一
「暑い……」
私は汗を拭いながら、顔を手で仰ぐ。夏だから暑いのは当然だけど、今日は一段と暑い。早いこと用事を済ませて、家に帰って冷たい水を浴びたい。
私は椿通りを歩き、団子屋に向かった。
「葉月ちゃん。いらっしゃい」
「どうも」
店はお客でいっぱいで、美枝子さんは忙しそうに動き回っていた。
これはしばらく待った方がいいかな。そう思い、私は隅に寄り、人が少なくなるのを待った。
徐々に人が減っていき、最後のお客が店を出る。
「待たせて悪かったね。何がいい?」
「いえ、大丈夫ですよ。いつものお願いします」
笑みを向けてきた美枝子さんに、私も微笑み近づく。
「相変わらず繁盛してますね」
「まぁね。有難い事だよ」
ここの団子は本当に美味しくて、椿通り以外の人も買いに来るほど。だから、お客さんは絶えず来きていて、たまに今日の様に美枝子さんだけでは大変そうな時がある。
「一人じゃ大変そうですね」
「まぁね。出来れば、もう一人居てくれたら助かるんだけど、なかなかね」
「そうなんですか」
「ま、何とかなるさ。はい、いつものやつね」
「ありがとうございます」
袋を受け取り、代金を払う。その間にも、お客が店に入ってくる。私は邪魔にならないよう、店を出た。
帰り道、歩いていると元気そうに走る子供達とすれ違う。太一と同い年くらいだろうか。
その姿に微笑みつつ、私は家へ急いだ。
「ただいま。買ってきたわよ」
事務所へ行くと、ソファーに寝転ぶ律と、本を片付けている太一が私の方へ目を向ける。
「やっとか」
欠伸をしながら起き上がる律。私は彼を睨んだ。
「また太一に仕事押しつけて。寝るなら、一緒にやればいいじゃない」
「うるせぇな。仕事くれって言ったのは太一だ」
私の言葉に、律は鬱陶しそうに顔を背けた。その態度にため息をつきつつ、私は太一の方へ行く。
「半分ちょうだい」
「いいよ。ほんとに、僕がするって言ったんだから」
「いいから」
遠慮する太一に微笑んで言うと、太一も頬を緩めた。
二人で本を片付けている間、律は自分の机に座り、また欠伸をしていた。
「さて、これで終わりね」
全て片付け、二人で笑い合う。
「じゃあお茶でも飲みながら、お団子食べようか」
「うん」
嬉しそうに笑った太一。私は、頭を撫でてやる。
「俺のはここに持ってこいよ」
こちらに目を向けないまま言ってきた律に、カチンと頭にくる。
私は、太一にニコッと微笑む。
「命令だけで、何もしない奴はほっといて、私達だけで食べようか」
「あ゛ぁ?」
睨みを向けてきた律を無視し、私は太一の手を引いて部屋を出た。
「いいの? 葉月姉ちゃん」
心配げに聞いてきた太一に、私は微笑んだ。
「大丈夫。後でちゃんと持っていくから」
ちょっとは反省すればいい。まったく、律は太一を使い過ぎなんだ。
美味しそうに団子を頬張る太一を眺めながら、帰りに見た子供達を思い出す。
「太一は、外で他の子と遊ばないの?」
「ふぇ?」
首を傾げる太一。口いっぱいに団子を食べている彼に微笑みつつ、私は口元についたあんこを取ってやる。
「ずっと手伝いばかりでしょ? 遊んできてもいいのよ?」
太一は口の中のものを飲み込み、ニッと笑った。
「いいんだ。僕、兄ちゃんと姉ちゃんの手伝いするの好きだから。それに、蓮司兄ちゃんや千恵姉ちゃんが遊んでくれたりするから、大丈夫」
「そうだけど……」
ここに蓮司や千恵が来る度、太一の遊び相手になってくれている。まけど、それでいいのだろうか。ちゃんと、人間の友達をつくるべきなんじゃないのかな。
「それにさ」
太一は小さく呟き、目を閉じた。
「僕なんかがここに居られることだけで、奇跡みたいなことなんだから。それ以上は望まないよ」
悲しげに言った太一。私は首を振り、彼の肩を掴む。
「なんてこと言うのよ。何でも望んでいいのよ? 友達だって、やりたい事だって」
私の言葉に、太一はただ悲しげに微笑むだけだった。
ここに来てから随分経ったけど、太一の中ではまだ、ここへ来る前の記憶が根強く残っているのだろう。
過去が、彼を縛りつけている。悲しいけど、それを私達では取り除けないのかもしれない。
なにか、太一にとって進むきっかけがあればいいんだけどな。
律用のお茶と団子をお盆に乗せて事務所に持っていくと、蓮司の姿があった。
「やぁ葉月ちゃん、久しぶり」
手を振る蓮司に、私は微笑みつつお盆を律の机に置く。
「ちょっと待ってね。すぐお茶いれてくるから」
蓮司が居るってことは、千恵と爺やさんも来てるのかも。最近は、三人一緒に来ることが多いからな。
「あ、いいよ。すぐそっちに行くから」
そう言いながら、蓮司は懐から手紙を取り出した。
「これ、依頼書。至急の依頼みたいだぞ」
手紙を受け取った律は、すぐに中を確認する。
「なるほどな」
律は立ち上がり、私を見た。
「明日出るぞ。準備しとけ」
「は?」
それだけ言って、律は部屋を出ていった。
一体どういう事なんだ?
蓮司の方を見ると、やれやれと言うふうに笑った。
「京都に行くんだよ。依頼先は、京都の山奥の村なんだ」
「京都?!」
いきなり京都なんて。しかも明日って言ったよね。
「まぁ心配しないで。汽車の手配はしてるから」
笑う蓮司に、頭を抱えたくなった。
その心配をしてるんじゃないんだけど。いや、それも心配だったけどさ。
まぁ、律の無茶苦茶はいつもの事だ。私があれこれ言ったって、変わらないんだから。
私はため息をつき、律の机を見る。いつの間にか団子とお茶は全て無くなっていた。
一体いつ食べたんだか。
私はお盆を持って、部屋を出た。
「うわぁー」
真っ黒で大きな汽車の前で、子供達が興奮気味に集まっている。その太一もその集団の後ろの方で、目をキラキラとさせている。
「おっきいね!」
「ほんと! こんなのが動くなんて、信じられないわ」
ついでに千恵も一緒になって騒いでいた。私は二人を少し遠くで眺める。
「千恵も汽車初めてなんだ」
「あいつ家からあんまり出ねぇからな。葉月ちゃんは初めてじゃないんだ」
「うん」
小さい頃、父様に連れられて色々な所に行っていたから、汽車にも何度か乗ったことがある。
「蓮司は乗ったことあるの?」
「一回だけな。汽車が初めて出てきたときに、律引っ張って乗りに行ったんだ。懐かしいなぁ。あの時はホームに人が居すぎて、進めなくて大変だったんだよ」
懐かしそうに言う蓮司。汽車が出てきたときって、一体何年前の話なんだろうか。
苦笑いを浮かべつつ、私は蓮司の腕を引っ張る。
「そういえば、どうして蓮司と千恵も一緒に?」
馴染みすぎてここまで聞きそびれてたけど、どうして二人がここに居るんだろう。まぁ賑やかになるからいいんだけど。
「京都には俺らの実家があるから、色々案内してやれるだろ?」
「へぇ。蓮司たちって京都出身なんだ」
「おう。鞍馬山に家があるんだ」
鞍馬山か。そういえば天狗が居るので有名だったけ。
「あれ、じゃあ何で爺やさんいないの?」
いつも千恵に着いて来るのに、今日は姿が見えない。
「爺やは汽車嫌いなんだよ。飛んで先に京都に行ってるってさ」
「へぇ」
汽笛が鳴り、辺りが騒がしくなる。
「おい、行くぞ」
ずっと黙っていた律が、そう言って荷物を持ち、汽車の方に向かう。
「ちょっと待ってよ。おーい、太一、千恵行くよー」
「「はーい」」
汽車に乗っている間、太一と千恵はずっと上機嫌だった。
そしてついに京都に到着。
「やっと着いたぁ」
背伸びをしながら扉を出る。と、出た瞬間誰かにぶつかってしまった。
「っと、ごめんなさい」
謝りながら顔を上げ、私は固まった。
がたいのいい男の人。私を見下ろす顔は、鋭い目つきと顎の髭で迫力がすごい。
「あれ。銀二じゃないか。どうしてここに?」
固まる私の後ろから、蓮司が顔を出して目を丸くする。蓮司の知り合い?
「若! やっと見つけましたよ」
銀二さんは私を押し退け、蓮司に掴みかかった。
「一体今まで何処にいたんですか。皆心配しているんですよ!!」
「え、いやぁ」
詰め寄る銀二さんに、苦笑を浮かべる蓮司。私は二人を唖然と見つめる。
「あれ、銀二さんがどうしてここに」
出てきた千恵も、銀二さんを見て驚いた顔をした。
「千恵も知り合いなの?」
「うん。蓮司の側近の一人なの」
おぉ、流石次期当主。普段忘れそうになっちゃうけど。
「でもどうしてここに居るのかな。蓮司も私も、京都に来るって伝えてないのに」
不思議そうに首を傾げる千恵。
「私です!」
そう言いながら、烏が降り立った。
「爺やじゃない。どうしてここに」
「いい加減蓮司様に帰ってきて下さらなければ、皆心配で胃に穴が開いてしまいます」
「それは言い過ぎじゃあ……」
胸を張る爺やに、苦笑を浮かべる千恵。
「さぁ若、帰りますよ」
「俺帰らないぞ。やることあるんだよ!」
首を振りながら逃げようとする蓮司と、連れて行こうとする銀二さん。
繰り広げられる騒ぎに、私は唖然を見つめる。
えっと、これどうすれば……
「おい、行くぞ」
腕を引かれ振り向くと、律が太一と私の手を引いて歩き始めた。
「え、蓮司達置いてくの?」
「放っとけ」
私と太一は蓮司達を見つつ、律に引きずられていく。と、蓮司と目が合った。
「え、ちょっ。置いてくなよー!!」
「逃げないでください若」
叫ぶ蓮司の声は、ホームに響いた。




