四
朝日が眩しい。私は、閉じそうな目を擦りながら、伸びをした。
昨夜、律のことが頭から離れなくて、寝つけなかった。蓮司は、いつもは鬼を抑えてられてるから、心配ないって言ってたけど、どうにも心配で。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、無意識に律の部屋の前で止まっていた。特に変な雰囲気とかはないけど。
私は、中の様子を伺ってみる。と、襖が開けられ、出てきた律と鉢合わせになってしまった。
目が合った律は、これでもかってくらい眉をひそめる。
「朝っぱらから何やってんだ、お前」
「いやぁ……あはは」
律の様子を伺ってみる。昨日の妖気はもう無く、いつもの律だ。だけど、ちょっと顔色が悪いような。
「なんで朝イチにお前の顔、見ねぇとなんねぇんだよ」
「はぁ?」
ため息をつく律に、私はカチンと頭にくる。
こっちは、眠れないほど心配したってのに。
「なによその言い方は! 同じ家なんだから、朝会うなんて当たり前でしょ?!」
律に言い寄ると、彼は表情を歪める。
「叫ぶな。頭に響くんだよ」
苦しげな言い方に、ピンときた。もしかして……
「二日酔い?」
聞くと、律は苦い顔をする。その表情から、私の考えが当たってきるのだと察した。
なるほど。二日酔いで機嫌が悪いから、いつもより突っかかってくるのか。
歩いていく律の様子は、相当調子が悪いみたい。
「昨日あんなに飲むからよ」
机の上にあった、空の大瓶を思い出してそう言った。
「あれは俺じゃねぇよ」
律の言葉に、首を傾げる。
居間へ行くと、既に起きていた太一と蓮司がいた。
「おはよう。葉月ちゃん」
ニッコリと笑って挨拶する蓮司は、快調そうだ。
蓮司は、律を見て吹き出した。
「おまえっ、ほんと酒に弱いよな。一杯だけでそのざまかよ」
「うるせぇよ」
ゲラゲラ笑う蓮司を、律は睨む。だけど、いつもより迫力はない。
なるほど。律はお酒に弱いのか。だから家にはお酒を置いていないんだ。
てことは、昨日の大瓶はほとんど蓮司が飲んだってこと? 相当の量だったはずなのに、こんなピンピンしてるなんて。
とはいえ、本当にしんどそうだ。
私は台所へ行き、朝ごはんの用意をする。私達の分はいつも通りに。律の分だけお粥にした。それに、この前十和子さんに貰った梅干しを、少し潰して入れる。
「はい、どうぞ」
机にご飯を並べる。
「なんだこれは」
「梅干しのお粥よ。二日酔いの時は、梅干し食べると良いらしいから」
律はゆっくりとお粥を口にした。食べた瞬間、少し顔を歪める。
多分酸っぱかったんだろう。私も味見したけど、この梅干しは結構酸っぱい。それでも、律は何も言わず食べていた。
「葉月姉ちゃん物知りだね」
「まぁ、ね」
太一に言われ、私は笑みだけ返した。
実は父様もお酒に弱くて、よく料理長が梅干しのお粥を作っているのを見ていた。だから知っていたのだ。
ご飯を食べ終わると、律は自分の部屋に戻って行ってしまった。だけど、お粥は残さず食べていて、ホッとする。
太一が食器を台所へ持っていき、私は机を拭いていた時、ふと疑問が浮かんだ。
「蓮司」
「ん?」
「律って、新月の時はいつもああなの?」
聞くと、蓮司は首を振る。その反応に、自分の考えが正しいのでは、と思ってきた。
「ねぇ。いつもは鬼を抑えてられるって言ってたよね」
「そ、そうだな」
「じゃあ、なんで昨日は抑えられなかったの?」
詰め寄る私に、蓮司は目線を逸らす。
「もしかして、お酒を飲んだから、とかじゃないよね?」
蓮司はギクリと肩を揺らす。
やっぱりそうだ。お酒に弱い律が、お酒を飲んでしまったから、昨日は鬼を抑えきれなくなってしまったんだ。
「気づいちゃったか」
笑った蓮司に、殴ってやろうかという考えが起こった。
「いやぁ。ついうっかり、昨日が新月だって忘れてたんだ」
「忘れてたって……」
そのせいで、私は危うく怪我するところだったんだけど。
「まぁ、何も無かったから良かったじゃないか」
笑う蓮司に、もう怒る気がなくなってきた。確かに、結局は蓮司のおかげで怪我しなかったわけだし。
「それはいいとして。もう家ではお酒飲むの禁止だからね」
「えぇぇ」
私の言葉に、蓮司は肩をおとす。
お昼になると、律も復活したみたいで、事務所の方に出てきた。
今日は特に依頼もないので、私と太一は二人で書類の整理をしている。
蓮司は、用事があるとかで、朝家を出て行った。荷物は置きっぱなしだから、ここに帰ってくるつもりなんだろう。
そんな平和な時間が流れていた昼下がり、玄関の戸を叩く音がした。
「僕見てくるよ」
走っていく太一を目で追いつつ、私は作業を続けていた。
蓮司が帰ってくるなら、買い出ししないと夕飯足りなくなるかもな。
なんてぼんやり考えていると、廊下を慌てて走る音が聞こえていた。
「り、律兄ちゃんにお客さんって……」
焦った様に戻ってきた太一に、私と律は目を向けた。どうしたのか、と尋ねようとすると、太一の後ろから女の人が現れた。
長い黒髪に、色白の肌。着崩した着物は、彼女を妖艶に見せている。女の私でも、見とれるくらい綺麗な人だ。
「ここに娘が居るって聞いたんだけど」
女の人はぐるりと部屋を見回し、私に目を向けた。
「ふぅん。あなたが……」
女の人は私に近づいてき、上から下まで観察するように見る。
「あ、あの……」
鋭い目線に、居心地が悪くなって、私は問いかけた。すると、女の人はフンッと嘲笑うような表情をした。
「なんだ。大したことないじゃない」
女の人の態度に、一瞬目が点になる。そして、遅れて怒りが込み上げてきた。
「は、はぁぁ?!」
いきなり現れて、初対面で何を言ってるんだこの人は!
立ち上がった私の手を、太一が引くいた。
「葉月姉ちゃん、この人お客さんだよ!」
「今はそんな事どうでもいい!」
掴みかかってやろうかと思ったが、太一に抑えられてしまった。
そんな私達を置いて、女の人は律の方へ向かう。
「久しぶりね、律」
「千恵か」
千恵、と呼ばれた女の人は、律の近くへ寄っていき、肩に手を触れた。
「全然連絡くれないんだもの。何処にいるかくらい教えといてよ」
親しげな様子の二人。いつもなら何か言うはずの距離なのに、律は何も言わない。
千恵って、呼び捨てで呼んでたし、相当親しい関係なのかな。
そう思った瞬間、ズキリと胸が痛んだ。
な、なんなのこの気持ちは。なんだか、気に入らない。
「お前何で来たんだよ」
ようやく発言した律は、千恵さんを横目で見る。
「何でって、様子を見に来たのよ」
微笑む姿は、私より断然綺麗だ。なんて考えると、ますますモヤモヤが増していく。
律はため息をつき、私の方に目を向けた。
「おい、こいつの相手してやれ」
「は?」
律の言葉に耳を疑う。
「あ、相手って」
「その辺案内してやれ」
「で、でもまだ片付け残ってるし」
「太一だけでも出来んだろ」
うっと、言葉に詰まる。確かに、片付けはもうほとんど終わって、太一に任せてもいいくらいだ。
私は千恵さんの方に目を向ける。彼女は、私を軽く睨んでいるようで、その視線は怖い。
こ、こんなで、どうやって案内しろと?
私はため息をつきたくなった。




