二
「はぁぁぁ」
崩れ落ちるように座り込む。
や、やっと終わった。頑張ったよ私。そう思いながら部屋を見回す。
次の日、律さんは宣言通り、私をこき使っている。
部屋の掃除、洗濯、庭の手入れ。朝から動きっぱなしだ。しかも、どこもいつから放ったらかしなんだ、ってくらい。今終わった部屋の掃除だって、昨日は気づかなかったけど、そこら中に本やら紙やら散乱していた。
「おぉ、終わったか」
飄々とした顔で律さんが部屋に入ってくる。そんな彼に、私は睨みの視線を送った。だけど、律さんはそんなことものともせず、私に笑みを向ける。
「終わったんだったら、次は通りの団子屋で団子買ってこい」
言いながら、財布を投げてきた。それを慌てて受け取る。
「ちょっと! 少しは休ませてよっ」
文句を言うが、律さんは既にいなくなっていた。
私は財布を強く握りしめる。
「あの男っ!!」
一瞬でもいい人? って思ってた私を殴ってやりたい。そうは思いつつ、助けてもらったのは事実であって。
私はハァとため息をつき、立ち上がった。
身支度を整え、玄関へ。
そういえば、外に出るのは久しぶりだ。そう思いながら戸を開ける。
少し開き、隙間から外の空気が入ってきた。瞬間、背筋が凍る。嫌な空気が体を包み込んできた。体が金縛りにあったように動かない。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
どうしよう。そう思った時、後ろから手が伸びてきた。その手は目の前の戸を閉める。
空気が軽くなった気がする。体も動くようになった。
振り返ると、後ろに律さんが立っていた。
「これ、つけていけ」
そう言って、律さんは懐から取り出した物を、私には差し出した。それを見て、私は目を見開く。
「それっ、私のペンダント!!」
ペンダントを取り、まじまじとそれを見る。これは、確かに私のペンダントだ。父様に貰った物。どうして今まで、無いって気づかなかったんだろう。
「それ、外では絶対に外すなよ」
「え?」
律さんはそれだけ言って、戻って行ってしまった。
外すなって、まぁ普段はずっとつけてるからいいんだけど。
私は首を傾げつつ、ペンダントを首にかけた。
改めて戸を開け、外に出る。今度は嫌な空気を感じることはなかった。
私は大きく息を吸い込む。
「さぁて。団子屋さんはどこかな」
通りを歩きながら、周りを見る。なんだか懐かしい雰囲気のある通りだ。歩いてる人も、お店の人も、とてもいい顔をしている。
しばらく歩いて、団子屋らしきお店を見つけた。
「いらっしゃい」
私に気づいた女の人が、笑顔を向けてくる。ここの店員さんだろ。
「あ、あの」
そういえば、何買えばいいのか言われてない気が。
今更そんなことを思い出し、私は慌てて財布を開いてみた。すると、間に紙が挟まっていた。そこには団子の種類と本数が書いてある。
「これを頂きたいんですけど」
私が差し出した紙を受け取ると、女の人は少し目を丸くした。
「あら? これ律くんの字だね。どうしてあなたが?」
「えっと。少しお世話になってて」
「へぇ、そうかい」
女の人はどこ感心したように、私をまじまじと見てきた。
「名前は?」
「葉月といいます」
「私は美枝子。夫婦でこの団子屋をやってんだ。旦那は今、配達に行ってていないけどね」
美枝子さんは、団子を詰め始める。
「葉月ちゃんは、あの探偵事務所で働いてるのかい?」
「探偵事務所?」
首を傾げた私に、美枝子さんも首を傾げる。
「違うのかい?」
「あの。探偵事務所って、何処のことなんですか?」
「律君とこさ。色んな依頼をこなしてくれるから、ここらじゃ有名なんだよ」
あの家って、探偵事務所だったのか。あぁ、だから仕事柄って言ってたんだ。
「じゃあ働いてる、ってわけではないんだね」
「はい」
ふぅん、と言いながら美枝子さんは、包み終わった団子を渡してくれた。
「はい。色々大変だろうけど、頑張ってね」
「は、はぁ」
何故か励まされ、私は疑問を浮かべつつ、団子屋を後にした。
私が去った後、団子屋の方が騒がしくなった。
重い荷物を抱えつつ、家に辿り着いた。
扉を開けると、出る前にはなかった靴があった。
話し声の聞こえる方へ行き、昨日の部屋の戸をゆっくりと開く。中を覗くと、律さんは奥の机に、その前のソファーに誰かの頭が見えた。
「帰ったか」
律さんが私に気づく。それにソファーの人はこちらを振り返った。
「え、この女性は誰ですか?!」
振り返ったのは男性で、私を見た瞬間立ち上がった。いきなり大きな声を出したので、私はビクリと体を震わせた。
「あ、あの……」
「律君! いつの間に女性なんて雇ったんだよ。僕聞いてないよ!」
男性は私から律さんの方に目を向け、また私に向け、律さんに向ける。忙しない人だ。
律さんはため息をつく。
「うるさいぞ、中島。どうしていちいち、お前に報告しないとなんねぇんだよ」
「そんなぁ」
中島と呼ばれた男性は、拗ねたように口を尖らせる。その姿は、まるで子供みたいだ。そう思っていると、中島さんが私の方へ向き、パッと笑顔を浮かべた。
「君、名前は?」
表情の変わりように、少し驚く。
「えっと。葉月です」
「葉月ちゃんか。僕は中島剛。警官で、この辺りを任されてるんだ」
「そうなんですか」
そういえば、警察官の服装だ。全くそんなふうには見えないのに。
「たまにここへ来るから、よろしくね」
「は、はい」
頷くと、中島さんは私の方へ来て、ニコッと微笑み、部屋を出ていった。
な、何だったんだ? なんだか嵐の様な人だった。
「おい」
ボーと、中島さんが出ていった方を見ていると、律さんが声を掛けてきた。
「メシ作れ」
それだけ言って、律さんは机の紙に目を落とした。
これはもう私の話は聞かないって事だな。今日だけで、だいぶん律さんの行動が読めてきた。
私は、ハァとため息をつき、部屋を後にする。
必死に息を吐き、竈に火をつけようとする。だけど、いっこうにつく気配はない。
「はぁぁぁ」
今日何回目か分からない、ため息をつく。
私は和式の台所に苦戦していた。
料理自体はやった事はある。よく自分で作ってたりしたから、そこそこ自信もある。
だけど、今まで洋式の物しか使ったことがなく、竈に火をつけるなんてことも、もちろん初めて。
「どうやって、やればいいのよ」
息を吹きかけていれば、その内つくのだろうか。でも、かれこれ数十分はそうしてるのに。
焦る心とは裏腹に、火は少し赤く光るだけ。
「おい」
バッと振り返ると、律さんが入口に立って私を見ていた。
一体いつからいたんだろうか。
「あっと。直ぐ出来るから、待ってて下さい」
私は精一杯笑顔をつくる。それを見た律さんは、何も言わず近づてきた。
「どけ」
「え?」
その場を追いやられ、火をおこす用の筒を奪われる。そして、律さんは息を吹きかけ始めた。
「あ、あの」
声をかけると、律さんは目だけこちらに向けてくる。
「お前、出来ねぇなら言えばいいだろ。そういう所は変わらねぇな」
「へ?」
「いいから、さっさと他をしろ」
律さんの言葉に、何か引っかかったが、彼はもう私から目を離していた。
変わらない? 私、律さんと昔会ったりしたことないよね。一体誰のことを言っているんだろう。
と、一瞬疑問は浮かんだが、早く支度をしなければと、考えを切り替えた。
出来た料理は、私的にはよく出来た方だと思う。
律さんは何も言わなかったから、口に合わなかったことはないんだろう。