一
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家の扉を開く。
『ただ今戻りました』
そう言いながら中に入ると、玄関ホールに誰かが立っていた。光の具合で、影になって姿はよく見えない。だけど、誰かはすぐに分かった。
『父様!』
私は父様の方へ向かった。
『どうしたの? 今日は部下の人を指導するからって、遅いんじゃなかったっけ』
近寄っていくが、父様はピクリとも動かない。
なんだか、様子がおかしい気がする。そう思い、私は途中で立ち止まった。
『父様?』
父様はやっと反応し、一歩前に出た。
影がなくなり、父様の姿がよく見えるようになる。
『ねぇ、どうした……っ?!』
見えた父様の姿に、私は目を疑った。
服と頬に、ベッタリと赤い物が着いている。目線を下ろすと、同じように赤く染まった刀が見えた。これは……血?
『オマ……エ』
聞こえた声は、父様の声とはかけ離れたものだった。ニヤリと歪めた顔も、父様のものではない。
逃げなきゃ。
そう本能的に思い、走ろうと体を動かそうとした。
だけど、父様が一気に近づいてきて、私の首を掴んだ。私は倒れ、父様はそのまま首を絞め始めた。
『とう、さまっ』
苦しい。息ができない。
逃げようと体を動かそうとするけど、何故か指一本も動かせない。
段々と視界が霞んでいく。
『ヤット見ツケタゾ』
父様はそう言い、笑った。
その時、父様の背に何か異様な者が見えた気がした。
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「父様やめてっ!!」
叫びながら飛び起き、荒い息を吐き出す。
しばらくそうして、ふと畳の匂いがした。周りを見ると、父様の姿はない。
ここは……
「起きたか」
誰かの声に、私はバッと顔を向ける。
襖を開き、男の人が部屋に入ってきた。彼はそのまま、私の元に近づいてくる。
「お前、三日寝てたんだぞ」
そう言いながら座った。
私は彼のことをジッと見る。真っ赤な髪、そこそこ整った顔立ち。見覚えのない人だ。もし会ったことあるなら、絶対に忘れない位の特徴のある人だもの。
「あの……」
声を出すと、かすれて聞き取りずらいものだった。だけど、彼はちゃんと聞こえたらしく、私には目を向けた。
「あなたは?」
「律だ。路地裏でお前を拾ったんだが、覚えてないのか?」
路地裏……
記憶の糸を辿る。そして、差し出された手をとったことを思い出す。
「あぁ」
「で、お前は?」
「私は葉月です。助けて頂きありがとうございます」
頭を下げると、律さんは私のことを探るような目を向けた。
「お前、家出娘か?」
「い、え……」
「なら、何故あんな所で男に絡まれてた」
私は口をつぐむ。
言いたくない。助けてもらったとはいえ、この人は何も知らないんだもの。
そんな私に、律さんはため息をついた。
「ま、いいだろう」
律さんは立ち上がった。私は顔を上げてそれを見る。
「もう少し休んでろ」
そう言って部屋を出て行った。
静かになった部屋の中で、私は大きく息を吐く。
私、助けられたんだ。
首に手をやり、さっきの夢を思い出す。
夢、なら良かったんだけどな。私がこんな所にいるってことは、あれはやっぱり現実だった。
私は寝転び、布団を顔の隠れるまで上げる。
いっそ、夢なら良かったのに。
涙が頬を伝った。
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起きると、部屋は少し暗くなっていた。
体を起こし、私は部屋の襖を開く。そうすると、夕日に染まった庭が目に入った。庭には、椿の花が咲いていた。
私は、それを横目に見つつ、縁側を歩く。ギシギシとなる廊下は、とても静かだ。
進んで行って、明かりの漏れている部屋を見つけた。私はその戸をゆっくりと開く。
中を覗くと広めの部屋で、真ん中にはソファーと机、その向こうに書斎にあるような机と椅子があった。
「おい」
後ろからいきなり声がして、ビクリと体を震わせる。振り返ると、律さんがいた。
「あ、あの」
「入れ」
そう言って部屋に入ってく。私も、恐る恐るそれに続いた。
律さんは黙ったまま、奥の椅子に腰を下ろす。どうしようかと思ったけど、ソファーに座ることにした。
「お前、近藤克彦の娘か?」
言葉に、私は目を見開いた。律さんを見ると、静かな瞳と目が合う。
「な、んで」
「仕事柄、噂は耳に入ってくんだ。しかもあれだけ大事なら、なおさら」
ギュッと手を握る。そんな私を気にせず、律さんは話を続けた。
「近藤克彦。半年前、部下と自分の家の者を殺し、自殺した。動機は未だ不明。何か恨みでもあったんじゃないか、と言われてるけどな」
「父様はそんな人じゃない!!」
叫んだ私を、律さんはジッと見つめてきた。まるで私の次の言葉を待っているよう。
「と、父様は、誰かを恨んで殺したりするような人じゃない。優しくて、とても、立派な人で……」
話しながら、私の体は震えていた。
吐き出した言葉は、自分に言い聞かせているもの。頭の中では、あの時の情景が思い出されていた。
首を絞められ、気を失った。そして、気がついて、父様を探そうと家の中をさ迷った。
その時、何人もの倒れている人を見た。みんな血を流して、見えた顔は生気がない。死んでいる、それだけしかあの時の私には分からなかった。
そして、父様の書斎で、首を切って倒れている父様を見た。
ギュッと自分の体を抱きしめる。
「お前はどう思ってんだ?」
私は顔を上げる。律さんの言葉の意味が分からなかった。
「私……?」
「噂は噂だ。お前自身は、自分の父親が自分を殺すような奴だと思ってんのか?」
ハッとした。心にあったモヤモヤとしたものが一気に晴れる。
そう、あんなの父様じゃなかった。あの時の父様は、いつもと違っていた。まるで誰かに操られているようだったもの。
「違う。父様はあんなことする人じゃない」
私は真っ直ぐと律さんを見つめた。
その私に、律さんはフッと笑った。
「お前の首の痣。そこに妖怪の気配が残ってんだ」
「は?」
いきなり言い出した言葉に、私は首を傾げる。
妖怪? 何を言ってるんだ?
「父親は妖怪に取り憑かれてた可能性がある」
そう自信たっぷりに言う律さん。
えぇーと……
「あの、妖怪なんて、いるわけないじゃないですか」
「あぁ?」
恐る恐る言った私に、律さんは睨みを向けてきた。
「お前、父親は人殺しするような奴じゃないって思ってんだろ?」
「そうです。だけど、妖怪になんて……」
「じゃあ、それ以外で狂う理由があるのか?」
私は黙り込む。
父様がどうしてあんなことしたのかは、分からない。だけど、妖怪の仕業なんてあまりにも信じられない。
「信じられません」
律さんはイライラした風にため息をついた。
「お前。父親はまともな奴だと言うくせに、妖怪は否定するのかよ」
「だって……」
自分でも矛盾してるって思ってる。だけど、どちらもそう思うんだから、仕方ないじゃないか。
「まぁいい。それは一先ず置いといて、だ」
律さんは立ち上がり、私を見下ろすように見る。なんだかすごく偉そうだ。
「三日世話してやったんだ。その分働いてもらうぞ」
「は?」
思わず声が出る。
いや、まぁお世話になったんだから、何かお礼しないといけないけど。
「なんでそんな偉そうなのよ」
「何か言ったか?」
思わず零れた愚痴に、律さんはニヤリと口元を上げ、睨んできた。
「さぁ、何をしてもらおうか。こき使うから覚悟しとけよ」
律さんは楽しそうに笑う。
私、もしかしたらやばい人に助けられちゃった、のか?