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あの人は天才だった

作者: 鹿井良生

小学校の教室なんて何十年ぶりだろう。

久しぶり、という言葉があちこちで聴こえてくる。

声のトーンも会話もどこか上ずっていて、テレビで見る映像みたいだ。

どこか誂えたようなこの場所が僕にとってはあまり居心地の良いものじゃなかった。


「あれ、ほんとに来たんだ」

振り向くと有が紙コップを手に立っている。

「よく来たよね、初めてじゃない?」

僕は、あぁ、と頷いてなんとなく周りを見回した。

「今回はけっこう多いんだよ。ほら、飲みだけとかだと来るやつもだんだん限られてくるからさ」

有は昔から真面目な優等生だった。

特に目立つわけでもなく、だからといっておとなしいわけでもない。

誰にでも別け隔てなく接していた。僕のようにずっと一人でいるようなやつにも。

そんな有と偶然の再会を果たしたのは、この同窓会の場よりも少し前のことだった。

ある商品の紹介レビューを書くために営業担当者と打ち合わせをすることになり、行った先にいた営業担当者が有だった。


「ああいう仕事多いの?」


でも意外だったな、大貴が編集者って。と有は続ける。


「今担当してる雑誌がそういうやつだからね」


僕はある出版社で働いている。といっても5年前に中途採用で入った会社だ。もう30歳といっても実際はまだまだ新人みたいなものだった。


「子供の頃の30歳ってもうじゅうぶん大人だったじゃん」


有が紙コップに口をつけながら話し始める。


「でも実際に30になってみると、全然大人でもなんでもないよな」


僕は頷く。


「それこそさ、あのタイムカプセル作った時には想像もしてなかったと思うよ。俺がまだ30になっても子供どころか結婚もしないで学生時代とたいして変わらない生活してるなんて」


タイムカプセルを今日、掘り返す。


僕らは小学4年生の終わりにタイムカプセルを作って埋めた。

そこには将来の自分への手紙や当時の宝物とか、とにかく将来に残したいものを入れたけれど何を入れたかは全然覚えていない。


「でもこういうのって普通10年後とかだよな、掘り返すのって。なんで今?」


僕が尋ねると「10年前に掘り返すの忘れててさ」という身も蓋もない答えが返ってきて思わず力が抜けた。


僕は改めて周りを見回してみる。

有をはじめとした数人は今もたびたび飲みに行ったりしているようだけど、僕は小学校卒業以来誰とも会っていない。さすがに20年も経つと名前も顔もよく覚えていない。

でも、みんなそれぞれに年を積み重ねて今を生きていることは会話をしなくてもどこか伝わってくる。


「あいつとかどうしてるんだろう」


「あいつ?」


「ほら、いたじゃん。琉唯って。あいつこそ、こういうの好きそうだし絶対来そうなのにな」


あぁ、と僕は曖昧な返事をした。


坂木琉唯。小学4年生とは思えないほど賢く、運動もできて間違いなく学年、いや学校で最も目立つ存在だった。

そして自分の力を謙遜することもなく常に自信にあふれていた。


「今ごろどうしてるんだろ」


有がつぶやく。


「社長とかにでもなってるのかね。それかスポーツ選手とか?いや、スポーツだったら多少は話題になってるもんな」


案外俺らと変わらない普通の人生かも。天才も20歳過ぎればなんて言うしな、と有は笑った。



それからなんとなく同窓会が始まり、先生の話もそこそこに僕らは校庭に出た。


学校に足を踏み入れたのは卒業以来だった。校庭は新しい遊具もできていて自分が覚えている景色とは違っていたけれどこの木はよく覚えている。タイムカプセルをみんなで埋めた木。


「これ、ほんとにあるのかな」

「誰かがもう掘り返してたりするんじゃないの?」


といろんな声が聞こえる中、みんなで土を掘っていく。

すると、ガツッという手応えを感じた。


「あった!」


誰かの声でみんながわっと集まってきた。

土だらけになった箱の中には当時思い思いに詰めたカプセルがそのままの形で残っていた。


「すごいな、思ったよりも保管状態いいじゃん。ほら」


有もどこか興奮したように声を上げて僕の名前が入ったカプセルを手渡した。


あぁ、と受け取りながらまだ何かを探す僕を見て「誰かの探してる?」と有が声をかけた。


「いや、なんでもないんだけど」


僕は適当に返事をして箱の中を再び探し始めた。



有と会話したこと、校庭の光景、タイムカプセル、そういうものすべてが日常とは違う世界のようでさっきまで夢を見ていたんじゃないかとすら感じる。

これから二次会するから大貴も来いよ、と何回も誘ってきたけれど予定があるからと断って一人で電車に揺られている。

同窓会というものに行ったのは今回が初めてだった。行く意味がないと思っていたからだ。

小学校時代の友達は小学校まで、卒業したら切るという思想ではないけれどただ昔を懐かしむだけの関係に生産性を見いだせない。

生きている以上、今を積み重ねていくしかない。どんなにつらい毎日でも、報われなくても、楽しい昔を懐かしんでも、だからって過去が戻ってくるわけじゃない。


「あら、大貴くん」


病室のドアを開けると、いつもの機械音が聞こえる。

心拍を刻むモニターの音、なんだかよくわからないけれど酸素を送っているような空気と機械が混ざった音とは釣り合わないような柔らかな日差しを受けて、丸いすに座っているのは琉唯のお母さんだ。


「いつもありがとうね、来てくれて」


いえ、とこたえながら僕は琉唯を眺めた。


「今日、同窓会だったんです」


お母さんが僕を見る。


「で、これ」


僕はかばんからタイムカプセルを取り出してお母さんに渡した。


「琉唯のです」


驚いたような、いや苦しそうな表情にも見えた。


「開けていいの?」


「開けてください」


お母さんがそっとカプセルを開けると、中には手紙が入っていた。


「大人になった自分へ。この手紙を読んでいる時、俺は何をしているんだろう。予定では新刊を出せばベストセラーになるような売れっ子の作家になっているはずだ。それ以外には今のところ考えられない」


「やっぱりすごい自信家」


僕は思わず笑ってしまった。


「でも」


お母さんは続けた。


「…もし、予定通りにいかなかったらちゃんと誰かを頼れるような自分になっていてほしい」


言葉が出てこなかった。


お母さんは声を殺して泣いていた。


「…わかってたんだ」


僕は呟いた。


「人に頼れないのが自分の弱みだってこと、わかってたんじゃん」


「この子は友達だけじゃない、親にも弱いところを見せなかったの」


大学を卒業して、就職せず家にこもってずっと小説を書いてはいろんな賞に応募してた。

琉唯の予定では、すぐにでも何かの賞を獲って作家デビューするはずだったんでしょうね。でも世の中そんなにうまくはいかない。いくら学校でいい成績だったからって、うまい書き方を知っていたって、もともと持っているセンスには勝てない。

その時、私がもっとこの子のことを見てあげていればこんなこと…


「お母さんのせいじゃないです。むしろ僕のほうが…」


5年前、僕が出版社で働き始めた時だった。

当時、僕は小説を持ち込んでくる人への対応を担当していた。

今となっては持ち込みを受け付けている出版社は少ない。僕の会社はそんな持ち込みを受け付ける数少ない出版社だったから、かなり多くの持ち込みがあった。

持ち込みから書かせてもらえる人ははっきり言ってほとんどいない。そもそもほんとうに書かせてもらえる人はその前に何らかの賞を獲るからだ。今は小説投稿サイトで誰でも気軽に小説が書ける時代、そしていいものは誰が書こうと話題になる時代だ。素人の書いた小説を読んでは断りの返事を出す毎日に僕は疲れ果てていた。

そんなある日だった。メールで送られてきた一つの小説が目に留まった。神童と呼ばれている小学生が次々と事件を解決するという、王道の娯楽小説といった趣だったがその主人公の中に、人には見せない弱さのようなものが感じられて僕は興味を持った。

そして名前を見て僕は心臓が止まるかと思った。


坂木琉唯


もしかしたら琉唯は自分の子供の頃を懐かしんでこの小説を書いたのかもしれない。

その瞬間、僕は原稿に書かれている番号に電話をかけた。

出版社から電話が来たものだから、琉唯の声は弾みに弾んでいた。


「琉唯の小説読んだよ。まだ上には出してないけど僕はすごい良かったと思ってるから、なんとかうちで書けるように…」


「え、そんなのコネみたいじゃん。別にそんなことしてもらわなくていいよ。他の賞にも出してるからやっぱり持ち込んだやつは捨てておいて」


琉唯は電話の主が僕と知った途端、声を強張らせて言い捨てるように電話は切れた。


その数日後、琉唯が家で首を吊ったという連絡が琉唯のお母さんから入った。

僕が駆けつけると、琉唯は機械につながれていてただ生かされている状態だった。


「後悔ばかりです。琉唯に関しては」


こんなこと言うものじゃないんですけど、とお母さんは涙を拭った。


「僕もです」


どうすればよかったんだろう。

あの時、上司にかけあってちゃんとした返事を琉唯にできていたらまた違っていたのか。いやそれでも琉唯のことだ。きっと僕が関わっていることがわかったら辞退でもしていたんだろう。上司から返事をしてもらえていれば…

考えてもわからない。過去は戻らないから選ばなかった道がどうなっていたかは誰にもわからない。


「延命、終わりにしようかと思って」


お母さんはそう言って、僕に原稿用紙を手渡した。


「この子が書いていた小説です。どこかに出してたのかな…大貴くんに渡してもつらいだけかもしれないけどもらってください」


そこには琉唯が生きる力を振り絞ったような殴り書きの文章が並んでいた。



「大貴って出版社だよな?琉唯と今でもつながってる?今度また同窓会あるんだけど絶対琉唯連れてきてよ。あーでもあんな有名人じゃ忙しいのかね」


有からのメールを閉じて僕はネットのニュースを眺める。


『坂木琉唯「25歳の神童」、異例の100万部突破』

小説投稿サイトから火がついた坂木琉唯の著作「25歳の神童」が100万部を突破する見通しとなった。日本文芸界では異例の大ヒット作となる―


あのタイトルでよくこんなに売れたな、琉唯だったらどんなタイトルをつけたんだろうか。

琉唯が一番嫌っていたことしたからな、天国かどこかで僕のことを怒っているのかもしれない。


でも、ほら琉唯はやっぱりすごい人だったんだよ。


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