一
「葉月、これでいいの?」
「うん大丈夫。ゆっくり混ぜてね」
真剣な顔をして、卵をかき混ぜる千恵。なんでも、蓮司に食べさせてあげたいらしく、私が料理を教えてあげている。
あれ以来、千恵はよく家に遊びに来ている。
ついでに、着いてくる爺やさんも来ていて、どうやら太一のことが気に入ったらしく、よく二人で話しているみたい。大体は自慢話らしいが、太一は面白がって聞いているみたいだ。
「葉月姉ちゃん」
「ん?」
太一が台所に来た。爺やさんも一緒だ。
「どうしたの?」
「律兄ちゃんが呼んでるよ」
律が? どうしたんだろう。
「分かった。千恵、あとは焼くだけだから、太一に見てもらって。よろしくね太一」
「うん」
千恵のことを太一に任せ、私は台所を出た。
部屋を覗くと、律だけがいる。珍しい、いつもなら蓮司か中島さんが居るのに。
最近、ここが集会所のように、人が集まっている。中島さんは前からだけど、蓮司と千恵が加わって、凄く賑やかだ。
「何か用?」
中に入って律の元に行くと、黙ったまま数枚の紙を渡された。受け取って見てみると、依頼文のようだ。
「お前行ってこい」
「行ってこい、て……」
私は依頼文に目を通す。
「私じゃ無理なんじゃ」
「なんでだよ」
「なんでって、これ中学校からの依頼じゃない。しかも、生徒に紛れて捜査してほしいって書いてあるし、私じゃ無理よ」
中学校は、尋常小学校を卒業した男子のみが入れる学校だ。そんな所に、女の私が入れるわけがない。
「太一じゃ無理だろ」
「律が行けばいいじゃん」
「なんで俺が」
嫌そうな顔をする律。そんなワガママな。
「校長様直々の依頼だ。受けねぇわけにはいかねぇだろ」
「にしたってさ」
そもそも、中学校の校長が依頼してきたって事も、気になるんだけど。
律はたまに、ビックリするくらい偉い人と知り合いだったりする。この前は、警察のお偉いさんから手紙が来ていたみたいだし。
私はもう一度依頼文を見てみる。
なんでも、最近校内で動物の死骸が見つかっているらしい。それも、相当の数が。もしかしたら、校内に犯人がいるのでは、ということで調べてほしい、とのこと。
「校内のことなら、学校が調べたらいいんじゃない?」
「表沙汰にしたくねぇんだよ。もし犯人が生徒なんてことになれば、記者共が喜んで記事にするだろうからな」
学校の体裁を守る為、ってやつか。
「まぁ心配すんな。対策は考えてやってるから」
ニヤリと口元を上げた律。
嫌な予感しかしない。私は、律に紙を返してやりたい気分になった。
結局律に押しきられ、結局中学校へ行くことになってしまった。
校門には、制服を着た男子が次々と登校している。
ヤバイ、吐きそうかも。緊張で、心臓が口から出てしまいそうだ。人が横を通る度、変な汗が出てくる。
「あのぉ」
声をかけられ、ビクリと肩を震わせる。前を向くと、若い男の人が私を見ていた。
「今日転入してくる人、かな?」
「は、はい」
「よかった。僕は君の担任になる、蘇芳です」
ニコッと微笑んだ蘇芳先生に、私は慌てて頭を下げた。
「律といいます。よろしくお願いします!」
頭を下げた私に、先生は焦った顔をした。
「そんな畏まらないでいいよ」
「はぁ」
蘇芳先生って、なんだか先生としては、ちょっと頼りない印象だ。いい人ではありそうだけど。いや、私の周りの男が、変な人ばっかりだからかな。
「それにしても、律君って可愛い顔をしているね。女の子みたいだ」
笑いながら言った先生。私はその言葉に表情を固くした。
「え、えっと」
「あ、ごめん。失礼だよな、こんなこと言うのは。申し訳ない」
「大丈夫です……」
頭を搔く蘇芳先生に、私は苦笑を浮べる。
「じゃあ行こうか」
歩き出した先生の後を追いながら、気付かれないように息を吐く。
バレたかと思ったよ。
私は息苦しくて、首の襟を少し緩める。
律の言っていた対策というのは、私が男装をするというものだった。
流石に無理があるだろう、と反論したかったのだが、既に制服とカツラが用意されていて、完全に退路を絶たれてしまっていた。
律は、絶対に私で遊んでいる。制服を見て苦笑いをする私を、可笑しそうに笑っていたし。
この他にも対策は用意してるって言ってたけど、どうにも嫌な予感しかしない。
「この時期に転入なんて珍しいね」
「家庭の事情で」
教室に向かう中、蘇芳先生の話に相槌を打ちつつ、私は辺りの様子を伺う。
特別変わった学校じゃない。だけど、空気が悪い。
ちょこちょこ見かける生徒達には、弱い妖怪がまとわりついている。
「さぁここだよ」
蘇芳先生が戸を開けると、中にいた生徒の目線が、一気に私に向けられる。
「転入生の律君だ。色々教えてやってくれ」
先生の言葉に、返事をする人はいない。みんな、私のことを物珍しそうな目で見ていた。
「じゃあ好きな場所に座ってくれ」
「え?」
先生はそれだけ言って、教室を出ていってしまった。正直、このまま放置は辛いんだけど……
私は取り敢えず、空いている後ろの席に座った。その様子を、周りは黙ったまま見続ける。居心地が悪いな。
「あの」
もう帰りたいと思っていると、横から声をかけられた。顔を向けると、眼鏡をかけた男子が、遠慮気味に微笑んでいた。
「初めまして。僕、新一」
「あ、どうも。律です」
「もし良ければ、分からないことがあったら聞いて」
「え、いいの?!」
思わず声を上げてしまった。新一君は、驚いたように目を丸くしている。
しまった、あまりの嬉しさに。
「いいのか?」
改めて聞くと、新一君はホッと表情を緩めた。
午前中の授業をなんとか無事のりきり、私は机に倒れ込む。
疲れた。私は、一応高等女学校に通っていたんだけど、一年くらい勉強をしていないと、少しやっただけで、頭が爆発しそうだ。
しかも、男っぽい振る舞いをずっと意識しているから、精神的疲労が半端じゃない。
これは早く解決しないと、私がもたないな。
「おい、そんな所につったってんじゃねぇよ!」
外から怒鳴り声が聞こえ、何事かと見に行ってみる。少し向こうで、何人かの男子が、倒れる一人を囲んでいる。あれは、新一君だ。
「ご、ごめんなさい」
「あぁ? 聞こえねぇな。ちゃんと話せねぇのかよ」
そう言って、男子達はゲラゲラ笑う。そして、全員で新一君を蹴り始めた。その様子を、周りは見て見ぬふりをし、その場から逃げていく。
「ちょっと!」
私は新一君の元に駆け寄り、男達を振り払った。
「なんだお前は。どういうつもりだ?!」
「それはこっちが聞きたい!」
一人相手に、複数でなんて。しかも、見た感じ新一君が何かをしたという事ではなさそうだ。
私は男子達を睨みつける。
「こんなことして、恥ずかしくねぇのかよ」
無意識に、言葉が出てしまった。ハッと口に手を当てるが、男子達の顔色が変わってしまっていた。
「あ゛?! 今なんつった!!」
明らかに怒らせてしまった。流石に今のはまずかったよね。言葉もだけど、口調が何故か律に似てしまった。
「え、えっと」
「お前、誰に言ってんのか分かってんのか、あ゛?」
穏便に解決したかったのに。
男子達は、私に掴みかかろうとする。
「おい、何やってんだ」
別の声がして、私達の動きが止まる。男子達は、その声の方へ顔を向けた。
「いや、今コイツが俺たちに歯向かってきて」
「そうなのか?」
聞こえてくる声。この声は聞き覚えがある。まさか……
私はゆっくりと顔を上げる。
「涼介さん、どうしますか?」
涼介と呼ばれた男は、ニヤリと口元を上げた。その表情に、私は顔が引きつった。
「お前、生意気だな。俺に歯向かおうってのか?」
嫌味な口調に、寒気のする表情。コイツは、私の幼馴染みの涼介だ。
こんな所で会うなんて。出来れば、一生会いたくなかったのに。
私は、涼介に顔を見られないよう、なるべく俯く。
「コラ! そこ、何をしてるんだ」
顔を少し上げると、向こうから走ってくる蘇芳先生の姿が目に入った。
「チッ、行くぞ」
先生が来たことで、涼介達はその場から立ち去っていった。私はホッと胸を撫で下ろす。
なんとかバレなかった、かな。
「だ、大丈夫?」
新一君が、心配そうに私を覗き込んできた。
「大丈夫。そっちこそ、膝擦りむいてる」
新一君の両膝からは血が出ていて、蹴られたせいで、所々擦りむいている。
アイツら、何でこんなこと。
「大丈夫かい、君たち!」
先生は私達に近づき、新一君の怪我を見て、目を丸くする。
「ど、どうしたんだそれは?!」
「これは」
涼介達にやられたんだ、と言おうとすると、新一君に止められた。
「転んで擦りむいてしまって」
「そうか。手当しないとな、行こう」
新一君は先生の言葉に頷き、立ち上がった。一瞬私に申し訳なさそうな顔を向け、そのまま先生と一緒に行ってしまった。
どうして言わなかったんだろう。完全に一方的な暴力だったのに。
納得がいかないものの、今更何かできるわけでもない。
私は立ち上がる。
あの男子達も、新一君にも、妖怪がまとわりついていた。見た限り、ここの人達はみんなそうだ。
この学校一体どうなってるんだ?
それに、まさか涼介がここにいるなんて。
あぁ、なんて依頼を押し付けてきたんだ、あいつは。
私は頭を抱え、ため息ついた。
補足説明
《尋常小学校》今でいう小学校。男女共に通える。
《中学校》尋常小学校を卒業した人が入れる。男子のみ。
《高等女学校》尋常小学校を卒業した人が入れる。女子のみ。




