三
案内された部屋には、ソファーとテーブルが置かれてあった。おそらく客間なのだろう。持ってきたティーセットを置き、ソファーに座る。時子さんも座って、紅茶をカップに注いでいった。
「お砂糖おいくつ?」
「一つでお願いします」
「分かったわ。はい、どうぞ」
カップを受け取り、一口飲む。独特の風味が口に広がった。
「美味しいです」
私の言葉に、時子さんは笑みを浮かべた。
「これ、海外の物なのよ。お口にあって良かったわ」
そう言いながら紅茶を飲む。その時、腕の鈴がチリンと音を鳴らした。
「あの、その鈴って」
「これ?」
鈴を指さした時子さんに、私は頷いた。
「昔飼っていた猫のものなの。もう随分昔だけどね」
「そうなんですか」
「真っ白い猫でね。主人もすごく可愛がっていたの」
そう言いながら鈴を撫でる。
「だけど、あの蔵で起きた火事で死んでしまってね。いつも蔵を遊び場にしていたんだけど、ランプが倒れて火がついてしまったみたいで。気づいた時には、もう火が完全に燃え広がってしまっていたの」
時子さんは悲しげに微笑み、手をギュッと握った。
「何もできなくて。今でも、鳴き叫んでたあの子の声を憶えているわ」
「そう、だったんですか……」
悪いことを聞いてしまったな。だけど、これで分かったことがある。何度か見た猫は、話の猫と同一だろう。幽霊にでもなって、今だここを離れられないのだろうか。それとも、今回のことに関わっているとか……?
「もしかしたら、私達のことを恨んでいるのかもしれないわね」
そう小さく呟いた時子さんの言葉は、後悔の滲む悲痛な声だった。
そんなことない。そう言いたいけど、言い切れなくて、私は黙ったまま俯いた。
「ごめんなさいね。嫌な話になってしまって」
「いいえ。私が聞いたんですから」
首を振った私に、時子さんは微笑んだ。
「おかわりは?」
聞かれて、紅茶がすっかり冷めてしまっていたことに気づく。私は残りを飲み干し、カップを渡した。
「今度は私が質問していいかしら」
「はい」
私は、渡される紅茶を受け取りながら頷く。
「葉月さんは、どうして探偵事務所に?」
「どうして、とは?」
「貴女位の年で働いているのは普通の事だわ。だけど、貴女はどこか名のある家の出身なんじゃないかしら」
私は目を見開いた。そんな私を見つつ、時子さんは続ける。
「ちょっとした仕草から、ちゃんと作法を学んでいるんだって分かったの」
「そう、ですか……」
「これは私の好奇心で聞いている事だから、無理に答えてとは言わないわ」
そう言って言葉を切った時子さんを、私は見つめる。
そして、フゥと息を吐き、カップをテーブルに置く。
「時子さんの言う通り、私は少し地位のある家の出身です。父が軍でそこそこの階級でして」
「まぁそうなの。お父様は貴方が働くことに賛成されているの?」
その問に、私は一瞬戸惑った。でも、笑みを浮かべる。
「父は、少し前に亡くなりまして」
「そうだったの……」
謝ってきた時子さんに、私は首を振った。
「それから、色々ありまして。所長に助けられて、その恩と、まぁその、色々返すために探偵事務所て働いているんです」
「そう。じゃあ、そのペンダントはお父様との思い出の物なのかしら?」
時子さんが言ったのは、私が付けている物。そうなんだけど、なんで分かったんだろう。
「お父様の話をしている時、握っていたからそう思ったの」
「あぁ」
無意識に触ってたみたいだ。
「小さい頃に貰って、それからずっと付けているんです」
「そうなの。貴方みたいな娘さんがいるんだもの、お父様は立派な方だったのでしょうね」
「……はい」
ニッコリ笑った時子さんに、私はペンダントを握りながら微笑んだ。
それから、太一と春さんが来て、四人でしばらく話をした。
「もうこんな時間になってしまったのね」
そう言った時子さん。部屋にある時計を見ていると、夕暮れ時だった。
「そろそろ帰ろうか」
私と太一は立ち上がる。
「あぁ、葉月さんちょっと待って」
時子さんを見ると、彼女は鍵を取り出した。それはあの蔵を開けるための物だ。
「これ、貴方にお貸ししておくわ」
「え、でも」
「明日も私が案内できるか分からないから。問題が解決したら、返してくれればいいわ」
そう言われたら断れない。私は有り難くそれを受け取った。
「ねぇ、太一先に帰っててくれる?」
「え?」
表通りに出て、私は太一にそう言った。太一は不思議そうな顔を向けてくる。
「ちょっと忘れ物しちゃった」
「もう暗くなっちゃうよ。僕もついて行かなくていいの?」
「大丈夫。そんなに遅くならないから」
手を振り私は元来た道を戻る。太一は心配そうな顔をしていたものの、私を見送ってくれた。
しばらく進んで、歩みを止める。クルリと体を後ろに向け、また歩き出す。
表通りに出て、椿通りとは反対に進む。いくつか通りを抜け、ある路地裏にたどりついた。薄汚れた壁に、埃っぽい空気。私はそこにしゃがみこみ、顔を膝に埋めた。
立派な人、か。
時子さんとの話を思い出す。
私にとっては、父様は立派な人だ。だけど、世間からしたらそうじゃない。
ギュッと手を握り、身を小さくする。
「おい、何してんだ」
ふと頭上から声を落とされた。顔を上げると、腕を組み、私を見下ろす律と目が合った。
「律? なんでこんな所に」
「あぁ? 団子が食べたくなって、たまたまここを通っただけだ。文句あるか?」
団子って。律がいつも食べるのは、椿堂にある団子屋さんのだ。ここを通る必要なんてない。
「逢魔が時にこんな所に居て、取り憑かれても助けてやんねぇぞ」
そう顔を背けながら言った律に、私は笑みが浮かんだ。そうか、私を心配してくれたの、かな? 多分太一が律に言ったんだろう。
「そうだね。ごめん」
私は立ち上がり微笑んだ。律は私を見ることなく歩き始めた。私はそんな律を追って隣に並ぶ。
「私もお団子食べたいな」
「自分で買え」
「私、お金持ってない」
「チッ。自分で持てよ」
「はーい」
路地裏を律と共に後にする。まるであの時みたいだ。律に助けられた日と。