々触れて微笑ましさすら感じていたくらいの鈍感さだ。


「シンくん、また朝から野苺摘みに行ってたの?ボーッとしてるから泉に落ちたんじゃないかって心配したんだけど!」


「最近、泉の周りに羽虫が増えてきたから害虫避けの薬を撒いてたの。ていうかさ。またその青い服着てるんだ……僕のだいっ嫌いな服」


「こら。買った時は似合うって言ってくれてたでしょー」


「似合う似合わないの問題じゃないんだけど。マコちゃんがいつかきっとその服を着て帰りたいなんて言うから。ーーーまあ帰らせるわけないけどさ」


 後半、聞き取れないくらいに低くなった声にハイハイと適当に頷きながらマコはサイドテーブルの上の手桶に新しい手拭いを浸し、絞ってから少年ーーシンに手渡した。


「今日は僕、お風呂に入りたいなぁ……ねえ、マコちゃんも一緒にどう?」


 見た者の心臓を鷲掴みにしそうな見事な流し目はタイミング良くというか悪くというか、とにかく開け放たれたままだった窓を閉めるため背を向けたマコには届かない。


「朝から贅沢言わないの。お水運んでお湯沸かすのも大変なんだから汗はそれで拭いてガマンしなさい。ったく、これだから現代っ子は……」


 カーテンを紐で束ねつつ、どちらが異世界から来たのか分からないような小言を言うマコの唇には薄く微笑が乗っている。なんだかんだと文句をいうシンが日本に残してきた反抗期の弟と重なるのだ。

 今もなぜか舌打ちをして自分を睨みあげてくるシンの頭を宥めるようにポンポンと撫でる。そうするとすぐに機嫌を直して猫のように目を閉じるのがなんとも可愛い。


 シンは、異世界に落ち、この泉のある森に倒れていたマコを最初に見つけてくれた恩人である。

 取り乱し泣き叫ぶマコの手をシンは握り続けてくれた。そしてひととおり泣き叫んで落ち着きを取り戻したマコに、竹筒のような水筒を手渡してくれたのだ。あの時の喉を潤した甘い水の味は忘れられない。


 そのあと、お互いのことをポツポツと語り合った。顔立ちも人種も違う2人であったが、不思議と言葉は通じた。

 まだ年端もいかない小さな子供が、こんな辺鄙な場所でひとり暮らしているのだと知って驚いたマコは、彼が住んでいるというこの家に連れてこられて更に度肝を抜かされた。


 聞けば、両親を森に出没する危険な獣に襲われて亡くしたという。以来、両親の残してくれたこの家に住いながら森で獲れるウサギや鳥を狩って生計をたてているというが、彼の着ているボロボロの衣服や体つきから、その日暮らしが見て取れて胸が締め付けられたものだ。

 この世界には孤児院のような救済施設はもっと大都市にしかない。マコたちの住む村の宗教施設の神殿で住み込みで働くこともできるが、色々と戒律が厳しく逃げ出す子供たちも多いのだという。

 この近辺には彼のように保護者を亡くして早くにひとり立ちをしている子供も珍しくないと聞き、神殿に身を寄せる決意もできず、ずるずると一緒に暮らしていくうちに、覚悟ができた。こんな小さな少年に衣食住を世話になりきる情けない生活に蹴りをつけ、マコも彼と共に自活をして生きていこうと心が決まったのだ。


 自分にも出来ることやこの異世界でも役に立ちそうな特殊技能を考えて、思い当たったのは料理ぐらいだった。実家暮らしで家の手伝いなどたまにしかしていなかったマコにとって、それもずいぶん頼りない技能であったが。


 森に狩りや食料をとりにきた村人向けに、サンドイッチのような軽食を提供しはじめたものの、それだけでは集客できない現実を知り落ち込むマコが思いついたのは、この家の、特殊な環境を利用したカフェの経営だった。


「そういえばシンくん、トカゲちゃんにエサはやってくれた?昨日あんまり食べてないのよね……」


「トカゲちゃん?ああ、あいつね。えーと、うん、今朝は食べてたよ」


「ありがとう。他の子たちも食欲があんまりないのがちょっと心配なんだよね。やっぱり暑くなってきたからかな?」


「んー、あいつらにとったら地獄のような環境だしなぁ」


「そ、そうなの!?一応、空気の入れ替えはいつもしているし、新鮮な飲み水も定期的に補充してるんだけど!?」


 慌てて机の引き出しから体調管理チェックノートを取り出したマコにシンはニッコリと微笑んだ。


「冗談だよ、多分……繁殖期が近いとか、そういう生態的なアレじゃない?」


「うーん、気になる。ちょっと今日は元気な子だけお店に出そうかな……」


 顎に人差し指を当てて、マコは誰を店に出すか思案しはじめた。


 マコの経営するカフェでは色々な動物を愛でながら食事をとることができる。


 シンと一緒に暮らし始めて3日目ぐらいから、マコは不思議な現象に気づいた。

 朝起きてシンを起こしに彼の部屋に行けば、ベッドで眠る彼のすぐそばの床に体長1メートルはあろうかというほどの大きな赤いトカゲがひっくり返って寝ている。

 朝食をとっていると、窓辺には頭が2つついた極彩色の鳥が止まり、二つのクチバシでおのおの歌を歌い出す。

 極め付けに、泉で水浴びをする白銀のオオカミを見た時の衝撃といったらーーーマコは亀も好きだったが、犬派でもあった。というか、動物全般が好きだった。

 シンがいうには全てこの周辺には当たり前のように生息する、珍しくもなんともない動物たちらしい。しかも、人馴れしているのかシンが毎回お尻を叩いたりつまみ出したりしても全く動じないで毎日のようにやってくる。

 シンが動物を寄せ付ける不思議な体質なのか、この泉の周辺がそういう場所なのかは分からなかったが、とにかくこの環境を利用したカフェを経営することにした。つまり、

 異世界動物カフェだ。


「ーーーよし、決めた。今日はトカゲちゃんは店に出さない。シンくん、看板出してくるね!」


 そう言って颯爽と部屋を出るマコの手にはハートの形に切り出された小さな看板がある。

 看板にはマコの帰りたくてやまない故郷の文字で、こう彫られていたーー動物カフェ ぽむぽむ亭ーー


「……っくくっ……可哀想なトカゲちゃん、かぁ。元気がないのは俺のせいだけど」


 部屋に残ったシンの口から洩れた低い声。それを聞いた者は誰もいない。



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