五
外に出ると、眩しさに目を瞑った。ずっと中にいたからな。
私は目が慣れてくるまで、立ち止まる。
「葉月姉ちゃん!」
目を開けると、太一が向こうから駆けてきた。
「太一。って、どうしたの?!」
太一はあの猫を抱えていて、顔が引っ掻き傷だらけだ。
「ちょっと、捕まえるのに手間取っちゃって」
そう言う間も、猫は逃げようと暴れていた。
「そうだったの。でも、なんでその猫を?」
「俺がこの家に入れなかったのは、そいつが原因だ」
振り返ると、律がご主人を背負って蔵から出てきた。
その瞬間、猫が暴れて太一の腕から逃げ出した。そして律の足元へ行き、ニャーと上を見上げて鳴く。それはまるで、ご主人を心配している様だった。
「取り敢えず、コイツ運ぶか」
律の言葉に、私と太一は頷いた。
縁側にご主人を寝かせる。その傍に、猫は寄り添うように座った。
「まぁ皆さんどうしたんですか?」
丁度、春さんが廊下を歩いてこちらに来た。
「あ、春さん」
「え、ご主人様?! どうなされたのですか!」
「すみません。奥様を呼んできてくれませんか?」
「はい!」
走っていく春さんを見送り、私は律の方へ目を向けた。
「で、猫が原因って?」
「コイツ。どういうわけか、家の周りに結界を張ってやがったんだ。外から妖怪が入れないのをな」
なるほど。律は妖怪の枠に入ってしまったわけか。
「じゃあどうやって中に?」
「僕が捕まえて、一回外に出したんだ。そしたら結界が消えたんだって」
太一が胸を張る。
「そっか。太一のおかげで助かったよ」
「えへへ」
頭を撫でてあげると、太一は嬉しそうに笑った。
家に帰ったら、ちゃんと傷の手当してあげないとな。
「コイツのおかげで、いらん手間取らされた」
そう言いながら、律は猫を睨む。すると、猫は威嚇するように毛を逆立てた。律を睨みつつ、ご主人と律の間に移動する。
その様子を見て、私はピンときた。
「もしかしたら、ご主人と時子さんを守ろうとしてたのかもね」
「どういう意味だ?」
「この猫って、昔この家で飼われてたみたいなの。可愛がられてたらしいから、そうかなって」
外は妖気はまみれだったのに、中はほとんど気配すらなかった。
普通なら、妖気に惹かれて違う妖怪も集まってきてしまっていたかもしれない。でも、この家の人は、結界のおかげで原因の妖怪以外の影響を受けることはなかったわけだし。
「なるほど。そういう事か」
律がフッと微笑む。その表情に、私も頬を緩めた。
向こうから足音が近づいてき、時子さんと春さんが走ってきた。
「あなたっ」
時子さんは、ご主人を見て顔を青くさせた。
「あ、大丈夫ですよ。ただ気を失っているだけですから」
私の言葉に、時子さんは表情を緩めた。
「良かった」
「でも、一体何があったのですか?」
時子さんの背を撫でつつ、春さんが聞いてきた。
一体どこまで話していいものか……
「えーとぉ」
「この壺に、妖怪が取り憑いていたんいたんですよ」
真実をそのまま言った律。
彼を見てみると、満面の笑み。これは完璧に外用の顔だ。
「妖怪?!」
「ご心配はいりません。もう退治いたしましたから」
そう、驚いている時子さんと春さんに微笑んだ。
彼女達は、律の笑顔と優しげな言葉に、完全に騙されてしまっている。
あぁ、また犠牲者が増えてしまった。
律はこんなに優しくない。この外面に何人騙されていったことか。
でもまぁ、今回は安心させるためにやってるんだから、いいの……か?
なんだかモヤモヤした気持ちがする。
そんな中、ご主人が小さく身動ぎをした。
「うぅっ」
眉を顰め、ゆっくりと目を開けた。
「ここ……は」
「あなたっ」
「時子……?」
時子さんに支えられ、ご主人は身を起こした。
「私は一体」
「何も覚えていらっしゃらないの?」
「あぁ。全く記憶が無い」
完全に取り憑かれていたんだから、仕方がない。逆に、今までよく耐えてきたものだ。猫のおかげだろう。
そう考え、ふとある事が引っかかった。
ん? そういえば、なんでご主人は乗っ取られたんだろう。猫は家にいたのに……
腕を組んで悩み、ハッと気づいた。
そうだ。猫は太一が外に出したんだった。だから、抑えていた結界が無くなって、取り憑かれてしまったんだ。
しかも、多分太一に猫を捕まえるように言ったのは律だろうから、私は囮にされたってことか?!
私は律を睨んだ。すると、やっと気づいたか、とでも言ったように口元を上げた。
やっぱりそうかっ。あんな奴、優しくなんてぜんっぜんない。性格まで鬼な奴だ!!
「ねぇ葉月さん。妖怪ってやっぱり……」
内心で律に文句を言っていると、時子さんが悲しげな瞳で聞いてきた。
そうだ。時子さんは、猫が恨んでいるんじゃないかって思ってたんだっけ。
「いいえ、猫じゃないですよ」
私は、時子さんの膝にすり寄っている猫に、手を伸ばす。
頭を撫でてやろうかと思ったんだけど、直ぐに威嚇されてしまった。
私はそれにクスクス笑う。
「猫、慣れてないと触らせてくれないんですね。威嚇されてばっかりです」
私の言葉に、時子さんは目を丸くした。
「そう、なの。あの子、慣れない人には威嚇して。だから、私も触らせてもらうまで随分かかったのよ」
私は微笑みを時子さんに向けた。
「猫は、奥様達のこと守ってくれてます。今までも、これからも」
時子さんが涙ぐんで頷く。
そんな彼女に猫は、そうだ、と言うように鳴いた。
「探偵事務所の人、だったか」
ご主人の方を向くと、彼は頭を下げてきた。
「申し訳ない。とても失礼な事を多くしてしまった」
「あ、いえそれは」
妖怪に取り憑かれていたからであって、ご主人のせいじゃない。
あの時は腹が立ったけど、今はもう気にしていない。
そう伝えるが、ご主人の表情は晴れず。
「妖怪だとか、そんな理由があったとしても、私の態度は大人として恥ずべきものだった。本当に申し訳ない」
優しい人だと時子さんは言っていたけど、本当にそうだったみたいだ。今までの彼とは違い、表情がすごく柔らかい。
「本当にもういいんです。優しいご主人に戻って良かったです」
そう微笑むと、ご主人もやっと笑ってくれた。
「さて、と」
話が一段落した所で、律が立ち上がる。
「これで、依頼達成で宜しいですか?」
「ええ」
「でしたら、我々はこれで。この壺はこちらで処分致しますので」
「よろしく頼む」
律がこちらに視線を向けてきて、私は慌てて立ち上がった。
縁側から降り、頭を下げる。
「短い間でしたが、お世話になりました」
太一も私の隣で、同じようにした。
そうしていると、肩に手が触れた。
「こちらこそ、本当にありがとう」
そう言って時子さんは泣き笑いをした。後ろのご主人と春さんも笑顔だ。
良かった。ちゃんとこの人たちを助けられたんだ。
私は三人に向け、笑った。
見送る三人に頭を下げ、私たちは家を出た。
いつの間にか、辺りは夕日に染まっている。
律に目を向けると、彼が持つ風呂敷に包まれた壺に目がいった。
「その壺どうするの?」
「寺にでも持っていく。怨念類は俺の手には負えねぇよ」
その言葉に、私は眉を顰める。
「で、それは誰が持っていくの?」
聞くと、律は私の方に顔を向けた。
「お前らに決まってんだろ」
何言ってるんだ、と言いたげな顔。
私はハァとため息をつく。外用の優しさは私には適応されないんだよなぁ。分かってたけどさ。
だけど、それももう慣れた。これが律なんだから。
「いいけど、お団子買ってね」
「あぁ? なんでだよ」
睨んできた律を無視し、私は太一の方へ微笑む。
「太一も好きなの言っときな」
「僕、みたらし!」
「いいね。私もみたらしで」
笑い合う私たちに、律は諦めたようにため息をついた。
こんな態度だけど、何だかんだいってちゃんと買ってきてくれる。
外用みたいにあからさまではないけど、ちゃんと優しい所もある。これが律だ。
表通りに出て、私はあの路地裏のある方を見た。
律に助けられてから、もう随分経った。
自分の目的は忘れてない。だけど、大切にしたいと思える場所ができた。
ペンダントを握りしめる。
「姉ちゃんどうしたのー?」
太一の声に顔を向けると、二人は私を待っていてくれている。
私はペンダントから手を離し、駆け出した。
これで1章終了です。次回から、一旦過去に戻り、そこからは時系列通りに進んでいきます。
まだまだ至らない点が多いですが、これからもよろしくお願いします。