016.令嬢、王子の毒牙にかかる
ウーゼル王子様は土壁のなくなった通路とは反対の、薔薇の迷宮の奥へと誘った。
頭一つ分高いウーゼル王子様とでは、歩幅が全く違うのだけれど、先ほど案内していただいた時と同様にゆっくりとした歩みで歩調を合わせてくださる。
「私は、君と二人で話がしたいと思っていたんだ」
「わたくしとですか?」
「そうだよ、ヴィヴィアン嬢。ところで、今日のお茶会の目的を知っているかい?」
「はい。ウーゼル王子様の婚約者を選定すると伺っております」
「イグレーヌのことも聞いていたのかな」
「ええ、その通りですわ」
ウーゼル王子様は満足気に頷く。
「じゃあ、真の目的は知らなかったんだね」
真の目的?
確かにこのお茶会は不自然だった。婚約者が内定しているのに、どうしてお見合いが必要だったのか。選定は慎重に、と言っても、あまりにロイスハルム伯爵家に失礼な気がする。
真意を問おうとウーゼル王子様の顔を見上げると、笑顔を返された。
どうしてかしら。他意なんてなさそうな笑顔なのに、すごく怖い・・・。
「今日の真の目的は、2人目の婚約者を選定することにあったんだよ」
「2人目・・・ですか?」
笑顔で頷き、肯定される。
それはおかしい話だった。
この国は、王族を含めて一夫一妻制。2人目という考えは存在しない。
私の疑問を感じたのだろう。ウーゼル王子様が解説してくれた。
「知っての通り、我が国は身分の上下に関係なく全員が1人の夫に、1人の妻だ。2人目の婚約者が2人目の妻という意味ではないんだよ。かと言って、愛人というわけでもない。
未来の王である第1王子には、第2王子という予備がいるように、第1王子の婚約者は未来の王妃。その教育は子供の頃から行われる。だから婚約者にも予備が要るんだ」
話としては理解できる。
第2王子の婚約者だったヴィーも、王族としての振る舞いを教育されていたし、王宮で授業を受けたこともあった。
王族は貴族以上の品性を問われる。王家に連なる者は、子供の頃から徹底的に教育されている。
「2人目の婚約者は、本来の婚約者が何らかの事情で王家に嫁ぐことができない場合に、改めて選定されたという体裁を取って婚約者として迎えられる。実際に2人目の婚約者が王妃になった例は、過去に3回ほどある」
婚約者として選ばれた令嬢は、暗殺や襲撃の危険が付きまとう。第2王子の婚約者でさえ襲撃を受けたことは1度や2度ではないのだから、その比ではないのだろう。
「2人目の婚約者には予備の役目の他に役得がある。2人目の婚約者を排出した家は、次代の王妃の座が約束されている。これがあるから貴族たちから不満が出ない。
イグレーヌも彼女の母上が2人目の婚約者だったんだ。本来であれば、彼女の母上の出身であるウェリアス侯爵家の令嬢が妥当だったのだけれど、生憎と年の見合う令嬢がいなくてね。それでイグレーヌが選ばれたんだよ」
ロイスハルム伯爵家は縁続きとは言え、棚からぼた餅状態だったのね。
「これは公表していない制度なんだ。2人目の婚約者は、その立場を公表されることがないから、一部の貴族、それも当主たちしか知らないだろう」
一夫一妻制を掲げる国のトップが、王妃の予備を用意しているというのは、あまり大きな声で言える話とは思えないのでそれも分かる気がする。
話からして、おそらく今日招待された各家の当主たちは知っていたのだろう。
お父様は知っていたのだ。
そして、だからこそ「王族に嫁がせる気はない」とおっしゃったのね。
「ウーゼル王子様はなぜその話をわたくしに?」
「君の考えている通りだと思うよ」
にっこり微笑まれても、悪巧みをしているようにしか見えないのだけれど。
これは、慎重に言葉を選んで応えなければいけない。
「失礼ながら、父は、お受けできないと思います」
ウーゼル王子様は、笑顔を変えることなく頷いた。
「そうだろうね。ハーグリーブス侯爵は、応じないかもしれない」
ハーグリーブス侯爵家は、王家に対して負い目を感じているところがある。
先代のハーグリーブス侯爵・・・つまり私の祖父は、王家に連なる女性を妻にもらっていた。結婚間もなく戦争が激化し祖父は戦地に赴いたのだけれど、その時悲劇が起こった。ハーグリーブス侯爵領に同盟国であるはずの隣国が急襲したのだ。祖父の妻は、領地に残った僅かな私兵を率いて勇猛に戦い、襲撃を退けたのだけれど、戦いの最中に受けた傷が元で亡くなってしまった。さらに、彼女は身籠っており、お腹の子供ともどもその生命を散らしたのだ。
降嫁した身とはいえ王家の姫を死なせてしまった。
状況が状況だけに、王家は弔辞の言葉を贈るに止め、罰するようなことはしなかったそうなのだけれど、当時のハーグリーブス侯爵家は、随分と負い目を感じていたらしい。
そして、お父様の母親は、祖父の後妻。
なかなか再婚しようとしなかった祖父に、当時の国王様や王弟だった亡くなった先妻の父親など、多くの方の後押しがあって迎えた後妻だったらしい。
けれども彼女が生きていれば、お父様が生まれることはなかった。
実際のところ、お父様のお心はわからない。
お父様は王家に対する忠誠心をお持ちのようだし、二心があるわけでもないと思うのだ。
ヴィーを第2王子と婚約させた理由は今を持ってわからないのだけれど、今は、嫁がせないと言ったその言葉を信じるのみだ。
「ハーグリーブス侯爵家は、婚姻以外の形で、王族の皆さまに対しその忠誠心を表明したいと考えております」
と言うのは、お父様を盾にした言い訳で。
本音は・・・
婚約は断固拒否!
ウーゼル王子様のことは尊敬していましたし敬愛していますけれど、もう王族の方と近くで関わるのはこりごりなんです!
クスッと笑いが溢れる。
え?
「その、年齢に見合わない言動。そういうところが気に入ったんだ。
ヴィヴィアン・ハーグリーブス。君に拒否権はないよ」
とても魅力的な笑顔を浮かべているのに、獰猛な動物に睨まれたように背筋に冷たいものが走る。
足が止まる。とても歩けるような気分ではない。
ウーゼル王子様も合わせて足を止められ、私と向かい合った。
「今日、この会への参加が決定した時点で、君を2人目の婚約者にすることはほぼ決まっていたんだ。それにね、さっきは追求しなかったけれど、君、四大属性魔法を使いこなせるだろう? そんな才能のある子を私が見逃すはずないんだよ」
笑顔は深まるのに、私の冷や汗は止まらない。
「ウーゼル王子様、いったいなにをおっしゃって・・・」
「誤魔化しても無駄だよ? 君の魔法技能については、君の魔法教師から聞いているから。君は随分と用心深いようだね。魔法教師の前ですら猫を被っている。でも、彼女も一流の魔法使いだ。君が隠れて行っていた魔法の練習に気づいて、見ていたようだよ」
な、なんですって・・・?
それは、フェイに見られていたということ?
あの魔法やその魔法を?
それに、それをウーゼル王子様に話した・・・?
「それに、ハーグリーブス侯爵の非嫡出子の男児、あの子も隅に置けないね。君と同じ7歳で同じように四大属性魔法を使いこなせているそうじゃないか。しかも、彼は私と同じ魔法が使えるみたいだね。ハーグリーブス侯爵はとんでもない子供を隠しているね」
ええ? リスティスのこと?
それに何かその言い方は、お父様を批難しているみたい・・・。
「ウーゼル王子様、弟をご存知なのですか?」
「直接知っているわけではないけれどね。そうだ、今度君から紹介してくないかい?」
「は、はい。もちろん機会がございましたら喜んで。ですが、ウーゼル王子様、弟のことをどこでお聞きになられたのでしょうか。弟がウーゼル王子様と同じ魔法が使えるとは、どういうことですの?」
「ああ、君は知らないのかな。君と同じで君の弟も秘密主義みたいだね。ハーグリーブス侯爵も君たちの情報を隠しているし、ハーグリーブス侯爵家はみんな秘密主義なのかな?」
わけがわからないけれど、これはピンチな気がする。
「秘密主義などとそんなつもりはございませんわ。大げさに吹聴するつもりがないだけですわ」
またもウーゼル王子様はクスクスとお笑いになる。
「ああ、アイゼルリバー伯爵令嬢みたいに?」
なんて意地の悪い! フランシスカ様を批難していると思われるのは困る!
「いいえ、そんなつもりはございません。当家の話ですわ」
冷や汗は止まらないけれど、ウーゼル王子様の獰猛な雰囲気も消え去る気配がない。
クスクスと笑う様は、悪役みたいではないでしょうか?
「まあ、いいさ。私の目と耳は優秀だからね。君たちの秘密もすぐに分かるだろう。それで、ヴィヴィアン嬢。私は君を2人目の婚約者に指名するけれど、何か言いたいことはあるかな?」
な、なんて傲慢な・・・。
ウーゼル王子様を敵にしたらいけないとは思っていたけれど、こんなにも容赦ないなんて・・・。
お父様に拒否権はあるのかしら?
第1王子だからって、侯爵に無理を押し通せるとは思えないのだけれど、ウーゼル王子様ならやりかねない。
このままだと本当に2人目の婚約者にされてしまうわ!
でも情報が足りなすぎるよ。何でもいいから聞き出さないと。
つい、唾を飲み込んでいた。
「いくつかお聞きしてもよろしいですか?」
「もちろん」
ウーゼル王子様は鷹揚に頷かれる。
「わたくしを選ばれるのは、ウーゼル王子様にとってはあくまでも予備という認識でよろしいでしょうか」
イグレーヌ様を切り捨てるおつもりなら、絶対に何が何でも断ってやる!
私の決意は良い意味で裏切られ、「そうだね」と肯定された。
「2人目の婚約者は公表されないというお話でしたが、制度を知る貴族の当主の方は誰が選ばれたかわかるのでしょうか?」
どこまで情報が開示されるのか。
誰が、襲撃する可能性があるのか。
「制度を知る高位貴族の数人が知ることになる。今日招待された各家の当主全員に直接伝えることはないが、まあわかるだろうね」
「どなたがお知りになるのか教えていただくことはできるのでしょうか?」
「いいよ。教えてあげよう」
「予備の予備はあり得ますの?」
「ないね。万が一2人目の婚約者がその役目を果たせないとなれば、代替を探すだろうけれど」
3人目の婚約者はさすがにいないのね。
「2人目の婚約者は、他の男性と婚約できないと考えてよろしいのでしょうか?」
「私がイグレーヌと結婚するまでは、君は予備だ。他の男と結婚することは許されない。でも、私たちが結婚すれば役目は終わりだ。誰と結婚しても問題はない」
それもそうか。
他の男性と結婚できなければ、イグレーヌ様のお母様も結婚できなかった。
でも、ウーゼル王子様がご結婚されるまでは、他の男性と婚約する必要がなくなる。
つまり、第2王子との婚約話が無くなるということよね。
そう考えたら、悪くない話かもしれない。
イグレーヌ様さえ生きていてくだされば、私の人生に不都合はないんじゃないかしら。
「わたくしが2人目の婚約者となったとして、何をすればよろしいのでしょうか。ウーゼル王子様は、わたくしに王妃教育だけをお望みなのでしょうか?」
ウーゼル王子様は、未来の王妃の予備だけを望んだわけではないはず。これは確信に近かった。
そしてそれには、リスティスも含まれている。
ウーゼル王子様は、ニヤリと笑った。
「君のその洞察力は私の期待通りだよ、ヴィヴィアン。君はまだ幼い。今は才能を磨いてもらうよ。そして5年後、君たちには私の手足となってもらうよ」
私は覚悟を決めた。
どうせ、この王子様から逃げることは不可能な気がするし、味方についたほうが建設的だわ。
「わかりましたわ。最終的な回答は父からすべきことですが、ウーゼル王子様のお申し出、慎んでお受けさせていただきます」
「ああ、よろしく頼むよ。私の小さな姫君」
ウーゼル王子様は私の右手を取って、キスを落とした。