五
「あら、律君じゃない」
「お久しぶりです」
「ほんとうに。よく十和子さんと来ていたのに、いきなり来なくなるんだもの。とても寂しかったのよ」
「アハハ、すみません」
今私の隣にいるのは、本当に律なんだろうか。奥様相手に、爽やかな笑顔と丁寧な対応。まるで別人だ。
「あら、初めて見る子ね」
「あ、えっと」
話題が私の方へ向き、返事をしようとしたけど、なんと言っていいのかパッと浮かばなかった。
「僕の所で働いてくれている葉月です。ほら、ご挨拶を」
「は、葉月と申します」
ぺこりと頭を下げると、奥様は気分を害した様子もなく笑顔を向けてくれた。
「では、他の方にも挨拶をしなければいけないので、僕らはこれで」
「あら、残念ね。後でお話がしたいわ。大丈夫かしら?」
「ええ、是非」
奥様に頭を下げながらその場を離れる。
「はぁ……」
緊張が一気に解けてため息が出る。
「なに疲れてんだよ」
「イテッ。何するのよ」
頭を叩かれたので律を睨むと、彼も私を睨み返す。
「お前はほとんど突っ立ってるだけだろうが。疲れる要素は全くないだろ」
「うっ。そ、そうだけど」
全くその通りだから言い返せない。
だって、こういう場で挨拶なんてしたことないんだもの。父様と来た時は、父様が私を紹介した時に頭を下げるくらいしかしなかったから。
「やぁ、律君じゃないか」
男が声をかけてくる。すると、律はさっきまで私を睨んで悪態をついていたのが嘘のように、ニコッ笑みを浮かべて男の方に向いた。
「お久しぶりです。覚えていて頂けて光栄です」
「君みたいな好青年を忘れる方が難しいよ。最近の若者には、君のような者はなかなかいないからね」
「ありがとうございます」
この変わりよう、詐欺すぎる。
「葉月ちゃん?」
名前を呼ばれ、振り向く。
「あれ、中島さん」
驚き顔で私を見る中島さんは、いつもより綺麗な制服に身を包み、髪もきちんと整えている。
「どうして中島さんがここに?」
「上司のお供で来てるんだ。だけど、上司とはぐれちゃってね。知らない人だらけですごく不安でさぁ。いやぁ、知り合いがいてほっとしたよー」
笑う中島さん。こっちこそ、知り合いがいてほっとした。
「葉月ちゃんはどうして? 律君までいるし」
「私達は知り合いの代わりにね」
「おい」
話していると、律が割り込んできた。さっきの男との話が終わったのか。
「ごめんね中島さん。私行かなきゃ」
「あ、ううん大丈夫だよ」
手を振って中島さんと別れる。
「いや、お前は来なくていい」
「え?」
律の言葉に、手を振る手が止まる。
「中島、どうせ今暇なんだろ?」
「暇ではあるけど」
「じゃあコイツの相手してやれ」
「ちょっ、ちょっと律?!」
慌てて律の腕を引くと、律は私を見る。
「どうせいてもいなくても同じだろ」
「そ、それは……」
確かに、律と一緒にいても飾りのように立っていることしかできないけど。
「邪魔にならねぇところで大人しくしてろ」
「だ、だけどっ」
「中島、頼んだぞ」
私の言葉なんて全く聞かず、律は行ってしまった。
去っていく律の背を見ながら拳を握りしめる。
なによ。そりゃあ、いても役にはたたないけど、あんな言い方ないでしょ。
「は、葉月ちゃん……」
気まずそんな中島さん。そんな彼に、苦笑いを向ける。
「ごめんなさい、なんか巻き込んじゃって」
「いや、全然構わないんだけど」
中島さんはポリポリと頭を掻く。
「えーと。あ、お腹すいてない? 何か取りに行こっか」
「そうですね」
***************
ご飯を取り、人の少ない所へ行く。
「これ美味しいんだよ」
お肉を掲げながら笑う中島さん。
勧められたお肉を食べてみると、柔らかく、よく味がしみていて美味しい。
笑みがこぼれた私を見て、中島さんがホッと息をついた。
「それにしても」
ほかの料理も美味しくて、どんどん食べていると、中島さんがまじまじと見つめてきた。
「今日の葉月ちゃんは、雰囲気が全然違うね。普段も綺麗だけど、洋装もなかなか……」
「アハハ」
鼻の下を伸ばす中島さんに、苦笑する。
毎回この人は大袈裟だな。
「あ、今冗談だと思ったでしょ」
「そりゃあそうよ。誰にでも同じこと言ってるんでしょ?」
「酷いなぁ。こんなこと葉月ちゃんにしか言わないに決まってるじゃないか」
「ありがと」
中島さんはムゥと眉間に皺を寄せる。そして、ハァとため息をついた。
「いつになったら、僕の気持ちは君に届くんだろうね」
「え? どういう意味?」
首を傾げると、中島さんはもう一度ため息をついた。
「葉月……ちゃん……?」
声がして顔を向けると、目を丸くし固まっている男が私を見ていた。この人は……
「武藤さん……?」
名前を呼ぶと、武藤さんはもう一度は目を丸くし、顔をくしゃりとした。
「あぁ、本当に葉月ちゃんなんだね」
「は、はい」
武藤さんは近づいてきて、私を見つめる。
「元気そうでよかった。行方が分からなくなってる、って噂で聞いたから、ずっと君がどうしているのかと心配していたんです」
笑みを浮かべる武藤さんに、微笑みを向ける。と、肩を叩かれ、中島さんが耳元に近づいてきた。
「葉月ちゃん、この人は?」
「私の知り合いなの」
「軍人だよね? どうしてそんな人と」
「ちょっと、ね」
武藤さんは、父様の部下だった人。私が小さい頃からずっと父様の元にいて、家に遊びに来ることもよくあった。その時は、遊び相手をしてもらったっけ。
武藤さんに向き直り、ニコッと笑う。
「すみません、心配かけてしまって。武藤さんの方は……」
チラッと彼の腕を見る。白い布で吊った左腕。武藤さんは父様の補佐をしていた。だから、あの時も一緒にいたはずだから、この怪我は……
「あぁ、これですか」
私の視線に気づき、武藤さんは腕を少し上げた。
「大袈裟に見えるけど、全然大したことないんですよ」
ニッと笑う武藤さん。
大したことない、だなんて嘘だ。あの事件の時、部下の人たちは大体怪我をしただけだったけど、みんな重傷で病院に運ばれたって聞いた。
「ごめん、なさい」
私は武藤さんに深く頭を下げた。
父様が妖に取り憑かれてやった事とはいえ、大怪我をさせてしまったのだ。怪我した場所が悪かったら、仕事を失ってしまったかもしれない。
「葉月ちゃん、顔を上げてください」
恐る恐る顔を上げると、武藤さんは私のことを優しげな目で見ていた。
「謝る必要なんてありません。僕は、今でも近藤さんがあんなことをしたこと、信じられないんです。だって、あの人はこっちが心配になるくらいお人好しで、優しい人だったんですから」
父様のことを思い出す。
強面で無口な人だったから、怖い人だと勘違いされることもあったけど、本当は世話好きのお人好し。一度関わったら、とことん構い倒す人だった。だから、父様を慕ってくれる人は沢山いた。
「葉月ちゃん」
武藤さんが私の手を握りしめる。
「僕や他の奴らも、近藤さんに救われた。ずっとあの人と過ごしてきた。だから、あの人はなんの理由もなく、僕らや家族を傷つける人じゃないって信じてます。それを君に伝えたかったんです」
涙が出そうになる。
父様のこと、信じていてくれる人たちがいた。私だけじゃ、なかった。
「ありがとう、ございます」
声が少し震えてしまったが、精一杯笑顔で武藤さんを見た。彼は、嬉しそうに笑う。
「何かあったら連絡して下さい。何か力になれるのなら、何でもします。あなたは僕の恩人の娘さんですから」
「はい。ありがとうございます」
武藤さんは私に連絡先を書いた紙を渡して、去っていった。
「えっと……」
中島さんが戸惑うように頬を掻く。
「何のことだかさっぱりだけど、よかったね」
微妙な笑みを浮かべる中島さんに、私は吹き出しながらニッと笑う。
「はいっ!」




