『夏の匂い企画』「河童とねぷた」 後編
8月1日。
青森県弘前市は、陽も落ち涼しくなるはずの時間になってなお、日中よりも熱気に包まれていた。
勇壮華麗なねぷたがずらりと並んでいるのだ。
扇ねぷたに混ざって、人形型の組ねぷたの姿もある。
戦国武将の勇ましい姿や三国志、水滸伝の鏡絵がひしめき、まるで睨み合っているようだ。
今日から始まる弘前ねぷたまつりは、前半と後半で運行ルートが変わる。
初日の今日は土手町コースで、弘前公園近くの、あの観光館付近から出発する。
太郎が参加するこどもねぷたの姿もそこにあり、友達だろう少年少女と一緒に大きな声で笑いあっていた。
だがその姿は異様だ。
みな、なにかしらの妖怪に仮装しているのだ。
「あはは、太郎の河童は良くできてるな!」
「甲羅はしょぼいけど」
「だって紙で作ったんだもん」
太郎は、たすき掛けの浴衣を着ているが体を緑色にペイントし、紙で作ったごわごわの甲羅を背負っている。
鼻から繋がっている口は、やはり紙で作られたくちばしを輪ゴムで耳にひっかけてある。
何処から見ても、河童の変装になっていた。
太郎の周りにいる男の子は、ビニール傘を改造したのか傘の部分だけを頭にかぶっていたり、天狗のお面をかぶっただけだったりと、自由だ。
「わー、太郎君の河童、こってるねー」
ひとりの女の子が太郎に声をかけた。
女の子は頭に猫耳のカチューシャをつけ、たすき掛けの浴衣の帯から二股のしっぽを垂らしている。頬には髭が3本ずつペイントされていた。
太郎がその女の子に向いて、はにかんだ。
「多恵ちゃんも、その、猫娘?、が似合ってるね」
「一応、猫又なんだけど」
多恵と呼ばれた女の子は、二股のしっぽを手に持ちふりふりした。
「あ、そうそう猫又だね! えっと、その、か、かわいいね」
「あ、ありがとう。太郎君も、似合ってる、ね」
お互いに顔を赤くして俯いてしまった良い感じなふたりを「ひゅーひゅー」とはやす声が広がっていく。
そんな様子を、男と河羅は少し離れた場所から眺めていた。
「いやー、こんな手を使ってくるとはなぁ」
河羅は腕を組み、目を細め、その光景に魅入っていた。
息子の願いがかなったこともあるだろうが、普段あまり見ない、友達との仲の良さを目のあたりにしたからだろうか。
「……花子がいろいろ動いてくれたおかげです」
「いい嫁じゃのー」
「嫁じゃありませんがね」
代行業の男は、じっと太郎を見つめている。
はしゃいでいる太郎達の背後には、小さいながらも扇ねぷたが鎮座していた。
鏡絵は、魔除けで有名な〝鍾馗〟だ。
荒々しい髭を蓄え、眦を上げて鬼を睥睨する様は、邪を祓う〝魔除け〟だ。
その鍾馗のねぷたを運行するのが、妖怪にふんした太郎たちの〝百鬼夜行〟だ。
ヤーヤドー
ヤーヤドー
一番ねぷたが運行を開始した。
和太鼓の鋭い響き。
溌溂な掛け声。
扇ねぷたがゆるりと動き始めた。
「僕たち次だ!」
「わ、太郎君急がないと!」
太郎と多恵はあわてて鍾馗ねぷたの元へ駆けていく。
それを見届けた男は、隣で仁王立ちの河羅に「お役目はここまでですので」と告げた。
「見ていかねえのか?」
「えぇ、待ち人がおりますので」
「がっはっは、そうかそうか!」
河羅が太郎の方へ眼を戻した時には、そこには男の姿はなかった。男は興奮気味の人混みをかき分け、裏路地に入り、闇に溶けいった。
男が消えたそこには、渦巻く熱に浮かされた祭りの匂いが立ち込めているだけだった。
男の姿は、観光館近くの宿にあった。先日と同じ部屋を借りていたのだ。
無造作に扉を開けると、奥の和室の窓辺に立ち、ぼんやりと外を眺めている花子の姿が見えた。
先日の藍染の浴衣だが、背に泳ぐ金魚が寂しそうだ。
「あれ、帰ってきたの?」
男の帰着に気がついた花子が振り返る。
「……ただいま」
男は雪駄を脱ぎ、上がり框を踏みしめる。
「どうだった?」
「大成功だ」
「よかった!」
花子は嬉しさを零すように微笑んだ。
男が横に並ぶと、彼の肩ほどにある花子の頭がコツンと寄りかかる。
ふたりは、ぼんやりとまつりの灯りをみつめていた。
やけに甲高いヤーヤドーの掛け声がふたりの耳に入る。太郎のねぷたが運行を開始した合図だろう。
「……今回は助かった」
「ふふん、全国を網羅する花子ネットワークはすごいんだから」
「あぁ、正直驚いた」
男は真顔で応えた。
「でも、私は太郎君のいる小学校の花子に相談を持ちかけただけ。頑張ってくれたのはあの小学校にいる花子と子供たちだもの」
花子は窓を見たまま呟いた。
「しかし、よく小学生が快く言うことを聞いてくれたなあ」
「太郎君の願いをかなえるための百鬼夜行の提案は、女子全員の賛成で可決されたわ」
「全員の賛成?」
眉を顰めた男は花子に顔を向けた。
「私たちは〝花子相談室〟をつくって、女の子の悩みとかも聞いてるの。大体が好きな男の子の悩みなんだけど、イジメとかの相談もくるし、なんなら女の先生の恋の悩みもバッチコーイなんだから」
「なんとまぁ」
「多恵ちゃんっていう、太郎君のことが好きな子がいてね。その子がみんなをグイグイ引っ張ってたみたい」
花子がふふっと笑う。
「……あの子がか。すごいな」
「そうよー、女の子は強いのよー」
「いや、それを成し遂させてしまう程の信頼を得ているトイレの花子が、だ」
「ふふ、ありがとう」
花子はぐりぐりと男の肩に頭を押し付ける。
「ねぇ、せっかくなんだから、ねぷたまつりを見てくれば?」
「トイレの花子のお前は建物からは出られないだろ」
男は一瞬花子に目をやり、彼女の肩に手を回した。
「あら優しい。でも同情するなら嫁にして欲しいわね。あそうそう、これは〝貸し〟だからね?」
肩を抱かれた花子が、いたずら猫の目で男を見上げる。
「外には出られないが、どこかに連れて行くことでチャラ、ってのはどうだ?」
男は花子の提案に対し、即座に反応する。押されっぱなしは危険だというのは身にしみてるのだ。
「まーそれでもいいけど利子はつくから。夫婦ということでトイチで我慢してあげる」
「10か月で1割とは、お優しいことで」
「ちがーう。10分に1割。びた一文、ま・か・り・ま・せ・ん!」
ニカッと勝ち誇る花子に「10分だと?」と唸る男だったが、「100年もあれば返済できるか」とため息をついた。
窓からはヤーヤドーの勇壮な掛け声が。
ふたりは寄り添ったまま、窓の向こうに映る喧騒を眺めている。
弘前ねぷたまつりの熱気を孕んだ夏の匂いが、そんなふたりを撫でていった。