13 平和な日々を満喫する
ニートという言葉がある。
一般に引きこもりの代名詞のように扱われる単語だが、実は年齢制限がある。なんと15~34歳まで限定の職業なのである。
仮にだ、今、俺が何らかの犯罪を犯す、もしくは事件に巻き込まれるとする。現在俺の年齢は戸籍上14歳。中学校には通っていない。つまり学生ではない。ニートの資格も得ていない。となると、テロップには
「―無職 立花 優莉さんが―」
となるわけである。笑えん。いや、ニートでも無職って出るだろうけど。とこんなくだらないことを考えるくらい暇だった。
受験生だから勉強に集中しろ、というのは至極真っ当だが、息抜きが出来ないのである。体つきこそ中学生相当だが、日本国籍を持ってないので中学校には行けない。女になったけど、実は立花悠司です、と吹聴すればせっかく偽造した戸籍だとかが無駄になるので言いふらすわけにもいかず、となれば昔の友達と遊びまわることもできない。
さらに迂闊に外に遊びに出れば補導されることは目に見えている(というか、一度された)ので、平日の日中に出歩くもの正直憚れる。さらに性別が変わったせいか、昔ほど少年漫画が面白いとは思えなくなった。いや、漫画以上の不思議体験をしたからか?どれもあの命がけの日々と比べれば典型的なバトル漫画は全部陳腐に見えてしまう。というわけで漫画も娯楽とはいえなくなりつつあった。
要するに暇だ。そんな中、だったらせめて家事手伝いにしてあげると涼ねえのふざけた一言により、無職から家事手伝いにジョブチェンジすることとなった。
まあどうせ暇だし、当番制の家事を誰かがやる必要があるわけで……
そんな12月中旬のある日の平日はこんな感じだ。
午前5時半
まだ日も出ていないが朝食当番である以上、起きざるを得ない。男だった時はもう少し寝てても問題なかったが、女の朝はやることが盛りだくさんだ。顔を洗って歯磨きをする程度だった昔が懐かしい。
午前6時半
俺は涼ねえを起こしに行く。好き好んで起こしに行くわけではない。起きないと朝食がいつまでも片付かないからだ。
「ほら涼ねえ。起きて。朝だよ。」
こちらが声をかけても未だ夢の中だ。
俺が弟だった時はさっくり起きたくせに妹になった途端こうなった。はぁ……今日もまた、俺の幻想が崩れていく。
俺は5ヶ月前まで涼ねえを尊敬していた。最早崇拝レベルであったと思う。
涼ねえは若干14歳にして当時11歳、8歳、5歳の低年齢3人の事実上の母となり、面倒を見て、炊事洗濯家事全般を率先的にこなし、そんな境遇でも成績は落とさず名門高校に進学。進学後も、学業と家事を両立させたスーパー超人だ。
おまけに(弟のひいき目もあるだろうが)美人で性格も温厚、スタイルも抜群。神様が「ぼくのかんがえたさいこうのおねえちゃん」ってノリで作ったといわれても信じていただろう。
隙もあるが、それすら人間アピールの何かだとさえ思う。そんな重度のシスコンだった俺だが、5ヶ月前、俺が異世界から帰ってきたあたりから徐々にその幻想は崩れていった。
まず部屋が汚くなった。汚いといっても足の踏み場もなかったり、ゴミが散乱してたりというわけではない。が、今までは陰で努力していても表には見せなかった女子力向上のための数々の道具(美容品だとか、ファッション誌だとか)が見られるようになり、化粧品もきっちり片付いていたのだが、最近は蓋こそ閉めているが出しっぱなしのものがチラホラ。
一度洗濯後、たたまず取り込んだ状態のままの下着が無造作に置かれているのを見つけた時はさすがに我が目を疑った。
どこか悪くなったのかと心配したのだが陽菜に言わせると「涼ねえは昔からずぼらだよ」の一言。どうやら年頃の弟の手前、目に見えるところはきっちりしていたらしい。確かに教育上良くないからな。でも見栄を張るなら、最後まで夢を見続けさせて欲しい。
「涼ねえ。大学に遅刻しちゃうよ。ほら起きて。」
俺は思い切って掛布団をはぎ取ると、そこにはあられもない姿の涼ねえがいた。別に全裸ではない、普通の寝間着だが逆に言えば寝間着なので薄着。作っていない盛ってないこの状態でこの凹凸。前だったらドキドキしたかもしれないが、今はご立派以上の感想はない。
「なによ。寒いじゃない」
抗議の声をあげつつ、ゆっくりと起き上がる涼ねえ。前だったら朝からきっちり「おはよう悠司」くらい言ってくれたんだが。
「はいはい。今は12月だからね。冬だから寒いね。もう起きたね。二度寝はしないでね。」
俺はこれ以上、俺の中での涼ねえの株を落とさないために回れ右。そのまま足早に部屋から出ることにした。が、
「待ちなさい。」
言葉と同時に後ろから俺に抱きつく涼ねえ。いったい何を……
「髪はちゃんと丁寧に梳いてあるし、スキンケアもしっかりとしてるわね。ようやく合格レベルの習慣が身についたのかしら?」
人の髪やら頬やらを触りつつそうつぶやく涼ねえ。あのなあ……
「やらねえと、うるせぇから仕方はふひゃは」
「あらあら、女の子らしくない乱暴な口をきいちゃう悪い口はこれかしら?」
今度は頬を引っ張り上げる涼ねえ。
「ほほへははほんはほほはひひほ?」
頬をつりあげられても抗議の声は出しておく。
「もちろん決まっているじゃない。まだまだ女の子の勉強が足りないわね」
俺の抗議などどこ吹く風。わからない俺の方が悪いと言ってようやく手を放す。
「そうそう。忘れてたわ。おはよう優莉。起こしてくれてありがとう」
これまた男の時にはなかった軽いハグしつつ魅惑のお姉ちゃんの香り付きでお礼を言う涼ねえ。
「涼ねえ。私のこと、からかってるでしょ?」
「もちろん」
上機嫌で洗面台へ向かう長女。ため息を漏らす四女。時計を見ると6時35分。今日は5分か。早い方だな。
続いて向かったのは陽菜の部屋だ。陽菜の部屋から明かりが漏れているということは起きているということだが起こしに行かないと後が面倒なので、ノックをして返事を待ってから部屋に入る。入るなり、第一声が「おはよう。優ちゃん」満面の笑みである。
「おはよう。陽ねえ」
熱烈にハグをされるわけだが、これをさせないと後々もっと大変なのでここは我慢。
「それにしてもさ、優ちゃん、この頃一気に可愛くなってない?」
「私を貶してるの?」
突然可愛くなったという陽菜。だがしかし、俺は男だ。ちっとも嬉しくない。まあ女からみて合格点が出るくらい身だしなみが出来るようになったと受け取るべきか?
「それになあ。いくら見た目が良くなっても大事なのはこっちだよ」
と、現在アルファベット最初の1文字目サイズの箇所を持ち上げて見せる。
「え~~」
陽菜は抗議するが、こればかりは俺が正しいという自信しかない。
「陽ねえ。よく聞いて。元男の意見として言うけど、男からすれば肌のきめがちょっといいとか、まつげが長くてきれいに上を向いているとか割とどうでもいい。あと髪型をちょっと整えたのを気づけとか無理。大事なのはこっち。絶対だから。」
逆に女になって涼ねえ達に鍛えられた結果、俺は世の女性がいかに美容に気を使っているか思い知らされた。その努力の原動力は男性にモテたい、なのだろうが、はっきり言う。需要と供給があってない。
「身もふたもないなあ」
朝から苦笑する陽菜。そういえば男の時はこんな話しなかったな。
「しなかったね。悠にいはあんまり身だしなみに気を付けなかったし。男の子だからああいうものだと思ったから私達も特に何もいわなかったからね」
「ぶっちゃけ、世の中の男の8割は最低限以上の身だしなみなんてあんまり気にしないぞ」
男でもヨレヨレのシャツとかは着ないだろうが、女のようにムダ毛の処理が~なんて気にしないし、やらない。女子中高生のキレイな生脚は努力の結晶なのだ。今の俺はそれをちゃんと知っている。
今日の朝食はゆで卵、レタス、チーズ、ベーコンを挟んだホットサンドにひよこ豆と赤インゲン豆とグリンピースを使った豆豆豆サラダ、デザートはヨーグルトにバナナを混ぜたものを用意した。
飲み物は(父さんを除き)各人が好きに用意するのがうちのスタイルだ。
時刻は7時前。涼ねえは7時半前、陽菜は7時半過ぎに家を出るのでのんびり朝食を食べるわけにはいかないが、慌てる時間でもない。TVのニュースを垂れ流しつつ、他愛もない話をしているとここで父さんがのっそりと起きてきた。
時間が悪い。
「よう。おはよう」
「おはよう。父さん、もう出るわね」
「おはよう。お父さん。優ちゃん、私ももう出るね。」
ほらこうなった。社会人にあれこれ言う気はないが、あと30分早く起きれば涼ねえ達と会話らしい会話が出来たのに。
無視されたと凹む父にまずはコーヒー。父さんの朝はブラックコーヒーから始まる。一杯目のコーヒーが空になったタイミングでサラダを出す。サラダが半分ほどになったところで丁度ホットサンドが出来た。父さんは今やうちで唯一の男。食事量も一番多い。涼ねえ達より少し大きいサイズのホットサンドを切り分けて出す。ある程度落ち着いたところでデザート。
「なあ悠司。お前本当に、悠司なんだよな?手際に年季が入りすぎて怖いぞ?」
流石にため息を漏らさずにはいられない。
「あのなぁ父さん。母さんが死んでもう10年だぞ?10年間ずっと涼ねえだけが家事をしてたと思ってんのか?俺達は4人で協力してやってたの。これくらい全員出来るぞ」
料理は女の専売特許とか昭和の時代かよ……って父さんは昭和生まれだったな。
その後、8時過ぎに父さんを手作り弁当(偏食家の父さんはこうでもしないとろくなものを食べない)付きで会社に追い出し、朝食と並行して進めていた洗濯を片付ける。冬の洗濯は水が冷たいから嫌いだ。洗濯機から出したばかりの衣類はとても冷たい。これを洗濯皺のつかないようにのばして干す。これをずっとやっている世のお母さん達は本当にすごい。
その後は家の掃除。これは結構楽しい。
我が家は5人家族とは思えない程家が広い。なので一気に掃除をやろうとするととても面倒だ。が、今の俺のように掃除ができる日が何日も続くとわけが違う。
はじめから全ての部屋を1日で終わらそうとせず、日にちごとに分担し、計画的に行うことにした。毎日の掃除も日々違うわけで日々の変化も得られる。
今までのようにたまったほこりを休日にドカン、ではなく日々の幽かな埃を掃除、なので1回1か所辺りにかかる時間も随分と少なくなる。そうなるとより細かいところも掃除できる余力が出て、掃除も新しい分野開拓に余念がない。
2時間ほど掃除を楽しんだところで時刻は10時過ぎ。掃除の区切りもついたし、さて受験勉強をするか。
今日から滑り止めの霞坂高校対策をする。といっても過去問を解くだけだが……
相変わらず霞坂の過去問はレベルが高い。そりゃ勉強の出来る/出来ないを問わず同じ入試問題となる県立高校の入試と違い、私立は独自に作れるから学校に合わせてレベルが高低するのは仕方ないさ。それにしたって霞坂の入試の難しさは異常だ。3年前に受験したときも手ごたえは半分程度だった。でもこれでも合格した。一説には霞坂は3割強出来れば補欠とはいえ合格できるらしい。
……過去問を解き、答え合わせをすると正解率は4割ほど。ま、まぁ今日はこの辺で勘弁してやるよ。
時計を見ると時刻は13時手前。朝食残りと父さんの弁当作りで余ったものを適当に暖めて昼御飯とした。ビバ一人だけの昼食。どんだけ手を抜いても誰にも文句を言われない。
手抜き昼食は片づけるのも簡単だ。わずか30分で準備から片付けまで終わらせ、日課となった体力測定をすることにした。
場所は夏に体力測定をした運動公園。準備運動後、あの時と同じ種目の記録を取る。100m走は安定して11秒をきれるようになった。1000m走は2分50秒の壁が破れない。走り幅跳びは7m超えがチラホラ出せるようになった。
異世界にいた時と比べれば話にならない程、運動能力は低いがこっちの世界では全て世界が狙えるレベルだ。
将来は女性アスリートとして生きていくか?女性アスリートで一番儲かるのは確かテニスであったが、俺は身体能力がすごいだけで技術があるわけではない。活躍できるとは決まったわけでは……いや、それ以前に金儲けが目的ではないしなあ。
これはあくまで実験だ。涼ねえに調べてもらった限り、俺は遺伝子的には間違いなく人間の女性である。そしてこの体躯から世界レベルの記録は出ないはずである。つまりなんらかの常識外の力を得てこの記録が出ているのである。それはおそらくあちらの世界で言うところの闘気。こちらの世界でいうなら多分功夫の気。つまり気は実在する。Q.E.D.
俺が気の検証を終わらせ、家に帰ってきたのは15時半過ぎ。そろそろ乾いた洗濯物を取り込み、元男にこんなものをたたませるなよと内心愚痴りつつ気が付けば16時半過ぎ。そろそろ陽菜が帰ってくるころだ。
ここでようやく俺の家事手伝いタイムが終わる。夕食は陽菜が作る手はずだ。晩御飯まで受験生に戻ろう。
「優ちゃん。ご飯できたよ」
時刻は20時手前。いつもなら19時くらいには出来上がるのに今日は随分と手の凝ったものでも作ったのか?
案の定、晩御飯は随分と立派―いや、これご馳走レベルだろう。しかも日によってはいない涼ねえと父さんまでいる。
「陽ねえ。今日はなんかの記念日だっけ?」
「……優ちゃん、それ本気で言ってる?今日は優ちゃんの誕生日だよ」
「……日付感覚がなくなって気が付かなった。今日は私の誕生日か……」
この場合は何歳の誕生日祝いなんだ?実年齢の18歳?戸籍上の年齢15歳?
「ってちょっとまて!誕生日なら立花家ルールで前後1日、当日含め計3日は家事が免除されるルールだったはずだぞ!」
「あら?そんなルールなんてあったかしら?」
すっとぼける涼ねえ。
「さて、せっかく陽菜が気合を入れて作ってくれた料理だ冷めないうちに食べよう」
父さんまで俺をスルーしだす。俺、たぶん今日の主役だよな?
こんな扱いだったが、陽菜の料理がうまかったことは明記しておく。
「なんか納得いかなーい」
誕生日だというのに家事をさせられた。確かに俺が一番時間的に余裕はある。合理的だ。だが、それとこれとは話が違う。
「気が付かない優莉が悪いのよ」
風呂場で愚痴ると涼ねえが苦笑していた。
女は風呂も長い。やることが多いからな。ここでも男だった頃は知らなかった多くの苦労が眠っている。この世界、少なくとも日本女性はみんなこれをやっているのか。道理で美人が多いはずだ。
今更だが、異世界と言えば美人、と思うかもしれないが残念なことにそうではなかった。そもそも美容にかけられる道具がまるで違う。
あっちの世界だと残念ながら垢まみれの女性とか、髪を碌に梳いていない女性などたくさんいた。容姿に時間と道具をかけられるのは貴族や豪商などだが、それでも美容液だとかはこちらの世界の方が遥かに優れている。故に美人もこちらの世界の方が多い。現実はファンタジーのようにはいかなかった。
ちなみにもういつぞやの夏のように細かく女子教育は受けていない。全て免許皆伝となっている。故に一人で入っていても時間がかかり、気が付けば後から入ってきた涼ねえと一緒に風呂場にいるわけだ。
風呂から出たら後は寝るだけ。と言いたいが、最後に暗記物だけ覚えるためにノートを見返すか。
今日も何もなかった。誕生日だったりはしたがそれでもなんともない普通の日だ。以前の俺なら退屈な一日と思っていたが、今は違う。これはこれで貴重な日なのだ。
少なくとも日が昇ったら敵を倒す算段を考え、日が落ちたら夜襲を計画する日々よりよっぽどましだ。
あちらの世界も今はこんな退屈で平和な日々を満喫しているのだろうか。