二
井戸の水を汲んで、桶に移す。抱えて廊下を歩き、両手が塞がってるから仕方なく足で襖を開ける。
「あれ、律?」
誰もいないと思っていたら、律が少年の傍に座っていた。律は、私を見て眉を顰める。
「お前、手で開けろよ」
「へ?」
律の視線は私の足に。私は慌てて襖から足を離した。恥ずかしくて、私はそそくさと少年の元に急いだ。
少年のおでこに置いていた手ぬぐいを取り、桶の水につける。しっかり絞って、また置いてあげた。頬に触れてみると、ほんのり熱い。
「コイツ、妖怪に取り憑かれてたのか」
「うん。まだ取り憑いてるの?」
「いや。臭いが残ってるだけだ」
臭いか。私には全く分からないな。
私はペンダントを外してみた。少年を見てみると、薄らと黒いモヤが少年の周りを漂っている。
「これ、大丈夫なの?」
「直ぐ消える。弱いやつが憑いてただけだから、そのまま残るってことはねぇ」
律の言葉に、私は自分の首に触れた。
弱い妖怪なら、妖気は残らない。だけど、私の首の痣は未だ残ったまま。律は、この痣に妖気が残ってるって言ってたけど、その影響なのかな。
ペンダントを付け直すと、モヤは見えなくなった。
術がかけられているらしいこれは、無害な妖怪は見えなくしてくれているらしい。ただ、強かったり、悪意のあるものは見えてしまう。今までそんなことなかったけど、律曰く、首の妖気のせいじゃないかって。
見えるようになってから、妖怪は私達の周りに普通に居るものだと気づいた。
不安や疲れ、不満など、人の弱い部分に付け込もうと、そこら中に潜んでいる。初めはあまりの多さに驚いたが、最近はもう慣れた。
それに、この家には妖怪は全く入ってこない。どうやら、律に恐れて逃げ出して行くみたいだ。
そう考えると、この子にとってここは、一番休むにはいい場所だったのかな。
「ん……」
見つめていると、少年が目を覚ました。
ゆっくりと目を開け、ボーッと私達を見つめる。
「あの……」
「起きたね。具合はどう?」
「大丈夫……です」
少年は起き上がり、ジッと私を見つめた。
「ここは?」
「椿堂っていう探偵事務所。貴方、川に飛び込んじゃったのよ。覚えてない?」
少年は首を傾げる。
妖怪に取り憑かれていた時のことは、覚えていないみたい。
私はニコッと微笑んだ。
「私は葉月っていうの。貴方は?」
「太一……です」
「そっか。太一君ね」
律の方を見てみると、彼はジッと太一君を見つめている。
「お前、その痣に覚えは?」
「え、これは……」
律が言ったのは、太一君の腕にある、巻き付くようにある痣。着替えさせた時に見つけて、私も気になってはいた。
律の質問に、太一君は黙り込んだ。表情は固い。
その様子に、私は太一君の頭を撫でた。
「お腹空いてない?」
「え、あっと……」
「夕飯作るから、少しでも食べてよ」
私は立ち上がり、律を睨む。すると、彼は立ち上がって部屋を出ていった。
「あの、あの人は……」
「律っていうの。ここの家主。無愛想な奴だけど、気にしないで。出来たら呼ぶから、もう少し寝てて」
「はい」
寝転がった太一君を確認してから、私も部屋を出た。
台所に行くと、律が壁にもたれ掛かっていた。
「ねぇ。あの痣って」
「妖怪のものじゃない」
「え」
「恐らく、人間が付けたものだ」
ってことは、誰かに暴力を受けてたってこと?! あんなくっきり痣が残るほどなんて……
「酷い。一体誰が」
ギュッと手を握る。
「さぁな」
そう言って、律は着物を投げてきた。受け取って見てみると、律の着物だった。
「え、これどうしたの?」
「もう着ねぇやつだ」
「は? ……あぁ」
そういう事か。太一君の着る服がないから、この着物を繕ってやれってことみたい。
「ありがと。後で繕っておくよ」
律は何も言わず出ていった。
何だかんだ、太一君のこと心配しているみたい。
私は微笑み、夕飯の準備を始めた。
「よし、出来た」
太一君の好みが分からないから、取り敢えずカレーを作った。これなら、おかわりもできるし。
呼びに行こうと立ち上がると、丁度太一君が部屋に入ってきた。
「あの、匂いがして……」
「丁度良かった。呼びに行こうと思ってたの」
太一君のお腹がグーっと鳴る。恥ずかしそうにお腹を押さえた太一君に、私はクスクスと笑う。
「食べようか」
太一君はコクリと頷いた。
カレーをよそってると、律もやって来た。三人分を用意し、私は息をつく。
「よし。いただきます」
「いた、だきます」
太一君は、ゆっくりとカレーを掬った。それを口に入れる。何度か口を動かし、動きが止まる。そして、彼の瞳から涙がこぼれた。
私はその様子を見ながら、ズキリと胸が痛んだ。
ただご飯を食べただけで、涙を流す。こんな小さい子なのに。
私は、ニコリと太一君に向けて微笑む。
「おかわりあるから。好きなだけ食べて」
太一君は頷き、もう一口食べた。




