『狼娘は猫の夢を見るか』 第三話
昼というには太陽が傾いてしまった時間だが、リリコスはふすまで仕切られた隣の部屋の布団で寝続けている。
台所で代行屋が緑茶を淹れ、花子がちゃぶ台に置いたノートPCでカカカカと激しく打刻していた。
花子は赤いワンピースではなく赤いキャミソールに健康的なショートパンツ姿だ。ランドセルがよく似合いそうな艶姿である。
「で、猫カフェはどうするの?」
モニターから目を離さないまま、花子が呟く。
「目を覚まさないことにはなぁ」
「んー、あの子、一睡もしてないんだっけ? 夜まで起きないんじゃない?」
「そうなったら明日に変更するだけだ」
湯呑をふたつ手にした男は花子の向かいに座った。ひとつを花子の脇に置く。
「ん、ありがと。何か気がかり?」
「……まぁ、気になることはある」
「花子さんはいつでも相談に乗るよ! 式はいつにするとか新婚旅行はどこがイイとかいつでもバッチコーイ?」
「それはまたにしてくれ」
「言質は取ったわよ。で、なにが気になるの?」
花子が水を向けると、代行屋は湯呑に口をつけ、ふぅと息を吐く。
「俺も狼人間に詳しいわけじゃないが、狼人間てのは変身するんであって普段は人間と変わりないんじゃないのか、と思ってな」
「んー確かに、耳と尻尾が出っ放しってのは、おかしいかなとは思うけど」
「俺たちが知らない事情があるんだとは思うが、なにより、あのままだと猫カフェに連れていけない」
「逆にあの子がもふもふされちゃいそうよ、ね」
花子が、ターンとひときわ大きく打刻音を響かせたその時。
「これが、布団でござるか」
隣からアルトボイスがふすまを通り抜けてきた。代行屋と花子が同時に立ち上がる。
代行屋がふすまを開けた先には、布団に正座をし、ペタペタと肌触りを確認しているスキニー黒Tシャツ姿のリリコスがいた。
「なるほどなるほど、何ともチープな肌触りが、我は布団だと主張しているでござる」
表情は薄いが鈍色の瞳が大きく開かれ、ふっさふさのしっぽはべったんばったんと布団を叩いている。
「せんべい布団には違いないですけど、ってかデカイ、デカすぎる」
何かを悔しがる花子だがそこは代行屋と共にしているだけはあり、すぐに営業スマイルへを浮かべた。
「おはようございまーす」と部屋のふすまを開けて花子は入っていった。
「むむむ、そなたは誰でござるか。あの男はどこに。というかここはいずこでござるか」
鈍色の瞳を細め、リリコスが静かにまくしたてる。
エイラから有無を言わせぬ獣の圧が拡がっていき、それを感じ取ったのか花子の顔色が白くなった。
「……な、なに、こ――」
「リリコス嬢、まずは朝食でも」
代行屋はずいと間に割って花子を背に隠した。花子は代行屋の作務衣をぎゅっと握り、体を固くしている。
リリコスの鈍色の瞳が代行屋を捉えた。
「む、代行屋」
「猫カフェの前に腹ごしらえなど如何でしょう。腹が減っては戦はできぬと我が国には古からの格言があります。空腹で気が立っていては猫にもてるとは思えません」
「……確かに、一理あるでござるな」
「ではすぐに用意を」
代行屋はそう言うと背に手を回し、花子の肩を叩いた。
ちゃぶ台を挟んで相対するリリコスと代行屋花子組。リリコスは正座で、花子がつくった目玉焼きとご飯を、ナイフとフォークで優雅に食している。
無表情で片づけていくリリコスを、ふたりはじっと見ていた。
「……不機嫌そうだけど」
口を動かさないで花子が呟いた。
リリコスから感じる言い知れぬ圧が弱くなっているが、動かないようにしているのだ。
「そうでもなさそうだ、尻尾を見てみろ」
「べったんばったんしてるわね」
「喜んでると解釈していいのかわからんが、不満はなさそうだ」
腹話術的な会話をするふたりは、リリコスの背後で忙しなく畳を叩いている灰色のしっぽを見ていた。
「表情から感情を読み取れないけど、しっぽは正直なのかしら」
「表情で気取られるから、無表情の教育を受けている可能性があるな」
「貴族様だしね」
ふたりはこしょこしょ話をしているが、ピクリと動いたリリコスの狼耳に、背筋をぴんと伸ばした。
「馳走になったでござる」
リリコスはパーカーのポケットから取り出した白いハンカチで優雅に口を拭う。
「……あれ、シルクじゃない?」
「俺にわかるわけないだろ」
代行屋は花子を肘でつつく。
リリコスがハンカチをポケットにしまい、スッと背を伸ばした。
部屋の空気が張りつめる。
「名乗りが遅れたでござる。某はリリコス・アーデリアンと申す。しがない人狼でござる」
リリコスはちゃぶ台に額をつけんばかりに頭を下げた。代行屋と花子は慌てて頭を下げる。
「こっちがダーリンの代行屋でー、あたしはトイレの花子ちゃんです。エイラ殿が昨晩倒れてしまわれたので事務所兼自宅兼愛の巣にお連れしました!」
「む、トイレの花子、というと、学校のトイレに出没するジャパニーズ・妖怪でござるか」
「妖怪というか都市伝説なんですけど」
「大差ないではござらんか」
そういいながらエイラが立ち上がり、花子の手を取ってブンブン振り始めた。
リリコスが、ほんの少しだが頬を緩める。狼耳の美少女のアルカニックスマイルだ。
手をブンブンと振られている花子が見惚れて呟いた。
「ケモナーに目覚めちゃいそう」
代行屋一行を乗せたキャンピングカーは近くの猫カフェに向かっていた。場所はどこでもいいから早くいきたいとリリコスがせっつくからであった。
運転する代行屋はさておき、花子とリリコスは後部のリビングで紅茶を飲んでいる。落ちついていると威圧は収まるようだった。
「ぼちぼち着くぞ」
代行屋は大きめのコインパーキングを見つけ、後部座席の花子に声をかけた。リリコスが猫カフェに遊びいく付き添いで代行屋が保護者、の役割だ。
リリコスはバサッとフードをかぶった。尻尾はコートの背に収めてある。
「歩いて2,3分ってとこだ。花子、悪いが留守番頼むな」
「携帯用トイレがあれば一緒に行けるのにぃ」
ぶーたれる花子を、代行屋は黙殺した。
目的の猫カフェは3階建ての雑居ビルにあった。窓際に座っている猫の姿が歩道からでも見える。
「いよいよでござるな……」
窓を見つめていたリリコスがぽろりとこぼす。討ち入りでもするかのように、リリコスの体からプレッシャーが発せられはじめた。
朝食時は割と威圧を感じれらなかったんだが、と代行屋が顎に手を当てた。
代行屋が先導してふたりは雑居ビルの階段を昇る。一段を上るごとにリリコスからの威圧が高まっていくのを代行屋は背で感じていた。
【癒しのにゃんこ】という猫カフェのドアの前に立つ。リリコスの顔は無表情だが、その威圧は空港で感じた以上になっていた。
「……扉の向こうが騒がしいでござるな」
リリコスの言葉通り、扉からは「ギャー」とか「シャー」とか、猫が威嚇する多数の声が聞こえてきていた。
「イカン、イカンでござる」
リリコスはそう言うと、両手で頬をパシパシ叩きだした。
気合を入れているのか、と勘繰った代行屋だが、リリコスの顔に焦りを感じ取っていた。
猫が騒がしい扉とリリコスの顔と、交互に視線をやる。
興奮すると威圧してしまうとか?
だとすると、猫カフェはまずいんじゃないのか?
代行屋は嫌な予感に襲われつつも、猫カフェのドアを開けた。猫たちの顔が一斉にこちらに向く。
異様な光景だが、代行屋は気にせず受付に歩いた。
「2名で」
「あぁぁすみません、なんか猫ちゃんたちが急に怯えだしちゃって……」
代行屋に、エプロン姿の女性が困り顔で応対してきた。部屋の隅でフシューと唸る猫たちをどうすることもできずオロオロしている店員の姿もある。
尻尾と毛を逆立てて牙をむき出しにする猫たちは、一様にリリコスを向いていた。
視線を受けたリリコスは美眉をわずかに歪め悲しそうな顔をした。が、瞬時に美少女へと戻った。
僅かな時間過ぎて、店員には見えていなかったろう。
「あいや、猫ちゃんたちの機嫌が悪いのであれば、まだ出直すでござるよ」
リリコスが片手をあげ、ドアの向こうに消えた。それを認めた代行屋は「怯えているようでは仕方ないですね」と店員に声をかけリリコスの後を追う。
代行屋が猫カフェのドアを閉めた時、リリコスは既に階段を降りはじめていた。
雑居ビルを出たリリコスは足早にキャンピングカーへ向かった。俯いていてフードの中は窺いしれないが、肩が細かく揺れている。
「殺気すら消せない某は、やっぱり半端ものでござる」
リリコスを追いかける代行屋の耳に、そんな嘆きが入ってくる。
彼女はコインパーキングに止めてあるキャンピングカーにするりと入り込んだ。
代行屋がキャンピングカーにもどったときには、リリコスは後部のリビングで膝を抱え丸くなっていた。
留守番をしていた花子は突然戻ってきたリリコスの様子にオロついていて、目で助けを求めてくる。
何があった、とは口に出せない雰囲気を察してだ。
「いちど、家に戻ろう」
代行屋の言葉を聞いた花子が、リリコスに目をやった。
視線を代行屋に戻した花子の口が様々な形に変わっていく。
――リリコスちゃん、泣いてた。
花子の口はそう語った。
なんかわかってきたなと、代行屋は顎をさすった。
「花子、錆爺さんを呼んどいてくれ」
代行屋は花子の耳元でささやいた。
「錆爺さんって、猫又の? 猫カフェの代わりにでもするつもり?」
花子も代行屋に耳打ちする。
「ジジイに囲まれても嬉しかねーだろ」
「わかんないわよ、枯れ専かもしれないし」
「枯れ専はお前だけで十分だ」
代行屋は花子の頭を撫で、運転席に戻り、エンジンキーを捻った。