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椿堂物語《完結》  作者: アレン
八章 神無き村と椿
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「葉月」


 朝、またお兄ちゃんのところへ行こうと用意していると、父様に呼び止められた。


「また外へ遊びに行くのかい?」

「え、あっと……」


 父様の言い方から、お庭で遊ぶ約束を破っていることがバレてしまっているよう。私は父様に怒られるのではないか、とビクビクしながら顔色をうかがった。

 父様は私を見つめ、スっと腕を上げる。


 ポコっ


 父様の拳は私の頭を軽く叩いた。私はキョトンとした目で父様を見る。


「遊ぶ友達ができたのだろう? まぁ今回は許してやろう。だが、次からはちゃんと父様に言ってから外に出るんだぞ」

「はい、ごめんなさい」


 怒られ、しょぼんとする私に父様は優しく頭を撫でてくれた。そして、膝を曲げて私を抱きしめる。


「良かった。楽しく遊ぶようになってくれたのか。一時はどうなるかと心配したんだぞ」

「父様?」


 強く抱きしめてくる父様に、私は意味がわからなかったけど、背中に手を回して抱き締め返した。父様がとても私のことを心配していたんだ、ということだけは分かったから。




 お寺へ行くと、お兄ちゃんは椿の木の下に座って眠っていた。それを見て、私はニヤリと口元を上げる。

 ゆっくり、ゆっくり近づいて。

 今だ! とお兄ちゃんに飛びつこうと両手を広げた。が、お兄ちゃんの目がパチリと開く。


「来てたのか」


 欠伸をしながら伸びをするお兄ちゃんに、私は手を広げたままポカンとする。


「あ゛? 何してんだお前」

「え、お兄ちゃんなんで今起きたの?」


 完璧に寝てたと思ったのに。

 疑問でいっぱいの私に、お兄ちゃんはニヤリと笑う。


「さては俺を驚かせようとしてたんだろ。残念だな、俺に悪戯しようなんざ10年早いだよガキ」


 得意げに言うお兄ちゃんに私はムッとした。何だかすごく子供扱いされてるよね。


「ガキじゃないもん。私は立派な女性よ」

「ほぉ、お前が、ね」

「そうよ。私はお兄ちゃんと対等な大人の女なんだから!」


 お兄ちゃんに詰め寄りながら私は息巻いた。どうしてこんなにムキになるのか、自分にも分からないけど、お兄ちゃんに子供扱いされるのが心底嫌だと思ったのだ。

 そんな私に、お兄ちゃんは吹き出すように笑いながら、ポンポンと頭を撫でてきた。


「大人の女はそんなムキになったりしねぇよ」

「むぅぅ」

「ほれ、そうやってむくれるところがガキそのものなんだよ」


 からかってくるお兄ちゃんに、私の機嫌は益々悪くなる。プクッと頬を膨らませていると、お兄ちゃんはそれを手で挟んでぐっと押す。


「ぶっ!!」


 一気に空気が抜け、変な声が出てしまう。

 それに対し、お兄ちゃんはケラケラと笑った。


「お兄ちゃん!!」

「アハハ」


 お腹を抱えて笑うお兄ちゃん。今日は随分機嫌がいいな。こんなに笑ってるお兄ちゃん、初めてみた。

 いつもはこんなに笑わない。意地悪してきたりはするけど、少し頬を緩めるくらいなのに。

 いつもと違うお兄ちゃんの様子に、私はぐいっとお兄ちゃんの顔を覗き込んだ。お兄ちゃんは驚いた顔をし、笑うのを止める。


「な、なんだよ」


 戸惑うお兄ちゃんをジッと見つめ、何かおかしいところはないかと探す。


 顔は、別にいつもと同じ。病気とかそういう感じじゃないし……

 あれ、そういえば、あの時と似ているような。じゃあもしかして。



「お兄ちゃん、何か悲しい事があったの?」


 お兄ちゃんの目が大きくなった。


「は? 何言って」

「目が悲しそう。父様と同じ目してるもん。寂しいんでしょ?」


 母様がいなくなってから父様がたまに見せる目。泣きそうな、でもそれを隠しているんだ。

 私も、母様がいなくなって今でもすごく寂しい。悲しくて悲しくて、泣きそうになる時がある。そんな私に、父様がしてくれることがある。


「なっ?!」


 お兄ちゃんに私は抱きついた。回しきれない腕に力を込め、ギュッと抱きしめる。


「ちょっ、お前っ」


 泣きそうな時、父様はこうやって抱きしめてくれるのだ。父様に包み込まれると、安心して悲しい気持ちが軽くなる。


「こうやってされると、悲しい気持ちが軽くなって、心がポカポカするでしょ?」


 もっとお兄ちゃんにポカポカしてもらいたくて、背を摩ってあげる。すると、お兄ちゃんが私の肩に頭を預けてきた。


「ほんと、お前ってなんなんだ。お前といると調子が狂う」

「え?」


 そう言いながら私を強く抱きしめゆ、そして体を離し、悲しそうな目で微笑んだ。


「おい、負ぶされ」

「え? わっ!」


 お兄ちゃんは私を自分の背に背負って立ち上がり、地面を蹴った。浮いた私達は地面に下りることなく、どんどん上へと上っていく。いきなりの事に、私はギュッと目を瞑ってお兄ちゃんにしがみついた。

 しばらくして浮遊感が消える。


「もう下りていいぞ」


 お兄ちゃんの言葉に、私は体を離して恐る恐る目を開ける。


「わぁぁ」


 一面に広がる色とりどりの花。その景色に私の胸は高鳴った。


「すごーい!! お花がいっぱいだぁ」


 お兄ちゃんの背からおり、花の中に飛び込む。花びらが舞い、まるで七色の雨のようだ。


「葉月こんなお花畑見たのはじめて! 夢の中みたい」


 初めての景色に、私はキャッキャッとはしゃいで転がり回った。が、ふとお兄ちゃんを見ると、悲しそうな目で花畑を見つめている。


「おにい」

「本当は、ここへは来るつもり無かったんだけどな」


 ポツリと呟いたお兄ちゃんに、私の言葉を詰まらせた。

 あまりに辛そうな表情、目をしているお兄ちゃんに、なんて声をかければ良いのか分からない。彼の瞳は、ここではない他の景色を見ているようだった。


 お兄ちゃんがその場に座り、天を仰ぐ。


「ここへは、自分の罪と罰を確認する為に来たってのに、どうしてこうなったんだろうな。俺に、綺麗だった思い出を思い出す資格なんてねぇってのに」


 彼の独り言は、私には何を言っているのか分からないものだ。だけど、このままお兄ちゃんを独りにしてはいけない気がする。

 そう思った私は、お兄ちゃんに近づいて彼の手を握りしめた。

 お兄ちゃんは私の方へ顔を向け、フッと微笑んだ。


「全部お前のせいだ」


 そう言いながら、私の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。髪が乱れてしまうのが気になったけど、私は何も言わずなすがままになった。


「人間とはもう深く関わるつもり無かったんだけどな」


 呆れたように発せられた言葉だけど、そう言ったお兄ちゃんの表情は少し嬉しそうだった。



 しばらくお兄ちゃんは私の頭を撫で続けていたが、ピクっと眉を上げ、バッと崖の方へ視線を向けた。


「ど、どうしたの?」


 いきなりの変わった態度に、私は驚いてお兄ちゃんを見た。彼は真っ直ぐ崖を見つめ、まるで全神経で何かを探している様だ。そして、一つ舌打ちをした。


「おい、ここで大人しくしとけ。直ぐ戻るから」

「え? どういう……」


 事? と言い終わらないうちに、お兄ちゃんは凄い速さで崖の方へ走って飛び降りて行ってしまった。


 何があったんだろう。でも、ここに居ろって言われたんだから、待ってなきゃいけないよね。


 少し疑問はあったけど、大人しく待っている事にいた。

 風が吹き、花が揺れて花びらが舞う。


「う゛ぅぅぅ」


 ふと、微かに誰かの唸り声が聞こえた。振り返って周りを見渡すが、誰もいない。


「だ、れ、か……」


 また聞こえた、今度はさっきよりもハッキリと。声は崖の反対側にある林からしている。


 誰かいるのかな。声が苦しそうだから、もしかしたら怪我をしているのかも……

 もし怪我してるんなら、助けに行ってあげないといけないよね。でも、お兄ちゃんにここで大人しくしてろって言われてるし。


「たす、け……」


 チラッと人影が見えた。林の中に入らなくちゃいけないけど、そんなに奥じゃない。あそこまでくらいなら。

 そう思い、私は立ち上がって林の方へ向かった。

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