1.【一日の始まり】
私の名前は空切蒼波。ここ、紅魔館で執事をやらせて貰っている人間である。人里に行くとよく誤解されがちだが、間違っても吸血鬼や魔法使い、妖怪ではない。そもそも紅魔館にだって、人間の一人や二人は居るものだ。現に厨房に行けばお嬢様達のために用意された人間達が何人かは居る。
え? そっちじゃない? 何のことやら。他に人間というと……ああ。そう言えばすごいメイドが一人いた。だけど彼女を人間としてカウントしていいものだろうか?
……そんな冗談はさておき。
さて、メイドの咲夜に主人がいるように、もちろん執事を務めている私にも主人はいる。
「んー……。あー、蒼波ー。おはようー」
それは絶対可憐『フランドール・スカーレット』嬢その人である。
ああ、寝ぼけ眼を擦ってあくびをするお嬢様。こんな私にも律義に挨拶をして下さるお嬢様。
そしてなによりその溢れんばかりの可愛らしさ。その天真爛漫っぷりを間近で拝見出来て私は感無量で御座います。
目頭とともに鼻先まで熱くなってくるが、流石にお嬢様の前でぶちまけるわけにもいかない。必死でその熱い衝動と戦いどうにか我が主へと挨拶を返す。
「おはようございます、お嬢様。既にお食事の用意はできています。早くしないとレミリア様に怒られてしまいますよ?」
「わかってるわ。私だっておこられるのは嫌だもん」
柔らかそうなほっぺ……いや、実際に柔らかいのだが。私がお嬢様を脳内で愛でていると、お嬢様はいそいそと着替えを始める。そして、私は静かにそれを隣で手伝う。……もちろん、お嬢様のお姿は完璧に記憶しておく。これでそろそろ二千五百枚あたりだろう、流石に全てを思い出すことはできないが、成長日記ぐらいは作れそうな気がする。まあ、この七年間あまり見た目は変わっていないが。
そう言えば昨日出来ていた腕の傷は治ったのだろうか。吸血鬼なので心配する必要はないし、再生していくところは私もバッチリ見たのだが、どうにも彼女が心配でつい確認してしまう。
そんなことを考えながらお嬢様を眺めていたら、いきなりお嬢様がプルプル震え始めた。
なんだこの可愛い生き物。
「んぁ、……くすぐったい」
「!? あ、申し訳ございません」
うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
あっぶねー、噴き出すところだった。全く、なんて可愛い声を上げるんだ私のご主人さまは。思わず押し倒しそうになったじゃないか。どうやら私は心配のあまりお嬢様の腕を撫でていたみたいだ。それがくすぐったかったのだろう。でも無意識だから仕方ない。
なんとか鼻血をこらえ、今日も無事にお嬢様の身支度を整えることができた。ぶっちゃけて言うと、ここが私にとって最大の鬼門である。寝起きのお嬢様はそれほどに危険な存在なのだ。いや、むしろお嬢様そのもそが危険ではないだろうか。もしお嬢様がベッドで悶えていたら自分を制御できる自信がない。まず間違いなく理性が飛ぶ……いや、私ならむしろ投げ捨てるだろう。
ついお嬢様のあられもない姿を妄想、いや、実際に見たことがあるので回想してしまったことでついに限界が近づいてしまった。さすがに何か対処しないと本当に噴き出してしまいかねない。
「(クイッ)」
「どうしたの上なんか向いて?」
「いえ、お嬢様のそばに居れて幸せだなと感じていたところです」
決して嘘は言っていない。
ある意味で本心を告げる私に、お嬢様は少し首をかしげながらとんでもないことを言ってきた。
「? わたしだって蒼波のこと好きだよ」
!?
私を自爆させる気かッ!? なんて愛らしいんだお嬢様、も、もうダメだ…………。私は体の底で主張しているその衝動に身を委ねることにした。身を任せてみれば、なんだ、意外と心地がよく歓迎してくれているかのようで、ゆっくりと溢れだしてくる。限界が近づくその快感を味わい、私は上を向きながら静かに解放の時を……
パチン
気付けばいつのまにか私の鼻の穴にティッシュが詰め込まれていた。どうやら誰かが栓をしてくれたらしい。今の一瞬でそんな芸当ができる人物が……まあ居るわけだが。
おそらく、というか絶対に彼女だろう。というか他にできる人はいない。ありがたいことだ。あとで写真でも持っていくか。
と、そんな事をしているうちに当初の予定時刻よりかなり遅れていた。これではレミリア様に怒られてしまう。
「それじゃあ、行きますかお嬢様」
「そうだった。急がなきゃね」
そう言って私の前に立つのは着替え終わったいつものフラン様。まるで悪戯っ子のように目を細めて微笑む彼女を前にして、私は再びこみ上げてくるものと戦う羽目になるのだった。
* * * *
お嬢様と談笑しながら歩けば、広い紅魔館を移動することすら短く感じる。気がつけばもう目の前に食堂への扉がそびえていた。つーかコレ開くの妖精メイドだろーが。
主人を目の前にしても仕事をしない彼女達へ少し殺気をぶつけ、扉を開いてもらう。ったく、涙目になることはないじゃないか。
「おはようございます、レミリア様」
「お姉さまおはよー」
「おはようフラン、蒼波。遅かったわね」
げ。開口一番それか。
いつもなら姉妹そろって笑顔を浮かべているところを見て咲夜と一緒に鼻血を堪えるものだが、今日はどこか寒々しい。遅刻したのがそんなに気に入らないのだろうか?
「蒼波」
「はい!」
うわー来なすった。
「貴女がついて居ながらこんなことになるなんてね。どういう経緯か説明してる?」
どこか底意地の悪い笑みを浮かべて私を尋問してくるレミリア様。
テンプレか。姑か。嫁いびりか。
この時ばかりは少々心の中で悪態をつく。全面的に私が悪いのだが、どうしても言えないことを尋問されているのだから愚痴の一つや二つも漏らしたくなる。いや、参ったな。どう言ったものか。
「それはですね。実は最近珍しい茶葉を手に入れまして、少しばかり淹れ方の研究をしていたのですよ。そのせいで今朝はお嬢様の所に出向くのが遅れました」
うぉい、口からすらすらと言い訳が出てくる。全く持ち主の意見も聞かず勝手に喋り出すとはなんて自由気ままな口なんだ、いいぞもっと言え。
だが今のはあくまでも口から出まかせ。もし詳しく突っ込まれでもしたら完全にアウトだ。
「へぇ……茶葉ね。なら早速入淹れてもらえないかしら?」
「は、はい」
やべえ。どうしよう。本当に突っ込んできた。でもってフラグが折れなかった。
私は内心の動揺を隠しどうにかレミリア様の追及を逃れ、なんとか朝食をすませることができたが、むしろここからが本番である。何故あんなこと言ってしまったのだろうか。
私のアホ。
* * * *
というわけで。
「ごめん咲夜、頼んだ」
「こっちは今朝から迷惑かけられっぱなしなんだけど?」
あの出まかせの中でも一つだけ素晴らしいところがありましたー。
まあ、その道のプロに任せるのが一番合理的なわけですよ。つまり、紅茶のプロ咲夜さんに依頼することにした。まあ、頼んでみたらこうして冷ややかな目で睨まれているんですが(だが私にとって咲夜から睨まれるのはご褒b……)。どうやら彼女には全てお見通しらしい。ていうか私の決壊を止めてくれたのも彼女だっけ。そりゃーご存知なわけですよ。
問答無用でレミリア様に報告しなかったところを見ると、彼女にも隠蔽に協力する意思は少しばかりあるようだ。あとはそれをうまく使うだけ。手始めに報酬でも提示しておくか。
「近いうちに埋め合わせは「じゃあナイフの手入れ」え?」
なんか凄い食い付いてきた。
「銀って手入れが大変なのは知ってるでしょ? 時を止めながらやると難しいのよ。半分でいいから一緒に磨いてくれると嬉しんだけど」
「…………待って。半分って何本よ?」
「そんなにないわ。せいぜい百……」
「この話はなしにしましょう」
そんな数磨いたらそのうち絶対に血まみれになるぞ(私が)。ていうか何本持ってるんだ、何本身につけてるんだ、どこに隠してるんだ、私に探させろ!
「冗談よ。三十も磨いてくれればいいわ」
「……普段から無尽蔵に投げといてその冗談は心臓に悪い」
「あら、ごめんなさい。まさか真に受けるとは思ってなくて」
「思ってなかったのね。まあそんな条件でいいならいいけど」
「交渉成立。えっと……ほら、コレでも持って行きなさい」
流石咲夜だ。これならレミリア様に怒られることもないだろう。私としては淹れてくれるところまでやってくれるとありがたかったんだけど。楽したいし。
遠回しに咲夜に言ってみた。
「出来れば淹れるところまでやってくれるとありがたいわね」
「じゃあ、ナイフをhy」
とのことなので大人しく自分で淹れることにする。
そんなに自分のナイフを血で染めたいのか咲夜よ。
* * * *
何故かはわからないが、紅魔館に住む者達は紅茶が好きだ。確かに咲夜が淹れてくれる紅茶は絶品だし無論、私も仕事の後や食後の一杯は楽しみだったりする。だが、ぐうたら門番美鈴までもそこそこのこだわりを持っているとはどういうことか。レミリア様やパチュリー様に至ってはソムリエレベル。ここまでくると咲夜は紅茶の神かなんかだろうか? そうかもしれない。
「納得させてしまう彼女が恐ろしい…………」
そんなバカげたことを考えつつ、咲夜の真似をして紅茶を淹れる。情けない話だが紅魔館に勤めておきながら私は紅茶を淹れたことがない。どうやったらいいのか全く分からないので、どうにか記憶の中にある咲夜の見よう見まねで上手に淹れようと奮闘している。が、そもそも水の沸かし方からすでに迷っているのでどうしようもないだろう。咲夜の動きなら完璧に記憶しているが……。どうせ咲夜しか映っていないのだ、これじゃ意味は……ないことはないが今は素直に恨めしいと思う、使えん奴め。
と、悪戦苦闘しながらなんとかそれなりの紅茶を淹れることに成功する。ふぅ。
うん。我ながらいい感じに淹れられた。冷めないうちにすぐにレミリア様のところへ持っていく。味を誤魔化すために私が取っておいたクッキーも添えておこう。
畜生、咲夜の新作クッキーが…………。ちなみにまだ三枚しか食べていない。
「レミリア様、紅茶をお淹れしました」
「あら、蒼波じゃない。本当に淹れてきたの? 本気にすることなかったのに」
何言ってんだこの幼女は。
「……主従そろってわかりにくい冗談ばっかりです」
全く、表情一つ変えずいつもの声音で言ってくるもんだからこっちとしては判別しづらい。
まあ、私も同じことを良く咲夜たちから言われるのでお互い様と言うところだろう。
フラン様とか美鈴は結構わかりやすいけど。
「咲夜にも何か言われたの?」
「ええ。ちょっとナイフを磨くことになりました」
「……(積極的になったわね)」
「? 何か言いました?」
「何でもないわ」
不思議なものだ。レミリア様が言葉を濁すなんて何かあったのだろうか?
それはともかく私の淹れた紅茶は意外にも好評だった。茶葉のおかげと知ってるかわからないが、レミリア様には咲夜を呼んでくるように言われた。去り際にレミリア様の唇がつり上がっていたところを見ると、どうやら全てお見通しだったようだ。全く、姉妹そろって本当に人をおちょくるのが好きだな。
紅茶一杯だけで許してくれたレミリア様に、心の中で謝罪しつつ咲夜を呼びに彼女の部屋へと向かう。
なにやらごそごそやっているが私は気にしない。
「咲夜ー。いるー?」
「ちょっと、ノック……って蒼波? 紅茶は結局どうだったの?」
「流石咲夜の秘蔵っ子だけあって私が淹れたのに結構好評だったけど……」
レミリア様が呼んでいたことを言うと、急に焦り始めなんでそうなったのか説明させられた。話し終えると、咲夜は顔を真っ赤にしてすぐにレミリア様のところへ行ったようだ。
まあそこまでは良かったのだが、何故咲夜はわざわざ私の周りにナイフを?
私は首をかしげながらそれらをすべて処理し、丁寧に片づけておいた。散らからないようにリボンをサービスした私は気の利いた人物ではないだろうかふふん。
と少しばかり自分を褒めてから、私もフラン様のところへ行くことにする。
いつになく機嫌が良くなってしまい、つい独り言が漏れてしまった。
「今日はお嬢様と何をしようかな、と」
いつのまにか私の脳内には少しばかりの義務感とフラン様の可愛らしい笑顔で満たされているのだった。
どうも丁太郎です。
ちょっと本編に苦労していたので以前投稿していたものに大幅加筆修正して再掲載してみました。
かなり、願望交じりの欲望駄々漏れ小説ではありますが、皆様に楽しんでもらえたら幸いです。