三
朝、出かけようと玄関へ行くと、太一君が駆けてきた。
「あれ、どうしたの?」
「えっと、律さんが、葉月さんと一緒に行ってこいって」
「もしかして、泊めてやったんだから、働けって?」
聞くと、太一君は頷いた。
あの男。こんな小さな子にまでそんなこと言うなんて。
「体、大丈夫?」
「はい」
「そっか。あと、そんなに畏まらなくてもいいのよ?」
ニコッと笑うが、太一君は困ったように目を泳がせた。まぁ、いきなりは難しいか。
「じゃあ行こっか」
「はい!」
二人で家を出た。
並んで歩きながら、横目で太一君を見る。
熱も、もう下がった。ご飯も結構食べてくれてるから、顔色もいい。
「服、大きくない?」
「大丈夫です。葉月さんが繕ってくれたんですよね。ありがとございます」
「どういたしまして」
表通りに出て、周りを見回してみる。何匹か猫はいるけど、デブらしい猫はいない。
「仕方ない。手分けして探そうか」
「黒くて、食い意地のはってる猫ですよね」
「そう。お昼頃に、ここで集合しようか」
「分かりました」
頷いて、太一君は走っていった。なんていい子なんだ。どっかの誰かにも見習ってほしい。
私も、探そうと歩き出した。
太陽が真上にきた頃。私は太一君と別れた場所に戻ろうと歩いている。
「ほんっと、見つからない……」
ハァとため息をつく。
あまりにも情報が足りなさ過ぎるから、依頼主の家に行って、他に特徴はないかと聞いてきた。そこで、名前を書いた首輪をしている、と教えてもらえた。そんな大きな特徴、初めから教えておいてほしかったよ。
と、新しい情報が出てきたものの、肝心のデブは未だ見つけられていない。
集合場所に着くと、太一君は既にそこにいた。だけど、彼は見知らぬ男と居た。男は、ガラが悪そうで、歪んだ笑みを浮かべながら、何か話している。太一君はそんな男達を怯えた目で見ていた。
私は、太一君の元に駆け寄る。
「ちょっと、何してるのよ!」
太一君を庇うように睨むと、男達は驚いた顔をする。
「なんだお前は」
「この子の連れよ。アンタこそ、何者よ」
「俺はコイツの知り合いさ。話があるから、話しかけてただけだよ」
太一君の知り合い? この男が、太一君の知り合いだなんて、あまり信じられないけど。
太一君の表情を伺ってみると、彼は俯き、私の服をギュッと掴んでいた。
それを見て、私は男をもう一度睨んだ。
「知り合いだかなんだか知らないけど、怯えてるじゃない」
「はぁ? そんなことないよな。なぁ、太一」
歪んだ笑みで聞いた男に、太一君はビクリと体を震わせる。そして、男は太一君の腕を掴んだ。
「さぁ、帰るぞ。今なら、親分も許してくださる」
「い、嫌だ」
「あぁ? そんなこと言える立場だったのか、お前はよぉ?!」
無理矢理引っ張る男の手を、私は掴んだ。
「だから、嫌がってるでしょ。やめなさい!!」
「うるせぇな! お前には関係ないだろ!?」
男が空いた手を、私めがけて振り上げる。
「おい! そこ、何をしている!!」
当たるか、というところで、私達とは違う声が割り込んできた。この声は、中島さん?
男の後ろを見てみると、中島さんがこちらへ走ってきてた。
「ちっ、警察かよ」
男は舌打ちをし、太一君の手を離して、逃げていった。
私は、ハァと息を吐く。
「葉月ちゃん!」
「中島さん……」
駆け寄ってきた彼は、息が上がり、汗だくだ。一体どこから走ってきたんだか。
私は中島さんに向け、微笑んだ。
「中島さん、ありがとうございました。警官みたいでしたよ」
「いや、僕警官ですからね」
落ち込んだ中島さん。その姿に、私はクスクス笑う。
だけど、本当に助かった。あのままじゃ、殴られるだけじゃ済まなそうだったし。
私は、後ろを向いて太一君を見る。
「大丈夫?」
「え……。あ、はい」
太一君は我に返って、何度も頷いた。だけどまだ怯えた目をしていて、私は彼の頭を撫でる。
「葉月ちゃん。さっきの男と知り合い?」
「いや、違うけど」
「だよね。あの男って、多分 明瞭組っていうヤクザ集団の奴だと思うよ」
「明瞭組?」
首を傾げた私に、中島さんは語り始めた。
「明瞭組っていうのは、ここらのチンピラ連中をまとめてる集団のこと。スリやら金貸しやら、色々やってるって噂なんだ」
「捕まえないの?」
「証拠がないからね。だけど、最近になって、動きが大胆になってるんだよ」
「へぇ」
「そういえば、この前言ってた神隠しの噂。あの行方不明事件に、明瞭組が関わってるかもって噂もあるね」
話を聞く間、太一君は私の服を握りしめていた。顔を俯かせ、少し震えている。
アイツ、太一君と知り合いだって言ってたけど、もしかして太一君は明瞭組と何か関係があるのかな。
「ところで葉月ちゃん。その男の子は?」
中島さんは太一君に目を向けた。太一君は視線を避けるように、私の背に隠れる。
「今、うちで預かってる子なんです。律の知り合いの子みたいで」
そう笑顔で言う。
「へぇ、そうなんだ。大変だね」
「いえ、とてもいい子なんで、私の方が助かってますよ」
なんの疑いも見せない中島さんに、私は内心ホッとする。
そのまま去っていった中島さんを見送って、私は太一君の目線に合わせてしゃがんだ。太一君は目を合わせようとせず、俯く。
やっぱり、さっきの男の事とかは聞かない方がいいよね。そう思い、私は笑みを浮かべる。
「猫、見つかった?」
「え、えっと、全然」
「だよね。私も全然見つからなかったよ。さっき飼い主さんのところに行って、首輪を着けてるって聞いたんだけど……」
そう言いながら、ふと太一君の後ろにある魚屋に目を向ける。色々な魚が並ぶ棚の下に、黒い猫がいた。丸々と太っていて、首には赤い首輪が。そこには、大きな字で「デブ」と書かれていた。
「いたぁぁ!!」
叫んだ私に、太一君は驚いたように顔を上げる。デブも、私の声でこちらを見て、逃げるように駆け出した。
「ちょっ。太一君、追いかけよう!」
「は、はい!」
私は太一君の手を引き、駆け出した。二人でデブを追いかけるけど、全然追いつけない。
「あの猫。あんな太ってるのに、なんであんな速いのよ」
デブは丸々としているのに、軽やかに走っていく。こっちは全力で走ってるのに。
そう思っていると、デブがふと立ち止まった。横をジッと見つめている。これはいける!
私は、横の太一君に目を向けた。太一君も同じことを考えていたようで、目が合い、頷いた。
私達は足を速め、一気にデブに飛びつく。
「捕まえ……って、え?!」
手が触れる、と思った瞬間、デブが軒へ飛び乗った。私達は勢いのまま、地面に倒れ込む。いきなり過ぎて身構えれず、私は顔を強打した。
「いっつぅぅぅ」
顔を押さえる。痛みに悶えながら、顔を上げると、軒でデブが私達を見下ろしていた。その様子は、こちらを見下しているみたい。そして、デブは向こう側へ飛び降りて行ってしまった。
あの猫っ!!
「大丈夫、ですか?」
ギリッと歯を食いしばっていると、太一君が起き上がって、私を心配そうに見つめる。彼も顔を打ったみたいで、鼻の先が赤くなっている。
「大丈夫よ。太一君も、鼻赤くなってるけど、大丈夫?」
「葉月さんもですよ」
え、と私は鼻を手で隠した。すると、太一君はプッと吹き出す。そして、声を出して笑い始めた。そんな太一君の姿に、私もつられて笑う。
「それにしても、あの猫ほんと速かったね」
「そうですね。追いかけても捕まえられなさそうですね」
「だよねぇ」
困った。ちょっと進展したのに、問題が増えてしまった。
「あの猫って、魚が好きなんですか?」
「え、なんでそう思ったの?」
「だって、あそこ」
太一君が指さしたの方を見ると、子供を背負った女の人が、魚を焼いていた。この方向、さっきデブが見ていた方だ。
そういえば、見つけたのも魚屋だった。もしかしたら、太一君の言う通りなのか?
「そうかもしれないね」
「じゃあ」
太一君が言った言葉に、私は目を丸くした。
「お前、何やってんだ?」
律が眉を顰めて私達を見る。
「へへへ。まぁ見ててよ」
ニヤリと笑うと、律はますます眉を顰めた。
今、私は玄関先で魚を焼いている。
七輪で焼きながら、団扇で匂いを道の方へ流していく。
これは太一君の思いつき。魚好きらしいデブを、この匂いでおびき寄せよう、というもの。
しばらくして、向こうから一匹の猫がこちらに近寄ってきた。黒い猫、デブだ。
デブは、警戒しているものの、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。私は動かず、ジッとその様子を見つめた。
デブが七輪の所まで近寄り、魚へ手を伸ばす。その瞬間、隠れていた太一君が、デブを後ろから捕まえた。
「捕まえた!!」
「ニギャャャ」
太一君が嬉しそうにデブを持ち上げる。デブは泣き叫ぶものの、逃げる様子もなく体をだらんとさせている。目は魚の方を見ているけど。
「なるほど。そういう事か」
律が関心したように私達を見る。
「えへへ。大成功でしょ」
胸を張るが、律は私を無視して太一君に近づいた。
「お前の思いつきだろ?」
「え……」
律はそう言って、太一君の頭を撫でた。
いや、まぁそうなんだけどさ。私にも何あってもいいのでは?
ムッと頬を膨らませるが、嬉しそうな顔をする太一君を見て、まぁいいか、と思った。
私は、太一君に抱きつく。
「え、葉月さん?!」
「ありがと。太一君のおかげだよ!」
真っ赤になった太一君。可愛くて、私はギュッと抱きしめる。
そうすると、太一君は照れた様に微笑んだ。その表情には、もう怯えはない。
明瞭組と太一君。どういう関係かは分からないけど、こんないい子なんだ。どんな関係でも、この子を守ってあげたい。そう思った。




