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C  作者: ウボ山
14/19

Cの13「これ上下巻だから」

 2限目の終わりを示す鐘が鳴った。それを聞いて社会科の教師は「あ、終わりか」などと寝ぼけたことをほざくと、教室から出ていった。右肩上がりの文字たちが黒板に取り残されている。


 固体の分子間力が弱まって液体になるように、生徒たちは一斉に思い思いに動き回り始めた。無論、中には動かない分子もいる(文字通り反乱分子だ)。上野なんかは自分の腕を枕に、そこに頭を埋めて眠っていた。


 俺は次のコマの授業を確かめるために黒板の横に向かう。そこに時間割表が貼っているのである。2学期はもう終わろうとしているのだが、未だに時間割を覚えられない。次は数学Bだった。悪夢だ。


 せっかく立ち上がったので、ついでに石原の元へも向かう。彼は机に数学の教科書を開いて、何やら一生懸命ノートに書きとっているのだった。


「何やってるんだ?」

「何をやっているように見える?」

「パラパラ漫画でも描いてるのか?」

「勉強してるんだよ!」


 勉強。まさか石原の口からそんな言葉が出てくるとは。俺は彼の開いているページを眺めてみた。単元は平面ベクトル。つまり、2次元ベクトル。


「なるほど」

「今、何に納得したんだ?」

「2次元エロ魔神ともなれば矢印にも興奮できるのだなと」


 石原は自分のノートに視線を落とした。しばらくして彼は言った。


「無理だな」


 無理だった。なんだか俺は少し安心した。彼はまだ人間をやめていなかった。


「しかし、2次元エロ魔神ってのはもはや古いぞ」石原はどこか自虐的な笑みを浮かべつつ言った。

「どういうこと?」

「今朝田中さんにたまたま会ったとき、2次元エロ『大』魔神って呼ばれた」

「……まあ噂には尾ひれが付くものだ」

「俺を半魚人にでもする気か?」


 これがさらに進化したらどうなるのだろう。1次元エロ大魔神か? むしろ退化している気がするが。


「噂で思い出したけど」石原はノートから視線を上げて言った。「相川さんと付き合ってるのか?」


 相川とはむつみの苗字だ。


「誰が?」

「お前が」

「ないよ」

「でもこの前一緒に登校してたじゃないか」

「家が近くなんだ」


 石原は何か言いたそうにしていたが、結局口を噤んだ。


「どうして今そんな話を?」

「噂があるからだよ」

「噂?」

「お前と相川さんが、付き合ってるんじゃないかって」


 その時チャイムが鳴った。待ち構えていたように数学教師が教室に乗り込んできて、生徒たちに着席を促す。俺は大人しく自分の席に戻った。窓の外を覗いてみると、ジャージを着た集団が校庭に引かれたトラックを回っていた。


 数Bの授業はあまり頭に入ってこなかった。それは内容の難解さからか、それとも頭の中のある情報が脳内のメモリを食い潰しているからか、俺には判断が付かなかった。

 結局そのコマは教科書の端っこにパラパラ漫画を描いて過ごした。ボールが跳ねるだけのアニメーションだ。なんだか自分がものすごく馬鹿な事をやっている気がしてきた。実際馬鹿だった。


 放課後。


「お前らこの後暇か?」


 石原が俺と上野にそう声をかけた。


「暇か暇じゃないかで言うと暇」

「消極的に暇」


 俺と上野はともに暇だった。


「何かやることでもあるのか?」

「いや別に」石原は即座に否定した。「ただお前らに放課後の予定があったらいやだなあって」

「……意味がわからないんだけど」

「帰宅部のくせに放課後に予定があるって、なんかすごく充実してそうじゃないか?」


 よく分からない偏見だった。そのあとしばらく無駄話をして、結局そのまま帰宅する運びになった。彼らとは校門のところで別れた。家が逆方向だからだ。


 俺はまっすぐ家まで帰った。


「ただいま」


 家の玄関の扉を開けて言った。返事は帰ってこない。そのままリビングへと向かう。


「ただいま」


 扉を開け放ちつつ、10秒ぶり2回目のただいまだ。暖房が動いているようで、一歩部屋に踏み込んだ瞬間気温が変わったのを感じた。


「あ、おかえり」


 妹はソファに寝転んで、本を読んでいるようだった。近付くと、妹がその表紙を見せびらかしてきた。宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』だった。10年以上前に映画をやっていた気がする。


「面白いよ」

「そんな分厚い本、俺なら読むのに一生かかる」

「じゃあ一生じゃ足りないね」妹はふんと鼻を鳴らすと言った。「これ上下巻だから」


 妹はそう言うと再び視線を本に落とす。俺はソファを後にして、冷蔵庫から麦茶を取り出した。やはりやたら冷えている。俺がコップを呷ったとき、ふと思い出したように妹が言った。


「そういえば、お父さん明日帰ってくるんだって」


 俺はカレンダーを見た。明日は水曜日だ。


「ふうん」

「どうでもよさげだね」

「カンボジアの先週の天気くらいにはどうでもいい」


 なんだか父親が哀れに思えた。


 俺が再びソファに近付くと妹が足を畳んだので、それで出来たスペースに俺は座った。本を読んでいるくせに妹はテレビを付けっぱなしにしていた。つまらないニュースをアナウンサーが読み上げる声が部屋を支配している。


「見てるから」


 俺がリモコンを手に取ると妹は言った。「聞いてるから」の間違いではなかろうか。「はいはい」と俺がリモコンを机に戻して深くソファに座ると、妹は畳んでいた足を伸ばして俺の膝の上に乗せた。これが本当の逆膝枕だ。


 ニュースでは高まる年末ムードが報じられていた。駅前にクリスマスツリーができたらしい。広場は人で溢れている。イルミネーションがおしくらまんじゅうしている群衆の顔を青白く照らしていた。なんだか花見みたいだ。桜の下に死体が埋まっているのなら、クリスマスツリーの下には何があるというのだろう。


「そっか」妹が口を開いた。「もう終わりか」

「なにが?」

「え?」


 妹はなぜか驚いたような声を出して、しばらく押し黙った。


「……今年が」


 そして絞り出すようにそう言った。


「何かやり残したことがあるのか?」

「別に」


 ツリーを見物していたカップルがインタビューを受けている。女の方が元気よくインタビューに答えて、男は適当に愛想笑いを浮かべていた。男の方は彼女に無理やり連れてこられたようだった。


「ツリーでも見に行くか?」

「寒いからいい」


 にべもなく断られた。確かに今は暖房の効いた部屋から動きたくない。


「冷たっ」


妹が小さく悲鳴をあげた。俺が妹のくるぶしのあたりを掴んだからだ。生物の熱を感じる。妹は恒温動物だった。


しばらくそうして右手を暖めていると、妹が口を開いた。


「むっちゃんがさ」本から視線を上げることなく妹が言った。「いるじゃん」

「いるな」

「付き合ってるの?」


 妹が訊いた。おそらくその主語は、むつみだ。彼女が誰かと付き合ってるという話は聞いたことがない。その相手が俺だという根も葉もない噂以外は。


「多分付き合ってないと思う」


 俺がそう言うと、妹は「そっか」と息を吐いた。


「付き合っちゃえばいいのに」

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