3 水売り
さて、この家にはお金が無い。食料もあまり無いそうだ。
内職を引き受けて皆でやっても、ろくに貰えず、盗みは幼い兄弟達まで含めて殺される可能性があるのでできず、女の子に体を売らせるなんてハンス少年がやるわけも無く、結果貧困に喘いでいるようだ。
ハンス少年やハンナ、ジンと、元気だった頃はゼムも道端で雑用や伝令役、余所者への道案内などをして食いつないでいたけれど、ゼムが働けなくなり生活はより苦しくなっていたようだ。
これ以上ここに、タダ飯ぐらいが増えたらそれこそ立ち行かなくなると思ったので私も働く事にした。
スラムのルールとか、関わっちゃいけないヤバイ奴なんかを覚えてる間は家で内職に精を出し、みんなのお水係に徹していた。あとついでに清潔係も…
その間、私がいなくなっても衛生環境の悪化で病気にならないように、彼らに基本的な知識を教えていた。
…ついでに心肺蘇生の方法とか止血の方法とかも。
医者の娘か!?って驚かれたけど、貴族は医者にならないと言って誤魔化した。
それに、魔法で出した土に堆肥として、小さくするギフトで肥料を入れ(詳細は割愛させて頂きたい…)じゃがいもを植えた。
これで収穫できたら少しは栄養状況も改善されるだろう。
そしてついに今日は私の外での初めてのお仕事の日だ。
私は水が出せるからゼムと一緒に水を売り歩くことになった。
そう、ゼムは今や完全に回復したのだ。一週間ほど体力の回復の為に横になっていたが、その後は徐々に起き上がって動けるようになり、外に仕事に出られるようにまでなったのだ。
実は、私の仕事初めよりゼムの回復の方が早くて、もう何度もゼムは外に出ている。
…少し悔しいわ。それよりも嬉しいけれどね。
スラムに来てから約一ヶ月、もう既に彼らの事は仲間だと思っている。大事な存在になってきているのだ。
「水〜水はいかがですか〜?綺麗で安全な水です。」
「おい、あんちゃん!喉乾かねえか?水ならあるぜ!見てみろよこの透き通った色!濁ってねえんだぞ!買ってけよ!」
「ん?どれどれ…ホントだなぁ。で、いくらだこれは?」
「このコップ一杯で100エルだ。どうだ、買うか?」
「意外と安いじゃねえか。よっし、いっちょ買ってやろう。昔馴染みのよしみだ!」
「ありがとよ!あんちゃん。」
「おーっす!じゃあな。あと新入り!これからよろしく!」
「あ、よろしくお願いします。」
スラムにもまともな人はいるんだな。と思って感心してみていただけであんまり接客出来なかった。よく考えたら前世でもバイト経験無かったわ。
しかも聞くと、そのあんちゃんはヤバイ薬のブローカーで怒らせると怖いらしい。っていうか、怖いかどうかも当人には聞けない状態になるというか…
スラム、コワッ!
そうこうしているとそこそこ買ってくれる人が現れ、日が暮れてお家に帰って来た。
お水を売ったお金をハンスに渡し、皆でパンとクズ野菜を入れた味の薄いスープを飲んで、床に敷いたボロボロの絨毯の上で雑魚寝した。床って言うか、下の家の屋根なんだけどね。
次の日も売りに行きそのまた次の日も。雨の日以外は毎日続けた。雨の日は水が売れない上に人もあまりいないのだ。
時折ブローカーのあんちゃんが買いに来てくれて、常連さんもできて。この間は娼館の赤ちゃんの産湯にも使って貰えた。
あんちゃんは、会うと色々なおもしろい話をしてくれる。
今あそこは内部抗争中だから近寄らない方がいいとか。
受け身の取り方を教えてくれたり、人攫いの手口を教えてくれたり、どうやらあんちゃんには気にいられているようだ。
もともと、子ども好きらしい。
5歳になった日、「今日私誕生日なんだっ!」
って言ったら、「そうか。じゃあお祝いだ。」ってリンゴをくれた。」
笑顔で受け取り、「ありがとう!」って頭を下げたら「違うそうじゃねえ。こうだ。」って、右手を胸にあてる正しい下町式のお礼を教えて貰った。「お貴族様はそうやるのか?」って笑って真似をする。私も正しいお礼の真似をして「こうでしょ?」って首を傾げて見せた。
よし、これであんちゃんも落としたわね。着々とデレさせようの会の活動を再開していくわよ!
そんなある日、いつも通りに水を売っていると見たことの無い大柄な人物が子分を引き連れてやって来た。
「水〜水はいかがですか?美味しい綺麗な水ですよ。」
「おい、嬢ちゃん。ワシにも一杯くれんか。」
「…ド、ドン!」
ゼムが言わなくても私にも分かった。ハンスが気をつけるように行っていた、スラムを統べるいくつかのグループのうちの一つの重鎮、ラスボスがわざわざお出ましになったのだ。
これはただ事ではないと、必死に頭を巡らせ失礼の無いよう普段よりも丁寧に対応する。
「はい!一杯でよろしいですか?そこの方達にもいかがですか?炎天下ですから!」
し、しまった!つい最近の決まり文句を言ってしまった。出来るだけ多くの人に買って貰えるように連れにまで声をかけちゃった!
…怒ってないかな。
「…では、手下の分も頂こう。樽で5杯だ。うちまで運んでくれ。」
ひっ!ひえーーっ!
やらかしたーっ!お、怒ってらっしゃる?
感情が読めないな。
普通樽5杯なんて無理難題だよね?怪しまれないためには断った方がいいのかな?でも何されるか分かんないし〜
ええい!ままよ!
「分かりました!大口の注文ありがとうございます。ただ今よりお届けさせていただきますので、お届け先をお教えいただいてもよろしいでしょうか?」
「…案内する。ついて来い。」
タバコをくゆらせたドン。こ、こえぇ…
佇まいから既に風格があるな。
案内されるままに、ガラの悪いお兄さん達に囲まれてドンの隣を歩く私。ちょーっ!目立ってる。
辿り着いたのはスラムには珍しい、ボロくなく汚くない、上から下まで石造りのしっかりとした家。
そこには相変わらずガラの悪いお兄さん達が扉の番をしていて入りにくい雰囲気。
「…ここだ。まあ、中に入ってゆっくり世間話でもしようじゃねえか。茶と菓子くらいは出してやるよ。」
「えっ!お菓子!」
やった!久しぶりのお菓子だ!スラムに来てから約一年ぶりのお菓子!!!甘い話には裏がある事も一瞬忘れ、内心歓喜する。
「…待ってくれ!俺達が何をしたってんだよ!あんた達のショバを荒らしたってワケでもねえし、ガキの小遣い稼ぎくらいは見逃してくれるって慣習じゃなかったのかよ!」
このままアジトに連れ込まれそうな気配に、焦って訴えるゼム。
「…あ?何も咎め立てようってんじゃねーんだよ。ここまでご足労いただいたちょっとしたお礼にお茶を出すだけ!
な、ごく自然な事だろ?」
「…それだけで済むわけねぇだろ!俺は妹を守らなきゃいけねえんだ!」
ニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべるドンに、必死に抵抗するゼム。どうしよう。このままじゃゼムが酷い目に会うかも…早く助けに来て!ハンス兄!
「そうか。だが、俺はお前には用はねえ。お前の妹と話がしてえんだ!…オイ、帰ってもらいな。」
あ、ゼムが男達に引きずられて引き離されていく。
私は動けず、ドンの手が肩に乗せられ、半ば強引にアジトの中へと連れ込まれた。