Cの5 「まあまあまあまあ」
「着いたよ」
幼馴染が突如そう言ったのでふと横を見てみると、そこは我が家であった。いつの間にかたどり着いていたらしい。
「じゃ、また」
俺はそう言って玄関扉へと向かった。鞄の横についたポケットから鍵を取り出して、鍵穴に突っ込む。そのまま鍵を右に回したとき、誰かが俺の背後に一歩近付くような気配がした。幼馴染だった。
「なぜついてくる」
「まあまあまあ」
なにがまあまあだよ。俺は彼女を無視して扉を開ける。その瞬間、彼女は扉の開いた隙間に体を滑り込ませるようにして我が家に侵入した。
「まあまあまあまあ」
絶え間なく彼女はそう発声する。まるでカバディである。彼女はそのまま玄関を踏破せんと歩みを進めようとする。そうはさせんと、俺は彼女の顔面を後ろから引っ掴んだ。それでもなお彼女は俺の手の下でもごもごと口を動かした。
「もぁもぁもぁ」
「なぜついてくる」
「もぁもぁもぁ」
「ふてえ野郎だ」
「ひどいわ、女の子に対して太いだなんて」彼女は俺の手を振りほどいて言った。「ましてや野郎だなんて」
2人で馬鹿な言い合いをやっていると、やがて騒音を聞き付けたのか妹が奥の方からやってきた。制服のままだ。彼女も帰ってきてからそんなに時間が経っていないのだろう。彼女は「おかえり」と言いつつも、玄関で靴も脱がずに突っ立っている俺たちを見て怪訝な表情を浮かべた。
「なにやってんの?」
「水際作戦」
その後、俺の必死の取り締まりを無視して妹は不法侵入者を家に招いた。どうやら妹の客らしかった。朝の段階で来訪は約束されていたらしい。
「初耳なんだけど」
「そりゃ言ってないし」
平然と妹は言い放った。我が家において俺はヒエラルキーの最下層に位置する。あるゆる法案は俺の耳に入ることすらなく可決されるのである。早急な体制の見える化が望まれる。
体制への不満もそこそこに、俺はリビングのソファに腰を落ち着けた。正面にあるテレビでは政治家の汚職が報道されている。この手のニュースを見る度に、俺は無政府主義者になりそうになる。
「マリオテニスやろう、マリオテニス」
そう言って幼馴染が俺の隣に座ってきた。彼女とはかつてマリオテニスで激戦を繰り広げてきた。小学校に上がってからというものの、俺たちの遊びというのはもっぱらゲームであった。彼女は毎日放課後にランドセルも負ったままうちに来ては、コントローラーを握っていたものだった。中学からは放課後に、ということは無かったが、土日にしばしば彼女は顔を見せていた。
小学生の時は狂ったようにマリオテニスをやっていたので、彼女にとって思い出深いゲームになっているのだろう。無論、俺にとってもそうだ。この前最新作を買って、たまに妹と遊んでいる。
「マリオテニスって言うけど、お前がやったことあるのゲームキューブのやつだけだろ」俺はテレビの傍らに置いてあるニンテンドースイッチを指して言った。「新しいやつでいいか?」
「望むところよ」
「……つーかお前、妹に呼ばれて来たんじゃないのか? あいつほっといてていいのか?」
「まあまあまあ」
なにがまあまあだよ。
幼馴染はヨッシーを選んだ。彼女はいつもヨッシーしか使わない。何のゲームであろうともである。スマブラでは彼女のヨッシーに随分と辛酸を舐めさせられた。
俺はマリオを選んだ。特にキャラクターにこだわりは無い。今の気分が無政府共産主義だったので赤いオッサンにしただけだ。
「操作方法は?」
「目で見て盗め」
「……説明書ある?」
「無い」
「無いことないでしょ」
「近頃のゲームには説明書なんて無いんだよ」俺は大きくため息をついた。「ジェネレーションギャップだよな」
ゲームが始まると、あとは一方的だった。どんなゲームにしても勝った時の、中でも初心者をいたぶって勝った時の快感というのはひとしおである。
「あの時間がスローになるやつ何なの? ずるくない?」
「ずるいな」
「ずるいのはお兄ちゃんでしょ」妹がソファの後ろから言った。「ちゃんと操作方法くらい教えなよ」
見ればいつの間に着替えたのか私服になっている。彼女は幼馴染の手からコントローラーを奪うと、いそいそとソファに場所を確保した。
「私が仇を取ってあげよう」
妹はクッパを選んだ。パワー型のキャラクターである。妹はこの手のキャラクターを好む。スト2だとエドモンド本田を好んで使う。スマブラだとガノンドロフ。
俺はピーチ姫を選んだ。ネットで調べたところによると一番強いキャラらしい。つまり俺は勝ちに行ったのである。
試合は思いのほか白熱した。ラリーが中々終わらない。このゲーム、ある程度慣れた者同士でやるとラリーが延々と続くことになる。点数を取りに行くというよりも、ミスをしないプレイングが重要となるのだ。
「そう言えば」退屈そうにラリーを眺めていた幼馴染が口を開いた。「寝間着取ってこないと。流石に制服のままで寝るわけにはいかないし」
……聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。
「今のうちに取ってきたら? しばらく終わりそうにないし」
「そう? じゃあちょっくら取ってくらあ」
「ちょっと待て」俺は思わず口を挟む。「何だって?」
「ちょっくら取ってくらあ」
「その前」
「寝間着取ってこないと」
「なぜ」
「泊まるから」
ラリーが終わった。ピーチ姫の脇をボールが通り過ぎたのだ。
「……初耳なんだけど」
「そりゃ言ってないし」
平然と妹は言い放った。我が家において俺はヒエラルキーの最下層に位置するのだ。
「まあまあまあ」
なにがまあまあだよ。