四
背中に感じる温もり。肩に感じる手の強さ。少し私の頬にかかっている赤い髪。
──律だ……
恐怖に震えていた心に安心感が広がり、泣きそうになった。
そんな私を律はチラッと見て、体を離し手を私の足へ。そして、縛られたままの縄を解いてくれた。
「あ、あの、律……?」
何も言わない律に、次第に焦りが生まれてくる。
こ、これは言葉が出ないほど怒ってるとか? どうしよう。何か言った方がいいよね。
「あの、律。何も言わなくてごめんな…… て、え?」
謝ろうとすると、律が突然私を後ろへ投げた。それはもう体が完全に宙に浮くほど豪快に。
「い、いやぁぁ!!」
いきなり過ぎて全く身構えれなかった体は、そのまま地面へと。
「と、危ねぇ」
とはならず、誰かが受け止めてくれた。この声は蓮司だ。
「律、お前なぁ。一度ならず二度までも女の子をぶん投げるなんて、流石に男としてどうかと思うぞ」
呆れ声で言いながら私を下ろしてくれた蓮司を、律はフンっと鼻を鳴らしただけで正面に向け直った。
「葉月!」
「葉月姉ちゃん!」
「太一! 千恵まで!」
あまりに勢揃いで驚く。
「何も言わないで行っちゃうんだもの。すごく心配したのよ!」
「そうだよ。せめて一言相談してくれないと」
「ご、ごめんなさい……」
泣き顔の千恵に、怒る太一。こんなに心配させてしまったなんて。今回の自分の選択は間違いだったと反省する。
「でも、どうしてここが? 何処へ行くから書いてなかったのに」
「これを見つけてね」
そう言いながら蓮司が出したのは、父様の手帳について調べていた事を書いた紙片。
「まさか、とは思って来てみたんだけど、当たりだったとはね。しかもこんな状況になってるなんて」
「どういうこと? それに、紙には村の名前は書いてたけど、どうして場所が分かったの?」
「それは……」
蓮司は苦い顔をしながら律の方を見る。何? 律が関係してるっていうの?
「ここが俺の故郷だからだ」
律の言葉に、私は目を丸くして律を見た。
故郷って、ここが? てことは、まさかあの時に見た村は、神無村だったてこと? じゃあ……
「どうせお前見たんだろ? この寺に見覚えあるだろ」
「え?」
混乱する。見たんだろって、まさか貉の時のことを言ってるんだろうか。てことは、律は私が彼の過去について知ったってこと、知っていたの?
「いつから……?」
信じられなくて、間抜けな声が出る。そんな私に、律は目線だけをこちらへ向けた。
「最初から。お前わかり易過ぎるんだよ。どうせ怖がって、暫く俺にどう接したらいいか分かんなくなってたんだろ」
「え、あ……」
間違ってはいないけど、肝心なゆりさんへの嫉妬は気づかれていないよう。少し安心した。
「おい、貴様ら!!」
ホッとした空気になっていた場に怒号が響く。
声は御堂からし、見てみると鉄鼠が瓦礫の中から這い出してきていた。
「イキナリ現レ、コノ鉄鼠ヲ無視スルトハ。貴様ラタダデ済ムト思ウナヨ!!」
鉄鼠は鋭い爪で律に襲いかかった。律はそれを刀で受け止め、二人は鍔迫り合いの状態になる。どちらも一歩も譲らず睨み合っていたが、ふと鉄鼠が鼻を動かした。
「烏ニ狐、妖気ヲ纏ッタ人間。面白イニオイバカリタ。ダガコノニオイ、鬼ニ混ジッタコノ人間ノニオイ」
鉄鼠の表情に怒りが滲んでいき、ますますバケモノの顔になっていく。
「忘レハシナイ。アノ時、カムイ様ノ邪魔ヲシ、我ラ臣下ヲ殺シタ男!!」
口を大きく開き、怒りを露わにして律に襲いかかる鉄鼠に、律の踏ん張る足が少し後ろに下がる。
「くっ」
「ソレニシテモ、鬼ニナッテイヨウトハナ。滑稽ナコトダ。ホゥ、コノ刀ニ鬼ヲ閉ジ込メ、人トシテ保ッテイルノカ。鬼ニナレバ自我ハ喰ワレルカラナ」
「うる、せぇ!!」
律は刀を振り上げ鉄鼠を後退させたが、鉄鼠は不気味な笑みを浮かべたまま、律を見つめる。
「アノ女ノ敵討チノタメニカ? ソレトモ鬼ニ喰ワレルコトヘノ恐怖心デカ? ドチラニシロ、鬼ヲ封ジルなど無謀ナコト。オマエニハ丁度イイ苦シミダナ」
そう言ってゲラゲラ笑うが、次の瞬間にはまた怒りの表情を浮かべる。
「ダガ、マダマダ足リヌ!! 我ラヘノアノ行為。コレダケデ済ムト思ウナヨ! モット、モットモットモット苦シメ!!」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
律が鉄鼠に切りかかる。鉄鼠はそれを飛んで避け、律の頭上を超えて私の目の前に着地した。
「ソウダ。イイ事ヲ思イツイタ」
ニヤリと笑った鉄鼠に、寒気が走る。
に、逃げなきゃ。だけど、足が動かない。
「てめぇ、葉月ちゃんに手ぇ出すんじゃねぇぞ!」
固まった私の前に蓮司が入り、鉄鼠を睨みつける。黒い羽根を広げ、鉄鼠の視界から私を隠してくれていた。
「葉月、今の内にここから離れよう」
千恵が後ろから服を引っ張ってきて、私は彼女と共にその場を後にしようと動く。蓮司たちの方を見ると、鉄鼠の背後から律が刀を振り上げていた。
「グフフ。舐メラレタモノダ」
鉄鼠はそう言い、ニヤリと笑う。
その表情にゾッとした。
鉄鼠は、後ろから襲いかかっていた刀を振り返らず手で止め、そのまま握りしめる。
「…っ。くそっ」
握られた刀を振り解けないのか、律は歯を食いしばる。と、鉄鼠が刀を上へ持ち上げた。刀を持ったままの律の体は宙に浮き、刀を振られすごい勢いで吹き飛ばされてしまった。律は御堂の中まで飛ばされ、壁にぶつかり瓦礫に埋もれる。
「律っ!!」
「律っ。くそっ!」
悪態をついた蓮司は、羽根を力強く羽ばたかせ豪風を鉄鼠へと放った。風は砂を巻き込み、葉を切り裂きながら鉄鼠へと襲いかかる。が、風が襲うより早く、鉄鼠は蓮司との距離を詰めてきた。
「遅イ遅イィィィィィ」
そう叫びながら蓮司を爪で切り裂く。血が散り、蓮司はその場に倒れて込む。
「蓮司!!」
残された私と千恵、太一は恐怖に震えながら鉄鼠を見る。
「弱イ弱イ。カムイ様ニオ仕エスル鉄鼠ニ敵オウナドトハ百年早イワ」
ケラケラわらいながら鉄鼠は私達の方へ近づいてくる。
「葉月、ちゃん。に、げろ…… 千恵っ!!」
痛みに顔を歪めながら蓮司が叫んだ。その声に、千恵がビクリと反応し、グッと表情を引き締めた。そして、私の耳元で「太一と早く逃げて」と耳打ちをし、駆け出す。
「止まりなさい! 葉月には指一本触れさせやしなわ!! 」
そう言いながら千恵が鉄鼠の前に立ちはだかる。
泣きそうになった。私の傲慢な選択のために、みんなをこんな目に合わせてしまった。なのに、私を助けてくれる。そんな価値、ないのに。
「葉月姉ちゃん!」
太一に手を引かれ、ハッと我に返る。いやいや、今はそんな事考えてる場合じゃない。逃げなきゃ。みんなが庇ってくれた意味が無くなってしまう……
「逃ガサンゾ」
「え?」
走り出そうとすると、耳元で囁かれた。ゾッとしながらゆっくりと顔を横に動かすと、鉄鼠のニヤリと笑う顔が視界に入る。
「捕マエタ」
鉄鼠は太一の手を振り払い、私を肩に担いだ。その時、倒れ込んで表情を歪めながらこちらを見る千恵が見えた。
「千恵!!」
「グフフ。憑代ハ我ノモノ。男! マタオ前カラ大切ナ女ヲ奪ッテヤルゾ!!」
「嫌! 離してっ」
逃れようと踠くがびくともしない。
「てめぇぇぇ!!」
御堂から律が飛び出してくる。しかし、彼は血だらけで足元は少しふらついている。が、それよりも目に入ったのは律の瞳だ。彼の瞳は半分真っ赤に染まり、痣が広がっている。そして、彼の放つ妖気に禍々しさが滲んでいた。これって……
「クハハハハ。男、モシヤ鬼ガ暴走シカカットルナ」
「……っ!」
「滑稽滑稽! 昔ノ記憶ガ蘇リ、鬼ガ暴レタガットルノダロウ。ダガ、抑エル術ハ私ノ手ノ中。最高ダ」
律の刀は鉄鼠が握っている。これを取り戻さないと律は人間に戻れず、鬼の暴走を止められない。
刀を奪おうと手を伸ばすが、鉄鼠がいきなり飛び上がり、手は宙をかすめる。
「コノママオ前ガ鬼ニ喰ワレル様ヲ見学シテヤロウ。憑代ヲカムイ様ニオ渡シシテから、共ニナ!」
そう言った鉄鼠は、私を抱えたまま裏の崖の方へと飛ぶ。
「離し、てっ!」
ダメダメダメ。このままじゃ私は憑代にされ、律は鬼になってしまう。何とかしなきゃ。
もがきまくって逃れようとするが、全く振りほどけない。鉄鼠はお寺の裏の崖の頂上に着地しする。そこは、律の過去で見た幼い律とゆりが居た場所だった。
そして、鉄鼠は森の中へと走る。ものすごい速さの中、私は必死に何かないか見回す。
木につかまるか。駄目、勢いに負けて掴めない。
気分の悪いフリでもする。こいつがそんな事で止まるとは思えない。
ふと何かが体に当たる。少したってまた当たった。
何かと目を凝らすと、気に巻きついている蔦が上から垂れ下がり、私にぶつかっていたのだ。
蔦はそこそこ丈夫そう。
これ、使えるかも……
ええい、迷ってる暇なんてない!
私は覚悟を決め、頃合いを見計らって思いっきり鉄鼠の耳を引っ張った。
「フギャッ!!」
鉄鼠は驚き走る速さを緩め、拘束する手も緩んだ。
私は反対側の手で持っていた刀を奪い、上へ手を伸ばす。そして、手に触れた蔦をシッカリと握り締めた。
蔦のたるみが無くなると、枝に引っかかって突っ張り、拘束の緩んだ私の体を鉄鼠から引き剥がしてくれた。
「……ッ。ナニィィ?!」
私が離れた瞬間、鉄鼠は慌てて足を止める。
蔦に掴まったまま振り子のように反対側に振られ、微かに足が地面に着いた瞬間に手を離す。かなり勢いがついていたので、着地した後体勢が前にいったが、何とか耐える。
後ろを振り返ると、鉄鼠とはかなりの距離があった。
早く、早く逃げなきゃ。
よろけながら私は走り出した。




