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椿堂物語《完結》  作者: アレン
六章 夢と幻
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叫んだ瞬間、景色が歪み、皆の姿が消えた。

居間は薄暗い林に変わり、私一人が取り残された。

今までのは、全部幻だった。だけど、さっきまで見ていた全てが、本物のようだった。笑顔も、温かさも、全部……

視界が歪み、ポロポロと涙がこぼれる。


「うぅっっ」


私はその場で泣き崩れた。


もう一度取り戻したい、と願うあの時間。幸せだったあの頃が、もう二度と戻らないものなのだと知らしめられたようだ。

分かってた。もう戻らないことくらい。だけど、心のどこかでは、もう一度取り戻せるんじゃないかと思っていたのかもしれない。


「おい」


声がし顔を上げると、律が私を見下ろしていた。


「律……」


律は私の顔を見て、眉をひそめた。


「なにがあった」


私は黙ったまま俯く。すると、律はしゃがんで私の顔を覗き込んできた。


「何か見ちまったのか」


そう言って、律は私の頭を撫でてきた。

驚いて顔を上げるが、グッと力を入れられ、頭を下げられてしまう。

頭を撫で続ける律の手つきは優しく、温かい。

もしかして、私が泣いてたから慰めてくれているんだろうか。そう思うと、また涙があふれだした。

そのまま私はまた泣いた。その間も、律は頭をなで続けてくれた。






泣きやみ、鼻をすすると、律が手を離した。


「ここはむじなの創った空間だ」

「むじな?」

「狸の妖怪の一種だ。自分が創り出した空間に人間を連れ込み、その者が心に残る情景を幻として見せ、空間に閉じ込めるんだ」

「幻……」


さっき見ていたもののことだろう。あれは、狢が見せていたものだったのか。


「あれ。なんで私、そんな空間の中にいるんだろ」


それらしいものに会った記憶ないんだけど。


「神社の林、あそこに狢の空間があったんだ。林で倒れたとかで、お前と太一をあの坊さんが連れ帰ってきた」

「そうだったんだ」


まさか、あの林が空間だったなんて。私達は、自分から入り込んでしまったみたいだ。


「てことは、太一もここに?」

「あぁ、あの娘もな。太一の方は蓮司が探してる。合流するぞ」

「あ、うん」


立ち上がって歩き出す律に、私は慌てて追った。




「でも、どうして鈴ちゃんは狢の空間に囚われちゃったんだろ」


そう聞くと、律はこちらをチラリと見る。


「人間、誰しも帰りたいと思う時がある。そういう心の弱みに、狢は漬け込んでくんだ」

「帰りたい、時……」


さっきまで見ていた幻。あれは私が帰りたいと

思っている時間だった。


今が嫌というわけじゃない。だけど、出来るのなら戻りたい時……



「あの娘、身内が死んでからおかしくなったと言ってただろ。恐らく、そのせいで狢を呼び寄せちまったんだろうな」

「そっか」



鈴ちゃんにとって、亡くなったおじいさんは唯一の家族だと言っていた。

そのおじいさんが亡くなってしまったことは、彼女とっては、狢を呼び寄せてしまうほどのことだった。その気持ちは、私にも分かる。



「きっと、おじいさんに会いたいと思ったんだろうね」


私が思っているように。



私の言葉に、律は何も返してこなかった。

ただ、ふと合った目が少し悲しみを帯びているように感じた。




暫く無言で歩いていると、辺りが暗くなってきた。なんだか周りの雰囲気も変わっている気がする。よく見てみると、木の種類が先程までと変わっているような……



「ねぇ、律。なんかおかしくない?」


怖くなって、律の服を掴もうとした。でも、手は服を掴むことなく、空を掴む。


「え?」


驚いて顔を向けると、前を歩いていた筈の律の姿が何処にもない。慌てて周りを見回すが、やっぱりいない。



うそ、はぐれちゃった?

それとも、まさかまた狢の幻の中に……


さっきと幻を思い出し、恐怖で体が震える。



またあんな幻を見るの?

また、戻らないと突きつけられるの……?



そんな考えが浮かんだけど、フルフルと首を振って考えを頭から追いやる。


大丈夫、大丈夫。全部幻なんだから。

それに、さっきまでそばに居たんだから、律も同じ幻の中に囚われているはず。



私は一つ大きく深呼吸し、もう一度周りの状況を確認する。


見た感じ、特に危険そうなものはない。何処も彼処も木ばかりで、林の中なのだということは断定できる。

目を凝らして見てみると、遠くに開けた場所があった。

私は取り敢えず、そこに向かおうと歩いた。



歩いていくと、林から出て広い場所に出た。


ここは、丘の上?

見える景色は見覚えのないもの。

これは私の記憶のものじゃない。と、いうことは、もしかしてこの幻は……



「ねぇ」


ふと少女の声が聞こえた。

丘の中央辺りに少女と少年が座っている。少女は黒く長い髪を風で揺らし、少年に向けてニコリと笑う。


「律は、私のお婿さんになってくれるんだよね」


少女の言葉に、少年は真っ赤な顔をして目を丸くする。彼の綺麗な赤髪と同じ、赤に。


「う、うん。将来、僕はゆりをお嫁さんにするよ」

「本当?!」

「うん」


少女は嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、少年の手を握る。


「約束よ。律」


言われた少年、幼い律は、少女に向けて照れた笑顔を浮かべる。



あれは、律の小さい頃?

じゃあ、もしかしてこの幻は律の記憶ってことなのかな。


そう考えると同時に、ズキリと胸が痛んだ。



これが律の記憶なら、今私が見ている光景は実際にあったこと。あの『ゆり』って子も……



二人のことを眺めていると、グッと何か強い力で後ろに引っぱられた。目の前の光景が歪み、頭をかき回されているような感覚が襲ってきて、吐き気がする。


なんなのこれは。

これも狢の仕業だっていうの?!



私はどうすることも出来ず、ただなすがまま。



「ゆり、本気か?!」


律の怒鳴り声が聞こえ、私は必死に力に抵抗して顔を向けた。


歪む景色の中に、私の知る見た目の律と、成長し綺麗になったゆり、そしてその後ろに顔を布で隠した真っ白な集団が見えた。


「律…… なんでそんなに怒るの?」

「当たり前だ! なんでお前が祭りの巫女なんかに。あんなもの、ただの人柱じゃねぇか!」

「律、大袈裟だよ。ただ少しだけ刀神様の声を聞かせて頂くだけ。明日には帰ってくるから」

「ゆりは分かってねぇ! わけ分かんねぇものを受け入れるなんてこと、やる意味ないだろ!」


そう怒鳴った律は、ゆりの腕を掴もうとしたが、白の一人に阻まれた。


「巫女様の大事なお身体に触れるな。お前ごときが触れて汚されてしまい、儀式が失敗などしてみろ。村の未来に関わるのだぞ」


白の言葉に律は表情を歪め、グッと唇を噛んだ。


「勝手にしろ!」

「律っ」


律は駆け出し、残されたゆりは悲しげに彼の背中を見ていた。




いきなり強烈な吐き気が襲ってくる。私はギュッと目を瞑った。また体が引っぱられ、それに抵抗せず身を任せる。



ゆりの最後の瞳。あれは好きな人を見る目だ。

彼女が幼かった時の目よりもっと深く、心から想っているような。それに、律も……

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