十
いつも笑顔で明るくて温かくて、僕なんかを家族だって言ってくれる大好きな葉月姉ちゃん。
だから、今目の前にいる人は絶対に姉ちゃんじゃない。
だって姉ちゃんはこんな掠れた声じゃない。こんな寒気のする嫌な笑い方なんてしない!
姉ちゃんの手元を見ると、黒く汚れた刀が握られている。
まさかあれって神宿刀なんじゃ。じゃあ、今姉ちゃんはカムイに取り憑かれているの?
カムイは僕らを舐めるように見て、ニヤリと口角を上げる。
「烏ガ2羽ニ狐ガ1匹。ソレト人間ガ2匹カ。マサカコンナ上等ナ餌場ニ辿リ着ケルトハナ」
そう言いながら懐から黒い羽を取り出した。光を反射し輝くそれがただの羽ではないということは、見るだけ感じる。
「あれは……」
蓮司兄ちゃんは微かに呟き、爺やさんを睨みつけた。
「どういう事だ爺や。あれはお前の羽だな? お前、葉月ちゃんが何をしようとしていたのか知ってたのか?」
怒りを見せる兄ちゃんに対して、爺やさんは何も反応せずただカムイをじっと見つめている。そんな爺やさんに、兄ちゃんのイライラはさらに増す。
「おい、じい──」
「ハハハハッ」
兄ちゃんの声と重なって笑い声がする。カムイを見ると、可笑しそうにケラケラと笑っていた。
「アァ滑稽ダ滑稽ダ。コノ羽ソコノ烏ノ羽カ。ナラバオ主ラ、ソノ烏トコノ娘ニ売ラレタノダナ」
「な、何を」
「ソウダロウ? コノヨウナ強イ妖気ヲ放ツモノヲ懐ニ隠シテオクナド、仲間ノ居場所ヲ教エルヨウナモノダ」
「くっ」
蓮司兄ちゃんはカムイから顔を逸らして眉をひそめ、千恵姉ちゃんは辛そうに顔が歪む。
確かに、爺やさんの羽を持っていたら、爺やさんの居場所をカムイに知らせることになってしまうのに、どうして姉ちゃんは持っていただろう。
もしかして、カムイの言う通り葉月姉ちゃんは僕らを……
思わず浮かんでしまった考えを首を振って振り払う。
「馬鹿なこと言うな。姉ちゃんはそんなことをする人じゃない!」
何を考えてしまったんだ。姉ちゃんが僕らを売るなんて絶対にしないってことは、考えなくても分かるだろう。絶対に何か理由があるはずだ。
僕は精一杯カムイを睨みつけた。
カムイは少し驚いたように目を丸くする。
「ホゥ。言ウナ小僧」
視線を向けられビクリと震える。
足が後ろへ下がりそうになった時、ポンと背を叩かれた。振り返って見上げると、笑う蓮司兄ちゃんと目が合う。
「そうだな。葉月ちゃんは俺達を裏切ったりなんか絶対にしねぇよな」
「そうね。葉月はそんな子じゃないわ」
千恵姉ちゃんも微笑みながら僕の肩に触れた。
僕は二人を見て強く頷き、もう一度カムイを睨みつけた。
カムイは僕らを見て、目元を歪めてニヤリと笑う。
「オ主ラコノ娘ヲ相当信頼シテイルノダナ。アァ、良イ、良イゾ。ソンナ娘ノ手デ殺サレル時、オ主ラハサゾカシ良イ顔ヲスルノダロウナ」
ゾクリと寒気が走る。
狂気に満ちた笑みは、まるで遊びたくてしかたない子供みたいだ。
「イヤ、ダガ若干一名同ジ考エデハナイ者モイルヨウダナ」
カムイの言葉で、律兄ちゃんが今までなんの反応もしていないことに気づく。律兄ちゃんにとってもカムイは敵だから、何か反応してもおかしくないのに。
振り返ってみると、兄ちゃんは俯いている。表情は見えない。だけど、嫌な予感がする。
「律にい」
声をかけようとすると、兄ちゃんが前へ歩き出した。
無言の威圧を感じ、僕らは左右に分かれて道を開ける。
兄ちゃんが横を通り過ぎた時、一瞬顔が見えた。目は伏せていたけど、口元は不敵な笑みを浮かべていた。
行かせちゃ駄目だ。
「律兄ちゃんっ」
引き止めようと手を伸ばした手は服の裾を掠める。
駄目だ。このままじゃ兄ちゃんがどこかへ行ってしまう。
恐怖が湧き出していく。兄ちゃんを追いかけるため立ち上がろうと腰を浮かせる。だけど、千恵姉ちゃんに後から抱き締められて止められてしまう。
「だめ……」
姉ちゃんを見ると、真っ青な顔で首を振った。手が微かに震えている。
そして、自分自身の手も震えていることに気づく。
「確かにそうだな」
律兄ちゃんが喋り出す。声はとても落ち着いていて、だけどそれが逆に怖い。
「俺は今こいつらとは違う感情を抱いてる」
「ホゥ。コノ娘ニ裏切ラレタ怒リカ? ソレトモ絶望カ?」
「いや……」
兄ちゃんが刀を取り出し抜く。同時に体が変化していくけど、いつもと違う。
禍々しくて重い空気が体にまとわりついてくる。刀を抜いた後の兄ちゃんを怖いなんて思ったことがなかったのに、今は怖くて怖くて体が竦んでいる。
「感謝してんだ。お前を俺の元に連れてきてくれたんだ。やっとお前を切り刻める」
兄ちゃんがカムイに斬りかかった。弧を描き向かってきた刃を、カムイは表情を崩すことなく刀で受け止める。刃と刃のぶつかる甲高い音が鳴り響く。
「律のやつ、本気じゃねぇか」
蓮司兄ちゃんが呟いた。
今の律兄ちゃんの攻撃、僕から見ても本気だと分かるものだった。相手が仇のカムイとはいえ、体は葉月姉ちゃんなのに。
鍔迫り合いの状態の中、カムイは兄ちゃんをマジマジと見つめ、何かを思い出したように目を少し動かした。
「オ前、ドコカデ見タコトガアルト思ッタガ、昔会ッタコトガアルナ。確カ、私ニ歯向カウヨウナ目ヲ向ケテキタ珍シイ人間ダッタハズ。ダガ何故鬼ノ姿ヲシテイル? 先程マデハ人間ダッタノニ、刀ヲ抜イタ瞬間、鬼ノニオイガ混ジリダシタガ……」
そう言って少し考える様な表情を浮かべ、カムイは嬉しそうに口元を上げた。
「アァソウカソウカ。私ニ対スル復讐心ガ鬼ヲ生ミ出シタカ。ソレトモ、オ前ノ女ヲ贄ニシタ者共デモ斬リ殺シタカ?」
カムイが高笑いをしながら兄ちゃんを跳ね返した。兄ちゃんは少し体勢を崩しその場に跪く。
「アァ、アァ!! 本当ニ良イ! オ前ハアノ時カラズット私ヲ憎ミ、殺ソウト生キテイタノカ。憎悪ノ鬼ヲ飼イナガラ、仇ヲ討ツタメダケニ生キテキタノカ?! ソンナオ前ヲ今カラ斬リ殺セル…… 今私ガドレホド興奮シテイルカオ前ニハ分カルダロウ!!」
歓喜に震えながら叫ぶカムイ。
「狂ってる……」
誰かが呟いた。
その場の全員がカムイの狂気に身を奪われる。ただ一人を除いて。
「そうだな。あの時はその場全てのものが憎かった」
律兄ちゃんが立ち上がる。そして刀を構え直し、カムイへと対峙する。
「だが、今ノ俺はお前を切リ刻ムコトダケガ目的ダ。心配シナクテモ、存分ニ斬リ殺シテヤル」
そうしてまたカムイへ斬りかかる。
カムイは笑いながら兄ちゃんの攻撃を弾き返した。その瞬間、兄ちゃんが後ろへと弾き飛ばされた。その衝撃はこちらまで届く。
兄ちゃんは家の方へと飛ばされてしまった。
「兄ちゃん!!」
「あ、まって太一!」
千恵の静止を振り切り家へと走る。方向的には中庭の方だ。
家の中に入らず直接庭へ行くため角を曲がった。飛び出した瞬間、ピタリと足が止まった。いや、体が固まった。
律兄ちゃんは丁度立ち上がったところで、初めて真正面から兄ちゃんを見る。
痛むのか眉を歪めている。だけど、口元だけは不敵に歪んでいた。その姿は、まさしく鬼。狂気に満ちた鬼だ。
兄ちゃんがこうなってしまうことは、姉ちゃんの計画のうちなの?
一体姉ちゃんは僕らに何を託したの?
僕の知らない律兄ちゃんを見つめながら、後に感じる恐怖に身が震えた。




