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椿堂物語《完結》  作者: アレン
七章 想いと社交界
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 夜会は終盤にさしかかり、お酒の回った男達は女を口説こうと愛想を振りまき、女は満更でもなさそうに微笑む。流れる音楽に合わせて踊る者もいて、部屋の中は酔いそうなほど熱気に包まれている。

 私は壁にもたれながら、そんな人々を眺めていた。


 中島さんは、少し前に上司を見つけて行ってしまった。すごく申し訳なさそうだったけど、元々彼は上司のお供で来ていたわけだから、申し訳なく感じることないのに。


 チラッと時計を見ると、もうすぐ亥の刻になろうとしていた。そろそろ十和子さんが迎えに来る時間だ。律と合流しないと。

 部屋をぐるりと歩き回り、律を探す。だけど彼の姿は見当たらない。


 どこに行ったんだろ。もう一回探した方がいいかな。


 と思ったけど、私があいつを探す必要はないよね。そもそも置いていかれた訳だし、大人しくしてろって言ったのは向こうだ。


「いた……」


 普段履かない靴を履いて動き回ったから足が痛い。踵を見ると赤くなってしまっている。

 どこかに座っとこう、と周りを見渡したが座れそうな所がない。外に出ていくしかなさそうだ。


 部屋から出ても大丈夫かな。いや、ここに居ろって場所を言われたわけじゃないんだ。私がどこに居ようと、文句を言われる筋合いはない。置いてったんだから、探し回るくらいしてくれないと割に合わないわ。


 なんだか拗ねてる子供みたいな考えだな。自分に苦笑しつつ、部屋を出た。



 部屋を出て廊下を進むと、壁際に長椅子があった。周りに誰もいないし、ゆっくりできそうだ。


「ふぅ」


 疲れた。精神的疲労感が半端ない。

 やっぱりこういう場の雰囲気は苦手だ。綺麗な服を着るのはいいけど、誰に対しても笑顔をつくっていないといけないのはしんどい。言葉だって、相手に失礼のないよう気を使わないといけない。


 深く腰掛け目を閉じる。


 早く椿堂に帰りたい。あそこの雰囲気は好きだ。温かくて、居心地がいい。


「あら、葉月じゃない。こんな所で会うなんて、奇遇ね」


 声がしてバッ目を開け、体を起こす。いつの間にか目の前に二人の人が立っていて、その二人の顔を見て私は目を見開く。


「おば……さま?」

「あれぇ、葉月生きてたんだぁ」

美由(みゆ)……」


 ニヤリと嫌な笑みを浮かべる叔母様と従姉妹の美由。


 まさかこんな所で会うなんて。


 冷や汗が頬を伝う。


「いきなり家を飛び出して、連絡一つ寄越さない。てっきりどこかで野垂れ死んだのかと思っていたけど、そんなめかしこんだ格好をしているなんて、どこかの金持ちにでも取り入ったのかしら」

「絶対に太ったおじさんね。ほんと卑しい女よねぇ。キャハハ」


 クスクスと笑いながら話す二人。

 この人たちは相変わらずだ。いつも、私を見るなりこうやって嫌味を言ってくる。


「母親もそうだったけど、やはりあの女の子ね」


 これは叔母様の口癖。身分も身よりもなかった母様のことを良く思っていないようで、母様が生きていた頃から、本人や私にずっと言い続けている。


「克彦さんは可哀想よね。人を見る目が全く無かったから、あんな悪女に引っかかるんだもの。あんな女、金目当てに決まってるのに。お義父様たちの反対を押し切って結婚した挙句、女は病気で直ぐに死んでしまうんだもの」

「叔父様って、見た目は賢そうなに馬鹿よね。それに叔母様も、金目当てで嫁いだのに、病気で死んでしまうなんてほんと馬鹿」


 叔母様と美由は、楽しそうに父様と母様の悪口を話し続ける。


 母様はお金目当てで父様と一緒になったんじゃない。二人は本当に仲が良かったもの。

 母様は幼い時に死んでしまったから、あまり思い出はないけど、病弱だった母様を父様はいつも気にかけていた。そして、母様はどんなに体調が悪くても、決して笑顔を絶やさず、私と父様を愛してくれていた。


 それに、私から見たら、叔母様の方が悪女だ。

 金の亡者で、叔父様が体が弱くて寝込んでしまうことが多いのをいいことに、好き勝手している。家のお金を私物化し、高価な物を買い漁っているのだ。娘の美由もその性格を受け継いでいて、叔母様と一緒になってお金を豪遊している。


 私はこの二人が苦手だ。出来ることなら、二度と会いたくなかった。


「まぁいいわ」


 ひとしきり悪口を言い終え、叔母様は私を見下ろし口元を上げる。


「探していたのよ、葉月さん。さぁ、あなたの本当の家に帰るわよ」

「は?」


 叔母様の言葉に目を見開く。


「そもそもあなたの後見人は夫なのよ? なのに、家出してフラフラしているのは世間体に悪いでしょう?」


 何が世間体だ。今の今まで探しもしなかったくせに。


「いえ、私はもうちゃんと生活していけますので……」


 丁重に断ろうと笑みを浮かべて言うと、美由に髪を掴まれた。


「つべこべ言わず母様の言う通りにすればいいのよ。どうせ、何を言っても私の小間使いになることは確定なんだから」


 無邪気な顔で美由は言う。

 彼女は自分の考えは全て叶うと思っているのだ。人を見下すような目に吐き気がした。


「そうよ、葉月さんは何も心配せず、全て私に任せればいいのよ。克彦さんの財産や家も、全て私が管理してあげるから」


 私の意見なんて全く無視して話す叔母様は、欲に塗れた真っ黒な瞳をしている。

 遺産の管理は面倒だからと、叔父様に押し付けていたくせに。恐らく、父様が私に残していた遺産でも出てきたのだろう。私を連れ戻したいのは、全てお金の為なのだ。


 叔母様も美由も、目が濁りきってる。これで妖怪が取り憑いていないなんて。もしかしたら、彼女たちの欲望は、妖怪も逃げ出すほどのものなのかもしれない。いや、どちらかと言うと、彼女たち自身が妖怪のように見える。


「それに、葉月さんには縁談の話も来ているのよ。東家のご子息の公彦(きみひこ)さん、知っているでしょう?」

「まぁ……」


 知ってるも何も、東家といえば超のつくほどのお金持ち。家柄も良く、叔母様の理想にピッタリの縁談だ。なるほど、この話も私を連れ戻そうと思った理由か。


「羨ましいわぁ、東家となんて玉の輿じゃない。まぁ私は絶対に嫌だけどねぇ」


 クスクス笑う美由。

 東家自体は由緒正しい家柄だけど、息子に問題がある。顔はいいのに性格は最悪で、人を人とも思わない奴。暴言暴力は当たり前で、何度か会ったことがあるけど、殴られそうになったことが何回かある。だから、叔母様はこの縁談を美由ではなく、わざわざ探さなければならない私にさせようとしているのだ。


「公彦さんは、あなたのような罪人の娘でも構わないと仰って下さってるの。これはあなたにとって最高の縁談だわ」

「罪人って。父様のことを言っているの?」

「当たり前じゃない。もしかして、あなたまだ克彦さんが無実だと思っているの? いい加減目を覚ましなさい」


 ハァと息を吐く叔母様に怒りを覚える。

 父様は部下や家族を傷つけるような人じゃないって、父様と関われば分かるはずなのに。叔母様は初めから、事件のことを疑うことなく、ただ財産の話ばかりをしていた。彼女には、父様も叔父様も、お金にしか見えていないんだ。


 怒鳴り散らしたくなる。大声で「私の家族のことを悪く言うな!」と言ってしまいたい。

 声が出かかりそうになったとき、ふと律に言われた事が脳裏に過ぎった。


『他の奴が何を言おうと関係ねぇ。胸張って堂々としてりゃいいんだよ』


 父様のことも、母様のことも、叔母様の言っていることは間違いだって私は知っている。私の知る二人が真実なのだと胸を張って言える。

 なら、私は堂々と胸を張ってないといけないんだ。


 叔母様を睨みつけ、立ち上がる。


「叔母様。私はあの家には決して戻りません」


 言い放った私を、二人は目を丸くして見つめてくる。

 こんな風に叔母様たちに刃向かったのは初めてだ。だけど、これだけは絶対に引いちゃいけないこと。


 胸元のペンダントを握りしめる。


 私はあの頃とは違う。

 探偵事務所で、根性は嫌ってほどついたんだから。


「父様の遺産が欲しいのなら好きにすればいい。お金なんて私はいらない。ただ、家だけは引き取るわ」


 お金も、地位も、私はいらない。

 ただ、家族との思い出が詰まった家だけは、この人たちに踏みにじられたくない。


「私の大切なもの、あなたたちの好きにはさせない」


 叔母様は顔を真っ赤にさせて拳を握る。


「な、なんですって!!」


 叔母様の怒鳴り声が廊下に響く。

 こんな怒っている叔母様を見るのは初めてだ。

 美由はガタガタと体を震わせ縮こまっている。

 正直怖い。だけど私は気を引き締め、叔母様を睨んだ。


「縁を切ってくださっても構わない。私はあなたの思い通りには絶対にならないわ。父様のことだって、父様のせいじゃないってことを探し出してみせる」

「このぉ……」


 叔母様が私の胸ぐらを掴んだ。


「私に歯向かってんじゃないわよ!!」


 手を挙げ、私へ向け振り下ろす。


 ──ぶたれるっ。


 私はギュッと目を瞑った。



 頬を叩かれる、と思っていたけど、肩と背に温もりが触れる。グッと力強く引き寄せられた。

 恐る恐る目を開けてみると、叔母様が目を見開いている姿が見えた。


「俺のツレに何してるんだ?」


 律の声。

 チラッと後ろを見ると、近くに叔母様のことを睨む律の顔があった。彼は私を抱き、叔母様の腕を掴んでいた。


「もう一度聞く。俺のツレに何をしてるんだ?」


 威圧的な律の声に、叔母様は恐怖するように後ずさりした。


「ふ、ふん。家はあなたの好きにすればいいわ。あんなボロ屋敷を欲しがる人なんて、あなたくらいですからね。その代わり、他は全て私の物よ! 縁も今日限りで切るわ! いいわね!!」


 そう言い放ち、叔母様は美由を連れて逃げるように立ち去っていった。


 律に睨まれても、お金のことだけはちゃんと言っていくなんて。流石というか、もう感心すら覚える。

 まぁ、なにはともあれ。

 律から体を離し、彼の方を向く。


「ありがとう。助けてくれて」


 笑っていうと、律は呆れたように腕を組んだ。


「本当に、お前は行く先々で問題に遭遇するな」


 返す言葉もない。毎度毎度、律には迷惑をかけてる。


「あれ、お前の親類か?」

「うん、叔母と従姉妹。けど、もう他人だけどね」


 あの人なら絶対に縁を切るだろうし。


「いいのか?」


 律は私の瞳を探るように見つめてきた。


 心配、してくれてるのかな。叔母様たちと縁を切るということは、私にはもう完全に家族がいなくなってしまうということだから。


「うん。いいの」


 私はニコッと笑う。


 叔母様たちは血の繋がりはあるけど、今を捨ててまで一緒に居たい家族とは思えない。私にとっての家族は、もう見つけてしまったから。


「叔父様と縁を切ることになるのは、寂しいけどね」


 何かと私を気にかけてくれた叔父様。彼にはこんなことになってしまって、申し訳ないと思う。また話せる機会があればいいのにな。


 律は黙ったまま私の頭を撫でてきた。その仕草が、いたわってくれているようで、少し照れくさい。


「でも、どうしようかな。勢いで家は私のものだって言っちゃったけど、今の私じゃ持て余しちゃうな」


 一人で住むには広すぎる。結局は売ることになってしまう。出来ることなら、あの家を知らない他人に渡したくはないんだけどな。


 そう思っていると、律が何か考え込んだ。


「貸すってのはどうだ?」

「貸す?」

「お前が家を使うようになるまでな。そうすれば、手放さずに済むだろ」


 そりゃあそうだけど。


「そんな簡単に貸し手なんて見つかるかな?」


 屋敷と呼ぶには小さめの家だけど、普通からしたら大きい。そうそう貸し手が見つかるとは思えない。


「それならあてがある」

「え、ほんと?」

「十和子に貸せばいい」

「え?!」


 十和子って、十和子さんだよね?


「でも、十和子さんってあんな立派な家に住んでるじゃない。必要ないでしょ」


 別荘にするには少し遠いし。


「それなら問題ない。あいつは一つの場所に居座らないんだ」

「と、いうと?」

「直ぐに住む場所を変えるんだ。今のも確か五件目だな」


 それはそれは。十和子さんの意外な一面の発見だ。


「迎えに来た時にでも聞いてみろ。一つ返事で決まるだろうよ」


 そう言いながら、律はネクタイを緩めた。


「これで問題は解決か?」

「え、まぁ」

「なら帰るぞ」


 そう言って、律は私の肩を抱いて歩き始めた。


「え、えっ?! どど、どうしたの?!」


 思わぬ事態に体温が一気に上がる。

 律がこんなことしているなんて。明日は雪でも降るんじゃないだろうか。


「あ? 足いてぇんだろ? だから大人しくしてろって言ったんだ。仕方ねぇから支えてやる」


 そう言い放ち、律は前を向いてしまった。


 え、もしかして、途中で置いていったのは、私の足を気遣っていたから?


 ますます体温が上がり、心臓が痛いくらいバクバクいう。

 たまにこうやって気遣ってくれる。普段は気遣いなんて全くしないくせに。

 こんな風にされたら、ますます好きになってしまうじゃない。

 私の気持ち、律に伝わってないよね?

 横顔を伺ってみるが、表情は全く変わっていない。


 こんな機会、滅多にない。ここは堪能しておいた方がいいよね?


 私は気づかれないよう、少しだけ律の肩に頬を寄せた。

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