『夏の匂い企画』「河童とねぷた」 前編
男は、現代に生きる物の怪の、悩み事困りごとその他諸々を引き受ける代行を生業とする。
この話は、強かに、そして愉快に現代を生き抜く物の怪ととある男の物語である。
男は昔々幼少のころ、口減らしで森に捨てられたところを雨女に拾われた。
成長し、物の怪代行業となる。
代行業の男はトイレの花子の依頼でたい焼きを買った際、押しかけ女房的に自宅のトイレを占拠され、嫁を宣言される。
これは銘尾 友朗様主催の「夏の匂い企画」参加作品です
男は東北自動車道の一関付近を北上していた。早朝に浦和から入り、休憩なしで運転し続けたが、すでに昼を過ぎている。
「弘前に着くのは夕方か」
ナビの到着予想時間は17時。
男は、器用に口の端に煙草をどかし、唇の隙間から煙を吐きだした。
男は、現代に生きる物の怪の、悩みごと困りごとその他諸々を引き受ける代行を生業とする物の怪代行業だ。
今回は河童がねぷたに出たがっているという話を聞き、青森県の弘前に向かっているのだ。
「花子が宿をとってくれたおかげで焦る必要がないのは助かるな」
男は視線をバックミラーに移し、後続に車がないことを確認してアクセルを踏み込む。
数時間後、ナビの予想時間とほぼ同じ時刻に、弘前の駅前についた。
待ち合わせ場所は弘前公園に近い市立観光館だ。
観光館には駐車場がないと聞いていた男は駅前のコインパーキングに車を置き、弘前駅から出ている循環バスに乗る。100円と良心的値段で、市民の足になっていると、駅の案内板に書いてあった。
バスに揺られること15分。市役所前の停留所で男は降りた。閉館時間の18時まではまだ30分以上ある。呼び出した相手は観光館の中にいるだろうと、男は入館口へと進んだ途中で地下駐車場への入り口を見つけた。
む、という表情を浮かべたが、すぐに小さく息を吐く。
「調べてもらって文句は言えないな」
男が入館しホールに入ると、正面にピンク色の案内カウンターがあり、その脇に腕を組んで王立ちをしている偉丈夫が目に入る。
角ばった顔に鋭い目つきが近寄りがたいオーラを放っていた。
男は軽やかに右手を上げる。
「河羅さん、遅くなって申し訳ない」
河羅と呼ばれた浅黒でがっしりした体格の男は、彼の姿を認めると視線で上から下まで吟味し始めた。
「いやいや、時間通りだ」
男を待ち人と確認したのか、河羅は頬を緩めた。
「どこぞの花子ちゃんといい関係になったって聞いて、ハッスルしすぎてスルメにでもなってるかと思ったけど、そうでもねーな」
先制パンチを食らって男は絶句した。案内カウンターに座る女性の視線が注がれると、男の額から汗が伝う。
「ここでは話しにくい」
「赤裸々な話でもするまいに」
河羅は苦笑したが「奥にレストランがある。そこでしよか」と男を案内するように先に歩き始めた。
閉館間際のレストランに客はいない。唯一、奥のテーブルにちょこんと座る男の子を除いては。
河羅はズンズン歩いて、少年の隣に腰を下ろした。男も続き、少年の対面に座る。
注文を取りに来た女性に珈琲とメロンソーダを頼み、男は少年に向き合った。
「息子の太郎だ」
「あの、初めまして、太郎です! えっと、6年生です!」
少年が、河羅の紹介にぺこりと頭を下げる。
河羅は浅黒だが少年の肌は白く、痩せている。角ばった顔立ちは似ているから、親子であるのは間違いない。
男は「物の怪代行業だ」と頭を下げた。
「あの、僕、ねぷたに出たいんです!」
真摯な顔の太郎が口火を切った。
「君が、ねぷたに参加したいと?」
「は、はい!」
男の確認するような質問に少年は元気よく返事をした。男は河羅に顔を向ける。
「てっきり河羅さんが出るつもりだったのかと……利発そうなお子さんですが、何か問題が?」
ねぷた自体は子供でも参加できる。男は事前にそれくらいは調べてきた。
河羅は太郎の頭に手を乗せ、気がつかない程度に肩を落とした。
「実はな、太郎は体が弱くてな」
河羅が語りだすと、太郎は俯いてしまった。
「我々河童は、現代に適応するよう変化の能力を得た。どうだ、河童とはわからないだろう?」
河羅はニヤリと頬を上げた。
河羅はどう見ても厳つい中年だ。ねじり鉢巻きをしたら、さぞかし似合うだろう肌と体格をしている。
頭に皿など見当たらず、背中に甲羅もない。
「見事ですな」
「だろう?」
河羅が嬉しそうに目を細めた。
「これも体力と精神力を消耗するものでな。慣れれば当たり前に変化していられるのだが……」
「太郎君は体が弱い故、長くは続かない、と」
男は少年を見て、そう判断した。
変化はできていて、太郎はどこから見ても少年だ。それでいてねぷたに参加できないのであれば、おのずと答えは導き出される。
「成長すれば変化の時間も伸びようが、いまだと半日が限界だ。夜になる前に変化がとけちまう。いまだってギリギリなんだ」
河羅は少年の頭を優しく撫でている。その視線には慈愛が込められているのが、男にもわかる。
「変化の時間を延ばすことは――」
「正直、できねーんだ」
「人前に出るのは夜だけにするのは?」
「朝から準備があるし、友達もいるからって太郎は朝から出たいって言うんだ」
男と河羅の問答を俯いて聞いていた太郎が、がばっと顔をあげた。
「僕、中学はみんなと違うとこに行くんです。だから、小学校最後のねぷたには、友達と出たいんです!」
目に涙をためた太郎が、男を見つめる。
男は、彼の揺るぎない熱い視線を真っ向から受けとめた。
「太郎は、妖怪仲間が多い中学に行かせることにしたんだが、ちょっと遠くてな。今の友達と遊ぶ時間もかなり減ると思うんだ。変化の時間も限られてるしな」
河羅が頭をかき、呟くように語った。
「どうしても、出たいんです! お願いします!」
テーブルに額を付ける少年を、男は静かに見続けた。
そしてゆっくりに目を閉じた。
「……何とか、してみよう」