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物の怪代行業  作者: 海水
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『狼娘は猫の夢を見るか』 第四話

 夕陽が家々をオレンジに縁取り始め、セミも疲れたのか騒音もひと段落ついた頃。

 傷心のリリコスは縁側に座っていた。自分のしっぽをぎゅっと抱きしめて。

 猫カフェから代行屋の家に戻り、この縁側でぼんやりと茜色の空を眺めていた。


 栄光あるアーデリアン家の長女が殺気も抑えられぬ半端ものとは。

 まともに変化もできないなんて、他の組織になめられてしまう。

 12歳の弟の方が優秀なんじゃ。

 まったく、名門の、いやイングランドの面汚しだ。


 イギリスにいた時に、影で投げつけられた言葉だ。リリコスは狼耳をぺたりと畳み、ぎゅっと手で押さえた。


 某の努力が足りないのであるか。

 某は半端ものだ。それは、しかたがない。

 それを埋めるために、勉学に励んだつもりだった。

 だが、それでは認められなかった。


 マフィアとも渡り歩くために、初見で相手を懐柔する必要があった。

 穏やかな気配で相手の中に入り込む。人たらしの能力が求められた。

 だがリリコスにはなかった。


 殺気丸出しでは、殺し屋以下だ。自分は能力がないと、看板を掲げていると同じだ。


 精神統一のために騎士道や武芸に励んだがうまくいかなかった。

 調べに調べ、ジャパニーズ禅に辿り着いた。

 座禅で静かに呼吸をしていると、ずいぶんと落ち着いた。だがそれでも抑えきるまでには至っていない。

 他にはないのかと、日本という国を調べ上げた。それがために日本好きになった。

 特に、猫カフェが。


「猫がうらやましいでござる」


 耳をふさいだまま、ごろんと寝ころんだ。


「気を張ると元の木阿弥では……某はダメ狼でござるな」


 リリコスは落ちついていると殺気は押さえられるようにはなっていたが、緊張するとダメだった。

 親である現頭領にくっついて同族との会談や取引相手との商談に立ち合ったことがあるが、殺気を抑えられず場を追い出されることが続き、ついには呼ばれることも無くなった。

 頭領を引き継ぐものとして人脈は財産だったが、それを築くことも叶わず、半端ものの烙印を押された。


 由緒あるアーデリアン家。

 遥か昔、トランシルヴァニアからイングランドに移住した人狼の一族。

 血みどろの抗争の果てにモンスターの頂点に君臨した祖先の顔に、泥は塗れない。


 リリコスは重圧で潰れそうだった。

 気ままに生きる猫に憧れ、仲良くなれば自分も変われるのでは、と根拠のない願望に溺れた。


「外つ国には狼の物の怪がおるとは聞いていたが、可愛らしい娘っ子がおる」


 リリコスの耳にしゃがれ声が触れた。目だけ向ければ、縁側をとことこ歩いてくる錆柄猫の姿があった。2本のしっぽがゆらゆらと揺れている。

 リリコスは瞬時に縁側に正座した。


「そ、某が、怖くはないで、ござるか!」

「……驚くのはそこかえ」

「ふむ、しゃべってござるな」

「驚いてほしいのはそこなんじゃが……」


 錆猫はリリコスの前までくると、ぺたりとお尻をついた。


「ワシは錆次郎と申す。てきとうに生きとる、しがない猫又じゃ」

「ジャパニーズ・ネコマタ!」

「猫又は日本にしかおらんぞな」

「さ、さわっても、よいでござるか?」


 錆猫の錆次郎が2本のしっぽで床をぽむっと叩いた。瞳をハートにしていたリリコスはハッと我に返る。


「そ、某はリリコス・アーデリアンと申す。その、半端ものの、人狼で、ござる……」


 最後の方は俯いてしまい、囁くよりも小さな声で聞き取れなかった。


「半端もの、のぅ」


 錆次郎がリリコスの狼耳としっぽに目をやった。その視線を感じ、リリコスは情けなさに逃げ出したくなってしまった。


「某は、変化も満足にできない、半端ものにござるよ」

「そうかねぇ」

「そうでござる。両親や親族のように一人前ならきちんと人間に変化できるでござる。半端な某はアーデリアン家から爪弾きにされているでござる」

「一人前、ねぇ」

「今日も失敗したでござるよ」

「あぁ、猫カフェに行ったって、代行屋(坊主)に聞いたなぁ」

「某が殺気も抑えられないばかりに、猫に会うこともできず……」


 情けない、とリリコスの頬に涙が伝った。


「別に情けなくはないじゃろ」

「ジャパニーズ・ネコマタはエリート妖怪と聞き及んでござる。某の気持ちはわかるでござろう」

「歳は食ってるが、エリートなんて偉いもんじゃ、ないなぁ」


 そうつぶやくないなや、錆次郎の身体が瞬時に人型に変わった。

 錆柄の猫耳を頭に乗せた、胸元がゆるんだ着流しの、マフィアな中年。金髪ならばナイスミドルと評するだろうか。

 キセルを咥えたらさぞかし絵になると思われるイケオジだった。


 錆次郎は緩んだ懐からくしゃくしゃの煙草の箱を取り出した。曲がった煙草を一本取り出し、指にはさむ。

 すぅと息を吸い、フッと勢いよく吹きだすと、口から炎が飛びだす。

 炎は煙草の先端をかすめ、ぼうっと火を灯した。

 錆次郎は煙草を口に当て、深く吸った。ぽぽぽとドーナッツの煙を吐く。


「ワシは元は野良猫じゃ。まっとうな人間には化けられん」

「野良猫、でござるか?」

「都の端っこで独り暮らしのじーさんに拾われた野良猫だったさ。数年はじーさんと暮らしてたんだが、じーさんが流行病で死んじまって、ひとりで家にいたんだ。いくつか大きな戦があって、気がついたらしっぽが2本に分かれてたって寸法だ」

「なんと数奇な運命でござるな」

「帝が京から江戸に移ったんで、のこのこついてきてみたのさ。で、縁あってここにいる」


 錆次郎の2本のしっぽがポンと床を叩いた。


「ま、嬢ちゃんも縁あってここにいるんだ。一時(いっとき)でも辛気臭いことは忘れてもいーんじゃねえか?」

「しかしでござる、某はアーデリアン家として――」

「ここって、縁側っていうんだがな。どんなとこだか知ってるか?」

「は? えんが、わ?」


 主張を中断され、腰を折られたリリコスは訝しげだ。


「日本家屋の独特の構造でな。ここに座っていながら外にいるような、内と外の間にある、どっちつかずでぼんやりとした曖昧空間だ」

「どっちつかず、曖昧……ここは、何とも不思議な場所で居心地がよかったでござるが」

「建築的には使い勝手が悪くって半端で余分なスペースかもしれねえけど、その余裕がワシも好きだぜ」


 錆次郎が二カッと笑った。リリコスは、なんだか自分が肯定されたかのように感じ、少しうれしくなった。


「縁側にいるとな、ってそらきた」


 錆次郎が視線を外にやる。縁側の先の塀の上で、子猫を咥えた茶虎猫がふたりを窺っていた。 


「あー、怖くないからこっちこい」


 錆次郎が手招きすると、その茶虎猫はリリコスをチラチラ意識しながら、縁側に歩いてくる。

 リリコスは手を出したい誘惑に耐え、胸に手を当て、深呼吸を何度も繰り返し、必死で心を落ち着かせようとした。だがその試みはうまくいっていない。圧が弱まっているが、まだまだ猫が警戒を解けるほどにはなっていないのだ。

 茶虎猫は止まってはシャーっと威嚇の声をだし、リリコスを気にしながらもぴょんと縁側に飛び乗った。咥えていた子猫を錆次郎の前におろすと、ペタンとお尻をついた。


「新しい子か。名前はなんてーんだ?」

「にゃー」

「ほぅ、ニギギってのか、良い名前だ。どれどれ」


 そういいながら錆次郎が茶虎猫と子猫の頭をゆっくり撫でていく。2匹の猫は気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らす。

 リリコスはそんな様子を、うらやましそうに眺めていた。


「……いーでござるなぁ」

「病気もなく息災でいますよーに。っと、嬢ちゃんもやってみるか?」

「ほひょうっ!」


 いきなり振られたリリコスは驚いてしっぽをピンと伸ばした。


「そそ某が撫でても、いいいいでござるか?」

「猫又のワシが撫でると無病息災だかでご利益があるらしくっての。優秀な人狼とやらの嬢ちゃんに撫でてもらえば、ご利益も倍々だろ?」

「しししししかしでござる」


 今だって殺気を抑えきれず、2匹の猫は錆次郎殿に撫でられているから逃げないのであって、そこに自分が手を出したら恐怖で逃げ出してしまうのでござろう。

 リリコスは思考に縛られ固まってしまい、耳もしっぽもへんにゃりとしなびている。


「……仕方ねえなぁ」


 錆次郎が子猫の首をひょいとつかみ、お地蔵さん状態のリリコスのしっぽにのせた。ふわふわの毛の海をかき分けるように、子猫はのそのそと動きまわりはじめた。

 もふもふがもふもふに溺れている。


「ほわぁぁぁっぁあああ」


 ゾクゾクゾクゾクとリリコスの尻尾から身体中をナニカが走り回り、頭のてっぺんから(ほとばし)った。


「子猫ちゃんが、某のしっぽに、しっぽに!」


 悶えるリリコスのことなどお構いなしに、子猫はもぞもぞともふもふのしっぽを這いずりまわる。


「ひゅぁぁぁぁあああ」


 リリコスはたまらずうつぶせに倒れた。だが、子猫の攻撃は止まないどころか這いずりの速度はあがっていく。

 リリコスの悲鳴と狼耳が小刻みに震えていた。


「おーおー大変だなぁ……ん?」


 茶虎猫を撫でている錆次郎がふと外を見た。目の前の塀の上に、猫がすらりと並んでいる。

 その視線は何やら熱を帯びて、リリコスに注がれていた。


「あぁ、威圧が消えてるし、これではなぁ」


 錆次郎が苦笑した。

 悶えるリリコスからは殺気は消え失せ、逆に猫をおびき寄せるようなナニカを放っていた。


「荒治療だが、まぁ何とかなるじゃろ」


 錆次郎が顎でリリコスを指し示すと、塀の上の猫たちはいっせいに縁側に飛び込んできた。

 その勢いのまま、リリコスに身体と尻尾をこすり付けていく。

 にゃーにゃーの大合唱の中、リリコスは猫たちのほすすりを受けまくっていた。


「猫ちゃんが猫ちゃんで猫ちゃんなのでござる」


 しっぽを子猫に蹂躙されつつも手当たり次第に猫を撫でまわすリリコスは、幸せそうに顔を蕩けさせていく。


「あぁ、猫ちゃんを愛でるには、余裕が必要なのでござるな」


 夢心地の中で、リリコスはそう悟った。

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