014.令嬢、弟に恐怖する
「ヴィヴィを誰よりも愛しているのは俺だから」
リスティスは、いつにない真剣な面差しをしていた。
紳士が淑女にするように手を優しく捧げ持つ動作も無駄がなく優雅である。
姉弟でなかったら、愛の告白かと勘違いしそうな真摯な瞳と言葉だった。
かつて、ヴィーとリスティスは互いに依存しているところがあったように思う。
リスティスは、実母を亡くして精神的に不安定な時もあって、それが払拭されたのは、ヴィーが裏切らないと認識できてからだったと思う。
そんなリスティスに例えちょっとしたことであっても、彼自身を否定する言葉を言えるはずがなかった。
今のリスティスにだって、それは同じ。
「心配してくださったのね。わたくしもティニーを愛していますわ」
にっこり笑みを返すと、リスティスも微笑んでくれた。
でも、どうしてだろう。
リスティスの瞳に陰が差したように見えた。
リスティスは両手で私の両手を包むように握る。
私たちの体格にはまだ差はなく、その手の大きさも変わらない。けれど、リスティスの手のひらは剣だこによって厚く固くなっており、子供らしい柔らかさはなく男性の手のようだ。
「ねえヴィヴィ。俺にはヴィヴィだけだ。俺が愛しているのはヴィヴィだけだよ。だから、ヴィヴィも俺だけを愛してね」
同じような言葉をヴィーの時聞いた。
その時のリスティスと、今のリスティスが重なる。
熱に浮かれたかのような熱い吐息。濡れたようなエメラルドの瞳は仄暗い光を宿しており、私を見ているようでどこか違う気もする。
そして、かつては感じかなった違和感。
冷たいような暖かいような、濡れているような乾いているような、なんとも言えない何かが、握られた両手から這い登ってくる感覚。
掴まれた両手から、視線と吐息に晒された頭から、全身を支配しようとする何か。
恐い。
恐い。これはなに?
まるで私ではないものに書き換えようとしているかのよう。
「ティニー、やめて・・・いったいなにをなさろうとしていらっしゃるの?」
リスティスがハッとした表情で顔を上げると、たちまち迫っていた何かが消え失せる。
「あ・・・」
リスティスが目にしたのは、どんな顔をした私だったのだろう。
戸惑い、驚き、困惑が見えただろうか。
怯え、恐れ、畏怖が見えただろうか。
拒絶と思われていないことだけを願うばかりだ。
「ティニー、あの」
「ヴィヴィ」
泣きそうな顔だった。
すでに両手は離され、リスティスは一歩、また一歩と離れていく。
こんなのダメだ!
一歩を踏み出し、抱きついた。勢いが良すぎて、リスティスを押し倒していた。
「ティニーお願い、そんな顔しないで。わたくしは大丈夫ですわ。わたくしはティニーを嫌いになったりしませんわ。何があっても絶対に。わたくしを信じて」
「ヴィヴィ」
「わたくしは何があってもティニーの味方ですわ。ティニーが何をしたってそれは変わりませんわ。絶対に、絶対なんですわ」
「でも」
「確かに先ほどは恐ろしかったのですわ。けれど、ティニーが恐ろしかったわけではありませんの」
涙が浮かんでいた。
恐かった。
ティニーに握られた両手から這い上がる何かが。
恐かった。
ティニーを拒絶したと思われることが。
恐かった。
ティニーを失うことが。
怖くて怖くて恐ろしかった。
ヴィーの時だけじゃない。私は今も、こんなにもリスティスに依存していたのね。
下敷きにされていたリスティスが、そっと私の頬に手を添え、涙を拭き取ってくれる。
「ヴィヴィ。ごめん。恐がらせてごめん」
辛そうな声だった。
「ごめん。ごめん、ヴィヴィ」
泣きそうな声だった。
けれども、リスティスは泣いてはいなかった。
「ごめん、ヴィヴィ。弱くてごめん・・・」
私は涙を溢し続けた。リスティスの代わりのように。
私たちは落ち着きを取り戻し、ソファに並んで座っていた。
たくさん泣いてしまった後で、とても気恥ずかしい。
目が腫れているに違いない。
きっとひどい顔をしている。
私は俯いて顔を隠していた。
「ヴィヴィ、こっち向いて」
「今は、ダメですわ・・・」
「俺はどんなヴィヴィの顔だって好きだよ? だから安心して」
首を振って拒否する。
「目が腫れているんだろう? 冷してあげるから、こっち向いて」
冷やせば、目の腫れは引くかもしれない。
でも、やっぱり、首を振って拒否していた。
「仕方ないなあ」
気がついた時には、手で目が覆われて、隣に座るリスティスの膝の上に倒れこんでいた。
膝枕の要領で仰向けの状態で上半身だけ預けていた。
「ティニー!」
慌てて起き上がろうとしても、目を覆った手に阻まれて起き上がれない。
「だーめ。ちょっと大人しくしてて」
リスティスは、そのままの姿勢で呪文を唱えた。
水系統の冷気を起こす魔法を、目を覆ったままの手のひらに発生させたらしい。
ひんやりとした心地よい冷たさが目元を冷やしてくれる。
この格好は恥ずかしいけれど、腫れて熱くなった瞼には快適だった。
・・・このまま甘えてしまおう。
そういえば、泣いたのはいつ以来だったっけ?
物心ついた頃には、私の中にはヴィーの記憶と真希の記憶があって、感情のままに泣くことはなかったように思う。
真希が子供の時は、本当にどうでもいいようなことで癇癪を起こして、泣いて駄々をこねたりしていた気がする。一人っ子だったから、両親も祖父母も甘やかしてくれていたのね。
ヴィーが子供の時は、真希よりはずっと泣くことは少なかったけれど、それでも今よりは泣いていたと思う。エリスに泣きついて、我儘を言っていた気がする。
今の私が最後に泣いたのはいつだったろう。
さすがに赤ちゃんの時は泣いたと思うけれど・・・。
「ヴィヴィは泣き虫なのに、滅多に泣かないね」
「え・・・。そうかしら?」
最後に泣いたのがいつだったか思い出せないのに、リスティスは私を泣き虫だと思っていたのね。
「そうだよ。前も泣きそうなのに、絶対涙を零さなかった」
前?
「前って、いつのことですの?」
「俺だけがお茶会へ同伴した時とか」
そんなこともあったっけ。
確かあれは、リスティスだけがタウンハウスへ呼ばれて、私はカントリーハウスに残された時だったかしら。
カントリーハウス?
あれ? 何か違和感が・・・
!!
今のリスティスは、まだカントリーハウスに行ったことがないじゃない!
そうよ、それに今までにも感じた違和感。
リスティスは、今のリスティスが知らないはずのことを知っていた。
それじゃあ、まさか。
まさか、リスティスも・・・
「あなたも、その、転生者ですの?」
私の震える声に反して、リスティスの様子は変わらなかった。
「え、俺が何って??」
「転生ですとか前世ですとか、乙女ゲームですとか聞き覚え・・・」
目を覆う手をのけて、リスティスの表情を窺うけれど、首を傾げる様は、疑問符が頭の上に見えるようだった。
「テンセー? 乙女?ゲームって何か新しいゲーム?」
あれあれ?
私の頭上にも疑問符が飛んでいたかもしれない。
リスティスはとても嘘をついているようには見えなかった。
転生者ですか? と聞かれたら驚愕しつつ「あなたも!?」とやりとりするのがセオリーでは無かっただろうか。真希の記憶ではそうなるはず。
けれど、リスティスの顔には疑問しか浮いていなかった。
「ヴィヴィいったい何を言っているの? テンセーってどこの国の言葉?」
とすると、まさかだけれど、リスティスは転生者ではないということなのだろうか?
そんなまさか。
でも、これ絶対知らないぞ。
え、ということは、意味不明な言葉を話す私はおかしい人・・・?
「か勘違いでしたわ! 今のは忘れてくださいませ。ええ、まったくもって意味不明な言葉ですわ。わたくしも意味がわかりません」
支離滅裂な言い訳をまくしたてて、膝枕から跳ね上がり一目散に逃げ出していた。
更新が空いてしまったにも関わらず、ここまでお読みいただきありがとうございます。
更新ペースは不定期ですが、ちゃんと完結させたいと思っておりますので、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。