一
雨が降るホコリ臭い路地裏。雲の切れ間から僅かにもれる月明かりだけが道を照らす。
私はそんな道端で座り込んでいた。髪はグチャグチャで、着物の襟も乱れている。
でも、今の私には些細なこと。目の前の光景に思考が向いていた。
濡れた地面に倒れる数人の男達。その真ん中でただ一人だけが立っている。
彼は私の方へ顔を向けた。ゆっくり私に近づいてきて、立ち止まり口を開く。
「助けてやろうか?」
そう言って手を差し伸べてきた。
雨が止み、月が顔を出し私たちを照らす。
真っ赤な髪と漆黒の瞳に目を奪われた。
私は手を伸ばし彼の手をとり、腕を引かれ立ち上がる。
人生で二番目に最悪な日。
私を救ってくれたのは、貴方が差し伸べてくれた手だった。
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着物の襟を直し袴の皺を手でのばす。隣に目を向け頷きが返ってくるのを確認してから、私は息を吐き目の前の戸を叩いた。
しばらく待つと、戸がゆっくりと開けられ、初老の男が顔を出した。
「何用だ」
不機嫌そうな声で眉を潜めた男に私は口元を上げニッコリ微笑む。
「おはようございます。探偵事務所、椿堂の葉月と申します」
「同じく太一です」
「私たちご依頼を伺って来たのですが」
これでもかってくらい笑顔で言い切った。
男は表情を全く変えず黙って私たちを見つめている。
数秒沈黙が続く。
「はぁ」
男がため息をつき私たちを睨みつけた。
「お主らを呼んだ覚えはない。帰れ」
そう言い放ち、ピシャリと戸を閉めてしまった。
私は黙ったまま閉められた戸を見つめる。
「えーと、葉月……姉ちゃん? 」
太一が私の服を引っ張った。
止まった思考が戻ってくる。
「ハ、ハハハ」
かわいた笑いがこみ上げる。それと同時に、頭の中でプツリと何がが切れる音がした。
「なんっなのよアイツ!!」
拳を握り戸を殴ろうと振り上げる。
「ちょっ。待って姉ちゃん」
太一が慌てた様子で私の腕にしがみついた。
「止めないで太一。もう我慢の限界よ! 」
「分かるけど取り敢えず落ち着いて。ね? 」
太一の説得にしぶしぶ腕を下ろす。だけど怒りは胸に残ったまま。
「ハァァァ」
私は息を吐きその場にしゃがみこんだ。
「もう三日目よ?何日通えばいいのよぉ」
出た弱音に太一が優しく背を撫でてくれた。私の方が年上のはずなのに。どっちが上かこれじゃ分からないな。
段々と怒りが治まってきて、私はもう一度息を吐き立ち上がった。
「ごめんね。もう大丈夫」
微笑むと太一は頷いた。
「明日も来るの?」
「そりゃあ依頼はちゃんと来てるからね。話だけでも聞かないと」
聞けなかったからもう行けません、なんて言ったらこれからの仕事が倍以上になる。想像しただけで冷や汗ものだ。
「あのぉ」
後ろから声をかけられ振り返ると、私と同じくらいの女の子が立っていた。
「探偵事務所の方ですよね」
「はい。そうですけど」
「よかった。どうぞあちらから中に入って下さい」
女の子が指さしたのは少し先の裏口と思われる場所。
微笑む女の子に私と太一は目を合わせた。
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「申し訳ありません。裏口から案内することになってしまって」
「いえこちらこそ、入れていただいて助かりました。えっと」
「春と申します。こちらで使用人として働かせて頂いております」
春さんの案内で私たちは家の廊下を歩いている。外観から分かっていたが、中はなん部屋もあって相当広い。
「探偵事務所に依頼をしたのは旦那様ではないんです。だからあの様な対応になってしまって」
「そうなんですか」
依頼者の具体的な名前は教えてもらってなかったから初耳だ。てゆうかそういう情報はちゃんと伝えといてくれればよかったのに。そうすれば三日も通わなくてもすんだはず。
私は元凶である人物に向け心の中で文句を言う。
チリンッ。
ふと、鈴の音が聞こえた。音がしたのは中庭の方だ。目を向けると井戸があり、その横に猫が座っていた。
真っ白な毛。首には鈴の付いたリボンを巻いている。
猫は私と目が合うと、顔を背け走り去って行った。
「春さん。この家、猫を飼っているんですか?」
そう尋ねると春さんは立ち止まり、不思議そうな顔を向けてきた。
「いえ。飼っていないはずですが……」
太一が服を引っ張った。目を向けると私を見つめ頷く。それに私も頷き返し、春さんの方に笑顔を向けた。
「そうですか。すみません、ふと思っただけなので気にしないで下さい」
「はぁ。そうですか」
首を傾げつつ春さんは前を向き直る。
私はもう一度井戸の方を見つめ、歩き出した彼女を追いかけた。
しばらく歩き、ある部屋の前で止まる。春さんが襖の前に座り部屋の中に声をかけた。
「奥様春でございます」
「入っていいわよ」
返事を聞いて春さんは襖を開けた。
「いらっしゃい」
部屋には中央に布団が敷いてあり、少し髪の白い女性がいた。私と目が合うとニコリと微笑む。
「どうぞ入ってきて。春さんはお茶を持ってきて下さるかしら?」
「はい」
春さんは私たちを部屋の中へと促し、去っていった。
布団の側までいき腰を下ろすと、女性は優しげな笑みを向けてくる。
「案内するのが遅くなって本当にごめんなさいね。主人が迷惑をかけたでしょう?」
「いえ、そんなことは……」
なくはないんだけど。
苦笑を浮かべると女性は悲しげに笑った。
「本当はあんな人じゃないんだけど……」
そう言って悲しそうに眉を下ろす。
一瞬重たい空気が流れるが、女性は息を吐き笑みを浮かべた。
「自己紹介がまだね。三中時子よ。今回依頼をしたのは私なの」
「葉月と申します。こっちは太一」
太一はニコッと微笑み時子さんをジッと見つめる。
「病気なの? 」
そう太一が聞くと、時子さんは微笑んで太一の頭を撫でた。
「少し体が弱いだけよ」
「大丈夫? 」
「ええ心配ないわ」
頭を撫でた時子さんの腕には、鈴の付いたリボンが巻かれていた。彼女が手を動かす度にチリンと音が鳴る。
「あの。それで今回の依頼というのは」
「あぁそうだったわね」
時子さんは姿勢を正し私たちを見つめた。
「主人がおかしくなってしまった理由を探していただきたいの」
私と太一は目を見合わせる。
「ご主人の、ですか」
「ええ。今はあんなだけど、本当は誰にでも優しく接する人なの。二ヶ月ほど前から様子がおかしくなってね。使用人にも怒鳴り散らすようになってしまったの」
これまで見たご主人を思い出す。まぁ、原因が分からないことはないんだけど。
「では、ご主人の様子がおかしくなった理由と解決が依頼ということで宜しいですか? 」
「解決、できるの? 」
目を丸くする時子さんに、私はしっかりと頷く。
「最善を尽くします」
「そう。よろしくお願いしますね」
泣きそうな表情で私の手を握ってきた時子さんに、私はギュッと手を握り返した。
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「では、明日も今日と同じ時間にこちらに来て頂けますか? 戸を叩いて下さればご案内しますので」
「分かりました。ありがとうございます」
頭を下げ春さんが戸を閉めたのを確認し、私は息を吐いた。
「お疲れ様」
ポンポンと背を叩く太一に笑みを向ける。
「太一もね。大丈夫? 」
聞くと、太一は大丈夫だと頷いた。
「それにしても。大変な依頼受けちゃったかもね」
私は家の方に目を向ける。
さっきまでいた家の周りには、黒いもやのようなものが包み込み、嫌な空気が漂っている。
「こんな妖気塗れじゃおかしくなって当然ね」
ご主人にも同じような妖気がまとわりついていたから、まずはこの妖気の原因を見つけなくちゃいけないな。
「どう解決するの?」
「うーん。取り敢えず所長様に報告してか考えようか」
私たちは家を後にしようと歩き出した。
その時、また鈴の音が聞こえた気がした。