018.令嬢、弟の変化に気づく
カントリーハウスに戻った私は、タウンハウスと同じように数々の授業を受ける毎日を送っていた。違うのは、リスティスがいないことだ。
リスティスと共に受けていた座学は1人で受け、ダンスの授業はしばらくお休みになっている。そして授業以外のリスティスと過ごしていた時間は、まるごと魔道具製作の時間に当てていた。
そのおかげで、得たものは大きい。
私の予測通り、漢字であれば文字数は関係なく使用できることがわかった。
既存の魔道具でも、簡易なものであれば魔法陣を模写するだけで良かったことを考えても、魔法陣の仕組みさえわかってしまえば案外新しい魔道具製作は簡単だった。
とは言え、まだまだ未知の魔道具の成功率は低い。
魔道具の外側になる器の製作も私ではできないし、あまり複雑なものも作れないのだけれど、それでも未知の魔道具では失敗が多い。
色々作ってみたい気持ちはあるのだけれど、法則性がわかった今は最も必要な魔道具製作を優先している。
調査段階で作った魔道具は魔道具で便利なんだけれど、致命的な問題があってほとんど手元に残っていない。
魔石がないからだ。
魔道具が庶民でも手にできる価格であることからわかるように、魔石は高価なものではなく、流通量もそれなりにある。けれど、魔石そのものを購入するのは、魔道具製作や販売などを生業にする者か、王立学校や軍くらいなのだ。子供である私が簡単に手に入れられるものではなかった。
私が大量の魔石を欲しがったら、周囲はみんな不審がるだろう。
魔道具が欲しいと言えば、それなりに買い与えてもらえるのでしょうけれど、魔石に直接魔法陣が刻まれていたら使い回すこともできない。
そんなわけで、魔石を使い回して魔法陣だけ入れ替える方法を取っていたので、今は最優先の魔道具に魔石を使っている。
ほぼほぼ期待通りのものにはなってきている。
後は、範囲を広げて、1部屋分くらい覆い尽くせるのが理想なんだけれど・・・。
もうすぐ冬が終わり、春の訪れと共に新しい年が近づいていた。
帰還された両親とリスティスの出迎えに、使用人がエントランスホールに集まっていた。
家令の号令に従って、使用人全員が一斉に頭を下げた。
私はその中央で1人顔を上げたまま出迎える。
「おかえりなさいませ、お父様。お母様、リスティス」
お父様は、私を一瞥されると使用人たちを労われた。
「皆、ご苦労」
お父様は、後ろにいたリスティスを手振りでみんなの前に出される。
「彼はリスティス。私の息子だ。本年より当家に迎えることとした」
なんで今頃こんな紹介しているのだっけ?
と思ったけれど、そういえばカントリーハウスの使用人がリスティスと会うのは初めてだったんだっけ。
リスティスがハーグリーブス侯爵家に引き取られてから半年以上が経過している。もちろんみんなその存在は知っていたのだけれど、カントリーハウスへやって来たのは初めてだった。
後でお屋敷を案内してあげなくてはね。
「リスティス、家令のオズウェルだ。わからないことはオズウェルに聞きなさい」
「リスティス様。オズウェルと申します。なんなりとお申し付けください」
「はい、父上。オズウェル、よろしく頼む」
オズウェルは「お任せください」と胸を張った。
「旦那様、奥様、リスティス様。まずはおくつろぎくださいませ。すぐに湯を用意させます。お食事の準備もすぐにできますが、いかがなさいますか?」
「そうだな。一度くつろいでから食事にしよう。お前たちも今日は休むといい」
お父様は後ろに控えていたタウンハウスから同行した使用人たちを労われる。
お父様は厳しい方だけれど、意外と使用人に優しいのよね。
オズウェルの指示に従って、カントリーハウスの使用人たちがそれぞれの仕事に戻っていく。
お父様はオズウェルと2、3言葉を交わすと、従僕を連れて歩いて行かれてしまった。
「ヴィヴィアン、会いたかったわ。お元気そうね」
お母様が楚々と前に進み出られ、私を抱擁し頬にキスをくださった。
「はい、お母様もお変りなく」
私もキスを返す。
お母様の抱擁はいつもどこか安心する。
お母様と離れると、優しげな微笑みを浮かべたリスティスと目が合った。
リスティスとも抱擁とキスを交わす。
「ヴィヴィ。会いたかったよ」
「わたくしもよ、ティニー。あら? 少し背が伸びまして?」
抱擁を解いて確認すると、やっぱり少し視線が上がった気がする。同じ高さだったのが、ほんの少し上がったように思う。
「そうかな? 自分ではわからなかったけれど」
成長期には程遠いから、まだまだ微々たる成長なんでしょうけれど。
そう言えば、15歳のリスティスは、成長期を迎えたばかりでそれほど身長は高くなっていなかったけれど、ヴィーが死んだ後はどうだったのかしら?
お父様の背は高いから、リスティスもきっと背が高くなっていたのではないかな。
「うふふ。2人ともまだこれから大きくなるわ。さあ、リスティス。疲れたでしょうから少し休みなさい」
「はい、義母上」
「わたくしが案内いたしますわ」
「そう。じゃあ、ヴィヴィアン、リスティス。お食事の時にね」
お母様も侍女を連れ私室へ向かわれる。
「わたくしたちも行きましょう。ティニーの部屋に案内しますわ」
私たちは自然と手を繋いで歩き出した。
お父様、お母様は、年末から新年にかけてカントリーハウスで過ごされるご予定だ。
私とリスティスについては聞いていないのだけれど、ヴィーの時の傾向を考えれば、リスティスはお父様たちと一緒に年明けには王都に戻ってしまうだろう。
お母様ともリスティスとも過ごせる時間は貴重だ。
充実した時間を過ごさないと。
リスティスと私の日常は、タウンハウスの時と少し違った。
リスティスは朝から剣の稽古をしているようだった。
ある朝中庭を散歩している際に偶然目撃してしまったのだけれど、型練習をしているようで、同じ動きを何十回と繰り返し、真剣な表情で流れる汗を拭うこともせず、舞うように剣を振るい続けていた。
それはその日に限ったことではなく、毎日行っているみたいだった。
日中はタウンハウスの時と同様に、座学はリスティスと受けることになっていた。
またリスティスは真面目に聞かないのではないかと心配していたのだけれど、まったくの杞憂だった。
リスティスはかつてのリスティスのように、熱心に教師の話を聞いていたのだ。
むしろかつてより、突っ込んだ質問を投げかけたりと、教師を歓喜させているほどだった。
特に近隣諸国の政情に興味があるようだった。
何かきっかけがあったのかしら?
授業の合間の時間は、タウンハウスの時と同じように一緒に過ごすこともあった。でも、いつもではなくて、時々用事があると言ってどこかに行ってしまうこともあった。
来たばかりのこの領地で知り合いもいないはずなのに、屋敷の外へ出ていることもあるみたい。
聞くと、領地内を見て回っていたと言うので、私も同行したいと言うと、素気無く断られた。
確かに護衛なしで屋敷内から出してもらえないし、今はフェイが休暇を取っていていないから断られるのもわかるのだけれど、あまりに素気ない様子に面食らってしまった。
お父様にお願いして許可をいただくこともできたかもしれない。でも、リスティスがついて来てほしくないと思っているのなら、無理強いするのもどうかと思い諦めざるを得なかった。
代わりというわけではないけれど、リスティスがいない時間はお母様と過ごす時間が多くなった。
ハーグリーブス侯爵領では毛織物業が盛んなため、上質な毛織物は手に入れやすい。その毛織物を使って、お母様と新しいクッションを作った。カバーには、花とハーグリーブス侯爵家の紋章である獅子の刺繍を施す予定だ。これが結構時間がかかる作業で、お母様の滞在中に完成できるといいのだけれど。
家紋の刺繍は、針仕事の教師ではなく、お母様から教わっている。どこの家もそうみたいで、母から娘へ伝えられている。お母様もお母様の母親から習い、嫁いでからはお父様の母親から習ったのだそうだ。
と言っても、お母様の手元はちょっと覚束ない。見ているこっちがヒヤヒヤしてしまいそうな針の動かし方をする。これで怪我をしないのだから不思議なくらいだ。
それに完成形も一応家紋の形にはなっているのだけれど、ちょっと歪なところがある。
かくいう私もそんなお母様に似てしまったらしく、手先があまりよろしくない。ヴィーの時もそうだったし、真希でさえそうだったので、もうこれはどうしようもないのではないかと思う。
せめて怪我をしないようにだけ気をつけよう・・・と思った先から、指に針が刺さった。
でもそういう時は、お母様がすぐに魔法で治してくださる。
手先が不器用でも魔法は得意な方なのだ。
お母様との親子らしい数少ない時間。
ヴィーの時は、なんの親孝行もできずに死んでしまったけれど、今回はちゃんと親孝行したい。
せめて、また先立つことだけはないように。
年末に当たる冬至の前夜、私はお父様に呼び出されていた。
書斎の重厚なデスクで書類にサインしていたお父様は、私にソファに座るよう促す。
珍しくお父様は、ソファに移動されて私の対面に座り、私を視界に入れる。
いつもの如くお父様の表情から感情を読み取ることはできない。
機嫌が悪いというわけではないと思うのだけれど。
というか何か言ってください。
無言に耐え切れず、口火を切ろうとし、すんでのところで口をつぐんだ。
「先日、王家より正式に打診があった」
危ない危ない。先に話しだすヘマをしなくて良かった。
ところが、お父様が重たい口を開かれたのだけれど、また閉ざしてしまわれる。再度開かれる気配がないので、ためらいがちに問いかけてみる。
「ウーゼル王子様のことでしょうか」
気分を害された様子はなく頷きを返される。
良かった。
「そうだ。お前はウーゼル殿下の2人目の婚約者に指名され、当家はそれを受諾した。お前はどこまで聞いている?」
すでに割り切られているのか、お父様の表情は変わることがなかった。
でも、やっぱりそうなったんだ。
「ウーゼル王子様よりお伺いしているのは、正式な婚約者であるイグレーヌ様の予備であること。次代の王太子様の婚約者を当家から輩出する名誉を授かったこと。この2点ですわ」
お父様は私の言葉に頷かれる。
「そのとおりだ。だが、ウーゼル殿下はお前を気に入り過ぎている。予備として望んでいるわけではないだろう」
それについては、はっきりと本人から伝えられている。
逆にお父様には伝えていないのね。
だからこの感じ、誤解していると思うのよね。
どうしましょう。伝えるべき?
「お前はウーゼル殿下をどう思っている?」
「どう、ですか? お噂の通り、優秀で大変才能溢れる方だと思いました」
「他には?」
「稀代の王のように、見目麗しいお方と。それから」
お父様の表情を伺い、変化がないことを確認する。
「情報をお持ちだと思いました。わたくしは、正直に申し上げてウーゼル王子様が恐ろしいのです。ウーゼル王子様はわたくしが誰にも見せていない魔法を使えることをご存知でした。それゆえに、わたくしに興味を持たれたのです」
お父様は、少しだけ口元を緩めたように見えた。
その目はよく見る冷たさがないように見えた。
「お前の魔法技能については、ホワイトテイルから聞いている。それについては、改めて聞くことにするが・・・。そうか。恐ろしい、か」
お父様の表情はさほど変わらないのに、時折口角が上がり、どこか笑いをこらえているようでもある。
えっと、それはどういう反応なのでしょうか・・・?
どうしたものか様子を窺っていると、すっとお父様から表情が消えた。
「お前を王家に嫁がせる気はない」
!
それはタウンハウスでも聞いた言葉。
「お父様・・・」
「ウェリアス侯爵とは話がついている。イグレーヌ嬢には何としても次期王妃となっていただく。そのためにも」
お父様は、強い意思を込めた視線で私を捉える。
「お前には囮になってもらう」