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物の怪代行業  作者: 海水
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『夏の匂い企画』「河童とねぷた」 中編

 男は花子が予約した、観光館から少し離れた日本家屋風の宿にいた。2階にある8畳の和室で、敷かれた布団に転がり、シミのある木目天井を見つめていた。

 網戸になっている窓からは、夜を迎える市井の喧騒と胃を刺激する〝弘前いがめんち焼き〟の匂いが漂ってくる。

 イカのゲソを包丁でたたき、季節の野菜を小麦粉と混ぜ合わせ焼いたもので、郷土料理のひとつである。

 だが男は、仕事先で料理に舌鼓を打つ、という楽しむことすらできないでいた。


「変化を伸ばす薬も術もなし。幻術じゃあ触れられたらバレるし、不測の事態に対応できない。本人の体力精神力次第だが改善の余地はないときた。何とかしてやりたいが打つ手がないな……」


 彼は色々と伝手に解決策を相談したものの、芳しくない答えが返ってきたのだ。


「俺のような目には――ん?」


 玄関へ繋がるふすまの向こうから、ガタガタと不審な音が聞こえた。男は跳ね起きてふすまに忍び寄る。

 ガチャリと扉の開く音が耳に入ると、男はふすまの取っ手に手をかけ、一気に開けた。


「誰だッ」


 男が見たのは、ちょうどトイレから出てきた、浴衣を着た〝おとなのトイレの花子〟の姿だった。

 この宿の浴衣とは違う、落ち着いた藍染に大きな和金が泳ぐ、夏らしいものだ。

 口紅程度の控えめなメイクだが、うなじを見せるアップのかみ型と女性らしい体つきが艶やかさを倍増させている。


「へへー来ちゃった」


 花子がかわいらしくコテンと首をかしげる。


「お前、なんでここにきた! というか勝手に()()()()()()させるな」

「だって寂しかったんだから! 奥さんを放って、ひどい!」


 泣きそうな顔の花子が声を張り上げた。


「おま、声が大きい!」

「私を嫁と認めないと大きな声を出すわよ」

「なッ!」

 

 花子の支離滅裂な暴言に男が目を見開く。

押しかけ女房の既成事実化を図り、男を困難な状況下においてを黙認させようというのだ。

 廊下ではざわつく気配も感じる。

 ここで騒がれると、ひとりで宿泊しているはずの男にふたりで宿泊している嫌疑が付き、身元を調べられてしまうかもしれない。


 大昔に口減らしで森に捨てられ雨女に拾われた〝物の怪代行業の男〟は戸籍など持っていない。

 そもそも人間ですらない。

 今所持している身分証など全て偽名であり、男には名前すらないのだ。


 男は「ぐぅ」と降参にも等しい唸りを上げた。


 すっかり大人の顔でどや顔をする〝トイレの花子〟に、男はなすすべもなく追い詰められてしまったわけで。


 勝ち誇った笑みの花子のお腹がぐーと鳴った。まだ夕食をとっていない男の腹もグーと鳴る。

 緊張で張りつめていた空気が一気に緩んだ。


「夫婦は似るっていうじゃない」


 にっと笑う花子に、男は肩を落とした。

 男の負けである。






 男は両手にビニール袋をさげ、部屋に戻ってきた。「おかえりなさーい」と花子が出迎え、両手のビニール袋を回収していく。


「ビールでいい?」


 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ニコニコと支度をしていく花子。男は黙って靴を脱ぎ、上がり(かまち)に歩を進める。


「弘前いがめんち焼きにニシンの飯ずし、焼きそばとたこ焼き! 夏祭りみたいね」


 「ニシンの飯ずしって食べてみたかったのよねー」と言いながら嬉しそうにテーブルに並べていく花子を、男はじっと見つめている。

 文句を我慢している目ではなく、懐かしいものを見る、そんな目で。


「はい、用意できた!」


 テーブルの上には紙皿に盛られた弘前いがめんち焼きにニシンの飯ずしと、プラ容器のままだが湯気が薫る焼きそばとたこ焼きが並ぶ。

 宿の浴衣姿の男と艶やかな浴衣の花子の前にはそれぞれ缶ビールが。


「おい、トイレの花子は小学生だろう。酒を飲んでいいのか?」

「私はもう大人ですから!」


 立派に育った胸を下から持ち上げ、成熟をアピールする花子。男は座椅子の背もたれに寄りかかり天を仰いだ。


「ん~~! 飯ずしのほんのり口に広がる甘みがたまらない~~! 弘前いがめんちのコリコリ感もくせになる~~! 美味しい!」


 げんなりする男を放置して、花子はまぐもぐと食べ進めている。缶ビールは未開封のまま、結露で汗だくだ。

 男は土地のグルメに舌を躍らせている花子を、缶ビールを片手に眺めていた。


「たべふぁいふぉ?」

「はしたないぞ。口に入れたまましゃべるなって」

「んぐんぐ、ごっくん。食べないの?」


 大げさに嚥下した花子が、やや心配そうに窺っている。腹が減っているはずなのに男が箸に手を付けていないからだ。


「いや、いい食いっぷりだなと思って」

「あー、馬鹿にしてるな!」


 ぷぅと頬を膨らませる花子だが、不意に真面目な顔になる。


「で、河童の話はどうなの? うまくいきそうなの?」

「あー、それがなー」


 男は事の経緯を花子に語った。ねぷたに出たいのは河童本人ではなくその子供だったこと。その子供がまだ成長しきっていないために夜には変化が解けてしまうことを。


「打つ手がねーんだ」


 男は缶ビールを飲み干し、カンと叩きつけるようにテーブルに置く。下唇をかみ、苦悩をにじませている。


「諦めさせちゃダメなの?」

「俺としては、なんとかしてやりたいんだ……」

「ふーん、どうしてもな理由って私にも教えてよ。もしかしたら力になれるかもよ」


 花子が最後のニシンの飯ずしを口に放り込んだ。

 彼女から真摯な目で見つめられた男は脇にある鞄から煙草を取り出し、火をつけることなく口に咥え、静かに語りだす。


「……俺が森に捨てられて母さんに拾われてすぐのころだ」


 男は花子から視線を逃し、街明かりを映す窓を見た。ぼんやりと浮かぶ光が、男の記憶を浮かび上がらせていく。


「もともと住んでた村で祭りがあったときに、俺が駄々こねて行きたいって言ったんだ。母さんが雨女だって知らなかった時分さ」


 男は咥えているたばこを、唇で強く噛んだ。花子は男の横顔を見つめ、静かに彼の言葉を待っていた。


「俺は捨てられて死んだことになってるし、母さんと一緒に別の村に行こうとすれば雨が降って祭りは中止になるしで、悔しかったんだ、その時は」


 俺も子供だったしな、と呟きライターを取り出し煙草に火をつけた。


「遠くから聞こえてくるお囃子を聞いてるしかなくって、情けないことに泣いてたんだよ」


 男は天井に向かってふーっと煙を吐いた。蛍光灯の下でイヤイヤするように煙が揺蕩(たゆた)う。


「妖怪だって子供だ。俺みたいな悲しい思いをさせたくなくってな」


 在りし日を遠くに見つめる眼差しで、男はまた煙を吐いた。


「だからこそ、なんとかしたいんだがな……」


 男の視界が歪んでいく。溢れ出る何かを押しこめるように、男は目を閉じた。


「そんなことなら、早く言いなさいよ!」


 花子は目に涙をためこみ、叫んだ。浴衣の裾を乱して、花子が立ち上がる。

 激しい布の擦れた音を聞き、男は何ごとかと(まなこ)を開く。

 花子は男と目が合うとンと胸を叩き、啖呵を切った。


「わぁぁぁったしに、まっかせなさぁぁぁぁい!」


 花子は男の荷物から、ノートPCを取り出し立ち上げた。

 カタカタカタカタとよどみなく打ち続け、何処に持っていたのか不明なヘッドセットを装着した。


「はーいみんな聞こえるー、醍神(だいじん)小の花子でーす」


 ノートPCのスピーカーから「ばんわ!」「おひさー」「お、彼との進捗どう?」と女の子の声が次々返ってくる。

 突然の展開に男は口を半開きにし、唖然としている。


「全国花子会議の緊急開催を要求しまーす」


 花子が高らかに宣言した。

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