009.令嬢、王都にて弟と出逢う
やっと逢えましたのね!
感極まるヴィーの意識に引きずられて、花が綻ぶかの如く蕩けるような笑顔を浮かべていることに気がついた
少しだけ冷静な真希と私だったけれど、すぐに目を奪われてしまった。
リスティスは熱に浮かされたような濡れた瞳に喜色をありありと浮かべ、満面の笑みを湛えて私を見つめていたからだ。
「リスティスです。お逢いできるのを楽しみにしていました」
まるで私を熱望する瞳に、目が離せず、返答も忘れてただただ見つめ返していた。
「ヴィヴィアンと申します。こちらこそお逢いできて光栄ですわ」
さすがヴィーというべきか。
令嬢らしい慎ましい挨拶を返していた。少し語尾に音符がついていたように思われるのは致し方ない。
ヴィーの意思に従って、華麗なお辞儀をする体とは裏腹に、私の心は考えることを放棄してしまったようだ。
ヴィーはリスティスの愛称を連呼し、歓喜に打ち震えている。
頬が熱くなっている。
どうしてこんなにもリスティスから目が離せないのだろう。
ヴィーの記憶より幼いリスティスなのに、その雰囲気は妖艶で、そのエメラルドの瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚える。
これはヴィーの意識?
胸の内に溢れる熱い想いが、私のものではないと言い切れなかった。
お互いに見つめ合い、2人だけの世界を築きかけていたが、ここにはもう一人いたのだった。
冷気のようなものを感じ、正気を取り戻したのは真希だった。
お父様は不快そうに眉をひそめていた。
今度は真希の意識に引きずられて、表情が消え失せる。
リスティスも気がついたらしい。
リスティスは私に微笑みかけると、お父様に振り向いた。その顔は打って変わって冷めていた。
「何かご不快に思われることがございましたか?」
まるで他人事のようだ。
お父様は冷めた表情で、淡々と告げる。
「しばらく、この屋敷にてどちらも教育を受けさせる。侯爵家に相応しい振る舞いを身につけるのだ。
いかなる時も他者に隙を見せるような真似はしてはならない。良いな?」
おそらくは、最後の言葉のほうが本音なのだろう。
感情を表に出すな、ということだろう。相変わらず厳しい。
「承知いたしました」
「畏まりました」
リスティスは澄ました顔で応え、私も仮面を纏い取り繕って応じたのだった。
リスティスとの出会いは予定より1年早く訪れた。
7歳になった私は、初めて領地を出て王都へとやって来ていた。
ヴィーの時と同じように、初めて王都を訪れた翌日、リスティスと対面することになった。
けれど、ヴィーの時と違って、リスティスは跡継ぎとして引き取られたわけではなかった。
何より、その態度が全く違っていた。
初めて会った時、リスティスはそれはもう不機嫌で、穢らわしいものを見るかのように私を睨みつけていた。感情を出すなと怒られたのはリスティスの方だったくらいだ。
それが先ほどの対面である。
一体何が起こったのか、疑問に思わないほうがおかしい。
対面を終えた後、早速お父様の指示に従い、算術の授業を受けることになった。これまたヴィーの時とは違い、リスティスと一緒に勉強することになった。
ヴィーの時は、別々な教師が付けられていた。領地に戻って仲良くなってしばらくして、一緒にしてもらえるようお願いしてから初めていくつかの授業だけ許されたものだ。
かつてのリスティスは、授業を真面目に聞き熱心に学んでいた。
けれど今のリスティスは、勉強に身が入っていないようだった。
気がつくと私を見つめている。目が合うと、妖艶な微笑みを返す。驚いて慌てて教師に視線を戻すと、リスティスが笑って同じく教師に視線を戻す。ということを先程から繰り返している。
全く教師の言葉が耳に入らない。
それでいて、ちゃんと聞いていない私たちに苛立つ教師が問題を出すと、二人とも正解を答えるので、教師は何も言えないでいる。
とても申し訳ない気持ちになるが、リスティスが気になってやっぱり気もそぞろになってしまう。
とにかく、話をした方がいい。
ヴィーの知っている仲良くなった後のリスティスのようでいて、それとも少し違う気がする。
でも敵意とか悪意とかそういう負の感情は全く見当たらないので、悪いことではないと思うのだけれど。
これって、弟が姉に向けていい視線じゃないと思うんだけど。
再び向けられたリスティスの熱い視線に、気がついた私とヴィーは真希の言葉を黙殺した。
算術の教師が苛立ったままその日の授業は終わった。
申し訳ない・・・。
と言って、謝ることもしない。貴族たるもの容易に頭を下げることはできないからだ。
特にここはお父様のいる王都のお屋敷の中だ。そんなことをしたら即座に耳に入れられてしまう。
そんなことより、次の授業まで少し時間がある。
リスティスと話をしなければ。
と思ったら、リスティスは私の手を引いてサンルームへ連れて行く。
ここは、お父様が滅多に訪れないので、ヴィーとリスティスがこっそりと2人で過ごした場所だった。
リスティスはにっこりと微笑むと、私と向き合った。
「ヴィヴィって呼んでもいいよね?」
まさかリスティスからそう言ってくるとは思っていなかったので、少し驚く。
「もちろんですわ。わたくし、弟ができてとっても嬉しいのですわ」
かつて伝えた言葉をもう一度伝える。
以前は蛇蝎の如く睨まれた上「俺は嬉しくない!」と言われたものだが、今回は。
あら? ちょっと不快そう・・・。
「ティニーって呼んで?」
「ええ、ティニー」
素直に従うと、嬉しそうに口元を緩めたリスティスは、愛おしいものを見るように目元も緩める。
「俺も、ヴィヴィに出逢えて嬉しいよ」
同じ気持ちであると知れて、自然と私の顔も綻ぶ。
愛称でなかったから不機嫌だったのかしら?
ちょっと異様に距離が近い気もするけれど、大したことではない。あ、いや、リスティスの視線と相まってとても恥ずかしいからやっぱり大事だ。
一体どうしてしまったのだろう。
リスティスに見られると、すごくドキドキする。
そんなに見つめられたら心臓が保ちそうにない。
「あの、リスティス?」
「ティニー」
すかさず訂正が入る。が、視線も表情も変わらない。
逆に怖いんだけど。
「ティニー。その、少し近過ぎではないかしら?」
「そうかな? ヴィヴィは俺が嫌い?」
「そんなわけありませんわ」
「じゃあ問題ないよね」
思わず頷きかけて、慌てて否定する。
「ありますわ。恥ずかしいのですわ!」
物心がついてからこんな至近距離で他人と接したことはなかったと思う。ヴィーの生涯をもってしてもない。真希は、・・・あるけれど。
だからこそ、逆にとんでもなく恥ずかしい。
近いことが恥ずかしいし、見つめられていることが恥ずかしいし、それ故に赤くなった顔を見られていることも恥ずかしいし、それで狼狽しているところを見られていることも恥ずかしくてたまらない。
距離を取りたくても、両手をしっかりとリスティスが握っていて逃げられない。
リスティスは微笑んでいるが、まるで捕食者のように隙がない。
「恥ずかしいことではないよ。俺とヴィヴィの距離はこれくらいでちょうどいいよ」
一体どうしてしまったのだろう。
リスティスは更に距離を詰め、同じ背丈の私たちの鼻がもう少しで触れそうなほど近づいている。
「でも、姉弟でも近過ぎるように思いますの」
「ヴィヴィは他の姉弟を知らないだろう? これくらい普通だよ」
どこの姉弟のことを言っているのだろうか。
ヴィーの記憶でも真希の記憶でもそんな姉弟は見たことがない。
より濡れた瞳は、熱に浮かされているみたい。
そう思って気がついた。
もしかして、熱があるのではないかしら?
恥ずかしかった気持ちが一瞬にして消え去り、すぐ近くにあった額に自分の額を寄せる。
真剣な面持ちで額を合わせる私に、リスティスは逆に狼狽し始めた。
「え、なに?」
熱は、自分が赤面していた直後のせいかよくわからないけれど高くはなさそう。
全くもって失念していた。
リスティスは虚弱体質なのだ。
体調が悪くて、人肌恋しくなっているのかもしれない。
「ティニー。体調が悪かったら正直におっしゃって? 無理をしてはいけないわ」
「え? 体調? 悪くないけれど」
「本当ですの? 熱はなさそうですけれど、どこかだるかったり、苦しかったりしていませんの?」
「ないよ。どこも悪くないよ」
「本当ですのね? わたくしには正直におっしゃってくださいね」
かつてリスティスは、体調が悪くてもそれを隠そうとしていた。無理をして、悪化させることもしばしばあった。
詰問する私に、リスティスはなぜかとても嬉しそうに笑った。
「問題ないよ。体調が悪くなったらヴィヴィには伝える。だから心配しないで」
それは無理している表情ではなかったので、信じることにした。
でも、今自覚症状がないだけかもしれないし。
「わかりましたわ。約束ですわよ。でも今は居間でお茶をいただきましょう」
とにかく今は、使用人に声がかけやすいところへ移動したい。リスティスの具合が悪くなったらすぐに医者を呼べるようにしなければいけない。
「ええと、ヴィヴィ? 本当に問題ないから。それにお茶を飲むならここでもいいんじゃないかな」
確かにサンルームは暖かい部屋だ。お母様お気に入りの揺り椅子の他、一人掛けのソファと背もたれのないベンチがあり、落ち着くこともできる。
そもそもサンルームは家族のプライベート空間なのだから、リラックスする場所だ。
その分、使用人は滅多に出入りせず、だからこそヴィーとリスティスの遊び場だった。
リスティスは揺り椅子の近くのテーブルに置かれた鈴を鳴らす。
すぐにメイドが現れて、リスティスはお茶を頼むとベンチに腰掛けた。
横を示し、隣に座るよう促している。
気を取り直し、拳2つ分程度空けて隣に座った。他意はなかった。無意識だった。
何か言いたげな視線を感じたが、リスティスは何も言わず、私も黙っていた。
先ほどのまでのやり取りが嘘のように、私たちは沈黙していた。
リスティスは、体調は悪くないと言う。
それならばさっきの距離の近さはなんだったのだろう。
私たちは姉弟とは言え、ヴィーのことを抜きに考えれば今日初めて会ったのだ。
お互いに知らないことがあって当然なのかもしれない。
ヴィーの時より1年も早く出会っているのだ。
わずか1年で大幅に性格が変わるものかわからないけれど、現実にヴィーの時のリスティスと今のリスティスはかなり違っている。
とは言え、根本は同じように思えるし、嫌われているわけではない。
ならば会話を重ねれば、お互いの考えも見えてくるかもしれない。
そうと決まれば、今から話し合わなければ。
メイドのお茶を待って、私は口を開く。
「ティニー。先程も申しましたけれど、体調が悪くなったら必ず正直におっしゃってね」
「うん」
素直な返事をもらう。
「それから、あまり距離が近過ぎるのはよろしくないと思いますの」
「どうして? 普通だよ」
「わたくしが恥ずかしいのですわ。それに、お父様に見られたら叱られますわ」
その言葉にはリスティスも納得してくれたらしい。
眉をひそめた顔は、お父様に似ている。
「じゃあ、2人の時だけ。ね?」
「わたくしが恥ずかしいのですわ」
「まあいいよ。ゆっくり慣らしていくから」
え、慣らす?
聞き間違いかと思ってリスティスを見るが、にっこりと微笑みを返される。
え?
どういうことかしら?
それに先程からどうして私の髪の毛をもてあそんでいるの?
「ヴィヴィは俺と仲良くいたいよね」
「もちろんですわ」
「じゃあ問題ないね。大丈夫。2人の時だけだから。ね?」
お父様に叱られるのは、異性と近過ぎるのは世間体が良くないからで。でもリスティスは弟だから異性でも違うし。それに2人の時だけであれば世間体とか関係ないし。
あれ? 問題ないのかしら?
リスティスは私の巻き毛を指に絡ませては解いてと繰り返し、またあの熱を帯びたエメラルドの瞳で私を捕える。
かつてのリスティスも強い視線を持っていたけれど、今はなんだかもっと強くて、危険な感じがする。
視線を逸らせないでいると、リスティスは薄っすらと微笑みながら爆弾を落とした。
「ところで、ヴィヴィはどうして俺の体が弱いと思っているの?」
え?
は、しまったーーー!
そうだった。リスティスは始めから虚弱体質だったわけじゃない。
侯爵家に引き取られた半年後、彼の実母が亡くなったことをきっかけに体調を崩していったのだった。
つまり、今は虚弱体質じゃない!
私はしどろもどろになりながら必死に言い訳をする羽目になった。
別題:リスティスさんの暴走。