四
目を開けると、辺りは薄暗かった。
手足は何かで縛られているみたいで、動かせない。
何とか起き上がろうと力を入れると、お腹に鈍い痛みを感じた。そうだ、殴られたんだっけ。私は顔を顰めた。
起き上がり、もう一度辺りを見回す。目がだんだん慣れてきて、ここが倉庫かなにかだと分かった。
「誰かー!!」
一応叫んでみたものの、返事は無く、ただ私の声が反響するだけ。
まさか、これって誘拐? だけど、私なんて誘拐したって何もないのに……
扉が重たい音をたてながら開く。強い光と共に、三つの影が中に入ってきた。その中の一つが私に近づき、目の前でしゃがみこんだ。
「やっとお目覚めか」
そう言って、寒気のする笑みを浮かべた。
この男は私を殴ってきた奴だ。だけど、あの時とは何かが違う気がする。何ていうか、黒いもやのようなものが、男を包み込んでいる。他の二人もそうだ。
「なぁ、コイツどうするんだ?」
後ろの一人が聞くと、目の前の男は、私の頬を掴んで、まじまじと顔を見てきた。
気持ちが悪いのに、振り払えない。
「そうだな。首を怪我してるが、それでも上玉だ。コイツを土産に持っていけば、組に入れてもらえるかもしれない」
「本当か? そりゃあいい!」
男達は楽しげに笑う。
いまいち話は理解出来ないけど、これ以上ここにいては危険だということは分かる。
手の縄を解こうと、こっそり手を後ろに隠す。結び目はきつく縛られていて、このままでは解けそうになかった。
そうしている内に、いつの間にか男達が私を取り囲むように近寄ってきていた。
「でもよぉ。このまま連れて行くってのは、ちょっと勿体ないよな」
「あぁ。少しは俺たちも、美味しい思いしても罰は当たらないだろ」
そう言いながら、三人は私に手を伸ばしてきた。服を掴んできた手を、必死で避けるが、瞬く間に押さえつけられてしまった。
私を見下ろす男達の顔は、真っ黒に染まっている。これは目の錯覚か何かなの? 恐怖で、自分がそう思っている事が見えてるだけなの?
「コイツ、いい物してるじゃねぇか。高く売れそうだな」
そう言って、かけていたペンダントが引きちぎられた。
その瞬間、見ていた景色が一変する。
真っ黒だった男達の顔は、人とは思えない形相に変わった。目はつり上がり、包んでいた黒は煙になって体から出ている。まるで、妖怪の様だった。
「サァ。オ楽シミハ、コレカラダ」
歪められた表情。男達の手がまた伸びてくる。
もうだめっ!!
そう思った時、バンッと大きな音が部屋中に響いた。
男達の動きが止まり、音の方へ顔を向ける。私も目を向けた。
「へぇ。随分悪党らしいなりに、なったじゃねぇえか」
そう言いながら、入口から部屋に入ってくる。男達に向け、ニヤリと笑う。
「律……さん?」
声も、表情も、律さんだ。だけど、その姿は私の知る彼とは違う。
頭の角、顔の痣、纏う空気。全て人のものとは違った。そう、目の前の男達と同じ、妖怪みたいだ。
私は唖然と律さんを見つめた。
「ジャマヲ、スルナァァァ!!」
男達が一斉に、律さんに襲いかかる。それに動揺する様子もなく、律さんは刀を構えた。
「自分との差も計れない、雑魚妖怪か」
刀を振り、切った。そうすると、男達から黒いものが吹き出し、辺りに溶けて消えていった。
空気が変わる。
「おい」
ボーとしていた私に、律さんが目を向けてきた。
「無事か?」
ぶっきらぼうな言葉に、瞬きをする。えっと、心配されてるの……かな?
「う、うん」
起き上がって頷くと、律さんは私の方へ近寄ってきた。後ろに回り込み、腕と足の縄を切ってくれる。
お礼を言おうかと律さんを見る。
改めて彼を見るが、信じられない。さっきの男達もだけど、ちゃんと人の姿だったのに。まるで鬼の様な姿をしている律さんは、一体何者なのだろうか。
「怖いか?」
ジッと見つめていると、そう律さんが聞いてきた。
怖い……
確かに、現れた時はビックリした。同じ様な姿だった、男達には恐怖を感じた。だけど、目の前に居る律さんには、そう感じない。むしろ、安心するような。彼の纏う空気は、男達の黒いものとは違い、とても澄んでいる。
「怖くない」
私はそうハッキリ言った。
そんな私に、律さんは目を丸くする。そして、一瞬悲しげな目をし、微笑んだ。
「変わらないな、お前は」
まただ。律さんは一体何のことを言っているんだろう。彼はこの表情の裏で、何を思っているのだろうか。
「帰るか」
そう言って立ち上がった律さんは、もういつもの彼の表情に戻っていた。
懐から短い筒を取り出し、そこに刀を仕舞っていく。驚いたことに、長い刀はスルスルと筒に収まっていく。
刀を仕舞いきると、律さんの姿がいつも通りのものに戻った。角も、痣もない。
ポカンと見つめていた私に、律さんは眉間に皺を寄せた。
「何やってんだ。帰るぞ」
私はハッと我に返る。
「いやいやいや。ちょっと待って!」
「何だよ」
律さんはますます眉間に皺を寄せる。
いや、何だよ、じゃないよ!
「コイツらは何だったの? それに、さっきの律さんだって」
「そんなこと、どうでもいいだろ」
「よくない!」
食い下がった私に、律さんは面倒くさそうに頭をかいた。
「アイツらは妖怪に取り憑かれてたんだよ」
「妖怪、に?」
「お前も見ただろ」
律さんは男達の方へ行き、盗られたペンダントを拾って、私に投げてきた。
「それ、妖怪を見にくくする術が込められてんだ」
「えぇ?!」
ペンダントをまじまじと見る。
見た感じじゃ、何の変哲もないペンダントなのに。だけど、これをくれたのは父様で。そんな術なんて……
「理由はどうあれ、それはそういう代物だ。だから、今まで妖怪を見たことなかったんだろ」
「妖怪って、そんな普通に見れるものなの?」
「いや。稀に見えるやってのはいるんだ」
その稀が私だと。
信じられない。だけど、実際に妖怪というものを見てしまったわけだし。
「えっと。じゃあ、妖怪って本当に存在するものなの?」
「そう言ってんじゃねぇか」
私は頭を抱える。
今まで信じてきたものが、全て崩れ落ちた気分だ。まさか、妖怪なんてものが存在するなんて。あんなの、噂や物語だけのものだと思ってたのに。
そこで、ハッと思い出す。
「ね、ねぇ。この男達は、妖怪に取り憑かれてたって言ったよね」
「あぁ」
「妖怪に取り憑かれるって、そんな簡単に起こる事なの?」
「基本的に、妖怪ってのは、コイツらのような、悪意に満ちた心や、不満や、闇を好む。そういう奴は簡単に取り憑かれるんだ。あとは、強い妖怪が取り憑いた物とかに、触れてしまうと乗っ取られたりする事もある」
「じゃ、じゃあっ、父様も?!」
「恐らく」
父様が、律さんの言う、妖怪の好む心だったのか、何かそういう物に触れてしまったのかは分からない。だけど、さっきの男達たちの様子と、あの時の父様はとてもよく似ていた。
「父様は、妖怪に取り憑かれていた……?」
言葉にした瞬間、バチッと全てが繋がったような気がした。ずっとモヤモヤしていたものが、スッと無くなる。
そんな私に、律さんは真っ直ぐな瞳を向けてきた。
「なら、お前はどうしたいんだ?」
その問は、私の中で纏まったものが答えだ。
「父様に取り憑いた妖怪を見つけだす! そして絶対に仇をとる!」
優しかった父様に、あんなことさせた妖怪を絶対許さない。だから……
「妖怪を見つけ出すまで、探偵事務所に居させて欲しい」
律さんは黙って私の言葉を聞いていた。そして、背を向ける。
「勝手にしろ」
歩き出した彼に、私は固まる。
えっと、これは居てもいいって事なのかな。返事らしい返事ではないような気がするけど。
そこで、十和子さんの言葉を思い出した。
意地っ張りで、素直じゃない。
私はクスッと笑う。なるほど、そういうことか。
私は立ち上がり、駆け出して横に並んだ。そうすると、歩みが少し遅くなる。私の歩幅に合わせてくれてるのかな。
横目で見た顔は仏頂面。
だけど、この人は私のこと、ここまで助けに来てくれた。
一度関わったら、放っておけないって言ってたけど、本当なのかな。
「ねぇ」
声をかけると、目線だけをこちらに向けてくる。
私はそれに向け、笑みを浮かべた。
「探偵の仕事。仕方ないから手伝ってあげる」
私の言葉に、眉間に皺が寄る。
「何ぬかしてやがる。タダで置いてやるわけねぇだろ」
相変わらずの口調だけど、始めほど癇に障ることはない。
こういう人だと思えばいいんだよね。
だけど、私は何でも言う事聞く、いい子ちゃんじゃないから。
私はニッと微笑む。
「じゃあ、これからよろしくね、律」
言った瞬間、律が私の方へ顔を向けた。その顔は驚いている。何だか反撃できた気分だ。
「おまっ。何で呼び捨てなんだよ!」
「いいじゃん。これから一緒にやっていくのに、畏まってちゃやりづらいでしょ?」
私の言葉に、律はグッと悔しそうな顔をする。
「勝手にしろ!」
言い捨てるように言って、律は歩みを早めた。
そんな律に、笑いが込み上げて、私はケラケラと笑った。