六
夜会は終盤にさしかかり、お酒の回った男達は女を口説こうと愛想を振りまき、女は満更でもなさそうに微笑む。流れる音楽に合わせて踊る者もいて、部屋の中は酔いそうなほど熱気に包まれている。
私は壁にもたれながら、そんな人々を眺めていた。
中島さんは、少し前に上司を見つけて行ってしまった。すごく申し訳なさそうだったけど、元々彼は上司のお供で来ていたわけだから、申し訳なく感じることないのに。
チラッと時計を見ると、もうすぐ亥の刻になろうとしていた。そろそろ十和子さんが迎えに来る時間だ。律と合流しないと。
部屋をぐるりと歩き回り、律を探す。だけど彼の姿は見当たらない。
どこに行ったんだろ。もう一回探した方がいいかな。
と思ったけど、私があいつを探す必要はないよね。そもそも置いていかれた訳だし、大人しくしてろって言ったのは向こうだ。
「いた……」
普段履かない靴を履いて動き回ったから足が痛い。踵を見ると赤くなってしまっている。
どこかに座っとこう、と周りを見渡したが座れそうな所がない。外に出ていくしかなさそうだ。
部屋から出ても大丈夫かな。いや、ここに居ろって場所を言われたわけじゃないんだ。私がどこに居ようと、文句を言われる筋合いはない。置いてったんだから、探し回るくらいしてくれないと割に合わないわ。
なんだか拗ねてる子供みたいな考えだな。自分に苦笑しつつ、部屋を出た。
部屋を出て廊下を進むと、壁際に長椅子があった。周りに誰もいないし、ゆっくりできそうだ。
「ふぅ」
疲れた。精神的疲労感が半端ない。
やっぱりこういう場の雰囲気は苦手だ。綺麗な服を着るのはいいけど、誰に対しても笑顔をつくっていないといけないのはしんどい。言葉だって、相手に失礼のないよう気を使わないといけない。
深く腰掛け目を閉じる。
早く椿堂に帰りたい。あそこの雰囲気は好きだ。温かくて、居心地がいい。
「あら、葉月じゃない。こんな所で会うなんて、奇遇ね」
声がしてバッ目を開け、体を起こす。いつの間にか目の前に二人の人が立っていて、その二人の顔を見て私は目を見開く。
「おば……さま?」
「あれぇ、葉月生きてたんだぁ」
「美由……」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべる叔母様と従姉妹の美由。
まさかこんな所で会うなんて。
冷や汗が頬を伝う。
「いきなり家を飛び出して、連絡一つ寄越さない。てっきりどこかで野垂れ死んだのかと思っていたけど、そんなめかしこんだ格好をしているなんて、どこかの金持ちにでも取り入ったのかしら」
「絶対に太ったおじさんね。ほんと卑しい女よねぇ。キャハハ」
クスクスと笑いながら話す二人。
この人たちは相変わらずだ。いつも、私を見るなりこうやって嫌味を言ってくる。
「母親もそうだったけど、やはりあの女の子ね」
これは叔母様の口癖。身分も身よりもなかった母様のことを良く思っていないようで、母様が生きていた頃から、本人や私にずっと言い続けている。
「克彦さんは可哀想よね。人を見る目が全く無かったから、あんな悪女に引っかかるんだもの。あんな女、金目当てに決まってるのに。お義父様たちの反対を押し切って結婚した挙句、女は病気で直ぐに死んでしまうんだもの」
「叔父様って、見た目は賢そうなに馬鹿よね。それに叔母様も、金目当てで嫁いだのに、病気で死んでしまうなんてほんと馬鹿」
叔母様と美由は、楽しそうに父様と母様の悪口を話し続ける。
母様はお金目当てで父様と一緒になったんじゃない。二人は本当に仲が良かったもの。
母様は幼い時に死んでしまったから、あまり思い出はないけど、病弱だった母様を父様はいつも気にかけていた。そして、母様はどんなに体調が悪くても、決して笑顔を絶やさず、私と父様を愛してくれていた。
それに、私から見たら、叔母様の方が悪女だ。
金の亡者で、叔父様が体が弱くて寝込んでしまうことが多いのをいいことに、好き勝手している。家のお金を私物化し、高価な物を買い漁っているのだ。娘の美由もその性格を受け継いでいて、叔母様と一緒になってお金を豪遊している。
私はこの二人が苦手だ。出来ることなら、二度と会いたくなかった。
「まぁいいわ」
ひとしきり悪口を言い終え、叔母様は私を見下ろし口元を上げる。
「探していたのよ、葉月さん。さぁ、あなたの本当の家に帰るわよ」
「は?」
叔母様の言葉に目を見開く。
「そもそもあなたの後見人は夫なのよ? なのに、家出してフラフラしているのは世間体に悪いでしょう?」
何が世間体だ。今の今まで探しもしなかったくせに。
「いえ、私はもうちゃんと生活していけますので……」
丁重に断ろうと笑みを浮かべて言うと、美由に髪を掴まれた。
「つべこべ言わず母様の言う通りにすればいいのよ。どうせ、何を言っても私の小間使いになることは確定なんだから」
無邪気な顔で美由は言う。
彼女は自分の考えは全て叶うと思っているのだ。人を見下すような目に吐き気がした。
「そうよ、葉月さんは何も心配せず、全て私に任せればいいのよ。克彦さんの財産や家も、全て私が管理してあげるから」
私の意見なんて全く無視して話す叔母様は、欲に塗れた真っ黒な瞳をしている。
遺産の管理は面倒だからと、叔父様に押し付けていたくせに。恐らく、父様が私に残していた遺産でも出てきたのだろう。私を連れ戻したいのは、全てお金の為なのだ。
叔母様も美由も、目が濁りきってる。これで妖怪が取り憑いていないなんて。もしかしたら、彼女たちの欲望は、妖怪も逃げ出すほどのものなのかもしれない。いや、どちらかと言うと、彼女たち自身が妖怪のように見える。
「それに、葉月さんには縁談の話も来ているのよ。東家のご子息の公彦さん、知っているでしょう?」
「まぁ……」
知ってるも何も、東家といえば超のつくほどのお金持ち。家柄も良く、叔母様の理想にピッタリの縁談だ。なるほど、この話も私を連れ戻そうと思った理由か。
「羨ましいわぁ、東家となんて玉の輿じゃない。まぁ私は絶対に嫌だけどねぇ」
クスクス笑う美由。
東家自体は由緒正しい家柄だけど、息子に問題がある。顔はいいのに性格は最悪で、人を人とも思わない奴。暴言暴力は当たり前で、何度か会ったことがあるけど、殴られそうになったことが何回かある。だから、叔母様はこの縁談を美由ではなく、わざわざ探さなければならない私にさせようとしているのだ。
「公彦さんは、あなたのような罪人の娘でも構わないと仰って下さってるの。これはあなたにとって最高の縁談だわ」
「罪人って。父様のことを言っているの?」
「当たり前じゃない。もしかして、あなたまだ克彦さんが無実だと思っているの? いい加減目を覚ましなさい」
ハァと息を吐く叔母様に怒りを覚える。
父様は部下や家族を傷つけるような人じゃないって、父様と関われば分かるはずなのに。叔母様は初めから、事件のことを疑うことなく、ただ財産の話ばかりをしていた。彼女には、父様も叔父様も、お金にしか見えていないんだ。
怒鳴り散らしたくなる。大声で「私の家族のことを悪く言うな!」と言ってしまいたい。
声が出かかりそうになったとき、ふと律に言われた事が脳裏に過ぎった。
『他の奴が何を言おうと関係ねぇ。胸張って堂々としてりゃいいんだよ』
父様のことも、母様のことも、叔母様の言っていることは間違いだって私は知っている。私の知る二人が真実なのだと胸を張って言える。
なら、私は堂々と胸を張ってないといけないんだ。
叔母様を睨みつけ、立ち上がる。
「叔母様。私はあの家には決して戻りません」
言い放った私を、二人は目を丸くして見つめてくる。
こんな風に叔母様たちに刃向かったのは初めてだ。だけど、これだけは絶対に引いちゃいけないこと。
胸元のペンダントを握りしめる。
私はあの頃とは違う。
探偵事務所で、根性は嫌ってほどついたんだから。
「父様の遺産が欲しいのなら好きにすればいい。お金なんて私はいらない。ただ、家だけは引き取るわ」
お金も、地位も、私はいらない。
ただ、家族との思い出が詰まった家だけは、この人たちに踏みにじられたくない。
「私の大切なもの、あなたたちの好きにはさせない」
叔母様は顔を真っ赤にさせて拳を握る。
「な、なんですって!!」
叔母様の怒鳴り声が廊下に響く。
こんな怒っている叔母様を見るのは初めてだ。
美由はガタガタと体を震わせ縮こまっている。
正直怖い。だけど私は気を引き締め、叔母様を睨んだ。
「縁を切ってくださっても構わない。私はあなたの思い通りには絶対にならないわ。父様のことだって、父様のせいじゃないってことを探し出してみせる」
「このぉ……」
叔母様が私の胸ぐらを掴んだ。
「私に歯向かってんじゃないわよ!!」
手を挙げ、私へ向け振り下ろす。
──ぶたれるっ。
私はギュッと目を瞑った。
頬を叩かれる、と思っていたけど、肩と背に温もりが触れる。グッと力強く引き寄せられた。
恐る恐る目を開けてみると、叔母様が目を見開いている姿が見えた。
「俺のツレに何してるんだ?」
律の声。
チラッと後ろを見ると、近くに叔母様のことを睨む律の顔があった。彼は私を抱き、叔母様の腕を掴んでいた。
「もう一度聞く。俺のツレに何をしてるんだ?」
威圧的な律の声に、叔母様は恐怖するように後ずさりした。
「ふ、ふん。家はあなたの好きにすればいいわ。あんなボロ屋敷を欲しがる人なんて、あなたくらいですからね。その代わり、他は全て私の物よ! 縁も今日限りで切るわ! いいわね!!」
そう言い放ち、叔母様は美由を連れて逃げるように立ち去っていった。
律に睨まれても、お金のことだけはちゃんと言っていくなんて。流石というか、もう感心すら覚える。
まぁ、なにはともあれ。
律から体を離し、彼の方を向く。
「ありがとう。助けてくれて」
笑っていうと、律は呆れたように腕を組んだ。
「本当に、お前は行く先々で問題に遭遇するな」
返す言葉もない。毎度毎度、律には迷惑をかけてる。
「あれ、お前の親類か?」
「うん、叔母と従姉妹。けど、もう他人だけどね」
あの人なら絶対に縁を切るだろうし。
「いいのか?」
律は私の瞳を探るように見つめてきた。
心配、してくれてるのかな。叔母様たちと縁を切るということは、私にはもう完全に家族がいなくなってしまうということだから。
「うん。いいの」
私はニコッと笑う。
叔母様たちは血の繋がりはあるけど、今を捨ててまで一緒に居たい家族とは思えない。私にとっての家族は、もう見つけてしまったから。
「叔父様と縁を切ることになるのは、寂しいけどね」
何かと私を気にかけてくれた叔父様。彼にはこんなことになってしまって、申し訳ないと思う。また話せる機会があればいいのにな。
律は黙ったまま私の頭を撫でてきた。その仕草が、いたわってくれているようで、少し照れくさい。
「でも、どうしようかな。勢いで家は私のものだって言っちゃったけど、今の私じゃ持て余しちゃうな」
一人で住むには広すぎる。結局は売ることになってしまう。出来ることなら、あの家を知らない他人に渡したくはないんだけどな。
そう思っていると、律が何か考え込んだ。
「貸すってのはどうだ?」
「貸す?」
「お前が家を使うようになるまでな。そうすれば、手放さずに済むだろ」
そりゃあそうだけど。
「そんな簡単に貸し手なんて見つかるかな?」
屋敷と呼ぶには小さめの家だけど、普通からしたら大きい。そうそう貸し手が見つかるとは思えない。
「それならあてがある」
「え、ほんと?」
「十和子に貸せばいい」
「え?!」
十和子って、十和子さんだよね?
「でも、十和子さんってあんな立派な家に住んでるじゃない。必要ないでしょ」
別荘にするには少し遠いし。
「それなら問題ない。あいつは一つの場所に居座らないんだ」
「と、いうと?」
「直ぐに住む場所を変えるんだ。今のも確か五件目だな」
それはそれは。十和子さんの意外な一面の発見だ。
「迎えに来た時にでも聞いてみろ。一つ返事で決まるだろうよ」
そう言いながら、律はネクタイを緩めた。
「これで問題は解決か?」
「え、まぁ」
「なら帰るぞ」
そう言って、律は私の肩を抱いて歩き始めた。
「え、えっ?! どど、どうしたの?!」
思わぬ事態に体温が一気に上がる。
律がこんなことしているなんて。明日は雪でも降るんじゃないだろうか。
「あ? 足いてぇんだろ? だから大人しくしてろって言ったんだ。仕方ねぇから支えてやる」
そう言い放ち、律は前を向いてしまった。
え、もしかして、途中で置いていったのは、私の足を気遣っていたから?
ますます体温が上がり、心臓が痛いくらいバクバクいう。
たまにこうやって気遣ってくれる。普段は気遣いなんて全くしないくせに。
こんな風にされたら、ますます好きになってしまうじゃない。
私の気持ち、律に伝わってないよね?
横顔を伺ってみるが、表情は全く変わっていない。
こんな機会、滅多にない。ここは堪能しておいた方がいいよね?
私は気づかれないよう、少しだけ律の肩に頬を寄せた。




