五
ほぼ厄介払いの様に、私と千恵さんは家を追い出されてしまった。
「えーと……」
正直、千恵さんと二人きりは困る。どんな人かも分からないし、さっきの印象から、苦手意識が芽生えていた。
「こ、これは……!」
外に出ると、千恵さんは何故かキラキラと目を輝かせていた。その表情は、先ほどの彼女とは真逆の印象だ。
「どうかしましたか?」
聞くと、千恵さんは笑みを私に向けてきた。
「人がこんなにいるなんてっ。私初めて見たわ」
「そうなんですか?」
子供のような笑顔に、私は呆気にとられていた。と、千恵さんはハッとしたような顔をして、表情を厳しくした。
「は、葉月さんでしたっけ。早く案内してくれる?」
また初めの様な態度に戻った。いや、なったのか?
「は、はぁ」
千恵さんって一体どういう人なんだ?
「えぇっと。ここは椿通りって言って、少し地味な雰囲気だけど、いい所なんですよ」
「へぇ」
案内、といってもどうしたらいいか分からず、取り敢えず二人で歩いている。千恵さんは、口調こそ嫌味な感じを醸し出しているものの、目をキラキラとさせていた。
「やぁ、葉月ちゃん」
声に目を向けると、中島さんがこちらに手を振っていた。
「こんにちは」
「偶然だね……って、隣の美人な女性は誰?!」
大袈裟な反応で、中島さんは千恵さんの方を見ていた。
「え。中島さん見えるんですか?」
律の知り合いだから、てっきり妖怪なんだと思ってたけど、もしかして千恵さんは人間なのか? だけど、さっき人を見て驚いてたし……
「あの、この方は……?」
考え込んでいると、千恵さんが私の後ろに隠れていた。中島さんに怯えているみたいだ。
「あっと、この人は律の知り合いの千恵さん」
「そうなんですか!」
中島さんはニコッと微笑んで千恵さんを見た。
「律君の友達の、中島っていいます」
「あれ、中島さんって律の友達なの?」
「葉月ちゃん! そこはつっこまないでよ」
拗ねた顔をする中島さん。千恵さんは、少し安心したのか、私の後ろから前に出てきた。
「律の、友達ですか」
安心した様に、頬を緩めている。その表情に、またズキリと胸が痛んだ。私はギュッと胸元を握る。
「もう少し話をしたいところなんだけど、今日は忙しくてね。また椿堂に寄るから!」
そう言って駆けて行った中島さんに、言葉をかけそびれてしまった。
「ねぇ」
服を引かれ、振り向く。
「律って、人間の友達は他にいるの?」
「え、あっ、私が知る限り、あと一人は」
「そう」
パッと笑みをこぼす千恵さんに、どうにも言い難い気持ちが湧き起こる。こんな風に律のこと気にしている人がいることに、ホッとしている気持ちと、そうじゃない気持ち。何なのこれは。
私は頭のモヤモヤを振り払い、千恵さんを見る。
「千恵さんって人間なんですか?」
聞くと、千恵さんはキョトンとした顔をする。
「いいえ。私は女狐よ」
「女狐? じゃあなんで中島さんには見えてたんですか?」
「狐は化けるのが得意なの。だから、今は人間に化けてるのよ」
あぁ、なるほど。だから中島さんにも見えてるのか。
と感心していると、千恵さんが心配げな顔をした。
「私、ちゃんと人間に化けれてる?」
「え、はい。全然妖怪だなんて分かりませんよ」
「そ、そうっ?」
千恵さんは、嬉しそうな顔をする。その表情に嘘は無さそうだ。
こっちの千恵さんの方が、本当の彼女なんだろうか。じゃあ、なんで嫌味な態度をとるんだろう。今は完全に忘れているみたいだけど。
そう思っていると、千恵さんはまたハッとした顔をした。
「あ、えっと。わ、私お腹が空いたわ! どこか連れて行きなさい!」
思い出したように態度を変える千恵さんが、なんだか可愛らしく見えてきた。こんな態度なのには、何か理由があるのだろう。
「オススメな団子屋さんがあるんですけど、行きます?」
笑って聞くと、千恵さんは首が取れるんじゃないかってほど頷いた。
「こ、これ美味しいわ! こんな美味しい物初めて食べた!」
「ゆっくり食べていて下さいよ」
お団子を頬張る千恵さんに、私はクスクスと笑っていた。
「千恵さんって、どれ位から律と知り合いなんですか?」
「随分昔からよ。蓮司の家に律が来た頃から」
蓮司という言葉が出てきて驚く。彼とも繋がっていたのか。
「律ったら、蓮司の家を出てから全く連絡してこなかったのよ。なのに、蓮司には連絡してたのによ! 酷くない?」
「そ、そうですね」
プクッと頬を膨らませる千恵さんは、とても可愛い。綺麗な見た目に、この性格なんて、勝てる要素が全くない。いや、なんで競おうとしてるんだ?
「葉月さんは、いつから律と?」
「半年くらい前から。助けてもらって」
「そうなの。律ってなんだかんだいって、世話焼きだもんね」
クスクスと笑う千恵さん。
彼女は、律のことをよく知っているんだな。そりゃあ、結構昔からの知り合いだって言ってたし、当たり前か。でも、もしかしたら、千恵さんは……
「千恵さんは、律のこと好きなんですか?」
聞くと千恵さんは笑顔を浮べる。
「ええ」
胸が痛んだ。さっきまでとは比べものにならないほど。そっか、そうなのか。さっきまでの知恵さんの態度は、律の近くにいる私が気に入らなかったからだったのか。
「ねぇ。もしよければ、よければよ? 葉月さん、私の友達になってくれない?」
「え……」
手を差し伸べ、笑みを浮べる千恵さん。
友達、なんて……
千恵さんはとてもいい人だろう。友達になりたいと思わないわけじゃない。
だけど、この手をとりたくない。そんな思いが私の頭を支配する。
「だめ、かしら」
千恵さんは眉を下げる。その表情に、私の心は揺れる。
「あっ、と」
「ダメに決まってます!!」
私が声を発する前に、何かが私達の間に割って入ってきた。それは真っ黒な烏だった。
「千恵様! 貴女ここに何をしに来たのか忘れたのですか?」
羽根をビシッと千恵さんに向けた烏。言葉を話してるってことは、烏天狗って事なのだろうか。
「で、でも。葉月さんとてもいい人じゃないですか。私、前から人間の友達が欲しかったんですもの」
「それはそれ、これはこれ! です。ご自分の立場を思い出されて下され」
「うぅぅ」
渋い顔をする千恵さん。烏は、彼女から私の方に顔を向けた。
「人間ごときが、千恵様の婚約者を誑かすとは! 身の程をしれ!」
「た、誑かす?!」
烏の言葉に、私は目を丸くする。いや、そもそも婚約者って。
「千恵さんって、律の婚約者なの?!」
あいつ、そんな人がいたの? なのに私を家に置いてるっていうのか?
「え、律と?」
千恵さんは何故か驚いた顔をする。私達は、目を見合わせたまま黙り込む。なんだか会話が噛み合ってない気がする。
「律? あの鬼を宿しとる人間のことか?」
「う、うん」
「カー!! あんな人間などが、千恵様の婚約者など、冗談にもならん!」
地団駄踏む烏。彼は、千恵さんの肩に乗り、コホンと咳払いをした。
「この方は、白狐一族の姫君にして、我が烏天狗家次期当主、蓮司様の婚約者様でございますぞ!」
盛大な紹介に、千恵さんは居心地悪そうに、顔を赤らめる。
私はというと、頭が混乱していた。
えっと、つまり、千恵さんは蓮司の婚約者ってこと?
「え、じゃあなんであんな態度を?」
「ごめんなさい。爺やが、婚約者らしい威厳を見せてこいって言って……」
「当たり前です。愛人ごとき、しかも人間などに舐められてはなりませんからな」
爺やと呼ばれた烏は、胸を張っている。
ちょっと待て、なんか良からぬ単語が、飛び出してきた気がするんだけど。
「愛人って、誰のことよ?!」
「そりゃあ、お前に決まってるではないか」
「はぁぁぁ?!」
自分でも驚くくらいの声が出た。
「うるさいよ! 騒ぐなら他でしてくれ」
そのせいで美枝子さんに怒られてしまった。




