30 ハンナ姉
「ただいま~!ハンス兄いる?」
「いるけど、どうかしたか?」
「んー、ちょっと慰めてー」
ドンに送ってもらって帰って来た途端にハンス兄にぎゅーっと抱きつく。
「…何があったんだ?」
「わたし、人殺しに関与しちゃった。初めて仲裁して、結果的に人を餓死させるように仕向けたの。」
戸惑いながら受け止めてくれたハンス兄に事の次第を説明した。途切れ途切れで、私の感情的な表現や説明も混じっていたけれど、ハンス兄は確認しながら根気強く聞いてくれた。
「……なるほどな、それで悩んでんのか。でもよ、それが仕事なら仕方ねぇだろ。…つってもお前には厳しいか。俺はそれが最善の策だったと思うぞ。」
「…まあね、頭では分かってるのよ。納得もいってる。だけど、どうしてもモヤモヤしちゃうのよね。」
「そのモヤモヤは……抱えて生きてくしかないんじゃねぇか。」
「うん~、分かってる。」
ハンス兄のもっともな正論に、涙目になりながらも頷いた。自分の気持ちを全部吐き出した事で、少しスッキリして落ち着く事ができた。
「悩んでる時に悪いんだけど、俺の相談も聞いてくれねぇか。」
「どうしたの?ハンス兄が珍しい。」
ハンス兄のいつになく真剣な物言いに、ハンス兄の胸に埋めていた顔をパッと上げて聞く。
「……俺な、近い内にここを出て、ドンの組のギャングの見習いになろうと思う。」
「え…」
びっくりした…心底びっくりした。
思考が一瞬停止する。
「…それでだな、ハンナを連れて行っても良いものか。悩んでるんだよ。」
「え、ちょ、ちょっと待って!その前に確認なんだけど、それっていつから考えてたの?その見習いになるっていうの。」
わたしのせいじゃないよね?私がドンや他のギャングと絡んでるから…
言外にそう聞くクオルフ。
「前から考えてた事ではあったんだ。ギャングの構成員は普通の街で言う所の役人や、騎士に当たる仕事だ。だからスラムの中では手堅い仕事なんだよ。だから伝手がなきゃ簡単には入れない。けどよ、ドンと顔見知りになったから望みが出たんだ。」
とりあえず自分のせいでは無いと分かってホッとした。
「そういうこと…で、ドンはなんて?」
「入れてやるのはいいが、クオルフの身内だからって特別扱いはしねぇって言われた。」
「まあ、そりゃそうよね。…覚悟とか、そういうのはあるの?…人殺しとか、日常的な事になると思うし、当然危険だってあると思うよ。やりたくない事もやらなきゃいけない。…それでも?」
わたしだったら無理だなぁ…
今でもこうやってハンス兄に愚痴らなきゃもたないのに、直接人を傷つけたり、殺したりなんてさ。
この差が髭じいの言ってた、治癒士に向いてるかどうか、スラムに染まってるかどうかって奴?…分かんないなぁ。
「……それは俺も考えた。俺にはあんちゃんの下で麻薬を売るって道もある。もちろんそれも楽な道じゃねぇし、あんちゃんにもそうなったらガキとは見ないって言われた。」
あんちゃんは子ども好きだけど、仕事には持ち込まないって事だね。
「でもさ、いくら非道な事をしたってギャングが治めて外から守ってるんだから、必要悪ってのもあると思う。」
「そうね、お役人や騎士だって同じだと思う。どうしたってそういう側面を持つのは仕方ないんじゃないかなと私も思うよ。」
これも、頭では理解してるんだ。
ハンス兄も難しそうな顔で黙り込み、暫しシーンと静寂が包む。
「…それで、ハンナ姉の事だっけ。相談も何も連れてくもんだと思ってたけど。」
「いや、そうは言ってもな。ハンナもそろそろ年頃だし、俺としては連れて行きたいのも山々なんだが。」
「何か問題あったっけ?ここの事なら私達でちゃんとやるよ。ゼムがここの新しい管理人になるんでしょ?」
確かにハンス兄の次に年長なのはハンナ姉だけどさ。
ゼムも同じく9歳だけど、誕生日の分からないゼムは数え年で計算してるから、ハンナ姉より年下の可能性が高いのよね。
「いや、そこはあんまり心配してないが…ハンナだけ連れてくってのもな。」
「身贔屓になるかもってこと?血の繋がりを優先したとかそういう。」
「そういう事なんだよ…」
珍しく弱気ね。困ったように頭に手を当てて息を吐く。
「みんなはそんな事気にしないと思うけどな。ハンナ姉もどうせ、せいぜい12、3歳にもなったらここを出なきゃいけないんだしさ。」
体が大きくなると、ここには来る事すら出来ないからね。
「ハンナ姉の意見は聞いてみたの?」
それが一番大事でしょ。
「いや…まだ聞けてない。どう言えば良いのか分からんし。」
「じゃあさ、わたしが聞いてあげようか?どうせハンナ姉の意志は確認しなきゃなんだよ。みんながどう思うかよりも先にさ。」
「…頼めるか?」
「任しといて!これでとりあえずは安心だね。」
「ああ、ありがとう。」
「いいってことよ!」
ニカッと笑って片手でドンと胸を叩く。
そしてさっそく夕方になって仕事から帰って来たハンナ姉を捕まえて声をかけた。
「ねえ、ハンナ姉!遊びに行こ!広場で花冠でも作らない?」
「いいけど…今日私が夜ご飯の当番よ。終わるまで待ってたら日が暮れちゃうよ?」
「それならハンス兄が変わってくれるって。ね、ハンス兄?」
「ああ、行ってこいよ。俺は今日早めに仕事終わったしな。」
疲れてるだろ?
そう言ってハンス兄が疑われないようにフォローしてくれた。
「そう?それじゃあ行って来ようか。」
「うん!はやくはやく!」
ハンナ姉の手を引いて家を飛び出す。
「とーちゃく!さっそく作ろうか!」
「ええ、でも花冠なんて作ったこと無いから分からないよ?」
「大丈夫!教えるから。」
ナニーと一緒に作ったもんね。お母様にプレゼントしたりもしたっけ。
「これをこうやって…こうして続けていくの。」
「…うん。ここはどうやるの?」
「これはこうしてね…」
「出来た!」
「うん!綺麗にできてる。あ、わたしもできたよ!」
「すごいね!楽しい…」
教えながら見様見真似でハンナ姉が完成させた。けっこう手際がいいし、手先が器用だ。
微笑みを浮かべて自分の作った花冠を私の頭に乗せてくるハンナ姉に、私も自分のを乗せた。
ハンナ姉の頭のサイズに合わせて作ったそれは、私の頭には大きくてずり落ちるし、私に合わせて作ったそれもハンナ姉には小さくて、しっかりとは乗っていない。
なんだか間抜けな姿におかしくなって二人して吹き出した。
「ふふ、ふふふ…」
「ふひひひひ…」
笑いが収まって見上げた空が夕焼けに染まる広場で、ぽつりと聞いてみた。
「ハンナ姉ってさ、ここを出た時の事ってどう考えてる?」
「……なぁに?突然ね。」
「わたしはさ、一人になってもなんやかんや仕事はあると思うの。診療所の事もそうだし、仲裁の仕事だってある。あんまり気は乗らないけど魔法があるからギャングに雇われる事だって出来る。…けどさ、普通の女の子はあんまり仕事を選べないでしょ。どうするつもりなのか…どうしたいのか聞きたいの。」
ハンナ姉は夢とか、やりたい事とかあるの?
…そう聞いたらハンナ姉は困り顔になった。
「そうね、昔は人並みに夢もあったけれど、今はもう無いかな。スラムに来てから現実を知ったし、お兄ちゃんに守って貰わなかったら今日までここにいる事も出来なかった。…お兄ちゃんには面倒かけてばっかだったから家を出たら一人で生計を立てようと思う。」
守ってくれる人や助け合える仲間がいないと、奴隷制のある外国に売り飛ばす違法奴隷狩りや、娼婦・金持ちの妾として捕まえられて、スラムに来ても無事に残れる女の子は少ないからね。
「……仕事とか、どうするかもう決めた?」
「うん。…あのね、雑用や伝令の仕事で知り合った中規模の商人の妾にならないかって誘われてる。旦那様も奥様も優しい方だし、奥様公認で、しかももう少し成長するまでは家事手伝いの様な扱いで良いと言ってくださってるの。…こんなチャンスもう二度と無いわ。」
「そうなんだ……それって、条件としては凄く良いのよね?他だとそうも行かないだろうし、娼館は言うまでもないし。後は誰かと結婚してしまうくらいしか選択肢が無いと思うけど、ハンナ姉の歳じゃさすがに無理よね。」
「ええ、私も色々と考えて、結局妾が一番だと判断したの。娼館は旦那様に捨てられてからでも遅く無いと思う。」
「……そっか。ハンナ姉の考えは分かったよ。ハンス兄もさ、ギャングに入る事を決めたみたいだから、一度二人で話し合ったらどうかな。お互いの想いをちゃんと伝えた方が良いよ。離れ離れになっちゃうかもなんだからさ。」
「……うん。そうするね。ありがとう。…お兄ちゃんに聞いてきてって言われたんでしょ。」
「あれ…?ハンナ姉にはバレバレか。」
「もっちろん。じゃなきゃあなたが遊びに誘ったりなんてしないでしょ?遊んでるとこなんか、見たことないもの。」
「…そうだっけ?そういえば最近あんまり暇が無いしね…患者さんが全然いなかった時なんか、診療所の紙に落書きしてもったいないって叱られたっけ。」
「あら、そんな事があったの?意外…でもなんとなく想像できるかも。」
「ふひひ…」
その矛盾した言葉につい笑ってしまう。
「ふふ…帰ろっか。陽が落ちちゃう。」
「うん。」
頷いて二人で手を繋いで帰る。
静かだけど、あんまり嫌じゃない静けさが私たちを包んだ。
一応言っておきますが、当作品には暴力や殺人、性的虐待や売春などを推奨したりする意図はありません。




