『狼娘は猫の夢を見るか』 第二話
依頼メールが届いてから一週間。まだ陽も登りかけの早朝。
はるばる英国からやってくる客を迎えに、代行屋は羽田空港に来ていた。
ビジネスジェット専用ゲートにある専用待合室で代行屋はソファに腰かけ、腕時計に目をやる。
「4時38分。予定ではそろそろ到着なはずだ」
時計から目を離した数瞬後、ジェット機の轟音が耳に入ってきた。甲高くも太い圧が代行屋の腹の底を揺らす。
「専用機でお越しとは恐れ入るな」
代行屋は目を瞑り、リリコスの経歴を頭で整理しはじめた。
トランシルバニアの人狼を祖に持つ純血種。
表では保険業を支配し、裏ではマフィアのボスを操る貴族階級。
その一族の次期頭領候補だ。
英国は階級社会だ。そして貴族階級は、いまだ絶対である。表に出てくる爵位はわかりやすいデコイでしかない。
真の貴族は貴族階級としか会話しない。
悪名高いアパルトヘイトなど生ぬるいレベルだ。
くれぐれも粗相のない様に。
今後は外国からの客も見込んで行くための試金石でもあるのだ。
しくじったら雨女にいいつけて給料減らす。
社長からの特別授業で、代行屋はそう叩き込まれていた。
ちなみに雨女とは、雨を降らす妖怪で、人間の子供だった代行屋を拾った育ての親である。
恩人であり母親であり代行屋がこうして働いている理由だった。
「猫カフェに案内するまで俺が生きてるか怪しいな」
代行屋は音なく立ち上がり、専用待合室を後にする。
客を待たせるわけにはいかない。とびっきりの客ならなおさらだ。
おまけに命の危機もついている。
「危険手当は倍、いや三倍付で請求するとしよう」
廊下を歩きビジネスジェット専用ゲートの自動ドアの前に立った瞬間、代行屋の背筋に悪寒が走った。
ヤバイ気配に男は右足を半歩下げ腹に重心を移した。
こめかみを嫌な汗が流れていく。
「……純血種ってのは、みんなこうなのか?」
呟く代行屋の目の前で自動ドアが開く。
思わず身を固くした代行屋の前に、一人の少女が立っていた。
キレ長の目に鈍色の瞳。やや大きめな口と顎に小さなほくろ。
端的に言えば、美少女。
スキニーな黒いTシャツに、夏だというのに灰色の大きなフード付きコートをはおり、ひざ上丈の赤いタータンチェックのスカートを風にそよがせ、そこに立っていた。
彼女の瞳は代行屋を品定めするように上から下へと移っていく。代行屋は名状しがたい圧を受けていた。
値踏みの視線が代行屋の雪駄を捉えたあたりで、男は何かが動く気配を察知した。彼女の足の間に、灰色のふっさふさなナニカがぶら下がっているのだ。
尻尾?
狼人間はその名の通り狼に変身する化け物ではあるが、人前では人間の姿である、と代行屋ですら知っていた。
代行屋は少女の体躯を瞬時に確認した。
見た目は人間だが、あれはたしかに尻尾だ。大きなフードが妙に膨らんでる見えるが……
まさかなと、代行屋が迷ったその時だ。
「そなたが代行屋でござるか?」
アルトボイスが代行屋の耳を揺さぶる。
メールでの口調そのままであることにやや動揺しながらも、代行屋は顎に力を込めた。
「そうです。あなたは、依頼されたリリコス嬢で――」
「早速でござるが猫カフェへ案内してもらいたい」
切れ長の目の奥にある鈍色の瞳はNOを許さない圧を放っている。
目の前の少女が依頼主のリリコスであることは間違いないと、男は確信した。
くれぐれも粗相のない様に。
代行屋は念押しされた言葉を反芻した。
意にそぐわない言葉を放てば、自らが危うくなる。
「……まだ夜明け前ですので、猫カフェは開いておりません」
男は、誰も悪者にならない言葉を選んだ。
、
「な、なんと! 未来の国ジャパンは、あらゆる業種が24時間でござろう!」
驚愕な顔をするリリコスを、どこでそんなでたらめな情報を得たのだという驚きを隠せない代行屋が見つめる。
「た、たのしみで、飛行機の中でも一睡もできなかったでござるのに……」
言い終わらぬうちに、リリコスの身体がくにゃりと崩れかかる。
「お、ちょ、あぶっ!」
地面によろける寸前に、代行屋はリリコスの体をなんとか抱きとめた。
ふわりと薫るバニラの匂いの奥に獣臭を嗅ぎ取った代行屋は、リリコスが狼人間であると認識をする。
が、穏やかに寝息を立てる彼女をかかえ「どうすんだよこれ……」と途方にくれていた。
ビジネスジェット専用ゲートには専用の車止めがある。VIPが時間に縛られずに飛行機で移動するためだ。
リリコスという英国の貴族を出迎える代行屋は、そこに車を回してあった。
セミフルコンという、マイクロバスベースのキャンピングカーである。
マイクロバスの頭部だけを使用し、後ろは居住空間として最大限利用するタイプだ。
トイレがあれば空間移動が可能な花子のために用意された、特製のキャンピングカー【キューティー花子号】である。
その後部空間にあるセミダブルベッドで、リリコスは静かに寝息を立てていた。
フードが外れた頭部には、銀髪から覗く狼の耳が。
タータンチェックのスカートからは狼の尻尾が。
猫耳ならぬ狼耳だが、ケモナーなら狂喜するに違いない容姿である。
「見事な耳と尻尾ねー。もっふもふでさらっさらでいつまででも撫でていたいわね」
赤いワンピースの花子がもふもふのしっぽに手を埋めていた。
「この手触り、ミンクなんてポポイのポイってレベルで快感」
「花子」
「めちゃめちゃ綺麗な娘なんだから、猫にもてなくっても男にはもてもてじゃない?」
「花子、容姿に言及するのはご法度だ。あと、依頼主の尻尾をもてあそぶな」
代行屋は苦い顔をする。
想定外な事態だが、依頼人が楽しみ過ぎて寝不足で倒れてしまうなど想定外すぎた。
子供か、と言いたいところだが、実際に子供なのだ。
「……社長が用意してくれたキャンピングカーがこうも役立つとは」
代行屋は深くため息をついた。
「うわ、可愛いレース! シルクの上下お揃い! しかも線が出ないシームレス! 高そう!」
「花子」
「くっ、あたしより大きい」
「アホなことをするな!」
代行屋は、自らの胸に手を当て戦慄いている花子の襟をつかみ持ち上げた。そのまま向きを変え、花子を椅子に座らせる。
「粗相をするなと社長からきつく言われているんだが」
代行屋はリリコスに毛布をかけた。銀色の耳がピクピク動いたが起きる様子はない。
毛布の一部が盛り上がったが、おそらく尻尾が動いたのだろうと、判断した。
起きなくて良かったと安堵に肩の力が抜けた代行屋を、のんきな花子の言葉が襲う
「客の身体検査も重要な任務よ」
「依頼時に社長がチェック済みだ」
「現物をチェックするのが大事なんじゃない。まったく、かわいいからって鼻の下をのばしちゃってさー」
口を尖らせ足をばたつかせる花子に対し代行屋が「お前は子供か。まったく、見てくれだけ子供で実年齢は俺よりも――」と言いかけたところで彼女に湯呑を投げられた。
「ロリコンでマザコンの癖に!」
「否定も肯定もしない」
「いけずぅぅぅぅ!」
頬をリスにした花子をしり目に、代行屋は運転席へ向かった。
「ここにずっといるのはまずい。出るぞ」
ゴゥンとディーゼルエンジンの咆哮を響かせ、タイヤを鳴らして発進する。
「ちょっと、運転粗すぎ!」
「お貴族様が単身で来るってのが気になってな」
「……そういえばそうねぇ」
「狼な姫様を見張っててくれ」
代行屋が操るキャンピングカーが羽田国際空港第三ターミナルから首都高へと抜けていく。
夜明けを迎えて首都東京は既に目覚めているのか、車が多かった。
重いキャンプングカーは飛ばすことには向いていない。三車線の内、一番左を走る。
「……家に連れていく」
「それが安全かもね……お金持ちも大変ねぇ」
花子は、んーーと寝言を漏らすリリコスの髪を撫でた。